第3話 花蕾と火花
アーデルシア家先代当主テラノスの私邸本宅──通称テラノス邸の門前で、シモン・マックイーンは足を止めた。瀟洒な外塀に絡む蔦や季節の花々が気品を添え、その内側には手入れの行き届いた前庭と、屋敷へ続く石畳の小道が静かに伸びていた。
鉄の門の脇に立つ私兵が、槍を構えたまま微動だにせずこちらを見据えている。視線が交差したのを見て、シモンは静かに顎を引き、足を進めた。
「失礼する。シモン・マックイーンと申します。冒険者ギルドを通じて、テラノス・アーデルシア閣下より、お嬢様の指導依頼を賜っております」
そう名乗りつつ、懐から封筒を取り出す。赤い封蝋に刻まれたギルドの紋章が、信任の証として光を受けていた。
「こちらが推薦状です。ご確認ください」
私兵は一礼のうえで受け取り、封を割らずに視線で表面を確かめると、数秒の確認を経て頷いた。
「確かに。シモン殿、ようこそお越しくださいました。正門からお入りいただき、玄関にて呼び鈴をお鳴らしください。館の者が対応いたします」
「案内、感謝する」
シモンは短く応じ、静かに門をくぐった。石畳の道を踏みしめ、整然とした前庭を進んでいく。昼下がりの陽光を浴びて、屋敷の白壁が静かに輝いていた。
前庭の一角で、年老いた庭師がしゃがみ込み、黙々と草花の手入れをしていた。年相応の風貌に皺を刻みながらも、その瞳にはどこか少年のような活気が宿っている。シモンはその姿を目に留め、足を止めた。
「……美しい庭ですね。手入れが行き届いている。人工的すぎず、けれど隙もない。お見事です」
庭師はぴたりと手を止め、顔を上げると、目を細めて笑った。
「ほう、わかるか。そう言われると嬉しいもんじゃな。あんた、顔だけじゃなく目も確かだ。……さては、あんたが“先生”とやらかい?」
「……それは光栄です。はい、シモン・マックイーンと申します。テラノス閣下から依頼を受け、冒険者ギルドを通して参りました」
「そうかそうか。じゃあ応接間に通ってくれ。荷物はそこらの若いのに任せりゃいい。……それと、堅苦しいのは性に合わんでな。わしのことは“爺さん”でも何でも、気軽に呼んでくれりゃ嬉しいさ」
「ありがとう。遠慮なく“爺さん”って呼ばせてもらうよ」
老庭師は、どこかいたずらっぽく、それでいてどこか嬉しそうに笑った。
軽く会釈を交わし、シモンは邸宅の正面扉へと向かう。重厚な木扉に施された鉄細工を一瞥し、脇に取りつけられた真鍮の呼び鈴を押した。
数拍ののち、扉が静かに開く。姿を現したのは清楚な制服のメイドだった。きっちりとまとめられた髪、控えめな化粧、姿勢も礼儀も申し分ない。
だが、彼女の目がシモンの顔を捉えた瞬間、わずかに動きが止まった。ほんの一瞬、息を飲むように目が揺れる。
「お、お待ちしておりました。シモン様で……いらっしゃいますね。ご案内いたします」
声がわずかに張りつめている。緊張のためか、耳のあたりが赤みを帯びて見えた。
シモンは無言のまま口元にわずかな笑みを浮かべ、腰に差していた剣をそっと外した。
「応接に入る前に、これを預かってもらえるかな。儀礼上、無用な誤解は避けたいのでね」
「か、かしこまりました。大切に……お預かりいたします」
メイドは両手で丁寧に剣を受け取り、そのまま胸元へと抱えるように支える。大事な品を扱うときの自然な所作だった。
そこへ、別のメイドが控えめに現れる。
引き継ぎの短い言葉を交わすと、先ほど剣を受け取ったメイドは一歩下がり、シモンの後ろへ視線を向けた。そのまま姿勢を整え、静かに持ち場へ戻っていく。
シモンは新たに現れた案内役に軽くうなずくと、屋敷の奥へと歩みを進めた。
廊下には滑らかな絨毯が敷かれ、足音すら吸い込まれていく。壁には風景画や古地図が飾られ、窓辺には季節の花が挿された陶器の花瓶が並んでいた。応接室には程よい緊張感があった。整然とした調度、壁に掛けられた紋章入りのタペストリー、香のかすかな匂い。無言のうちにも貴族の格式が滲み出ている。
数分もしないうちに、扉が軽くノックされ、誰かが入ってきた。
プラチナブロンドの髪は頭頂部で編み込まれ、クラウンブレイドとして上品にまとめられていた。背筋の通った少女の姿に、凛とした気品が漂う。琥珀色の瞳が、こちらを射抜くようにまっすぐ見つめてくる。
彼女が身にまとっていたのは、魔法学院の制服。胸にあしらわれた深紅のリボンと、金糸の刺繍が施されたミニスカートの魔法衣には、威厳と機能美が見事に調和し、魔法の最高学府にふさわしい気高さと優美さが宿っていた。
胸元に輝く校章がその立場を静かに物語り、整った顔立ちにわずかなあどけなさを残しながらも、その足取りには揺るぎない品格と静けさが漂っていた。
――なるほど、礼儀作法だけじゃないか。
少女は一歩進み出て、背筋を伸ばしたまま言葉を発した。
「アーデルシア家次女、ジュリアと申します。貴方が、ギルドを通じて参られた“先生役”の方ですね?」
その声音は努めて平静を装っていたが、どこかにわずかな動揺がある。
シモンは静かに頷き、胸に手を当てて応じた。
「初めまして。シモン・マックイーンと申します。以後、お見知りおきを」
そう言って、懐から一通の封筒を取り出す。赤い封蝋にはギルドの紋章が刻まれていた。
「こちら、ギルドマスター・ダンカンからの推薦書です。ご確認ください」
