電車に乗る話

立方体恐怖症

【一話完結】電車に乗る話

ごとんごとんと揺れる体。目を覚ます。

 周りは早朝だというのに人が多くて、わっと声を上げて起きたのを奇妙がってじろじろ見られる。

 もう着くかな、と、恥ずかしさをごまかすためもあって案内表示に目を向ける。だけど、十分も意識を失ってから経っていなかった。


杏里ちゃんの家まであと一時間近くかかる。

 落ち着かなくてそわそわとして、やはり寝なおしたほうがいいかもと思う。

 もう一度寝ようと試みるとすぐに意識が遠のくのに、がたんごとんとゆっくりとした電車の音に、どっどっと拍出する心臓の音と比較させられる。電車の音に置いていかれたような速い鼓動に奇妙な焦燥を掻き立てられて目が覚めてしまう。それを繰り返している。


 あきらめて外を見ると、当然だけど遮断機が下りている様子ばかり写って、どきどきする。

 あの喧嘩別れを思い出して辛い。


―――――――


 杏里ちゃんと初めて仲良くなったのは、集団下校の時だった。

 離れていかないように、みんながちゃんと家に帰れるように気を配っていた私に、


「そんな緊張しなくてもいいでしょ」


と話しかけてくれた。初めての集団下校のために、一生懸命になりすぎた私を、子供ながらに観察して、考えて、声をかけられる。


 そんな賢い子供だった。いじめなどなかった。自分の親に、反抗を示す時期のはずだったのだ。何も問題は見つからなかった、少なくとも私からは。


 なのに、教師たちを差し置いて校長へ、杏里はいじめを受けているかも、とか最近様子がおかしい、とか言ってしまうから。

 不信感があったのか、相談してくれなかった私と、教師全体はさらに緊張して杏里ちゃんを、正しくは杏里ちゃんに近づくものを監視することを強化することになった。


 結果、杏里ちゃんは学校へ来てくれなくなり、家庭訪問もお母さまが断り続ける事態に。


 「気持ち悪いの!ほっといてよ」


と顔をゆがませて、遮断機が下りようとするのも無視して、走って行ってしまう後ろ姿が目に焼き付いている。私の声は届いたのか届いていないのか、返事も返ってこなかった。


親御さんはとても過保護で過干渉な人で、本人もとても嫌がっていた。

 少なくとも、杏里ちゃんは教師を、過保護な母を、気持ち悪いと評していたのを私は知っている。

 あの子を、そこまで追い込ませてしまったのは、親のせいであり学校に問題はない、というのが総意ではあったが、今度こそ家に入れてもらい、なぜ転校してしまったのか理由を聞きだすのは私しかいない。


―――――――


 ぼんやり考え事をしながらも案内表示を目で確かめている自分に驚く。

 焦っているみたいだ。ざわざわする。

 規則的な揺れがそうさせるのかもしれないし、慣れない電車そのものがそうさせるのかもしれない。とにかく、早く結果を出したい。家に入れさせてもらいたい。

 駅につく度に入ってくる人たちの視線も気になる。家出をしてしまったかのよう。知らない人ばかりの中に、ぽつんと私だけが浮かんでいる。進む電車の中に浮かんでいる。

 とにかく寝よう、と思考を打ち消すも、何度体の向きを変えても心地良い眠りは訪れない。

 焦っているんだ、進展があることに?それとも何か別のことに?


 電車は減速して、止まって、進んで、止まるを繰り返す。遅々としてたどり着かない。


 このまま会えないとどうなるだろうか?私の立場は、冷たい視線の中この生活を続けていくのだろうか。


―――――――


 眠りを期待して目を閉じると、まだ仲が良かったころの杏里ちゃんの笑顔が浮かんでくる。


 そう、私は比較的仲が良いほうだった。仲が良くならざるを得ない、集団下校だったり、クラスだったり、環境のおかげだと言えるが。笑顔を近くで見ることができた。


 重いはずのランドセルを軽々と背負って


「先生ばいばーい」


と笑う姿もかわいらしい。こっちは足が重くて、うまく走れないから追いかけっこにならない。


「足おそ!ついてこないでね」


 いじめがある、と言われた時に会話した記憶だ。どちらかというと、いじめをされていたような、気がしなくもない。仲が良くなって、距離が近くなってしまったからではあるのだが。

