1-2 山道の3人

山道は朝の冷たい空気を含んで、細長く伸びていた。

標高が上がるほどに風は鋭くなるが、それでも三人の足取りは軽い。


莉音は胸を躍らせながら歩いていた。


莉音

「ねぇねぇ、こっちであってるかな?

“海へ続く道”って、昨日おじさんが言ってたでしょ?」


エリスは前髪を指で整えながら、ふわっと笑う。


エリス

「うんうん、“海はそっちの方角だよ”って書いてあったから大丈夫だよ〜」







莉音

「……書いてあった?

どこに?」


エリスは当然のように、木製の道標を指差した。


山道の脇にある、くたびれた矢印看板。

そこには、風雨にさらされて薄れた文字が刻まれている。


エリス

「ほら、あそこ。“海路”って書いてあるじゃない?」


莉音はその板切れをじーっと見つめた。


板の表面に刻まれた文字は、

莉音にとって――ただの“傷”にしか見えない。


莉音

「……えっと……矢印はわかるけど……

そこに、“海”って書いてある……の?」


エリスはくすっと笑う。


エリス

「なにそれ可愛い。莉音、寝ぼけてるの?

ほら、“海”でしょ〜。見ればわかるじゃん」


エリスは軽い。悪気なんて一滴もない。

それは“息を吸うように”文字を読んでいるから。


白雪が補足するように静かに口を開く。


白雪

「莉音様。あそこには確かに“海路”と記されています。

道程の目安となる情報ですので把握すべきです」


莉音

「……う、うん。

なんとなく……わかる……ような……?」


白雪

「理解できたのなら問題ありません」


――問題ありません。


白雪には“読めない”という概念がそもそもなかった。


エリスも、白雪も。


莉音が“読めていない”ことに気づくことは絶対にない。


この世界には、

“文字を読めない人”というカテゴリーが存在しない。


莉音

(……なんかわかんないなぁ……

でもエリスと白雪が言うなら……

きっと“海の道”なんだよね……?)


歩きながら、莉音はそっとため息をつく。



少し進んだところで、山道の分岐にまた看板があった。

今度は看板には色褪せた絵が描かれている。


山の稜線。

川の流れ。

その上に小さく丸い印。


莉音はぱあっと顔を明るくする。


莉音

「あっ、ここはわかる! 山と川でしょ?

この丸が……村、かな?」


エリスは莉音の横に並んで嬉しそうにのぞきこんだ。


エリス

「お、正解〜! 莉音、すごいじゃん♡

やっぱり莉音は賢いよ〜」


莉音

「えへへ……絵はわかるからね……!」


白雪も無表情のまま頷く。


白雪

「ピクト表示は理解しやすく、直感的です。

莉音様に適しています」


エリス

「ほんとほんと。

莉音は“考える方向”がちょっとだけみんなと違うだけ。

それって特別で、すごく素敵なことなんだよ?」


――“ちょっとだけ違う”。

エリスがそう言うとき、そこには

“読めないことを問題視する”発想は一切ない。


エリスにとって文字は

“全員が当たり前に読めるもの”であり、

莉音が読めなくても

“莉音はそういう子なんだな〜♡”という認識で終わる。


白雪に至っては、


白雪

「莉音様は読めませんが、わたしが読めますので問題ありません」


莉音

(……二人は優しいけど……

やっぱり、あたし……変なのかな……?

なんで、あの傷だらけの板が“文字”に見えるんだろ……)


莉音は首を振る。


(いや、考えない! 海に行くんだもん!)


