第十二話「黒銀の流星、愛のための咆哮」

 夜の闇が最も深くなる頃。

 ゼイドは、たった一人、愛馬に跨り砦へと向かっていた。

 その背には、一振りの長剣。瞳には、地獄の業火を宿して。

 彼の部下たちは、主君の決死の覚悟を前に、ただ見送ることしかできなかった。


『待っていろ、リアム。必ず、助けに行く』


 風を切り、闇を駆け抜ける。

 その姿は、まるで夜空を切り裂く黒銀の流星のようだった。


 砦に到着すると、そこは不気味なほど静まり返っていた。

 正面の門が、まるでゼイドを誘い込むかのように、ゆっくりと開く。


 ゼイドは馬を降り、躊躇なく砦の中へと足を踏み入れた。

 罠だと分かっている。だが、進む以外の選択肢はなかった。


 砦の中は、松明の明かりがぼんやりと壁を照らすだけで、薄暗い。

 ゼイドが広間の中央まで進んだ時、四方から、武装した兵士たちが一斉に姿を現した。その数、およそ五十。全員が、殺気をみなぎらせている。


 そして、広間の奥の玉座には、オルバンス公爵が、片手にワイングラスを持ち、優雅に腰掛けていた。

 その隣には、鎖に繋がれたリアムが、ぐったりとした様子で立たされている。


「リアム!」


 ゼイドが叫ぶ。

 リアムは、はっと顔を上げた。その瞳には、光がなかった。絶望の色に染まっている。


「……ゼイド、様……?どう、して……」


 か細い、消え入りそうな声。

 その姿に、ゼイドの胸は張り裂けそうになる。


「ようこそ、ヴァルハイト総長。いや、元総長、かな?」


 オルバンスが、嘲るように笑う。


「宣誓書は持ってきたかね?」

「……ああ、持ってきた」


 ゼイドは、懐から羊皮紙を取り出し、床に放った。


「リアムを解放しろ。そうすれば、お前の言う通りにしよう」

「ははは!馬鹿な男だ!愛するΩのためなら、己の誇りも地位も、あっさりと捨ててしまうとはな!」


 オルバンスは高らかに笑うと、立ち上がり、リアムの顎を掴んで無理やり上向かせた。


「見ろ、ゼイド!お前が愛した男の、この絶望しきった顔を!お前は、セリオの時と同じだ!結局、何も守れやしない!」


 その言葉が、ゼイドの最後の理性の糸を、ぷつりと断ち切った。


「……貴様だけは」


 ゼイドの口から、地を這うような低い声が漏れる。


「絶対に、許さない」


 次の瞬間。

 ゼイドの姿が、その場から掻き消えた。

 いや、消えたのではない。人間の目では追えないほどの速度で、動いたのだ。


「なっ……!?」


 オルバンスが驚愕の声を上げる間もなく、ゼイドはすでに彼の眼前に迫っていた。

 キンッ!という甲高い金属音。

 オルバンスの喉元に突きつけられたゼイドの剣を、側近の騎士が辛うじて受け止める。


「かかれ!殺せ!」


 オルバンスの絶叫を合図に、周りを囲んでいた兵士たちが、一斉にゼイドに襲いかかった。

 数、五十対一。絶望的な戦力差。

 だが、ゼイドは一切怯まなかった。


「邪魔だ」


 呟きと共に、剣が一閃される。

 それは、もはや剣技というよりは、芸術の域だった。

 舞うように、流れるように。それでいて、一撃一撃が必殺の威力を持つ。

 兵士たちの鎧が紙のように切り裂かれ、悲鳴を上げて次々と倒れていく。

 まるで、怒れる獅子の群れに、一匹の竜が舞い降りたかのようだった。


「ひ、ひぃっ……!ば、化け物め……!」


 オルバンスは、その圧倒的な光景を前に、腰を抜かして後ずさる。

 リアムは、ただ呆然と、その光景を見つめていた。

 ゼイド様が、俺のために、戦ってくれている。

 あの手紙は、やっぱり嘘だったんだ。

 彼は、俺を見捨ててなんかいなかった。


 その事実が、壊れかけていたリアムの心に、再び光を灯す。


「ゼイド様!」


 リアムが叫んだ。

 その声に、ゼイドは一瞬だけ振り返り、不器用な、だけど力強い笑みを浮かべた。


『大丈夫だ』


 そう言っているようだった。

 その笑顔を見て、リアムの目から、涙が溢れ出した。


 ゼイドの咆哮は、止まらない。

 愛する番を傷つけ、弄んだ者たちへの、怒りの鉄槌。

 帝国最強と謳われた騎士は、今、愛のためだけに剣を振るう、ただ一人のαとなっていた。

 兵士たちは、あっという間に掃討され、広間にはゼイドと、震えるオルバンス、そしてリアムだけが残された。


 ゼイドは、血糊のついた剣をオルバンスに突きつけ、静かに言った。


「終わりだ、オルバンス」


 その声は、勝者の宣告であり、そして、愛する者を守り抜いた男の、誇りに満ちた響きを持っていた。

 黒銀の流星は、愛のための咆哮を上げ、ついに悪しき闇を切り裂いたのだった。

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