エピソード

## プロローグ


目を覚ますと、コンクリートの冷たさが頬に張り付いていた。


桐谷蓮は身体を起こし、周囲を見回した。薄暗い密閉空間。天井は高く、壁はコンクリート。シェルターについてるような重い扉が四方についている。


「……ここは?」


声を出して、初めて気づいた。自分以外にも人がいる。


床に倒れている人、壁にもたれかかっている人。老若男女、バラバラだ。数えると十六人。全員が同じように混乱した表情で目覚めつつあった。


「何なんだよ、ここ!」


若い男が叫んだ。二十歳前後だろうか。金髪に染めた髪、ピアス。


「落ち着け」


低い声が響いた。五十代の男だ。がっしりとした体格、鋭い目つき。警察官のような雰囲気がある。


そのとき、壁に埋め込まれた巨大なモニターが点灯した。


『皆さんを、選抜試験に招待します』


機械的な音声が流れる。


蓮の背筋に冷たいものが走った。


『これより、皆さんには生存競技に参加していただきます。ルールは単純。最後まで生き残ったチームの勝利です』


「ふざけんな!」


中年の女性が叫んだ。四十代前半、買い物袋を握りしめている。


「私には子供がいるの!帰して!」


『参加拒否は認めません』


女性は構わず扉に向かって走った。


次の瞬間、天井の一部からノズルが伸び白い煙が噴き出した。


女性の動きが止まる。そして、糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた。


「拒否者には強制措置を取らせていただきました」とモニターの声が説明した。「次はありません」


蓮は息を呑んだ。周囲の人々も凍りついている。


保育士らしきエプロンを付けた若い女性が泣き崩れた。


「無理です……人殺しなんて、無理です……」


誰も彼女を慰められなかった。


モニターはルールの説明を続けた。


四チームに分かれての殺し合い。AI監視システムに検知されれば、治安維持部隊が出動して処刑。武器は選択可能。専用アプリで敵の基本情報と残り人数を確認。活動範囲は適宜縮小。制限時間は五日間。


