孤独な玉座
——即位三ヶ月後、秋——
謁見の間の玉座に座りながら、アレクシオスは高い天井のステンドグラスを仰いだ。色硝子には埃が積もり、父王の時代のような鮮やかな光はもう差し込んでこない。鈍い陽の光が淀んだ空気の中に滲み、足元の紫の絨毯は所々ほつれて色褪せていた。玉座の肘掛けに手を置くと、磨り減った装飾の凹凸が指先に触れる。
表情を作る。退屈そうに、傲慢に、無関心に——父王が残した黒の書を読んでから、鏡の前で何度も練習してきた顔だ。
片方の肘を肘掛けに乗せて頬杖をつき、もう片方の手はだらりと垂らす。豪華な金糸の刺繍が施された紫のローブは、病弱で痩せた自分の体には少し大きすぎた。
眼下に、四人の公爵が並んでいる。
最も左に立つゲルハルト公爵は、白髪と白髭を蓄えた巨漢の老人で、軍人の礼服をまとい腰に剣を下げている。視線が合うと、その鋭い目に冷笑が浮かんだ。
その隣、肥えた体に装飾の多い外套を羽織ったヴァレンシュタイン公爵は、指に嵌めた幾つもの宝石の指輪をくるくると回しながら、何かを計算するような目でこちらを見ている。
右から二番目、背筋を真っ直ぐに伸ばしたランゴバルト公爵は、灰色の髪を後ろで結った老婆で、質素な緑色のドレスをまとい、杖を床に打ち鳴らしていた。コツ、コツ、コツという、神経質なまでに一定の規則正しい音が響いてくる。
そして最も右に立つシュタウフェン公爵は、金縁の眼鏡をかけた若い男で、黒い法服をまとい、羊皮紙の束を手に持ってこちらを観察するような目で見つめていた。
彼らの後ろには貴族たちが数十名、そして謁見の間の隅には先王の時代から仕える老大臣が一人、心配そうにこちらを見ていた。
ゲルハルト公爵が一歩前に出た。重い足音が静まり返った広間に響く。
「陛下、軍事予算の増額を、お願いしたい」
低く威圧的な声が石造りの空間に木霊する。言葉は丁寧だったが、口調に敬意はなく、ほとんど命令に近い響きだった。
アレクシオスは、わざとらしく大きくあくびをした。手で口を覆うこともせず、退屈を全身で示しながら答える。
「……そんなことか。勝手にしろ。今日も退屈な時間になりそうだ」
自分の声が冷たく空虚に響くのを聞きながら、アレクシオスは心の中でその演技をなぞっていた。まるで他人が喋っているかのようだ。
ゲルハルト公爵の目が一瞬鋭くなったが、すぐに元の無表情へ戻る。
次にヴァレンシュタイン公爵が前に出て、油を塗ったような滑らかな声で言った。
「陛下、新税制の導入を、ご承認くださいませ」
「好きにしろ」
だるそうに手を振ると、ヴァレンシュタイン公爵が恭しく一礼する。その目に浮かぶ侮蔑の色がはっきりと見えた。
ランゴバルト公爵が杖をカツ、カツと床に打ち鳴らしながら前に出てくる。その乾いた音が耳に突き刺さった。
「陛下。穀物管理の権限を、我がランゴバルト家に一任していただきたく」
低く力強い声だったが、アレクシオスは目も合わせずに答える。
「……もうやっているのだろう。定期報告だけでいい」
最後にシュタウフェン公爵が前に出た。
「陛下、いずれも王国のためでございます」
低く落ち着いた、感情の起伏を感じさせない声だった。シュタウフェン公爵は手にしていた羊皮紙の束を胸の前に整え、静かに持ち上げる。
「こちらに、詳細な計画書がございます。ご確認いただけますでしょうか」
アレクシオスはちらりと羊皮紙を見たが、すぐに視線を逸らして再びあくびをした。
「読む気はない。お前たちが勝手にやれ」
少しだけ声を低くして言い添える。
「余は、もう飽きた。早く終わらせろ」
玉座から見下ろす先で、四公爵が互いに視線を交わした。そこに浮かんだのは隠しようのない軽蔑の色だった。四人は恭しく一礼すると一斉に踵を返した。
(そうだ——もっと軽蔑しろ、もっと安心しろ、俺が無能だと確信しろ)
その時、謁見の間の隅から白髪の老人が進み出てきた。先王アルフォンスの代から仕える老大臣だ。腰は曲がり足取りも覚束ないが、その目には今もなお強い意志の光が宿っている。
アレクシオスの胸はきゅうっと締め付けられ、心の中で必死に、老大臣がこれ以上近づかないことを願った。
