第6話 ジュリアの本気
俺は彼女を見くびっていたのかもしれない。
実力の違いを見せれば、簡単にあきらめるのではないか。そう、簡単に考えていた。
実際ジュリアは、自身の魔法が通じないことに戸惑い、その瞳は揺らぎ、恐れの表情を浮かべ、俯いて視線を逸らした。
だが、再び顔を上げた時、その瞳は決意に燃え、その視線は真っ直ぐ俺を捉えて離さない。
逆に俺の方が目が離せなくなっていた。
瞳の輝きなのだろうか。全身に立ち昇る魔力の気配なのか。
それとも、ジュリア自身なのか。正直、それは分からない。
だが、目を惹きつけてやまない。
最初は、気乗りのしない依頼だと思っていた。貴族の子女が冒険者を目指すなんて、本気かどうかも疑わしかった。
だが今、悔しいことに、自分の内側が静かに熱を帯びているのを感じ、不謹慎ながら笑みを隠せない。自分の見込みが裏切られたことが、こんなに胸を熱くしてくれるとは思わなかった。
彼女の声も、姿も、まっすぐ向けられた瞳も――すべてが、こちらの内側を静かに揺さぶってくる。
ならば、もはや理由は不要だ。理屈もいらない。
ただ――この少女が、どこまで辿り着けるのかを見届けたい。
ただ、それだけだ。
「――見せてください。貴女が選ぶ、“本気”のジュリア・アーデルシアを」
シモンは深く息を整え、その言葉を静かに送り出した。
言葉を受けたジュリアの瞳が、わずかに見開かれた。驚き――しかし、それはすぐに凛とした光へと変わる。
胸の奥で灯る炎が強まっていくのを、シモンははっきりと感じ取れた。
(いい目だ…)
ジュリアは静かにまぶたを閉じ、荒れた呼吸を整えると、残った魔力をかき集め、指先へと集中した。
「ファイア・ボルト!」
連続して放たれる炎矢は鋭かった。先程までと何かが違う。
魔力とは違う何かが炎矢に込められ、それが魔法に作用しているのだろうか?
放たれる魔法の一つ一つを見定め、丁寧に避け続けた。
数が増えるほど、ジュリアの呼吸は乱れ、詠唱の揺らぎが、はっきりと立ち上がってくる。
それでもジュリアは止まらない。
火照った額から、細い汗が一筋、静かに頬を伝う。それはまるで、彼女の決意が滲んだ涙のようだった。指先は絶えず痙攣しており、可憐な唇からは、似つかわしくない荒い息が零れていた。
(……)
シモンは木剣を構えながら、ジュリアの変化を見逃さなかった。
魔力の消耗。過剰な集中による緊張。そして、限界が近いという兆候――すべてに気づいていた。
一歩だけ、間合いを詰め、つぶさに見定める。
(ここで終わったとしても十分だ。だが――)
炎矢がもう一発放たれる。だが、その熱量は、最初の半分にも満たない。それでも彼女は止めようとしなかった。視線は真っ直ぐで、歯を食いしばり、足を踏ん張っている。
(……見せてくれ。お前の力を、意志を)
いくら魔力量が特別に秀でているとはいえ、ジュリアはまだ十四歳の少女だ。一人前の宮廷魔術師数人分の魔力は既に消費しているのだから、こうなるのも当然といえる。
それでも、なお魔法を放ち続ける姿は、まさしく瞠目に値した。
だが、その身を苛む高負荷の詠唱は、確実に、そして容赦なく限界に迫っていた。
燃え残る灯火のような魔力は、風にさらされながらも、なお消えまいと抗う彼女の意志なのだろうか。
愚直で一途なその姿に、美しいとすら思えた。
できればこのまま見ていたいと思った。
しかし、このまま続ければ――
(……魔力欠乏症になる)
その危険が、シモンの脳裏をよぎった。
魔力を過剰に消耗し続ければ、魔素の自然回復や魔力循環に、深刻な障害が残る。
とくに成長期の魔法士にとっては致命的だ。
回復力の低下どころか、魔力の生成そのものに支障をきたし、二度と魔法が使えなくなる可能性すらある。
限界を超えたその先に、彼女の未来が失われるのだとしたら――見過ごすわけにはいかない。
あの瞳に宿った光は、紛れもなく本気だった。恐らく自分から止まると言った選択肢は、彼女には既にないのだろう。
――ならば、俺が。
終わらせなければならない。
彼女が一線を越えてしまう前に。