「なお、皆さんの首には記録用カメラが装着されています。取り外しは不可能です」


蓮は首筋に触れた。確かに、小さな突起物がある。


「チーム分けを発表します」


モニターに名前が表示される。蓮は「Aチーム」だった。


同じチームは、森川美咲(二十八歳)、田中健二(四十五歳)、李明哲(三十四歳)。


天井から壁が降りてきて、部屋を四つに分割した。


蓮は三人の見知らぬ大人たちと、狭い空間に閉じ込められた。




## 第一章:覚悟


「まず自己紹介だ」


李明哲と名乗った男が口を開いた。短髪、引き締まった体。軍人のような雰囲気がある。


「李だ。元軍人。中国系だが日本育ちだ」


「田中健二です。会社員……というか、中間管理職で」


中年の男は額の汗を拭った。「家族がいます。妻と子供二人」


「森川美咲。看護師をしていました」


優しげな顔立ちの女性が微笑んだ。だが、その目は笑っていなかった。


三人の視線が蓮に向く。


「桐谷蓮です。高校二年生で……」


声が震える。


「なんで、こんなことに」


「理由なんてどうでもいい」李が冷たく言った。「だが、生き残りたいなら覚悟を決めろ」


壁に武器が並んだラックが現れた。銃、ナイフ、注射器、鈍器。


李は迷わず戦術ナイフを手に取った。


「銃の方が強いんじゃ」と田中。


「発砲音でAIに検知される。それに、俺は刃物の方が扱える」


田中は小型拳銃を選んだ。サイレンサー付きだ。


森川は注射器セットを手に取った。「薬物なら静かに始末できます」


蓮の番だ。


手が震えて、武器を掴めない。


「……本気で、人を殺すんですか?」


沈黙。


田中が蓮の肩に手を置いた。


「少年、これは生き残るゲームだ。殺さなきゃ殺される」


「でも……」


「迷いは死に直結する」李が言い切った。「覚悟を決めろ。今すぐに」


森川が優しく言った。


「蓮くん、私たちで守るから。あなたは後方支援でいいの」


蓮は震える手でスタンガンを掴んだ。せめて、殺傷力の低いものを。


「LINE交換だ」


李がスマホを取り出した。四人でグループを作る。名前は「Aチーム」。


「こまめに位置と状況を報告。単独行動は禁止。いいな」


全員が頷いた。


モニターが再び点灯する。


『二時間後、皆さんをフィールドに投入します。準備時間として活用してください』


田中が地図アプリを開いた。


「フィールドは都心の商業地区らしい。半径三キロ」


「監視カメラの密度は?」


「高い。駅、ショッピングモール、オフィスビル。どこにでもある」


李が腕を組んだ。


「AIの検知パターンを理解することが最優先だ。大声、走行、武器の露出。これらは確実にマークされる」


「じゃあ、普通に歩けばいいんですね」と蓮。


「そう単純じゃない。AIは挙動も分析する。不自然な動き、視線の配り方、滞留時間。全てが判断材料になる」


田中が頭を抱えた。


「無理だ。そんなの、プロじゃないと」


「だから選抜試験なんだ」李が冷徹に言った。「生き残るのは、監視網を掻い潜れる者だけ」


森川が提案した。


「初日は索敵に徹しましょう。敵の位置を把握してから動く。焦って検知されたら終わりです」


全員が同意した。


蓮はスマホを見た。専用アプリには十六人の顔写真。A、B、C、D、四色に色分けされている。


敵の顔。


これから殺し合う相手の顔。


吐き気がした。




## 第二章:開始


早朝六時。


蓮が目覚めると、見知らぬ路地裏にいた。


首のカメラが作動している感覚がある。常に監視されている。


スマホを確認。地図アプリには自分の位置が表示されている。都心の商業地区。既にサラリーマンや通学中の学生が行き交っている。


LINEにメッセージ。


李:位置を報告しろ。俺は駅前だ


田中:オフィス街。人が多い


森川:ショッピングモール内。女性客に紛れてます


蓮は自分の位置を送信した。


蓮:住宅街の端です


李:各自、敵の索敵を開始。見つけても単独行動は禁止。まず報告


蓮は路地から表通りに出た。


通学中の高校生たちが笑いながら歩いている。普通の朝の風景。


でも、この中に殺し合いの参加者が潜んでいる。


蓮はスマホを見ながら歩いた。「普通の高校生」を演じる。


視線を自然に。歩幅も普通に。


だが、全ての監視カメラが自分を見ているような気がした。


駅前に向かう。人混みに紛れれば目立たない。


改札を通り、ホームに出る。


そのとき、見覚えのある顔とすれ違った。


Bチームの黒木剛。元刑事らしき男だ。


二人の目が合う。


黒木は何も言わず、階段を下りていった。


蓮も何もできなかった。


LINEに報告。


蓮:駅でBチームの黒木を確認。接触なし


李:了解。監視を続けろ


午前中は何も起きなかった。


各チームとも慎重に動いている。


だが、午後二時半。


アプリに通知が来た。


『Dチーム・沢田竜也 検知』


地図上に赤いマーカーが表示される。商業ビルの非常階段。


田中:始まったぞ……


三十秒後、追加通知。


『Dチーム・沢田竜也 排除完了』


蓮は立ち止まった。


排除完了。


つまり、死んだ。


五分後。


『Dチーム・遠藤千尋 検知』


そして。


『Dチーム・遠藤千尋 排除完了』


森川:Dチーム、二人同時に死亡。何があったの?


李:おそらく他チームと接触。慌てて検知された


田中:このペースだと、明日には半分以上が死ぬぞ……


蓮はカフェのトイレに駆け込んで吐いた。


二人が死んだ。


顔も知らない人たちだけど、確かに生きていた人たちが。


スマホが震える。


李:動揺するな。今日は潜伏に徹する。夜に合流だ




## 第三章:最初の殺人


夜十時。


廃ビルの一室で四人が合流した。


「二人死んだ……」田中が呟いた。「思ったより早い」


「Dチームは雑だった」李が冷静に分析した。「我々は慎重に行く」


森川が持参したコンビニ弁当を配った。


「食べておいて。明日はもっと厳しくなる」


蓮は喉を通らなかった。


「……本当にやるんですか。人を殺すって」


李が蓮を見た。


「やらなければ俺たちが死ぬ」


「でも……」


「綺麗事は言うな。お前も生き残りたいんだろう」


蓮は何も言い返せなかった。


確かに、死にたくない。


でも、人を殺してまで生きたいのか?


答えは出なかった。




二日目、午前十時。


アプリに通知。


『活動範囲を半径2kmに縮小します』


地図上に赤い境界線が表示される。


李:範囲が狭まった。接触の可能性が上がる。警戒しろ


蓮はオフィスビル街を歩いていた。


スーツ姿のサラリーマンたちに混じって、ターゲットを探す。


だが、見つからない。


みんな慎重になっている。


午後三時。


蓮はオフィスビルの地下駐車場にいた。


トイレに行くために階段を下りる。


角を曲がったとき、女性と鉢合わせた。


工藤春奈。Cチームだ。


二人とも凍りついた。


工藤の目には恐怖が浮かんでいる。


「……お願い、見逃して」


蓮は答えられなかった。


ポケットの中で、スタンガンを握る手が震える。


引き金を引けない。


そのとき、背後から影が現れた。


李だ。


瞬時に工藤の背後に回り、首を絞める。


「ぐ……あ……」


工藤は抵抗できず、静かに床に崩れ落ちた。


李が脈を確認する。


「死んだ」


蓮は口を手で覆った。


吐き気。めまい。


「ためらうな」李が冷たく言った。「次は俺がいないかもしれない」


森川が駆けつけた。


「蓮くん、こっちに来て」


蓮を工藤の遺体から引き離す。


「大丈夫。慣れるから」


慣れる?


人の死に?