 逆に、教師が過敏になってしまったことで、いじめのような空気感にはなってしまった。


―――――――


 まだ、駅にはつかない。ごとんと揺れる無機質な箱の中だ。唯一この箱から出ていくことを示す切符を握る手に、自然、力がこもる。

 停車した電車からは多くの人が降りて行く。


―――――――


 常に成績が良く、授業態度はまあ、小学生らしい騒ぎ方をしていた子だが、その分友達は多かった。

 昼休憩はお外でドッチボール。授業中でもおしゃべり。

 クラス中が彼女と友達になろうとしていて、だから、その杏里ちゃんのお母さんから校長に電話がかかってきたと聞いたとき、そんなはずは、という気持ちと、信じてもらえなかった、という驚きが強かった。


 「杏里ちゃんのことだけど、分かったことはないんですか?進展がないとお母さまに言うことがないんですよ」

「それが――」


 私は廊下で立ち止まって、息を殺していた。

 それが、なんだ、と思った。親御さんに弁明する方法だけを探していて、杏里ちゃん自身に興味がない校長。話を聞いているだけで憂鬱になってくる。

 その圧はもれなく全教師にかかっていたんだろう。

 あの子の周りには常に教師が待機していて、本人は遊びにくそうにする、隠れようとする、嫌そうにする、という反応が返ってきた。

 となりのクラスの松先生なんかは、すれ違うたびに調子はどう?と聞く誠実さのかたまりだった。もちろんそのことは過保護だと杏里ちゃんは評していた。

 良く言えば、先生は皆子供が大好きで、知らない子供にいじめがあるかもしれない、対処しなさい、と言われると素直に全力を投じた。悪く言えば、盲目的、排他的だった。嫌そうにしていたのは私もだったように思う。


 愛情深さと排他的さを両立している人は多い。まさにその排他性で、私はなぜ異常を見つけられなかったのか、一番そばにいるのに、と誰からも言われた。熱心な人は、マイルドに表現しても、私は、私が思っているほど杏里ちゃんとは仲良くないのだとも言った。言われた。


 杏里ちゃんのことをよくわかっていないのではないか、ということについては、私は少し自覚していた。


 杏里ちゃんは時々、予想もしていないときに子供らしい残虐性を見せることがあるからだ。

 ちょうど案内表示を確認しようとした目が、片付け忘れでベランダに干された鯉のぼりを捉えた。


 あれは、集団下校の時。

 田舎の小学校だから、校区には大きな田んぼがあって、そこに大きな鯉のぼりがある。

 小さな体からだとインパクト抜群で、集団下校の山場だった。

 杏里ちゃんは例にもれず周りの様子をよく観察し声をかけ、下校集団をまとめる子供になっていた。

 そんな子が、


「あの下に行きたーい!」


と言ったら、私たちもそりゃ、ついていくのだ。

田んぼの中には入れない。だから大丈夫だと思っていたのに。

杏里ちゃんが柵の近くまで行ってしまった。


「危ない!」


きぃっ、と大きな音がして、鯉のぼりのポールが揺れる。

私が杏里ちゃんを引っ張った拍子に、ポールに当たってしまったみたいだ。

ポールから比較的小さな、しかし子供何人分もある大きさの鯉のぼりが取れ、空から降ってきた。


あわてて杏里ちゃんをかばうようにして倒れこみ、鉄の板かと思うほどの重量を耐えた。

楽しかった集団下校はアクシデントに見舞われ、騒然としたとき

そのとき放たれた言葉は


「助けた気持ちになってんの、気持ち悪い」


だった。


 殺意がこもっていた。


 その目にはわずかな笑みの名残と、まったく怪我のなかった私をどこか残念そうにしている様子が含まれているような気がした。落ちてくる鯉のぼりなんて怖かったはずなのに、そんなことを言うその心理が怖くなる。この賢い子を、私はどこまで理解しているのか、と。

 そして、この子は何か罪を犯してしまうのではないかと。


―――――――


はっと目を覚ます。いつの間にかまた杏里ちゃんの夢に入れていたみたいだが、また起きてしまった。何度も時計を確認するけどまだ三十分しか経っていない。

 案内表示の駅数を数えてまた眠くなる。寝ては起きてを繰り返していても体の回復にはならない。

 何度も何度も表示を見るけど、進まない。そりゃそうなのだが。

 はやくついてほしい、この居場所のない学校を変えてほしい。


―――――――


 杏里ちゃんは先生にも優しくて、クラス全体を明るくしてくれた。だけど、先生による監視、が多くなってくると、口数や行動が減り、冷たくなった。隠れて何かしようとしたり、過保護だの気持ち悪いだの、という子供ゆえか、軽く放り込まれた口の悪さと残虐性。

