女子高生の恋 後編

「正直に言うね」

 鹿ノ内霧絵はお茶を淹れながら口を開いた。

「高校生の恋って、本当に難しい問題よね」


 尾崎亜也子は膝の上で指を絡めていた。制服のスカートが細かく波打っているのは、足が小刻みに震えているせいだろう。


「私……変ですよね」

 彼女はかすれた声でつぶやいた。

「先生にこんな気持ちを抱いてるなんて」

 山野辺旅人は黙って湯飲みを手に取った。熱いお茶の湯気がゆらゆらと立ち上っていく。

「変じゃないわ」

 霧絵は首を振った。

「十七歳で誰かを好きになるのは、ごく自然なことよ。問題はどうやってその気持ちを大切にするか」


 亜也子は顔を上げた。目の端がうっすらと赤くなっている。


「でも、先生は……」

「分かってる」

 今度は旅人が口を開いた。

「先生は大人で君はまだ高校生。だからこそ慎重に進めないと」

 三人はしばらく黙った。外では小学生の声が遠くで聞こえている。何かのゲームをしているのだろう、楽しそうな笑い声が風に乗って届く。


「じゃあ、私たちにできることって何ですか?」

 亜也子が真剣な表情でたずねた。

 霧絵が、ゆっくりと口を開く。

「先生にあなたの気持ちを伝える。ただ、それ以上のことは望まない」

「どういうことですか?」

「例えば……手紙を書く。ただし先生の立場を守るために、あなた自身が書くのはやめておく」

 次に旅人が膝を乗り出した。

「僕たちが先生に会って話す。亜也子さんの気持ちをちゃんと伝えるだけ」

 亜也子は不安そうに唇をかんだ。

「……それって……変な誤解されたら」

「大丈夫」

 霧絵が微笑んだ。

「わたしたちはプロよ。相手の立場も考えて、丁寧に伝えるから」


 作戦は決まった。


 まず、旅人が「古本屋の店員」として湯川先生に会いに行く。理由は「数学に詳しい客がいるから、相談に乗ってほしい」というもの。

 そこで亜也子の気持ちを第三者の立場から伝える。先生の立場を守るために、具体的な名前は伏せておく。

「私……先生に迷惑をかけたくない」

 亜也子が小声で呟いた。

「だからこそ」

 旅人が優しく言った。

「僕たちが間に入るんだよ」


 次の日、旅人は亜也子の通う高校を訪れた。 校門をくぐるとき、さすがに緊張感が広がった。


「あ、山野辺さん!」

 待っていた尾崎亜也子が駆け寄ってきた。彼女も緊張していて表情が硬い。旅人は彼女に教えてもらった教職員室のある建物へと向かった。

 先生の部屋は三階の端にあった。ドアをノックすると落ち着いた声で「どうぞ」と返事が返ってきた。


「失礼します」

 旅人は丁寧に頭を下げた。

「湯川先生ですね。鹿ノ内書店の山野辺と申します」

 湯川先生は眼鏡を外しながら、不思議そうな顔をした。端正な甘いマスク、落ち着いた雰囲気である。

「ああ、古本屋の……どうぞお座りください」


 部屋は本で埋まっていた。数学の専門書が壁一面にずらりと並び、窓際には観葉植物が置かれている。旅人は、一礼してすすめられた椅子に腰を下ろした。


「実は、先生に相談があるんです」

 旅人は慎重に言葉を選んだ。

「最近、うちの店に高校生の女の子が来てまして……数学の本を探しているんです」

 先生の表情が少し和らいだ。

「それは結構なことですね」

「その子、ある先生のことが好きみたいです。ただ先生の立場を考えて直接は言えない。そこで僕たちに相談してきたんです」


 湯川先生は黙って旅人の話を聞いていた。指先で机の上をゆっくりと叩いている。


「ほほう、実に興味深い。それでその子は?」

「詳しいことは言えないんですが、その先生は数学が大好きで生徒思いで……その子にとって、すごく大切な存在みたいです」


 先生は深いため息をついた。

「なるほど。しかし……その先生は……教師として……」

「分かってます」旅人がさえぎった。

「だから、これはただの気持ちの伝達です。返事はいりません。一人の女の子がその先生を好きになったこと。それを伝えたかっただけです」


 部屋の中が静まり返った。窓の外では生徒たちの声が聞こえている。放課後のにぎやかな笑い声が響いている。


「実は……」

 先生が口を開いた。

「最近、ちょっと気になってたことがあって」


 旅人は黙って湯川先生の話を聞いた。


「授業の後、一人の生徒が残ってくれて、数学の話をしてくれることがあってね。その子は最初は数学が苦手だったみたいなんだけど、最近は本当に楽しそうに……」

 先生の声が少し震えた。

「僕はただ数学を好きで、それを誰かと共有したくて先生になっただけなんです。生徒が数学を好きになってくれること……それが一番嬉しい」

 旅人は大きくうなずいた。

「その子も同じこと言ってましたよ。先生の授業を聞いて数学が好きになったって」

 湯川先生は、目頭を押さえた。


「山野辺さん、ありがとう。ちゃんと受け取ったよ」


 数日後、鹿ノ内書店に尾崎亜也子がやって来た。

「どうだった?」

 霧絵が優しく聞いた。


 亜也子は微笑んだ。輝くような笑顔である。

「湯川先生、授業で『今日は特別な問題を解いてみよう』って言って、私が作った問題を出したんです」

「えっ?」

「先生は、私の気持ちに気づいてたみたい。だから誰にもバレないように……私だけが分かる形で」

 旅人が興味深そうに身を乗り出した。

「で?」

「問題の答えが出たとき、先生が『これは、ある人の気持ちを表した問題だ』って言ってくれた。私、泣いちゃった」


 霧絵は小さくうなずいた。

「なるほどね」

「先生は、最後に『数学は、人の心を繋ぐこともできるんだ』って言ってくれた。それで……終わりました」


 外では初夏の風が吹き始めていた。霧絵と旅人は亜也子の次の言葉を待った。


「私……大学は数学科に進もうと思っています」

 亜也子の声は明るかった。

「湯川先生みたいに、誰かの心に届く数学をしたい」

「それが、一番素敵な答えかもね。わたしと山野辺くんがお役に立てて良かったわ」

「霧絵さん、山野辺さん、本当にありがとうございました!」

 

 小さな古本屋で始まった、一つの恋の物語。



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 了

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プロポーズ代行承ります 船越麻央 @funakoshimao

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