蓮は壁に手をついて嘔吐した。


LINEにCチームの神崎透からメッセージが来ているのが見えた。


神崎:工藤の位置が動かない。やられたか


山本:すぐに向かう


李が判断した。


「撤退だ。Cチームが来る」


三人は地下駐車場を後にした。


蓮の手は、まだ震えていた。




その夜、ネットカフェの個室。


蓮は眠れなかった。


工藤の顔が脳裏に焼き付いている。


恐怖に歪んだ表情。命乞いの声。


スマホが光る。


田中:生き残るためだ。慣れるしかない


慣れるしかない。


みんな、そう言う。


でも、本当に慣れていいのか?


人の死に慣れるって、それは人間として何かを失うことじゃないのか?


蓮は答えを見つけられないまま、浅い眠りに落ちた。




## 第四章:包囲


三日目、午前八時。


『活動範囲を半径1kmに縮小します』


範囲がさらに狭まった。


もう隠れる場所は限られている。


李:警戒レベルを最大に。敵との接触は必至だ


蓮は駅前広場にいた。


朝の通勤ラッシュ。人の波。


その中に、敵がいる。


突然、背後で騒ぎが起こる。


振り向くと、Cチームの山本梨花が跳びかかってきた。


体操選手のような身のこなし。異常に速い。


蓮は転倒。スタンガンを落とす。


山本がナイフを構える。


次の瞬間、李が現れて山本を蹴り飛ばした。


「散開しろ!罠だ!」


駅の四方向から敵が現れた。


Cチーム:神崎、山本、佐々木。


Dチーム:日野、三島。


二チームが連携している。


田中が銃を抜こうとしたとき、三島京子が先に発砲した。


銃声。


田中の胸に赤い染みが広がる。


「がっ……」


田中が倒れる。


だが、アプリが反応した。


『Cチーム・山本梨花、及びDチーム・三島京子が検知されました』


AIに捕捉された。


三島の顔が青ざめる。


「しまった……」


神崎が叫ぶ。


「撤退!治安維持部隊が来る!」


敵チームは散開した。


李が森川に指示する。


「田中を連れて逃げるぞ」


蓮が田中に駆け寄る。


「田中さん!」


田中の目は虚ろだった。


「……家族に……伝えて……」


それだけ言って、息絶えた。


「置いていくぞ」李が冷徹に言った。「死体を運ぶ余裕はない」


森川が蓮の腕を引く。


「行きましょう」


三人は路地裏に逃げ込んだ。


背後で治安維持部隊が到着する音が聞こえた。


銃声。


三島が射殺されたのだろう。


蓮は走りながら涙が溢れた。


田中は死んだ。


家族がいるって言っていた。


妻と子供二人。


もう会えない。




## 第五章:孤立と罠


三日目、正午。


残り人数。


Aチーム:3名(蓮、森川、李)


Bチーム:3名(相馬、黒木、金城)


Cチーム:3名(神崎、山本、佐々木)


Dチーム:1名(日野)


6人が死んだ。


蓮たちは廃ビルの屋上にいた。


森川が傷の手当てをしている。蓮の腕に擦り傷ができていた。


「痛い?」


「大丈夫です」


李は双眼鏡で周囲を監視している。


「Cチームと山本が検知されたが、逃走に成功したようだ」


森川がため息をついた。


「治安部隊も完璧じゃないのね」


「AIは完璧だが、実働部隊は人間だ。限界がある」


蓮はスマホを見た。専用アプリには残り10人の顔写真。


「Dチームの日野さん……一人になっちゃった」


李「一人では生き残れない。どこかと組むだろう」




日野颯太は公園のトイレに潜んでいた。


チームメイトは全員死んだ。


もう誰も信じられない。


スマホを見る。LINEには誰もいない。


一人だ。


完全に孤立している。


「クソ……クソッ!」


壁を殴る。


このままじゃ死ぬ。


でも、どうすればいい?


そのとき、スマホに通知。


Cチーム神崎透からのDM。


神崎:協力しないか?一人じゃ勝てない


日野は迷った。


でも、選択肢はない。


日野:条件は?