「陛下!」
願いは虚しく、老大臣の声が広間に響き、四公爵が振り返った。
アレクシオスは表情が動かないよう必死に抑え、だるそうに老大臣へと視線を向ける。
「陛下、このような政策では、民が……!」
老大臣の言葉の端が震え、声がかすれる。
「新税制は民の暮らしをさらに苦しめます。穀物管理の一任は、必ずや食糧不足を招く。軍事予算の増額は他の予算を圧迫いたします。どうか、どうか、お考え直しください!」
老大臣は膝をつき、両手を床につけて若き王に懇願した。
「先王陛下は常に民を第一にお考えでした。陛下も、どうか……どうか……!」
アレクシオスは胸の奥の熱を押し殺した。
「下がれ」
凍りつくような声が喉からこぼれ落ちる。
老大臣の顔から、みるみる血の気が引いていくのが見えた。
「時代は変わったのだ。いつまでも前の時代に縋り付くな。……老いぼれが」
言葉を口にした瞬間、胸の奥を何かに抉られた。
「お前の説教など、聞く気はない。余を、父と比べるな」
手を払うように振ると、老大臣が呆然とこちらを見つめている。その瞳に映る絶望の色、消えていく希望の光を、アレクシオスは胸に焼き付けた。
老大臣はもう何も言わず、ゆっくりと立ち上がった。その顔には、絶望だけでなく、かつての若き王子への深い悲しみと、理解しがたいものを見るような困惑が浮かんでいた。
足取りは覚束なく、それでもそのまま出口へ向かっていく。その背中はひどく小さく見えた。
一度だけ立ち止まったが、振り返ることはなかった。
重い扉が閉まる音が広間に響く。
謁見の間に再び静寂が戻り、アレクシオスは玉座に座ったまま表情を変えなかった。四公爵がこちらを見ている。四人が互いに視線を交わすのを眺めながら、彼らの目に浮かぶ満足の色を見た。
ゲルハルト公爵が低く笑った。
「では、陛下。我々は、これにて」
「ああ、早く行け。余は疲れた」
手を振ると、四公爵が恭しく一礼して退出していき、貴族たちも次々と広間を後にした。
足音が遠ざかっていくのを聞きながら、アレクシオスは動かずにいた。
(この業を忘れない——すまない、大臣)
◇ ◇ ◇
謁見が終わってすぐ、シュタウフェンは金の燭台が並ぶ王宮の別室に足を踏み入れた。窓の向こうには王都の景色が広がり、部屋の中央には円卓が置かれている。
すでにゲルハルト公爵、ヴァレンシュタイン公爵、ランゴバルト公爵の三人が席についていた。
シュタウフェンが最後の席に座ると、ゲルハルト公爵がテーブルに拳を叩きつけた。ドン、という重い音が部屋に響く。
「若き王は、予想以上に
満足げな声だった。巨体を椅子に沈めながら白髭をしごく。
「先王は何かと口を出してきたが……あの若造は違う。すべてを我々に任せてくれる」
鼻で笑う声が聞こえた。
ヴァレンシュタイン公爵が宝石の指輪をくるくると回しながら言う。光が指輪に反射して、壁に小さな光の点を作った。
「面倒がなくて、助かりますな。軍事予算も、新税制も、穀物管理も。すべて、我々の思い通りだ」
ランゴバルト公爵が杖を床に打ち鳴らした。コツ、コツ、コツという規則的な音が響く。
「だが、油断は禁物だ。あれでも先王の息子だ。何か、裏があるかもしれん」
低く警戒に満ちた声で、老婆は深い皺の刻まれた顔を厳しく引き締めた。
シュタウフェンは眼鏡を押し上げた。光が反射して、一瞬視界が白くなる。
「とはいえ、我々は王を簡単には排除できません」
冷静な声で言うと、ゲルハルト公爵の顔に不満げな皺が寄った。シュタウフェンは持参していた羊皮紙の束を開き、古い法典の黄ばんだページをめくる。
「王権神聖法により、王の廃位には以下の二つが必要です。第一に、貴族会議の全会一致。第二に、民衆代表議会の過半数」
細い指で羊皮紙をなぞりながら続けた。
ヴァレンシュタイン公爵が冷笑する。
「民衆代表議会など、我々の息のかかった者ばかりだ。問題ない」
「いえ」
シュタウフェンは静かに首を横に振った。
「貴族会議の全会一致が、最大の問題です」
金縁の眼鏡の奥から三人を順に見回す。一人一人の表情を観察しながら続けた。
「諸公、お考えください。もし、王を廃位すれば——次に、誰が王になる?」
