第2話 導火線と焔
シモンは執務室の扉前で足を止め、軽くノックした。
「ダンカン、シモンだ」
「入ってくれ」
返事が返ると同時に扉を開ける。執務机に向かっていた男が顔を上げた。
「別便で送ってくれた依頼品は、もう依頼者に届けてある。詳しい報告は書面で頼む」
「了解した。ただ、気になることが一つある」
シモンが声を低めると、ダンカンも無言で頷き、続きを促した。
「今回の依頼とは直接関係ないが……行きがけの町で、様子が妙だった。不自然な活気があってな。何か作り物めいた空気があった」
「事件の気配か?」
「いや、具体的なことは何も。ただの肌感覚だ。調べれば何か掴めたかもしれんが、今回は優先度を下げた」
「わかった。その件はこちらでも確認しておく。報告書に残してくれ。何か判明したら報せよう」
「頼む」
それだけ伝えると、シモンは軽く頭を下げ、踵を返した。
「報告書は明日にでも提出する。じゃあ、俺は──」
「……待て、もう一つある」
ダンカンの静かな声が背を引き止めた。
何かを考え込むように眉をひそめると、彼は机の引き出しから葉巻を取り出し、火をつけた。くゆる煙。深く吸い込み、静かに吐き出す。普段とは違う仕草に、シモンはわずかに眉をひそめる。
(……らしくないな)
ダンカンを知る者なら、誰もが同じ感想を抱くだろう。シモンは口を閉ざしたまま、相手が話すのを待った。
やがて、ダンカンは僅かしか吸っていない葉巻を灰皿に押しつけ、静かに口を開いた。
「帰還早々すまんが、お前に引き受けてほしい依頼がある」
「構わんが……俺じゃなきゃダメなのか?」
「いや、正確には……すでに二人、失敗している。予想通りではあるがな。これ以上はギルドの面目に関わる」
説明を聞いた瞬間、シモンの胸に不快な予感が広がる。
「……で、依頼の内容は?」
「『冒険者指導』だ」
「……冒険者指導? 依頼者は?」
わざわざ冒険者指導などと頼んでくる相手に、聞かずとも見当はついていたが、それでも確認せずにはいられなかった。
「……貴族だ。……すまん」
短い沈黙。やがて、シモンは深々とため息をつき、ソファにどさりと腰を落とす。
「……はぁ〜……」
「……すまん」
再び謝罪の言葉を口にするダンカン。その意図を、シモンは朧げに理解していた。シモンが貴族案件を避けていることを知ったうえで、なお任せてきたということは、それだけ事情が切実なのだろう。
一瞬、何かを呑み込むように口をつぐみ、やがて努めて明るく口を開いた。
「依頼の詳細を聞こうか」
ダンカンは頷き、机の脇から一通の封筒を取り出して差し出す。
「依頼人は“アーデルシア家”。まあ正確には、先代当主のテラノス・アーデルシアだ。知っているだろう? 対象は、そこのお嬢様だ」
封筒を受け取ろうとしたシモンの手が、一瞬止まる。
「中央の名門貴族だったか? ……なんでまたワイアースに?」
「先代当主の邸宅がこの地にあるらしい。それと──お嬢様、魔法の才は本物らしいぞ。貴族の後ろ盾を使わず、自力でワイアース魔法学院に通ってるらしい」
「ワイアース魔法学院……それはすごいな」
王立魔法学院の本院は王都にある。だが、貴族の箔付けが目的となりがちな本院と異なり、分院であるワイアース魔法学院は、実力主義と自由な気風から、王国最高の実践魔法学府とされていた。そこに籍を置いているというのは、紛れもなく魔法の才能がある証だ。
「だが──問題は、性格だ」
ダンカンが眉をしかめる。
「なまじ実力があるせいで、下手な指導者の言うことなんか聞かんそうだ。だが、さっきも言ったが才は確かだ。うまく導けば、きっと化ける」