神崎:工藤春奈を殺したAチームを潰す。その後は考えよう


罠かもしれない。


でも、他に道はない。


日野:わかった


神崎:明日、詳細を送る。今は潜伏しろ


日野はスマホを握りしめた。


生き残るためなら、悪魔とでも手を組む。




一方、別の廃ビル。


Bチームの三人が作戦会議をしていた。


黒木剛が地図を広げている。


「Aチームが一番厄介だ。李という男……軍人の動きをする」


相馬凪がノートPCで参加者の行動パターンを分析している。


「心理プロファイルから見ると、李は感情を排除している。完全な戦闘マシーン」


金城聡美が不安そうに聞く。


「私たちに勝ち目はあるの?」


黒木「正面から戦っても勝てない。だが、罠なら」


相馬が顔を上げた。


「罠……そうね。人間、どんなに優秀でも心理的な盲点はある」


「具体的には?」


相馬はアプリを操作しながら説明した。


「明日、活動範囲がさらに狭まる。Aチームが必ず通るルートを予測して、そこに罠を仕掛ける」


黒木「場所は?」


「商業ビルの7階。あそこは監視カメラの死角が多い。それに、オフィスフロアだから隠れる場所も多い」


金城「でも、どうやっておびき寄せるの?」


相馬が冷笑した。


「簡単よ。"弱い獲物"を見せればいい」


相馬はアプリの設定を変更した。


自分の位置情報を、わざと精度を落として表示させる。


「私が囮になる。7階で"一人でいる"ように見せかける。Aチームは必ず来る」


黒木「危険すぎる」


「大丈夫。あなたたちが隠れていてくれれば。李が来たら、黒木さんが天井裏から奇襲。金城さんは別室から森川を襲う」


金城が頷いた。


「蓮くんは?」


「高校生よ。戦力にならない。私が心理戦で崩す」


黒木が腕を組んだ。


「……わかった。やろう。だが、失敗したら即撤退だ」


「もちろん」


相馬は自信に満ちていた。


心理学を専攻してきた彼女にとって、人間の行動は予測可能なパターンに過ぎない。




その夜。


蓮たちはスーパーで食料を調達していた。


閉店間際、客はほとんどいない。


李が缶詰を選んでいる。


「保存食を確保しろ。明日以降、自由に動けなくなる」


森川がパンとペットボトルを籠に入れる。


蓮はレジ近くで周囲を警戒していた。


そのとき、入口から誰かが入ってきた。


Bチームの金城だ。


蓮と目が合う。


金城も食料を買いに来たのだろう。


二人とも動けなかった。


ここで戦えば、確実にAIに検知される。


金城は視線を逸らし、別の通路に消えた。


蓮も何もしなかった。


李が小声で言う。


「スルーしろ。ここは中立地帯だ」


三人は会計を済ませて店を出た。


背後で金城も会計している。


奇妙な休戦。


殺し合いの合間の、束の間の平和。


蓮は複雑な気持ちだった。


あの人も、生き残りたいだけなんだ。


子供がいるって、アプリのプロフィールに書いてあった。


でも、明日には殺し合うかもしれない。




## 第六章:罠と反撃


四日目、午前十時。


『活動範囲を半径500mに縮小します』


もはや商業ビル数棟とその周辺のみ。


隠れる場所はほとんどない。


蓮たちは路地裏で状況を確認していた。


李がアプリを見ている。


「Bチームの相馬の位置が見える……不自然だ」


森川「どういうこと?」


「位置情報の精度が低い。意図的に見せている可能性がある」


蓮「罠……?」


「だろうな」李が冷笑した。「だが、こちらも準備がある」


李はスマホを操作した。


小型カメラの映像が映る。


「昨夜、商業ビルにいくつか監視カメラを設置した。違法だがな」


画面には7階のオフィスフロアが映っている。


相馬が一人、窓際に立っている。


「やはり囮か」森川が呟く。


李が映像を拡大する。


天井の点検口が僅かに開いている。


「天井裏に誰かいるな」


さらに別室のドアの隙間に人影。


「もう一人。おそらく黒木と金城だ」


蓮「どうするんですか?」


李が笑った。


「罠だと分かっているなら、逆に利用する」




午前十一時。


Bチームは7階で待機していた。


黒木が天井裏から小声で通話する。


黒木:まだか?


