第7話 訓練
神崎からの「誘い」は、敦の日常を劇的に変えた。スーパーでの品出しや美穂との不倫が、単なる退屈な日々ではなく、来るべき「本物の仕事」のためのカモフラージュに変わったのだ。
敦は神崎に返事を保留したが、彼の脳内の「仕事人」は加速していた。
1. 殺しの腕の仮想訓練
昼間のパートが終わると、敦は郊外にある打ち捨てられた工場跡地へと向かった。そこは、彼の孤独と憎悪を受け止める、静かな「道場」となった。
彼の得物は、岩田相手に想像したメジャーではなかった。彼は、エアガンショップで高性能なガスブローバック式のハンドガンを購入し、ターゲットとしたのは、建材の残骸や、持ち込んだ空き缶だった。
プシュッ、バシッ!
缶は、彼が想像する憎きターゲットの顔だ。彼は、缶の中心を正確に、躊躇なく撃ち抜く訓練を繰り返した。銃声は耳栓で遮断したが、エアガンの作動音は、敦の耳には、殺しの儀式を奏でる三味線の音のように響いた。
彼は、小説の中の「頓知」が持たない、現代の暗殺術を会得しようとしていた。
2. 危険な知識の収集
殺しが物理的な技術であれば、「黒魔術」は知識の行使だ。敦は、ネットの闇に深く潜り込み、禁断の知識を探し始めた。
彼の探求の対象は、**「爆発物の作り方」**だった。
彼は、化学の知識が乏しい自分でも理解できる、比較的単純な構造の爆弾のレシピを収集し、その過程をノートに詳細に記録していった。これは、誰かを直接殺すためというより、社会的なパニックや混乱を引き起こし、システムの脆弱性を攻撃するための「切り札」としてだった。
「法と秩序が頼れないなら、混乱こそが真の力の源泉だ」
彼は、知識そのものが持つ破壊力に魅了されていた。
3. 地井武男似の店長と交わす毒
そんな敦を、日常の雑談とアルコールで引き戻そうとする存在がいた。スーパーの店長、**田所(50代)**だ。田所は、地井武男を思わせる、人当たりの良い、少しお節介な風貌をしていた。
ある夜、仕事終わりに田所が敦を誘った。
「芹沢くん、最近顔色が良くないよ。たまには付き合え。人生、煮詰まってる時は、酒で流すのが一番だ」
二人は、駅前の古びた居酒屋のカウンターに並んだ。
「あんた、優秀な子なのに、なんでウチみたいなところでくすぶってるんだ?」
田所は燗酒を飲みながら尋ねた。
敦は、派遣切り、パワハラ、美咲との破局、そして心の中に巣食う憎悪を、決して口に出さなかった。代わりに、彼は抽象的な言葉で、自分の哲学を吐き出した。
「…店長、世の中って、結局、**『持っている人間』と『持たざる人間』**でできているんですよね。持たざる人間がいくら努力しても、持っている人間が敷いたレールの上を走らされるだけです。これは、不公平な仕組みです」
田所は、敦の深すぎる眼差しを見て、一瞬言葉を失った。
「そうか…キミは、社会に怒ってるんだな」
田所は静かに言った。彼はグラスを傾け、どこか諦めたような笑顔を見せた。
「だがな、芹沢くん。怒りは、エネルギーになるが、毒にもなる。その毒を誰かに向ければ、あんたも毒に侵される。だから、その怒りは、酒で薄めるか、誰にも迷惑をかけない趣味で昇華しろ」
田所は、敦が持つ内なる怒り、すなわち「黒魔術の種」の存在を正確に見抜いていた。そして、彼は、その毒を「趣味」、つまりネット小説に留めるよう、無意識のうちに助言していた。
しかし、敦の頭の中には、すでに神崎の誘いと、廃墟で響いたエアガンの発射音、そして爆弾のレシピがあった。
(趣味では済まされない。これは、俺の『仕事』だ)
敦は、田所の忠告を心で受け流しながら、冷酒を飲み干した。彼の心の中で、神崎の誘い、そして殺しの訓練が、田所の現実的な優しさを完全に上書きしていた。
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