シモンが頭を上げた瞬間、向かいに立つ少女――ジュリアと視線が交わった。
その途端、ジュリアの表情がわずかに強張る。形の良い眉がごく僅かに震え、頬が不自然なほど赤みを帯びた。視線をそらしたかと思えば、すぐにまたこちらを盗み見るように戻してくる。
落ち着きを保とうと努めているのが、外からでも見て取れた。背筋を正し、表情を整えてみせるものの、頬の朱は消えず、胸元あたりがわずかに上下している。緊張か、あるいは別の感情か――。
(……若い子の考えることは分からん)
シモンは表に出すことなく、胸中で苦笑し、いつもと変わらぬ静かな目つきでジュリアを見つめ返した。
ジュリアは気を取り直すように、ほんの一瞬、唇を引き結ぶ。それでもなお、頬の赤みだけは隠しきれていなかった。
「……確かに、お見受けしました。ありがとうございます。推薦書は私のほうで確認いたしますわ」
その声には、わずかな揺らぎがあった。
シモンはそれに気づいたが、特に触れることなく、静かに頷くだけだった。相手が落ち着くのを待つこと――それは、長く冒険者として歩む中で自然と身についた癖のようなものだった。
問いかけに答えても、ジュリアはすぐには言葉を返してこなかった。
わずかな沈黙ののち、彼女は息を整えるように胸を上下させる。
「……失礼ですが、貴方のランクをお聞きしても?」
「現在は、Dランクです」
その瞬間、ジュリアの表情が目に見えて変わった。
形の良い眉がぴくりと跳ね、手元の資料から視線を外す。
整った顔立ちに淡い影が差し、琥珀色の瞳が冷たく細まっていく。
(……なるほど。気に入られたわけではなさそうだ)
シモンは、露骨に温度を下げた視線を静かに受け止めた。
ジュリアは手元の推薦状に目を落とし、封を割って中身へと目を走らせている。
ページをめくるたびに、眉間の皺が少しずつ深まっていくのが分かった。
信頼しようとした相手に裏切られた――とまではいかないまでも、期待の落差に戸惑っているのは明らかだった。
先ほどまでわずかに漂っていた柔らかい空気は、霧が引くように消えていく。
推薦状を閉じると、ジュリアは小さく息を吐き、はっきりとした不満の色を表に出した。
その目がシモンに向けられる。
「Dランク」という事実が、彼女の中で決定的な線を引いたのは、一目で分かった。
その瞬間、ジュリアの表情がはっきりと険しくなった。口元はわずかに引き結ばれ、瞳には冷えた光が宿る。押さえようとしても、内から湧き上がる熱は止まらなかった。侮辱というより、何かを飲み込めないような表情だった。
「……ひとつ前の指導者はBランクの純粋魔法と火属性の魔法士でした。その前も、光属性魔法士のBランク。どちらも数日で“見切った”と判断しています。なぜ今さらDランクを……ダンカン氏の見る目を疑いたくなります」
「失望させてしまいましたか?」
シモンは肩をすくめた。気負いもなければ、怒りもない。むしろ、どこか楽しんでいるようですらある。
「別に……最初から期待なんてしていません。ただ、こちらにも時間というものがあります。暇つぶしに付き合うほど暇ではありません」
口調には貴族らしい礼節を保とうとする努力が見えるものの、年相応の苛立ちや未熟さがところどころに見え隠れしていた。
「なるほど、ではこちらから提案を」
シモンは小さく笑みを浮かべた。場の空気を和らげるような穏やかな表情で、焦りも虚勢もなく、この状況に何かを期待しているような余裕さえ感じられる。
「手合わせをしませんか? それで見極めてもらうのが一番早いでしょう」
挑発でも威圧でもない。
ただ事実を述べただけの声だったが、シモン自身の中に揺るぎない自信があることは、言葉の端々に自然と滲んでいた。
ジュリアの反応はわずかだった。
しかしそのわずかさえ、シモンにははっきりと読み取れた。
胸のあたりがわずかに上下し、瞳の奥で光が鋭く揺れる。
気分を害したというよりも、むしろ「何かを刺された」ような微細な変化――そんな印象を受けた。
(……自尊心の強い子だな。言い方には気をつけるべきだったか)
そう思いながらも、シモンは表情を変えない。
ジュリアは唇をきゅっと結び、わずかに顎を上げた。
感情を抑え込もうとした気配が、仕草にうっすらと滲む。
「……ふん。望むところです。私の本気を見て、泣き言など言わないでくださいね?」
その声音には張り詰めた気迫が宿っていた。
シモンは短くうなずいた。
(やれやれ。こりゃあ簡単な仕事にはならないな)
対するジュリアは、わずかに肩を強張らせていた。
言葉の端々に刺々しさが混じり、抑えきれない気負いが透けて見える。どうやら彼女の誇りを不用意に刺激してしまったらしい――と、シモンは静かに察した。
「それは楽しみです。貴女の“本気”、拝見させていただきますね」
シモンの声音はあくまで落ち着いていた。
その落ち着きが、逆にジュリアの呼吸をわずかに乱したようにも見える。
少女の瞳がかすかに揺れた。
琥珀色の奥で光がきらりと閃き、感情が揺れていることだけは外からでも分かった。
シモンは微笑みを崩さぬまま、まっすぐに見返す。
(自尊心が高く、負けん気も強い……さて、どう動くべきか)
その程度の推測に留めつつ、シモンは静かに彼女の視線を受け止めた。
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