相馬:焦らないで。Aチームは慎重よ


金城:私、緊張して手が震えてる……


相馬:大丈夫。あなたは森川だけ相手にすればいい




そのとき、エレベーターが7階に到着する音。


相馬が緊張する。


扉が開く。


誰も出てこない。


「……?」


相馬が近づく。


エレベーター内には誰もいない。


ただ、スマホが一台、床に置かれている。


画面にはメッセージ。


『罠だと分かってるぞ - Aチーム』


相馬の顔が青ざめる。


「しまった……!」


その瞬間、別の方向から李が現れた。


非常階段からだ。


李は音もなく天井裏に向かう。


点検口を開ける。


「!?」


黒木が気づいた時には遅かった。


李が天井裏に手榴弾を投げ込む──


いや、手榴弾ではない。催涙スプレーの缶だ。


「うわっ!」


黒木が天井から転がり落ちる。


目を押さえて苦しんでいる。


李が黒木を蹴り飛ばす。


黒木が壁に激突。


相馬が叫ぶ。


「金城!」


金城が別室から飛び出してくる。


だが、そこには森川が待っていた。


注射器が金城の首に刺さる。


「あ……」


金城が崩れ落ちる。


「子供……ごめん……」


金城が息絶える。


相馬は状況を理解した。


完全に裏をかかれた。


蓮が非常階段から現れる。


「森川さん、大丈夫ですか?」


「ええ、問題ないわ」


相馬は逃げようとした。


だが、李が行く手を塞ぐ。


「心理戦が得意だそうだな」


相馬が冷静さを取り戻そうとする。


「……そうよ。あなたみたいなタイプは、感情を殺してる。でも本当は──」


「黙れ」


李がナイフを構える。


相馬が後ずさる。


「待って!私たちだって生き残りたいだけ──」


李は聞く耳を持たなかった。


瞬時に距離を詰め、相馬の首を切り裂く。


「あ……」


相馬が倒れる。




黒木が壁にもたれかかっている。


まだ生きている。


李が近づく。


「元刑事だったそうだな」


黒木が血を吐きながら笑った。


「ああ……法を守る側だった……なのに今は……」


「後悔しているのか」


「いや……」黒木が首を振る。「生き残るために必死だった……それだけだ……」


李は何も言わず、黒木にとどめを刺した。


『Bチーム全滅』




蓮は床に座り込んだ。


また人が死んだ。


三人も。


森川が蓮の肩に手を置く。


「もう少しで終わる」


李が窓の外を見ている。


「残りはCチームとDチームだ」


蓮はスマホを見た。


残り7人。


神崎、山本、佐々木。


日野。


そして、自分たち三人。




午後二時。


別の場所では、CチームとDチームが合流していた。


神崎が日野に説明している。


「Bチームが全滅した。Aチームの仕業だ」


日野「じゃあ、次は──」


「ああ。Aチームを潰す。お前も協力しろ」


佐々木が地図を広げる。


「Aチームは商業ビルの7階にいた。おそらくまだ近くにいる」


山本「どうやって倒すの?李は強いわよ」


神崎が冷笑した。


「正面から戦わない。俺には別の武器がある」


神崎がノートPCを開く。


「このゲームのシステム……完璧じゃない。ハッキングできる部分がある」


日野「何をする気だ?」


「AIの監視を一時的に混乱させる。その隙にAチームを襲う」


佐々木「でも、ハッキングがバレたら──」


「バレる前に終わらせる」


神崎の目は狂気を帯びていた。




蓮たちは移動を開始していた。


「Bチームの拠点だった廃ビルに向かう。そこで最終準備だ」


李が先頭を歩きながら言った。


「Cチームが動くわね」


森川が周囲を警戒しながら応じる。


「ああ。神崎は頭がいい。何か仕掛けてくるはずだ」


李が頷く。


「勝てますか?」


蓮が不安そうに尋ねた。


李が蓮を見た。


「勝つしかない」


三人は夕暮れの街を進んだ。


空が赤く染まっている。




## 第七章:終わりの始まり


四日目、午後六時。


廃ビルの一室。


蓮たちは最終準備をしていた。


李が武器の点検をしている。ナイフの刃を研ぐ音が静かに響く。


森川は医療キットを整理している。


「明日で終わる……」


蓮は窓の外を見ていた。


夕日が沈みかけている。


「本当に、最後まで行くんですね」


李が答える。


「ああ。明日、活動範囲が最小になる。全チームが激突する」


森川「残りは私たち3人、Cチームの3人、Dチームの日野くん。計7人」


蓮はスマホを見た。


神崎透、山本梨花、佐々木春樹。


日野颯太。


明日、この人たちと殺し合う。


李が立ち上がった。


「今夜は交代で見張りだ。蓮、お前は休め」


「でも──」


「明日、お前の力が必要になる。寝ろ」


蓮は床に横になった。


だが、眠れなかった。




同じ頃、商業ビルの屋上。


神崎がノートPCを操作している。


「明日午前十時、活動範囲が半径200mになる。実質、このビルと周辺のみだ」


日野が緊張した声で言う。


「全員が集まる……」


「Aチームは強い。特に李」


山本が腕を組んだ。


佐々木が地図を指差す。


「だから正面から戦わない。このビルを戦場に選ぶ」


神崎が画面から目を離さずに説明を続ける。


「俺が昨夜、このビルのセキュリティシステムに侵入した。監視カメラ、入退室管理、エレベーター制御……全部掌握している」


「つまり?」


日野が身を乗り出した。


「Aチームをビル内におびき寄せる。そして、ビル自体を武器にする」


山本が不安そうに聞く。


「でも、AIに検知されない?」


「システムログは改ざん済みだ。AIは俺の侵入に気づいていない……はずだ」


「はず?」


佐々木が眉をひそめた。


神崎の表情が曇る。


「完璧なシステムなんてない。だが、これしか勝ち目がない」


日野が頷いた。


「わかった。俺も協力する」


「ありがとう」神崎が日野を見た。「お前には"囮"になってもらう」


「囮……?」


日野の声が震えた。


神崎が冷たく笑った。