「つまり……面倒極まりない仕事ってわけだ」
「そう言うなって。まぁ、否定はしない」
苦笑をこぼすダンカンに、シモンも肩をすくめて応じた。
「……いいだろう。引き受ける。ただし、魔法は……指導できない。指導するのは『冒険者指導』だけだ。それと──俺のやり方に口出しはしないでくれ」
「ああ、それで構わん。むしろ、それを期待している」
空気がわずかに和らいだ。
「面通しは?」
「明日、昼過ぎに郊外のアーデルシア家の先代当主、テラノス・アーデルシアの屋敷に行ってくれ。推薦状は用意してある。恐らくお嬢様直々に見定めてくれるだろうさ」
「……明日、か」
ダンカンが引き出しから取り出した封筒を机に置く。シモンは額をかきながら立ち上がった。
「じゃあ、今日はもう休む。さっさと飯を食って、久々にベッドで寝たい」
「ああ。頼んだぞ、シモン」
「ったく、帰って早々これか」
推薦状を旅装バッグにしまい、軽口を残して扉へ向かう。だが、ドアに手をかけたところでふと立ち止まり、背中越しに問いを投げた。
「……本当に、俺でいいんだな?」
即答はない。わずかな沈黙ののち、ダンカンは背もたれに体を預けながら、静かに答えた。
「ああ。お前がいい」
シモンは短く息を吐き、扉を開ける。
「なら、手は抜けんな」
静かに閉まる扉の音が、執務室に残る。再び葉巻に火を灯したダンカンの手元からは、甘く穏やかな煙がゆるやかに漂い、さきほどとは違い、満足そうに味わった。
ギルドを出る頃には、すっかり日が暮れていた。露店の喧噪は遠のき、街路には魔工灯がぽつぽつと灯り始める。薄暗がりの中で、暖色の看板がぽっと浮かび上がっていた。
――《黄昏燕》
日中は、女性たちが甘い香りと語らいを楽しむカフェ。そして夜には、冒険者や傭兵が胃袋と喉を満たす食堂へと姿を変える。昼と夜で客層も空気も一変する、知る人ぞ知る人気の店だ。
「……落ち着いて風呂に入れる状況じゃなくなったな」
旅装バッグに収まっている封筒の存在感が、風呂の魅力を上回った。
扉をくぐったシモンは、いつもの奥の席へと腰を下ろし、小さくため息をつく。任務の書類を受け取った途端、その内容が気になって仕方なかった。頭を整理するには湯よりも、飯と酒だ。そういう日もある。
店内はランタンの灯りに照らされ、木の香り、煙草の香り、スパイスの香りが混ざり合う。常連たちの笑い声、焼けた肉の匂い、酒瓶が触れ合う音――無骨で、それでいて落ち着く空間だった。
「ご注文をどうぞ」
耳元で声がして、シモンはわずかに身を引いた。
(……気配、なかったな)
顔を上げると、そこには黒髪をひとつに束ねた少女が、香草水の入ったグラスを手に立っていた。黒縁の眼鏡をかけ、どこか南方の民を思わせる整った顔立ち。小柄だが、エプロン越しのシャツが、やけに前に横にと主張している。
(見た目は十四、五ってとこか……いや、八咫の民なら、もう少し上か)
八咫の国は、ステープ海を挟んで南に位置するエイル王国の友好国だ。文化も人種も異なり、大陸人よりも年齢が若く見える傾向がある。彼女の表情は無感情というわけではないが、淡々として感情の波を表に出さない。媚びもなく、所作にはどこか品があった。
「……あれ? 昼間のカフェの子かい?」
「今日は休みが出たので。夜に入るのは、今日が初めてです」
少女はそれ以上の説明をせず、注文を待つ姿勢を崩さなかった。どうやら本当に今日だけの助っ人らしい。
「煮込みと、黒麦酒。それとパンをひとつ」
「かしこまりました」
滑るように踵を返す少女の背を、思わず目で追っていたところ――
「おーおー、兄貴の目が節度なくなってるぞ」
