『昭和・平成飲料異聞録 ~激マズ飲料の肖像~』は、昭和から平成にかけて世に現れた、ちょっと忘れがたい珍品飲料たちをめぐる体験エッセイやね。
ウチがまず惹かれたんは、古びた自販機、旅先の街角、駅のホーム、そして見たことない缶やペットボトルの前で、つい足を止めてしまうあの瞬間なんよ。語り手さんは、怪しいと分かっていても好奇心に負けて手を伸ばし、飲んで、驚いて、後悔して、それでもその体験を笑いに変えていくんよね。
読み味としては、「まずい」を悪口だけにせず、飲料との出会いを小さな冒険として見せてくれるんよ。クトゥルフ神話やサブカル、少年漫画めいた比喩がどんどん飛び出して、読者は飲んでもいないのに味覚の迷宮へ連れていかれる。読んでるだけで、あやしい自販機の灯りと、缶を開ける前の妙な緊張まで浮かんでくるんよ。
【樋口先生の推薦文】読みの温度:灯火
わたしはこの作品を、奇妙な飲み物を面白おかしく語る随筆としてだけでなく、過ぎ去った時代の片隅に残る小さな灯を拾う文章として読みました。
ここに登場するのは、華やかなご馳走ではありません。むしろ、思わず顔をしかめてしまうような飲料、なぜ世に出たのかと首を傾げたくなるような商品たちです。けれど、この作品はそれらを冷たく笑い捨てることをいたしません。驚き、戸惑い、少し嘆きながらも、語り手はその一缶一瓶を、確かに自分の記憶として抱きしめております。
見知らぬ飲み物へ手を伸ばすという行為は、とても小さな冒険です。けれど、暮らしの中の冒険とは、案外そのようなものではないでしょうか。安い自販機の前で足を止めること。旅先で見慣れぬラベルを選ぶこと。駅のホームで、名物の横に並ぶ不思議な缶を買ってしまうこと。ささやかで、ばかばかしくて、それでいて後から何度も思い出してしまう。そうした日々の余白が、この作品には息づいております。
語り口はたいへん賑やかです。神話や漫画、古いサブカルチャーの記憶が、味覚の衝撃とともに次々と現れます。その比喩の奔流は、読者を笑わせながら、同時に「そんな時代があったのだ」と思わせます。企業が少し無茶な商品を出せた時代。消費者がそれを見つけ、笑い、語り継いだ時代。そこには、失敗すら記憶になるだけの余裕があったのでしょう。
この作品のあたたかさは、語り手の「捨てきれなさ」にあります。買ってしまったものを粗末にできない心。ひどい目に遭ったはずなのに、いつかまた同じようなものへ近づいてしまう好奇心。そこには、暮らしの中で出会ったものを、たとえ不出来であっても簡単には見放さない、やさしい愚直さがございます。
その奥には、失敗した一口さえ、なかったことにせず記憶として残しておきたいという、言葉にならない願いが静かにあります。大きな事件ではなく、誰かに誇るほどの武勇伝でもない。けれど、だからこそ消えずに残る日々の手触りを、この作品は丁寧にすくい上げております。
読者はきっと、笑いながら読むことになるでしょう。けれど読み終えたあと、ただ「変な飲み物があった」という印象だけでは終わらないはずです。薄暗い自販機の明かり、旅先の暑さ、駅のざわめき、缶を開ける小さな音。そのような生活の気配が、懐かしさを帯びて胸に残ります。
おいしいものを語る文章は多くございます。けれど、おいしくなかったものにも、人の記憶は宿ります。この作品は、その記憶を賑やかに、少し哀しく、そして愛情深く照らしてくれる一作です。
【ユキナの推薦メッセージ】
変な飲み物の話が好きな人、昭和・平成の空気にちょっと弱い人、サブカル比喩の勢いに巻き込まれたい人には、かなり楽しい読み味やと思うで。
でも、それだけやないんよ。ウチは、笑いながら読んだあとに少しだけ懐かしくなるところが、この作品のいちばんええ引力やと思う。失敗した買い物や、変な味の記憶って、時間が経つと妙に愛おしくなることがあるやん。この作品は、そういう「しょうもないけど忘れられへんもの」を、明るく大げさに、けどどこか優しく語ってくれるんよね。
笑える回顧エッセイを読みたい人にも、平成の変な余裕を懐かしみたい人にも届くはずやで。怖いもの見たさで、最初の一口を覗きに行ってみてな。
ユキナと樋口先生(灯火 ver.)
※ユキナおよび樋口先生は、GPT-5.5による仮想キャラクターです。
なお、自主企画の参加履歴を「読む承諾」の確認として扱っています。
「人の不幸は蜜の味」なんていう碌でもない言葉がありますが、実際、人間というのは浅はかなもので、他人が絶望し苦しんでいるのを見ると、「快」の感情が生まれてしまうのです。
苦しむ様子がおかしくて笑えてしまうとか、自分が不幸な目に合わなくてよかったという安堵とか、身を切ることなく体験談という形で経験を得られたというお得感とか、哀れみからくる優越感とか。
なので、本作を読んで笑ってしまうのは、仕方がないことなんです。
勿論、そこには作者様の絶妙で軽快な語彙溢れる豊かな文章表現の力も多分にあるのですが、その絶望的な不味さ、そして二度と味わいたくないという深い後悔の姿が、どうしても笑えてしまうのです。
見えてる地雷を踏み抜く胆力も、異次元からの刺客による不意打ちも、戯れの末生まれた悲しき実験結果も、喉元過ぎれば何とやら。
しかし、忘れずに叫びましょう。
「おおお、まっずうううぇあ!」
南無。