「Aチームをビル内に誘い込む。お前が"一人で逃げている"ように見せかければ、必ず追ってくる」


日野の顔が強張る。


「俺を餌にするのか……」


「その代わり、俺たちが完全にバックアップする。お前は死なせない」


神崎は断言したが、その目には冷徹な光があった。


それが嘘か本当か、日野には分からなかった。


だが、選択肢はない。


「……わかった」


日野は小さく答えた。




五日目、午前九時。


『活動範囲を半径200mに縮小します。制限時間残り:15時間』


蓮たちは商業ビルの近くにいた。


李が双眼鏡でビルを観察している。


「動きがあるな……」


ビルの入口近くに、日野颯太の姿が見えた。


一人で、慌てたように走っている。


森川が眉をひそめる。


「Dチームの日野……一人で逃げてる?」


「罠だ」


李が即座に断じた。


「罠……?」


蓮が聞き返す。


「明らかに不自然だ。あれは囮だろう」


森川が考え込む表情を見せた。


「でも、放っておけば日野がCチームと合流する。3対4になるわ」


李が判断した。


「……行くぞ。だが、最大限の警戒を」


三人はビルに向かった。




日野がビルのロビーに入る。


エスカレーターを駆け上がる。


その様子を、蓮たちが追う。


李が小声で指示を出す。


「散開しろ。挟撃される可能性がある」


森川が別ルートへ向かう。蓮は李と共に階段を上る。




三階。


日野が振り返る。


Aチームが追ってきているのが見える。


日野はスマホで連絡する。


日野:誘い込んだ


神崎:よくやった。五階まで誘導しろ




日野が階段を駆け上がる。


蓮と李が追う。


四階。


五階。


日野が開けた空間に出た。


オフィスフロア。デスクが並んでいる。


日野が立ち止まる。


李が警戒しながら距離を詰める。


「逃げないのか」


日野が振り向く。


「……もう、逃げ場がない」


その瞬間、天井のスプリンクラーが一斉に作動した。


水が降り注ぐ。


李が舌打ちする。


「!?」


同時に、非常灯が消える。


停電。


フロア全体が暗闇に包まれた。


蓮が叫ぶ。


「何が──」


「ビルの制御システムを乗っ取られた!」


李が怒りを含んだ声で言った。




別フロアにいた森川も同じ状況だった。


水と暗闇。


森川は壁に背を付けて、周囲を警戒している。


足音。


誰かが近づいてくる。


そこに、山本梨花が現れた。


暗闇に目が慣れた山本の動きは異常に速い。


体操選手の身のこなしで、森川に跳びかかる。


森川が咄嗟に注射器を構えるが、暗闇では狙いが定まらない。


山本のナイフが閃く。


森川の腕を切り裂いた。


「きゃっ!」


森川が転倒する。デスクに背中を打ち付けた。


山本が追撃する。ナイフを振り上げ、とどめを刺そうと──


その瞬間。


非常灯が点灯した。


赤い光がフロアを照らす。


山本の位置が露わになった。


森川は床に倒れたまま、もう一本の注射器を掴んでいた。


投げる。


注射器が山本の首に刺さる。


「あ……」


山本の動きが止まる。


毒が回るのは早かった。


山本が膝をつき、そして床に倒れた。


森川は腕を押さえながら、壁を伝って立ち上がった。


血が滴り落ちる。


「蓮くん……無事で……」


森川は痛みに顔を歪めながら、階段へと向かった。




五階。


李と日野が対峙していた。


日野が銃を構えている。


「動くな!」


李は冷静だった。


「お前、本当に撃てるのか?」


日野の手が震えている。


「撃つ……撃たなきゃ……」


李が一歩踏み出す。


日野が引き金を引いた。


銃声。


だが、弾は李に当たらなかった。


李は既に横に移動していた。


「素人が銃を持っても無駄だ」


李が距離を詰める。


日野が二発目を撃とうとする。


だが、李の方が速かった。


ナイフが日野の手首を切り裂く。


銃が床に落ちる。


「がっ……!」


日野が膝をつく。


李がナイフを振り上げる。


その時、蓮が叫んだ。


「待ってください!」


李が動きを止める。


「何だ」


蓮は日野を見た。


自分と同じ高校生。


必死に生き残ろうとしている。


「……殺さなくても……」


李が冷たく言う。


「甘いな」


李がナイフを振り下ろそうとした瞬間──


窓が割れた。


隣のビルから、銃弾が飛んできた。


李の肩に命中。


「くっ!」


李が倒れる。


「李さん!」


窓の外を見る。


隣のビル屋上に、神崎透が狙撃銃を構えていた。


神崎がスマホで通信している。


神崎:李を撃った。今のうちに突入しろ




階段から佐々木修が現れた。


蓮と日野を見て、判断する。


標的は蓮。


佐々木が毒針を投げる。


蓮は咄嗟に避ける。


針がデスクに刺さる。


蓮はスタンガンを構える。


佐々木が近づいてくる。


「抵抗しても無駄だ」


蓮の手が震える。


だが、今度は引き金を引いた。


電流が佐々木の胸に流れる。


佐々木が痙攣して倒れる。


蓮は自分の行動に驚いた。


迷わなかった。




李が立ち上がる。


肩から血が流れているが、動ける。


「蓮、日野を始末しろ」


日野が床で怯えている。


蓮はスタンガンを向ける。


だが、撃てなかった。


「……できません」


李が舌打ちする。


「使えないな」


李が日野に近づく。


その瞬間、アプリが反応した。


『銃声を検知 - 神崎透』


神崎の狙撃が検知された。


李が窓の外を見る。


「神崎が検知された……治安維持部隊が来る」




隣のビル屋上。


神崎がノートPCを操作している。


「くそ……検知された……だが、まだ時間がある」


神崎はビルの制御システムをさらにハッキングする。


「エレベーターを停止させる……治安部隊は階段を使うしかない」


キーが叩かれる。


次の瞬間、複数のエレベーターシャフト内で火花が散った。


爆発。


ドンッ!