「初日から口説くとはな、さすがだわ」
「いつの間にかナンパ野郎になりやがって、おっちゃんは悲しいぞ」
常連たちが一斉に茶々を入れる。カウンターの奥では、マスターが無精髭を撫でながら顔を出してきた。
「シモン、眼福サービスは追加料金な」
「は?」
「目線でサービス受けたろ? 料金上乗せしとく」
「……ふざけるな」
顔の火照りを隠すように、シモンは苦笑しながらグラスに手を伸ばした。それ以上の冷やかしをかわすように、懐から封筒を取り出す。
ダンカンから預かった封筒には、依頼書と推薦状、そして明日から指導する“魔法少女”の身上書が収められていた。
氏名:ジュリア・アーデルシア
年齢:十四歳
属性:火(高適性・特異等級)
魔力量:測定不能(成人上級者の三倍以上)
評価:就学への意欲と探究心は極めて高く、魔導理論への理解は年齢を大きく超える。高度な抽象思考力を持ち、独学により応用技術への接続まで試みるなど、明確な目的意識が見られる。
精神面:精神性は年齢相応に未熟で、強い集中時には周囲への配慮が欠落する傾向がある。自己評価が高く、実力に対する過信が見られるものの、それは自己鍛錬の成果に裏打ちされたものであり、一概に否定できない。感情表現が不得手であり、対人関係に誤解を招く例も確認されている。
社会性:貴族としての誇りと礼節をわきまえており、基本的な対外マナーは良好。ただし、権威に対して盲目的に従うことはなく、自身の理に合わぬ命令には反発の兆しがある。
特記事項:他生徒との口論に端を発する小規模な諍いにおいて、制御不全による火属性魔法の暴発が発生。学内訓練所の三重魔法障壁を貫通し、防壁の一部を破壊する被害を招いた。人的被害は軽傷数名に留まったが、施設の復旧に多大な労力と費用を要した。なお、本件は授業中に発生した事案であることから、処分は厳重注意にとどめられた。
「……才能豊かな問題児か。最悪の組み合わせ、だな」
(……こんな娘に火を点けたら、天才が天災になるぞ。笑えない冗談だ)
常人なら三年はかける魔導理論を一月で習得したという記録の下に、「模擬戦で講師を撃破」「暴走魔法による三重魔法障壁を貫通、防壁を破壊」などという物騒な文字が並ぶ。シモンは思わず深いため息をついた。
その瞬間、さきほどの少女が料理を運んできた。
「煮込みと黒麦酒、パンです」
「……助かる」
相変わらず表情は薄い。ぴたりと置いたトレイから、無駄のない手つきで皿を並べていく。その動きに合わせて、体格に不似合いな胸元がわずかに揺れ、シモンは気まずそうに視線をそらした。
(……ん? ちょっと待て)
去っていく背に、微かな違和感を覚える。姿勢でも、足音でもない。
(気配が……薄い?)
意識的に殺しているような、熟練者であれば気づくレベルの“空白”が、そこにあった。まるで空気ごと抜け落ちたような違和感。
(考えすぎか?)
煮込みから立ち上る湯気を前に、シモンは肩をすくめる。明日からの現場に思いを馳せながら、再び溜め息をついた。
「火属性が得意な爆弾娘……いや、シャレにならないだろ」
喉を潤した黒麦酒が、胃の奥でじわりと熱を広げていく。
……魔力量は成人上級者の三倍以上、魔導理論も独学で修める才女。だが、素直じゃなく、制御も甘い、感情の波に揺れる子供――。
(──そりゃ、誰が相手しても手を焼くわけだ)
そのうえで、なぜ“自分”なのか。推薦状に託された意味を考えると、どうしても溜め息が止まらなかった。
──明日は、波乱の一日になりそうだ。
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