第4話 シモンの期待

 案内役のメイドに導かれ、シモンは中庭を横切って屋敷の奥まった一角へ足を進めた。

 そこには、貴族邸とは思えぬほど実戦的に整えられた広い訓練場が広がっていた。磨かれた砂地、魔法加工の施された各種標的、日差しを反射する器具の数々──白壁の屋敷とは対照的に、この場所だけは質実な練兵場の空気を漂わせている。


(なるほど……ずいぶん本格的だな)

 案内していたメイドが訓練場の端にある制御台へ歩み寄り、慣れた手つきで魔術式へ触れる。淡い光が回路のように地面を走り、訓練場の外周に沿って透明な膜がふっとせり上がった。

 魔法障壁が稼働したのだ。静かな音を立てて張り巡らされたそれは、光の揺らぎをわずかに帯びながら、場全体を包み込む。


 シモンは訓練場の中央付近まで進み、メイドから手渡された木剣を確かめるように握り直した。軽く息を整え、足裁きだけで間合いを測る。指導役としての最初の一手を見誤るわけにはいかない。静かな風が砂地をわずかに撫で、微細なざらつきが足元に心地よい。


 シモンは軽く木剣を振り、手応えを確かめていた。

 そのとき――訓練場の入口から、軽やかな足音とともに、今日の主役が現れる。


 シモンが視線を向けると、プラチナブロンドの少女が姿を見せた。制服のスカートが歩みに合わせて揺れ、陽光を受けた琥珀色の瞳が、こちらをまっすぐに捉える。

 ジュリア・アーデルシアだった。


 彼女は訓練場へ一歩踏み入れるなり、場の空気を読み取ったのか、自然と表情を引き締めた。

 そのままシモンの前まで歩み寄ると、軽くスカートの裾を押さえ、実戦用に結い直したポニーテールがふわりと揺れた。


 そして、対面で静かに立ち止まり──

 そのまま構えを取った。


 魔法学院仕込みの姿勢なのだろう。膝をわずかに曲げ、体重移動は軽い。視線は鋭い一本の線となってシモンに向けられている。先ほどまで屋敷で見せていた幼さの名残は消え、そこには戦う“魔法士”の顔があった。


 対するシモン・マックイーンは、木剣を静かに持ち上げ、数歩だけ後ろへ下がって中間距離を取ると、その気迫を正面から受け止めた。

(……思ったより、ずっといい目をしてるじゃないか)


 風が、張りつめた静寂の上をさらりと通り過ぎた。


「――早速いくわよ!」


 言葉と同時に、ジュリアの指先へ魔力が収束していく。


「ファイア・ボルト《単体炎矢魔法》!」


 詠唱と同時に放たれた炎の矢が、鋭く空気を裂いた。

 炎矢は高速で直進し、熱を帯びた軌跡を残しながら一直線に突き進む。


 だが、シモンは一歩も動かず、わずかに体を傾けるだけでそれを回避した。

 直後、外れた炎矢が訓練場の外周に展開された魔法障壁へと叩きつけられた。

 鈍く圧し掛かる衝撃音が響き、膜状の障壁が波紋のように揺れ、熱風が外周から内側へふわりと返ってくる。


 何事もなかったような佇まいに、ジュリアは驚きを隠せない。だが、動揺を振り払い、次の一発、三発目、四発目……ジュリアの速射は正確に狙いを定めていた。


 それでも彼は、右へ、左へと、紙一重の間合いで交わし続ける。どの矢も衣の裾すら掠めず、ただ空を裂いて虚しく通り過ぎていった。


「な、なんで当たらないのよ……っ!」


 ジュリアの声がわずかに震えた。苛立ちか、動揺か――その判断はつかない。だが、放たれる魔力の質が先ほどより荒れ、呼吸が乱れ始めているのは、シモンの位置からでもはっきりと分かった。


 炎矢は速度が落ち、軌道も僅かに乱れている。シモンにとって必要なのは、最小限の移動だけだった。足元で砂がさらりと流れ、炎の軌跡はシモンの頬を掠めることなく通り過ぎていく。

(焦りが出てきたな。魔力の収束が甘くなってきている)


 ジュリアは唇をきゅっと噛み、視線がわずかに泳いだ。

 表情の揺らぎ、肩の微かな強張り――いま自分の攻撃が通らない理由を掴めていないようだ。その困惑は、外から見ても明白だった。


(拍子抜けする相手だと踏んでいたのか……それとも、すぐに音を上げると思っていたか)

 いずれにせよ、こちらにも“先生役”としての面子がある。

 易々と倒れ込んでやるつもりなど、さらさらない。


(もう少し、出方を見せてもらおう)

 この程度で均衡が崩れるなら、彼女はまだ本質には届いていない。

 ならば、崩れたままで終わるのか、それとも立て直すのか――そこを見極めるのが、いまの仕事だ。


(さて……ここからどう動いてくる……?)