その問いかけに、部屋に重い沈黙が落ちた。四公爵が互いに視線を交わすのを、シュタウフェンは眺めていた。
ゲルハルト公爵はヴァレンシュタイン公爵を睨み、ヴァレンシュタイン公爵はランゴバルト公爵を疑い、ランゴバルト公爵はこちらを警戒している。
誰もが誰も信用していないのは、明らかだった。
ランゴバルト公爵が露骨にこちらを睨みつけた。
「まさか、お前が狙っているのか?」
「私は、法の番人にすぎません。王位など、興味はございませんよ」
表情一つ変えず、淡々と答えた。
ヴァレンシュタイン公爵が指を組み、複数の指輪がカチャリと音を立てる。
「では、どうするつもりだ?」
シュタウフェンは静かに、唇だけで微笑んだ。
「民が王を見放すまで、しばらく泳がせておきましょう」
ランゴバルト公爵が眉を上げる。
「泳がせる……?」
「ええ」
羊皮紙を閉じながら続けた。
「若き王は無能です。我々の提案をすべて受け入れ、そのまま実行し続ければ、やがてそれは暴政になる。いずれ民の怒りが爆発します。その時、我々は"民の声に応えて"王を廃位する。……すべて、合法的に」
ゲルハルト公爵が顎に手を当て、白髭をしごく。
「なるほど……合法的に、か」
ヴァレンシュタイン公爵が満足げに頷いた。
「民の声に応えて、ですからな。それは……実に、名案だ」
シュタウフェンは再び三人を見回した。
「その間、我々は力を蓄えましょう」
低く冷たい声で続ける。
「王が倒れた後、誰が覇権を握るか……それこそが我々にとっての、真の問題です」
再び重い沈黙が部屋を支配した。四公爵が互いを牽制し合う視線を交わしている。誰一人として、他の三人を信用していない。そして誰も、自分以外が王国を支配することを許さない。
(この同盟は砂上の楼閣だ。いずれ必ず崩れる——だが、それでいい)
やがてゲルハルト公爵が立ち上がり、椅子がギシリと音を立てた。
「では、我々は協力する……ということか」
納得しかねるような、低い声だった。
「表面上は、ですよ」
シュタウフェンは冷たく微笑んだ。
「——表面上は、協力しましょう」
ヴァレンシュタイン公爵とランゴバルト公爵も立ち上がり、四人は形だけの握手を交わした。しかしその目には、互いへの不信と警戒の色がはっきりと浮かんでいるのが見えた。
◇ ◇ ◇
謁見の間の広大な空間には、アレクシオス一人だけが残されていた。扉が閉まった瞬間、意識的に作っていた傲慢な表情を解く。深い疲労と苦悩が顔に浮かび上がり、玉座の肘掛けを握りしめると爪が食い込んで痛みが走った。
顔を手で覆う。老大臣の絶望の目が、まぶたの裏に焼き付いて離れなかった。
「……はぁ」
長い溜息が漏れ、全身から緊張が抜けていく。だが代わりに疲労が押し寄せてきた。
玉座の横に置かれた小さなテーブルの上には、チェス盤がある。父王と最後に指した盤面で、駒たちは止まったままだ。
アレクシオスは手を下ろし、チェス盤を見つめた。黒いキング——王の駒が盤の隅に追い詰められている。白い駒に四方を囲まれ、どう動いても詰み。
父が遺した盤面は、まるでこの国の現状を映しているようだった。
「父上……俺は、どこまでやれるでしょうか……」
声が震えた。チェス盤の駒は答えない。父はもういない。答えてくれる者は誰もおらず、ただ静寂だけが広間を満たしている。
窓の外を見ると、遥か遠くに粗末な家々が密集しているのが見えた。あそこに、リアムがいる。今頃民衆に食糧を配っているだろうか。あの、昔と変わらない笑顔で誰かを励ましているだろうか。
「……リアム」
声は、虚しく空間に溶けていった。
高い天井の上方で、埃に覆われたステンドグラスが薄暗く光っている。遠くから聞こえてくる民衆の怒号は、日々少しずつ大きくなってきている。
アレクシオスは玉座に深く座り込み、目を閉じた。明日も、また演じ続けなければならない。老大臣の絶望した顔を、何度も見なければならない。
だが、辞めるつもりは無い——それが、この計画の第一歩なのだから。
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