第二話 事実は小説よりも奇なり

 その人が舟を漕ぐ度に、なぜかひやひやする。乗り換えまであと数分という所で、僕は窮地に立たされていた。窮地というよりはむしろ、微笑ましい事態なのかもしれないが…。

 熟睡している人を、しかも、見ず知らずの女性を起こすというのは、どうにも気が引ける。いや、待てよ。到着直前には、必ず車内にアナウンスが響き渡るはず。さすがに起きるよね…。

 とりあえず、降りる準備だけはしておこう。と言っても、目の前のテーブルには、紅茶クッキーの袋と、期間限定フレーバーに惹かれて購入した乳酸飲料しかないのだが。まあそれはさておき、この状況をなんとかせねばならない。言わずもがな、次の駅で降りなければ、魅惑の聖地には辿たどり着けないからだ。

「♪……本日は、新幹線をご利用いただき、誠にありがとうございます。次は、小倉…小倉です。お出口は、左側です。お降りの際は、お足元、お忘れ物に、十分ご注意ください…」

これで流石に…って、まだ起きてない⁉ まじかよ…。これ、どうすりゃいいんだ…。

 途方に暮れる僕を置き去りにして、無情にも、列車は減速し始める。まずい。ここで降りなければ、聖地巡礼の旅程が、汗水垂らして(はないかもしれないけど、それくらい必死に)貯めたバイト代が、全て水の泡となってしまう。それだけは、そのフラグだけは、なんとしてもへし折らねばなるまい。っていうか、この人は一体どこで降りるつもりなんだ。もし寝過ごしているのなら相当気の毒だし、博多まで行くにしても、そろそろ起きないとまずいのでは…。

 新幹線はついに、小倉駅までやってきた。ドアが開き、次々に乗客たちが降りていく。間違いない。僕は今、人生最大の危機に直面している。その一方で、このピンチを楽しんでいる自分がいるのもまた事実だ。

「旅にハプニングは付き物。これもまた一興か…」

「……道下くん?」

その寝言に、脳内の声検知センサーが反応する。僕の最推し、風咲澄花さんの声音と瓜二つだ。舞い散る粉雪のようにゆっくりと、長い睫毛まつげたたえたまぶたが開かれる。

「え?」

思わず声が出た。目の前の光景に、僕は驚きを隠せない。

「え?」

隣に座る彼女もまた、その顔に驚愕と困惑とを浮かべている。


 かくして、新幹線の扉は閉められた。

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未踏の聖地(を、あの最推しと)巡礼中(⁉) @je3m8xK1

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