 シモンはあえて中間距離を保ち、重心を微かに落とすと、呼吸を整えたまま次の一手を静かに待った。


 視界の先にいる少女――ジュリアの放つ魔法は、どれも精度が高く、威力も申し分なかった。

 だが、シモンの目にはそれ以上の情報が見て取れた。動きの癖、魔力の揺れ、攻撃を放つ前の微かな呼吸。すべてが手に取るように読み取れる。

(……実戦を知る相手には、それじゃ通用しないぞ)


「……ちょこまかと……!」


 苛立ちが滲んだ声とともに、ジュリアが再び炎矢を撃ち込んでくる。今度は角度もタイミングも散らしてきた。気を取り直したのか、先ほどより明らかに精度が高い。


 だが――

 シモンは焦るでもなく、構えを崩すでもなく、ただ必要な分だけ体を傾け、ステップを刻む。


 炎矢はことごとく空を裂き、背後の魔法障壁に次々と突き刺さった。

 鈍い爆音とともに衝撃波が走り、赤い爆ぜる光が訓練場を照らす。


(威力は十分。だが、軌道が素直すぎるな)

 紙一重でかわし続けながら、シモンは淡々と分析を重ねた。


 対してジュリアは、肩で息をし始めている。苛立ちと焦燥――そこに、わずかに“別の色”が混じる気配もあった。

(……恐れ、か……いや)

 炎矢の密度が増した瞬間、ジュリアの魔力が一段階跳ね上がった。

 次にくる攻撃は、今までとは質が違う――シモンは直感的にそう読み取った。


「じゃあ、これならどうっ! ファイア・ボルト:バースト《拡散炎矢魔法》!」


 散弾のように小型の炎矢が一斉に広がり、視界いっぱいに赤い光点が咲いた。避けにくい攻撃だ。


 だが、シモンの動きには一片の迷いもなかった。

 殺到する炎矢の“途切れ目”を正確に見極め、ひとつ、またひとつと隙間を縫うように躱し続ける。

 視線も逸らさず、躱しきった時には元の場所に立っていた。


「……なっ……」


 ジュリアの声は聞こえたが、シモンは反応しない。


 彼女の動揺は、火花のように表情へ浮かんでは消えた。

 その直後、ジュリアが無理に取り繕うように言葉を発した。


「な、なかなかやりますわね……」


 声の震え、わずかに揺れる瞳――隠せていない。


 その変化を読み取ったうえで、シモンは静かに木剣を構え直す。

(まだ終わってないんだろ? ……この先を見せてくれ)


 ジュリアの指先に魔力が集束し始めた瞬間、場が一気に熱を帯びた。

 魔力が奔流となって全身を駆け、訓練場の空気が震える。

 術式が浮かび上がり、紅い光が脈動する。


(これは……さっきまでとは別物だな)

 シモンはわずかに目を細め、ほんの一瞬だけ驚きを見せた。


 しかし、シモンの口元にはすぐに微かな笑みが浮かんだ。

 挑む姿勢、萎えない闘志――その気概は、確かに“戦う者”のものだ。

(この少女……やはり本物だ)

 胸中でそう断じ、シモンは静かに呼吸を整える。


 その刹那、ジュリアの気配が劇的に変質した。瞳に危うい光が宿り、全身を漂う魔力が厚みを増していく。手のひらに圧縮された魔力球は、赤から深紅、さらに紅蓮へと段階的に色を変え、訓練場そのものを震わせるほどの熱量を孕んだ。


「フレイム・バースト《爆裂火球魔法》!」


 放たれた瞬間、空気が爆ぜた。

 熱波が一帯を薙ぎ、地面の砂が焼け焦げる。紅蓮の魔力塊は弾ける寸前、まさに爆心地の中心へと一直線に迫る。

 逃げ場などない。常識的に考えれば――。

 轟音が訓練場を揺るがし、眩い紅蓮が視界を塗り潰した。


 ――だが。

 爆炎の中心で、何かを切り裂く一閃が走った。

 風に攫われた爆炎の名残が散り、火煙がゆっくりと晴れていく。

 そこには、無傷のシモンが立っていた。


 位置は先ほどと変わらない。

 ただ、木剣のみが横一文字に振り抜かれ、刀身の中央からぽきりと折れている。

 爆炎の残滓は風に流れ去り、熱だけが揺らぎとなって残っている。


(……なるほど。今のが彼女の全力か)

 シモンは静かな眼差しのまま散った炎を見送り、わずかに息を吐いた。

 視線の先で、ジュリアが呆然と立ち尽くしていた。


 何が起きたのか理解できない――そんな表情が、隠しようもなく滲んでいる。

 小さな唇は震え、額を伝った汗も拭われず、放った直後の姿勢のまま硬直していた。


 ようやく思考が現実に追いつき始めたのだろう――シモンにはそう見えた。

 そしてその過程で、これまで気丈さの裏に隠れていた「恐れ」が、初めて表に滲み出る。

 シモンはわずかに目を細め、ジュリアの変化を注視した。

(ここで崩れるか……それとも、もう一段上へ昇れるか。正念場だぞ、ジュリア・アーデルシア)


 足元の折れた木剣にちらりと視線を落とし、再びジュリアへと向き直る。

 揺れる瞳を静かに受け止めながら、シモンは次の一手を待った。

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