雨音は遠い記憶の海の音

しとえ

雨音は遠い記憶の海の音

ザーザー……ザー…ザー…


 夜明けの空にノイズのような雨音。

外は土砂降りの雨だった。私はほんの少しカーテンを開くと外を見た。横殴りの雨はまるでシャワーをガラスに叩きつけているよう。けだるい1日が始まる。

二重になった遮光カーテンを開くとレースの優しい光。

薄暗い室内はまた眠気を誘うが、いくら 休日とはいえ寝過ぎは返って体に悪いだろう。

気乗りしないまま服を着替えコーヒーを1杯。

テレビをつけるもニュースが頭に入ってこない。

思考はどんよりと薄暗く、まるでこの曇天の空そのものの様だった。

雨の音は強くなったり弱くなったり…

どこか波の音に似ているような気がした。


 10代―高校生の頃、家の近くに海があって何か嫌なことがあるたびにそこに行っていた。

10代といえば 青春真っ只中、青春というのは明るいイメージがあるのかもしれないが 私にとってその頃は今日の空のようにどんよりと重くのしかかっていた。

 10代を表す色というのは私は黒だと思う。

ぐちゃぐちゃに感情が入り混じり、先行きの見えない未来と行き場のない閉塞感と不安と怒りと誰にも理解してもらえないという孤独感が渦巻いているのだ。

心の中にあるのは明るい未来などではなく、得体の知れない一寸先の事もまるでわからない未知の時間の領域だ。

 家庭環境は対外的に見れば良い方なのだと思う。

ちゃんと両親が揃っていて養育されていて経済的には不自由がない。ちゃんと両親は子供のことを見てくれていたし、家庭内不和があったわけではない。

……だが、どう言えばいいのだろう。

どこかギスギスしていたのだ。

父は浮気などしたことはない。母もまた家庭環境をおろそかにするようなことは一切していない。

だがどことなく冷め切ったような雰囲気が家庭の中に吹き荒れていた。お互いが利害のためにただ同じ空間にいる、そんな雰囲気だ。相手を罵ることも褒めることもない。

居心地の悪さが蔓延していた。

そんな家庭はよくあるのだろう。

だが子供心にその居心地の悪さ不穏さを感じていて、それが知らず知らずのうちに私自身の心を蝕んでいたのだ。

私が大学卒業後一人暮らしを始めた後、両親が離婚したのでやはり私が成長するまで待っていたのだろう。

仮面の家族の居心地の悪さは、どんなにうまく取り繕っても子供に伝わってしまうものだ。


 だから私は気持ちが持たないほど、しんどくなるたびに海に行った。波の音が全て心の中の不安を洗い流してくれるかのようだった。


ザーザー……ザー…ザー…


 目をつぶればあの日の灰色の海がまぶたの裏に映し出される。

そこにいれば、高校時代の親友が来てくれることがあった。

私がいつもそこにいることを知っているから。

そして彼女は何も言わずにただ一言、

「帰ろう」

と言ってくれるのだ。

それがとても心地よかった。

けれど私にはやはり帰る場所がなかったのだ。

あの当時の私にとって帰る場所は彼女の隣だった。

そこが私の居場所。

だからその場所に割り込もうとする人間が大嫌いだった。


 ある日、彼女が海で泣いていたことを思い出す。

雨が降り出して灰色の空はますます 暗くなり波の音ばかりが響き渡る。

どうしてそんなところで泣いているのか私は知っていた。

彼女が好きだった先輩に振られたらしい。

……当然だが私はその先輩が大嫌いだった。

私の大切な彼女が思いを寄せている。

私の大切な彼女がその先輩のせいで悩んでいる。

私の大切な彼女が振られて泣いている。

私の大切な彼女の隣の場所を奪っていた相手。

何もかもが許せない存在だった。

だから振られた時、ほんの少しほっとしたのとせいせいしたのと、彼女が傷ついたことに対する怒りがごちゃ混ぜになって心の中でどす黒い色に変化していた。

きっとこの雨の空よりも暗い。


 私は泣いている彼女の背後から傘を差し出した。

「帰ろう」

そういうと彼女は私の方を振り向いた。

涙でぐちゃぐちゃになっている顔。

「うん」

一言そう言って2人で歩き出した。

2人でさす相合傘。

雨はだんだんと小ぶりになっていった。

喫茶店に2人で入って一緒に大きなパフェを頼む。

季節のイチゴがたっぷり入っていて、ひたすら甘い。

何も言わず2人で黙々と食べる。

だがその沈黙は私にとっても彼女にとっても、とても心地の良いものだった。

甘いクリームの味とイチゴの酸味。

甘くて酸っぱくて、それからアイスの冷たさ。

鮮やかなイチゴの赤が記憶にはっきりと残っている。

色のない青春時代の鮮やかな赤。

曇天の空も荒れた海も。そして私を取り巻く環境も何もかもが色を失っていた中にはっきりと覚えている赤。

それはイチゴの甘酸っぱさにも似て……


私は窓の外を見た。

雨はいくらか 小降りになっている。

イチゴが食べたいな。

パフェは無理でもショートケーキでも買ってこようかな。

甘くて酸っぱくて 生クリームがたっぷりのイチゴのケーキ。

それはこの灰色の空の下、心をほんの少しだけ 鮮やかにしてくれる気がする。


ザーザー……ザー…ザー…


ノイズのような雨が降る。

私は傘をさしイチゴのケーキを買いに外に出た。

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