第8話 幕末ギャング

 芹沢敦は、スーパーのパートを辞めた。貯金を崩し、一週間だけ現実から逃避することを決めた。目的地は、彼の小説の舞台、京都だった。

​ 新幹線の中でも、敦はノートPCを開き、最新のスマホゲーム**『幕末ギャング』**に夢中だった。これは、GPSを利用し、京都の各所に隠された「隊士の残滓」や「隠密の証拠」を探し出してポイントを競う、位置情報ゲームだった。

​ ポン!

 ​敦のスマホが鳴った。ゲーム内の通知だ。

​「新選組・局長近藤勇の隠密ポイントを発見!場所:祇園白川沿い」

​ 敦は、ゲームに没頭しながら、自分が立っている場所こそが、かつて血が流れた歴史の舞台であることを強く意識していた。

 1. 祇園、妄想の刃

​ 敦は、観光客で賑わう祇園白川の石畳を歩いていた。美しく整えられた街並みは、現代の平和を象徴している。

 ​しかし、敦の脳内では、その平和な風景が一変した。

​【芹沢敦の脳内劇場:祇園の斬り合い】

​*観光客の喧騒が消える。月明かりだけが、白川に反射して煌めく。敦の目の前には、不当な契約解除を行った人事部長、大森の姿がある。しかし、彼は江戸時代の装束を纏い、**「傲慢組の勘定方」*として立っていた。

​「派遣切りだと? 貴様など、この世に必要な塵芥よ!」大森(勘定方)は嘲笑う。

​ 敦は、小説の主人公「頓知」として、腰の刀を抜いた。刀は光を反射せず、闇と同化している。

​「御身の悪行、神仏も見放しましたる。いざ、御覚悟召されよ!」

 ​敦は一気に間合いを詰める。大森は刀を構えるが、彼の動きは鈍い。敦の刃は、大森の傲慢な顔を、一瞬で切り裂いた。

​ 血が石畳に飛び散る。敦は刀を払い、静かに鞘に納める。彼の心は、復讐の完了による、凍り付いたような静寂に満たされていた。

​【現実】

​ 敦は立ち止まり、観光客に軽くぶつかった。彼らはすぐに去っていく。敦の心臓は激しく高鳴っていた。彼の妄想は、エアガンの訓練を経て、もはや現実と寸分違わないリアリティを帯びていた。

​「ここは、生と死の境界が曖昧になる場所だ」

​ 彼は、この京都の地で、ついに神崎からの「本物の仕事」を受ける決意を固めた。

 2. 大森南朋似の暗躍者

 ​敦が京都駅近くのコインロッカーに荷物を預けようとしたとき、遠目に一人の男の姿を捉えた。

​ その男は、俳優の大森南朋に似ていた。疲れたように、しかし鋭い目つき。彼は駅前で小さなクリーニング店を営んでいるようだった。男は、店の看板を拭きながらも、時折、駅を行き交う人々を、値踏みするかのように観察していた。

​ その男の背後から、神崎隼人(遠藤憲一似のトラック運転手)が現れた。

​ 神崎は、クリーニング店の店主の肩を軽く叩き、二言三言、低い声で言葉を交わした。クリーニング店の店主は、無言で頷き、神崎に古びた分厚い封筒を手渡した。

​ 神崎が去ると、クリーニング屋の店主は再び看板拭きに戻った。しかし、敦は見ていた。彼の目つきが、一瞬、ビジネスを終えた暗い満足感に満ちていたことを。

​(あのクリーニング屋も、神崎の**「裏稼業」の仲間だ。彼らが受け渡ししているのは、きっと次の仕事の依頼**か、報酬だろう)

​ 敦は、神崎が抱える「裏稼業」のネットワークが、単なる一トラック運転手のものではなく、全国規模の闇の組織であることを直感した。

​「俺は、今、本物の幕末ギャングの世界に足を踏み入れようとしている…」

​ 彼はスマホを取り出し、神崎にメッセージを送った。

​[地獄の使い走り]:お話をお聞かせください。いつでも構いません。

​ 京都を後にする新幹線の中で、敦は神崎からの返信を確認した。

 ​[神崎 隼人]:承知した。東京に戻ったら連絡する。最初の「仕事」を用意しておく。

​ 敦の「黒魔術」は、妄想の斬り合いから、いよいよ現実の血腥いビジネスへと変貌を遂げようとしていた。

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