宇宙を抱えて
千桐加蓮
宇宙を抱えて
「小さな芸術家で、小さな心理学者でもあり、独特の宇宙を心に持っているタイプ」
占星術のホロスコープで、そんなふうに私を表現されたことがある。
占い好きな友達が高校の頃からいて、私自身も元々そういう世界に惹かれていた。
休日に、あるいは制服のまま、ふたりで占いの館に通った。
自分の性質や恋愛、勉強、将来のことまで。
対面の鑑定で他愛のない恋バナをする空気は、今思えばあの時期にしか味わえない種類の輝きだったと思う。
「表向きは穏やかで落ち着いている。内側は粘り強くて芯が強い」
そんな当たり障りのない言葉でさえ、私はいつも少し嬉しくなった。
誰かに“あなたはこういうふうにできている”と語られることは、自分という曖昧な存在に、薄く輪郭線を引いてもらうような感覚だった。
自分の性質をひとりで分析することもある。
欲望や野心のレベルが低い――そう感じる場面は、十九年間の中に何度もあった。
十九歳という年齢は不思議で、子どもと呼ぶには大きい。大人と呼ぶには飲酒やら喫煙、賭け事など許されていないものがある。
曖昧さに合わせるように、私の望みもどこか曖昧なままだった。
例えば「食」。
好き嫌いはあるけれど、興味自体は薄い。
食べたいスイーツのために旅へ出るという行動は、これまで自分を動かすほどの力を感じたことがない。
周りの人々の情熱や流行を見るたびに、私は「欲望というものには形がない」と静かに理解してきた。
思い返せば、幼稚園や小学校の頃から、将来の夢を発表する場面が苦手だった。
卒園前に先生から聞かれ、悩んだ末に答えた「サーティーワンでバイトする」という言葉には、夢というより、無難な答えを探す自分の気配のほうが濃かった。
世の流れや周りの人間を達観した園児で、まったく可愛げがない。残念だな、もうちょっと子どもらしくいてほしかった。
小学校でも「デザイナー」「絵本作家」「編集者」と口にしていたが、インターネットで調べて見つけた職業名を、ただ借りパクしただけのような軽さがあった。
学校の先生たちが言う「大きな夢を持ちなさい」「もっと強く望みなさい」という言葉は、どれも“確固とした形”を前提にしている。
けれど、私の内側にあるものは、最初から輪郭を持っていない。
求めるという行為より、胸の奥で漂わせておくほうが自然で楽だった。
中学受験で挫折を経験してからは、欲望はさらに深く沈むようになった。
意思がなかったわけではない。
私の願いは、深い水底へ落ちていく砂金のように、光を宿しながらも表面へ跳ね返ってこない種類のものになった。
占いという行為は、未来を当てるものというより、私の内側の“輪郭の曖昧さ”にほのかな灯りを当てる行為なのかもしれない。
ホロスコープで言われた「小さな芸術家で、小さな心理学者」という言葉が、他人事のように聞こえたけれど、十九歳の今、それは“なりたい姿”ではなく元々そういう構造でできている私自身を説明していたのだと感じている。
私の欲望は、輪郭が薄く、静かで、沈んでいく。
けれど、静かな沈み方を、少しずつだけど好きになりつつある。
大きな世界へ向かう力ではなく、内側の奥行きを確かめながら、生きていくための力なのだと思う。
宇宙を抱えて 千桐加蓮 @karan21040829
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