 悪い方向に向かっているのは間違いなく、クラスもそれを感じていて、統率がなくなり、小さなグループごとに争いが起きた。


 統率については私のミスなのかもしれない。杏里ちゃんのそばにずっといたから。


 そうして、クラスは元のクラスとは見違えた。グループ同士がばらばらになり、大きなグループはいままでの杏里ちゃんのリーダーシップをまねるかのように今度は杏里ちゃんをけなし始めた。

 いじめはなかったかもしれないが、この段階では少なくとも私と杏里ちゃんは少なからずいじめを受けていた。そう表現しても間違いない。


「杏里が来なくなったのって、あんたのせいだよ」


なんて言う子も出てきた。


「あんたが杏里のこと嗅ぎまわるから。ノートとったりしてさ。」


でも、弁明させてほしい。私が迷惑だなんて、それは勘違いというものだ。いじめがあるのかもしれない、と言われているのだから、調査をする必要はある。杏里ちゃんを守ろうとして何が悪いのか?

―――――――


 電車はまだつかない。どうして?どうしてこんなに焦るのか?

 焦る自分を落ち着かせようとして車窓を見る。

 母親と、小さな子供。てくてく歩く小さな体が、母親が止めるにもかかわらず遮断機へ、電車へ近づこうとする。

 電車が走っているのに進もうとする馬鹿な子供だ、と思うと同時に、あの小さな子供は何を考えているのか考えた。

 前に進みたいのに進めない。うしろで引っ張る母親も教師も重い。過保護だ、と本人は感じるのだろうか?


 胸のざわざわの正体が分かった。

 杏里ちゃんも小さな子供なのだ、教師が嫌だったことも、母親が嫌だったことも、もしかするといじめがあったこと、すべてが真実だったとして。

 今杏里ちゃんに排除されていない問題は母親だけだ。

 精神的に疲れてしまっているらしい、とだけ聞こえてくる噂、極端に読むと、母親が嫌で邪魔で仕方がなくなり追い込まれるということを示しているような気がする。


 そうだとしたらすべて分かるのだ。

 今が楽で。介入を本人が望まないままなら問題はない。

 だけど、あの時折みせた殺意。

 あれが火花のように散ってしまったらどうする?


 鯉のぼりのように落としてしまうのでは?母親を。

 アパートは何階建てだろう?杏里ちゃんは賢いけど、自分を家で追い詰められた時、とっさに殺してしまうのではないだろうか?


 ああそれで、と納得がいく。この考えは電車に乗る前からあったものなのだ。金銭的にタクシーは使えないが、ゆっくり電車に乗るのが耐えられなかった理由。

 私は杏里ちゃんが母親を殺すと思っている。


 焦りでめまいがした。大丈夫、すべては私の妄想だ。だけど。


 あの鯉のぼりが落ちてきた日。あの時、杏里ちゃんの目には殺意が、殺してもよかった、という表情が浮かんでいた。


 最後の日、あの時、過保護がうざくて仕方ない、と叫んで赤くした顔は真実だ。

 あのどちらもが私に向けられていた感情だけど、親にもっと大きな感情を抱えていたなら。


 私はしっかり覚醒して案内表示を見る。次の駅だ。

 切符を確認して、電車が減速するのに合わせて席から降りる。

 

 途中、


「お嬢ちゃん一人で大丈夫?学校は?」


と言われてむっとする。こんな過保護な大人がいるから杏里ちゃんは追い込まれてしまっているのだ。

 問題ない、転校先の家も分かったし、


「一人で大丈夫」


とだけ言う。


――――――――


「あなたはまったく、杏里ちゃんとは仲良くないんです」と言う先生。

「過保護っていうか――気持ち悪いの!つぎストーカーしてきたら殺す」と叫ぶ杏里ちゃん。転校するまえ最後の姿。

「もう警察に言うから…いじめやめて頂戴」と言うお母さん。


――――――――


 私は友達であり同じクラスの、杏里ちゃんのためになることしかしていないのに。


驚いたような顔をする誘拐未遂者を置いて、改札を走り抜ける。

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