気持ちを切り替えると、いつもの明るさが戻る。


莉音

「よーし! 海へ出発〜!」


エリス

「おー♡」


白雪

「了解しました」


三人は再び山道を歩き始める。


山道は次第に細くなり、斜面に吸い込まれていくように続いていた。

落ち葉がしっとりと積もり、足音はほとんど響かない。


その“静けさ”を破ったのは――


ガサッ。


莉音

「……え?」


斜面の茂みが揺れた。

鳥の羽ばたきにしては重すぎる音。


エリスの表情がすっと緊張に変わり、

白雪は瞬時に莉音の前へ出た。


白雪

「莉音様。後退を」


莉音はまだ“魔物”という概念の怖さを知らない。

呼吸が止まり、ただ白雪の背中にしがみつくように貼り付く。


藪の奥から、低い唸り声。


四足の巨大な獣――

山犬でも狼でもない、

この地方に生息する“魔獣”だった。


牙は石のように硬く、

体毛は鉄線のように固い。


エリス

「2体っ……いや、3体!? 早いよ、白雪!」


白雪

「把握しました。

莉音様をお願い致します」


白雪の声は、

驚くほど落ち着いていた。


まるで“空気の揺らぎ”を読むように――

彼女はゆっくりと腰の刀に手を添える。


莉音

「白雪……大丈夫……?」


白雪は一言だけ返す。


白雪

「問題ありません」



獣が飛びかかった瞬間、

白雪の姿が“消えた”。


いや――

速すぎて見えなかった。


空気が裂けるような鋭い音。


次の瞬間には、獣の一体が地面に倒れ伏していた。

まるで寝かしつけたかのように静かに。


莉音

「えっ……えっ!? 白雪、今な、なにしたの……?」


エリス

「うわぁ……相変わらず白雪、えげつない速さ……♡

一瞬で腱を切って動きを止めたでしょ? やっさし〜い〜♡」


白雪

「魔獣の急所は深部にあります。

殺す必要はありません。

動きを止めれば十分です」


さらりと説明しながら、

白雪は次の一体へ向かう。


二体目の魔獣が横から跳躍する。


鋭い爪。

牙。

山風を切り裂く咆哮。


白雪は――目を閉じた。


莉音

「し、白雪!? 目を閉じちゃダメだよ!!」


エリス

「大丈夫だよ莉音。

白雪はね、“音”で世界が見えてるの」


白雪の耳がわずかに動く。

わずかな風切り音、踏み込み、筋肉の収縮音までも読んでいる。


白雪

「……そこです」


すれ違うように一閃。


2体目が崩れる。



残った一体は警戒し、距離を取り始めた。

しかし白雪は追わない。


白雪

「――撤退行動に移りました。

無用の交戦は避けます」


エリスが感心して手を叩く。


エリス

「白雪のいいとこ出たねぇ〜♡

強いのに、必要以上に戦わないのが白雪の優しさだよ」


白雪は莉音に一歩近づき、膝をつく。


白雪

「莉音様。

ご無事で良かったです」


莉音は胸に手を当て、荒い呼吸を整えながら白雪を見つめた。


莉音

「……白雪、かっこよすぎて、

なにが起きたのかわかんないよ……」


白雪は、ほんの少しだけ微笑む。


白雪

「莉音様が“わからない”ことは問題ではありません。

わたしが理解していれば済むことです」


エリス

「そ。

白雪は“莉音のために世界を把握する”子なんだよ〜。

だから莉音は莉音のままでいいの」


莉音は胸が温かくなるのを感じた。


莉音

「……二人がいるから、

あたし、前に進めるんだね……」


白雪

「当然です。

わたしたちはあなたの従者ですから」


エリス

「うん♡ 大好きだよ、莉音」


莉音の頬が赤くなる。



魔獣がいなくなった山道に、

ふたたび静けさが戻る。


白雪の剣はまだ鞘に収まったまま。

刀身すら抜かずに敵を制した。


白雪

「……では、進みましょう。

海へ」


莉音

「うん!!」


エリス

「れっつごー♡」


三人は再び山を歩き始める。


莉音の胸の中では、

白雪の静かな強さと、

エリスの明るい優しさが

柔らかい灯りのように揺れていた。


世界はまだ狭いけれど――

この二人がいれば、どこへでも行ける気がした。

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スクエア・リリィ 学習書房格物堂 @Suduke_Umeboshi

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