エレベーターが使用不能になる。


神崎「これで3分は稼げる……」




だが、神崎は気づいていなかった。


AIは既に、神崎の全ての操作を追跡していた。


『システム侵入を検知 - 発信源特定:隣接ビル屋上』


『Cチーム・神崎透 - 不正アクセス、システム破壊を確認』


治安維持部隊のヘリが隣のビルに向かう。




神崎が空を見上げる。


ヘリが接近している。


「まさか……もう来たのか!?」


神崎は屋上から逃げようとした。


だが、屋上への扉が開き、治安部隊が現れた。


「動くな!」


神崎は窓から飛び降りようとした。


対ビル狙撃手が照準を合わせる。


銃声。


神崎の身体が宙で止まり──落下。


『Cチーム全滅』




五階。


蓮たちは神崎の最期を窓から見ていた。


「終わった……」蓮が呟く。


李が日野を見る。


「Dチームも終わりだ」


日野が叫ぶ。


「待ってくれ!俺はもう戦えない!」


李は容赦しなかった。


ナイフが日野の首に入る。


「あ……」


日野が倒れる。


『Dチーム全滅』




森川が合流してきた。


腕に包帯を巻いている。


「蓮くん、無事だった?」


「はい……」


静寂。


残ったのは、Aチームの三人だけ。


蓮、森川、李。


アプリに表示される。


『最終フェーズ:チーム内殲滅戦』


-


## 第八章:最後の三人


屋上。


夕日が沈みかけている。


三人は言葉を失った。


「……どういうことだ」李が呟いた。


森川が画面を見る。


「最後は一人だけが生き残る、ということね」


蓮の声が震える。


「嘘だろ……仲間だったのに」


李がナイフを構えた。


「初めから仲間などいない」


森川も注射器を取り出す。


「ごめんなさい」


蓮は後ずさる。


「やめてください!殺し合う必要ないじゃないですか!」


李が一歩踏み出す。


「生き残りたいんだろ?なら戦え」


李が襲いかかってくる。


蓮はスタンガンで応戦する。


だが、李の戦闘技術には太刀打ちできない。


蹴りが腹に入る。


蓮が転倒。


李がナイフを振り上げる。


そのとき、李の動きが止まった。


背中に注射器が刺さっている。


森川だ。


「貴様……」


李が倒れる。


森川が蓮に近づく。


「ごめんなさい、李さん」


蓮と森川が向き合う。


「森川さん……」


森川は微笑んだ。


「蓮くん、あなたはまだ若い。生きて」


「森川さん……何を……」


森川が自分の首に注射器を当てた。


「やめてください!」


蓮が叫ぶ。


だが、森川は躊躇わなかった。


注射器が首に刺さる。


「私はもう、汚れてしまった。病院でも、ここでも、人を殺してきた」


森川の身体が揺れる。


「でもね……最後に一つだけ、良いことができる」


森川が蓮の頬に手を当てる。


「優しい子ね……こんな世界には……向いてない……」


「森川さん!」


森川が倒れる。


蓮が駆け寄る。


「森川さん!森川さん!」


だが、森川はもう動かなかった。


蓮は泣き崩れた。


夕日が完全に沈む。


アプリに表示。


『勝者:桐谷蓮』




## エピローグ:選ばれし者


治安維持部隊が屋上に現れた。


だが、今度は敵ではない。


「おめでとうございます。あなたは選ばれました」


黒いスーツの男たちに囲まれ、車で連れ去られる。


蓮は抵抗する気力もなかった。




地下施設。


白い部屋に通される。


机を挟んで、スーツの男が座っている。


「君は素晴らしい。監視網を掻い潜り、生き残った」


蓮は答えない。


「だが君が最も評価されるのは、最後まで人間性を失わなかったことだ」


「……何が目的なんですか」


男は微笑んだ。


「我々は"完璧な暗殺者"を探している。技術だけではない。人間性を保ったまま、必要な時に冷徹になれる者。そういう人材が必要なんだ」


蓮は男を睨んだ。


「人を殺せる人間を作りたいってことですか」


「違う」男は首を振った。「殺せるだけなら、いくらでもいる。だが、君のように最後まで葛藤し、それでも生き残った者は稀だ」


「だから何だって言うんですか」


男は資料を開いた。


「この世界は高度な監視社会になった。AI技術の発展で、ますます犯罪は極めて困難になっっていくだろう」


男は蓮を見た。


「だからこそ、完璧に"人間らしい"暗殺者が必要なんだ」


「人間らしい……?」


「そうだ。感情を完全に消した人間は、AIに検知される。

なぜなら、人間は本来、感情的な生き物だからだ。

喜び、悲しみ、恐れ。それらを自然に表現できなければ、AIは"異常"と判断する」


蓮は理解した。


恐ろしい理屈だ。


「君は完璧だ。人を殺すことに罪悪感を感じる。吐き気もする。手も震える」


男は微笑んだ。


「だが、君はそれを隠すことができる。

任務中は完璧に"普通の人"を演じ、

終わった後で、一人で苦しむ。

それこそが、我々が求めていた人材だ」


蓮は震えた。


「つまり……苦しみ続けろと……?」


「そうだ。その苦しみこそが、君を"人間"として見せる。

AIは君を普通の市民と判断し続ける」


男は立ち上がった。