その未来が閉ざされてしまう前に。
踏みとどまらせるのが、自分の役目だ。
――どれだけ残酷でも。
――どれだけ恨まれようとも。
断ち切らねばならない。それが、いま託された責任だった。
シモンは静かに木剣を構えると、僅かに目を細め、ジュリアの瞳を見据えた。
「ジュリア……」
訓練場の片隅から、二人の戦いを見つめる者がいる。
ジュリアを見守る誰かの声が、不安を交えて空へと舞い上がった。
シモンの足元に一切の揺らぎはない。構えた木剣――フレイム・バーストを斬り払った際に中程から折れたそれは、今なお静かな闘気を……いや、殺気を纏い、まるで凶器のように凛としていた。
ジュリアは何も言えなかった。視線が自然と吸い込まれていく。
その瞳は明らかに恐怖の色を映していた。
しかし、それでも退かない決意が同居しているようにも見えた。
(そんなお前だからこそ、今は終わりにしよう)
次の瞬間――シモンが木剣を、ジュリアに向けて振り切った。
シモンの木剣が空を斬る。
折れた木剣に纏われていた殺気が、ジュリアを貫いた。
恐らくジュリアは、生まれて初めて具体的な「死」の片鱗を、その身で感じたのかもしれない。
「っ……!」
不可視の斬撃はジュリアを袈裟懸けに切り付けると、そのまま通り抜けていった。
ジュリアの全身は、一瞬だけ短く痙攣すると、意志に関わらず力が抜け、崩れ落ちるように膝をついた。
「お嬢様……!」
シモンが木剣を捨て、慌てて駆け寄る。
「……やりすぎたか」
自嘲気味に呟き、手を差し伸べた。だが――
「まだ……負けて、ませんっ!」
ジュリアは、その手を振り払った。顔から血の気は失せ、ふらつきながらも、自分の足で立ち上がる。
恐らくは、魔力の大量消費、精神の疲労、今の一撃によるショック。それらが同時に押し寄せたのだろう。
手足は小刻みに震え、呼吸も浅く乱れている。
だが、それでも歯を食いしばり、瞳は俺を射貫いてくる。
その姿に、シモンの目が見開かれた。
――気概のある子だ。ここでも折れないか。
「……では、引き分けということにしませんか?」
穏やかな声だった。勝ちを誇るでもなく、同情を投げかけるでもなく――
ただ静かに、彼女の限界を見極めた者の、優しい提案。
「……べ、別に……それでもいいわよ。仕方なく、ね」
ジュリアは唇を震わせ、そう返すのが精一杯だった。
引き分けでいいなんて、本心では思っていないのだろう。勝気な瞳がそう言っているような気がした。
緊張がほどけた、その瞬間。彼女の膝が、がくりと崩れる。
「……きゃっ……」
倒れるより早く、シモンの腕が彼女を受け止め、優しく抱き上げた。
「……離して……平気だから」
ジュリアは必死に抗う。羞恥か、悔しさか――あるいは、その両方か。
「お嬢様……もう終わったんですよ。しっかりと、見せてもらいましたから」
シモンが満足そうに告げると、ジュリアは顔を背けたまま、ぽつりと呟いた。
「……もう、“お嬢様”って呼ばなくていいわよ」
その声はか細く、けれど確かだった。
「……ジュリアで、いいわ」
「……わかりました。ジュリア」
シモンが、その名を口にした。
ジュリアの耳が、わずかに赤く染まる。
「じゃあ……私も……これからは、シモンって呼ぶわよ」
照れ隠しのように言いながら、ジュリアはシモンの肩に頬を寄せた。
その横顔は夕暮れに溶け込み、感情を隠すようにそっと顔を背けていた。肩がかすかに震えていたが、それが冷えた風のせいか、あるいは別のものかは――誰にも分からなかった。
二人の身体を、夕暮れの風が静かに撫でた。
その風はどこか清々しく、まるで新しい旅立ちを祝福するかのようだった。
――そして。
訓練場の隅。木陰から、ひとりの庭師がそっと二人を見守っていた。
「ふふ……そうこなくちゃな。若いってのは、いいもんだ」
誰に聞かせるでもない独り言。
老人は花壇へ歩み寄ると、腰を下ろし、静かに土をいじり始めた。
その背中は、どこか満ち足りたように見えた。
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