「感情を殺すな。感情を持ったまま、殺し続けろ。

それが君の役割だ」


蓮は拳を握りしめた。


「断ったら?」


男は冷たく笑った。


「君が見たもの、経験したことを、すべて知っている。君の首のカメラは完璧に記録した。もし断れば、君は殺人者として指名手配される」


「そんな……」


「警察に自首しても無駄だ。我々は司法システムにも影響力がある。君に選択肢はない」


蓮は震えた。


逃げ場はない。


「これから訓練を受けてもらう。君の能力を最大限に引き出す。そして、我々の"作品"となるんだ」


男は立ち上がった。


「歓迎する。新しい世界へ」




数ヶ月後。


都心の高層ビル。


黒いスーツを着た蓮がエレベーターに乗っている。


ターゲットはこのビルの最上階にいる。大手製薬会社の会長。不正な治験で多数の死者を出したが、権力で揉み消した男。


エレベーターが開く。


蓮は自然な歩き方で廊下を進む。


頭上の監視カメラが彼を映している。


だが、AIは「普通の会社員」としか認識しない。


歩き方、視線の配り方、全てが完璧に計算されている。


会長室の前。


秘書が「ご用件は?」と尋ねる。


「資料のお届けです」


蓮は微笑む。人畜無害な笑顔。


だが、その笑顔の裏で、心は激しく揺れている。


(また人を殺す……)


秘書は疑わずにドアを開けた。


会長室。


老人が椅子に座っている。


「君は?」


蓮は近づく。


手が震えそうになる。


だが、訓練で叩き込まれた技術が、身体を自動的に動かす。


「お届け物です」


懐から取り出したのは、注射器。


森川さんが使っていたものと同じ。


会長は気づくのが遅かった。


注射器が首に刺さる。


「な……」


数秒で意識を失う。


蓮は会長の脈を確認した。


死亡。


任務完了。




だが、蓮の手は震えそうになっていた。


心臓が激しく鳴っている。


(また……殺した……)


罪悪感が押し寄せる。


吐き気。


だが、それを表情に出さない。


完璧な「普通の会社員」の顔のまま、部屋を出る。


秘書に会釈する。


「失礼しました」


声は震えていない。


訓練の成果だ。




エレベーターで下階へ。


密閉空間で、ようやく一人になる。


蓮は壁に手をついた。


呼吸が荒くなる。


(俺は……何をしてるんだ……)


エレベーターが一階に到着する。


扉が開く。


蓮は再び「普通の顔」を作る。


ロビーを抜けて、街へ。


人混みに紛れる。


監視カメラが至る所にある。


だが、蓮を追うカメラはない。


完璧に、存在を消している。




そして、誰も気づかない。


この青年が、今まさに人を殺してきたことを。


表情は穏やかで、歩き方も自然で、まるで普通の会社員。


だが、その内側では、激しい葛藤が渦巻いている。




その夜、蓮はアパートの一室にいた。


トイレで吐いた。


任務の後、いつもそうだ。


「慣れる」と教官は言った。


だが、蓮は慣れなかった。


今でも、殺す度に吐き気がする。


鏡を見る。


そこに映っているのは、普通の青年。


だが、蓮は知っている。


この手が、何人もの命を奪ってきたことを。


桐谷蓮という高校生は、もういない。


でも、完全には死んでいない。


心のどこかに、まだあの時の自分が残っている。


森川さん、李さん、田中さん。


工藤さん、日野、神崎。


みんなの顔が脳裏に浮かぶ。


「ごめん……」


蓮は呟いた。


今日殺した会長にも。


「ごめんなさい……」




蓮はスマホを開いた。


母親からのメッセージが届いている。


『蓮、元気にしてる?最近連絡ないけど、心配してるよ』


蓮は返信を打った。


『元気だよ。仕事が忙しくて』


嘘だ。


でも、本当のことは言えない。


送信。


母の返信がすぐに来た。


『そう、良かった。無理しないでね』


蓮は涙が溢れそうになった。


だが、流さなかった。


泣いたら、止まらなくなる。


窓の外を見る。


無数の監視カメラが街を見守っている。


人々は安全だと信じている。


AIが守ってくれると。


でも、その監視網を掻い潜る存在がいることを、誰も知らない。


そして、その存在が、まだ人間の心を持っていることも。


蓮のスマホに新しい任務が届いた。


『次のターゲット:衆議院議員・佐藤健一郎』


蓮は画面を見つめた。


吐き気が再び襲う。


(また……殺さなきゃいけないのか……)


だが、選択肢はない。


拒否すれば、自分が殺される。


蓮は静かに立ち上がった。




都心の夜景が広がる。


無数の灯り。無数の人々。


その中に、蓮は消えていった。


監視カメラは彼を映しているが、AIは何も検知しない。


完璧な「普通」を演じる暗殺者。


高度な監視社会が生み出した、皮肉な存在。


蓮の目には、深い悲しみが映っている。


だが、それを誰も見ることはない。


彼は完璧に、感情を隠すことを学んだから。




そして、街は今夜も平和だった。




【完】

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