夕陽のまじない。



「ねぇ、カホ。あなたは、実は、って言ったら信じる?」




 魔女。

 昔話や童話に出てくる、魔法をつかう女の人。

 話によっては魔法でドレスや馬車を出したりして、人々を助ける人。

 または、意地悪をしたり、誘惑をしたりして、人々を困らせる人。


 私にとっての魔女とは、そんな印象の人。


「……魔女?マキが?」


「うん」


 マキは、別に冗談を口にしない生真面目な人間ではない。

 私をからかう為に、変な冗談を言う事もある。


 だけど、今のマキには、私をからかうような意志は感じられなかった。

 この子は、多分大真面目に聞いているんだろう。


 マキが、魔女。


 私は、一見すると滑稽なその言葉に、それほど違和感を覚えなかった。

 マキは、昔から不思議な感じがあったからだ。


 つかみどころのない性格。隙を殆ど見せない仕草。本心の読めない言動。いつもどこからともなく現れ、助けてくれる。


 そして、見ているだけでドキドキする、綺麗な顔。


 その全てが、マキの魔法によるものだったのだとしたら、なるほど確かにおかしくないかもしれない。

 私はそう思ってしまった。


「そうかもね。マキは魔女かもしれない」


「……………………」


 マキは、黙って私の言葉を待っていた。


「昔から、マキは私の事を見守ってくれてたよね。それで、いつどこにいても私を助けてくれて。お陰様で、私はマキがいないと生きられない体になっちゃった。それに、マキを見てドキドキしたり、目が離せなくなったりもしちゃった。……これって、魔女の魔法のせい?」


 マキは、ゆっくりと首を横に振った。


「そっか。……なら、私から言えることは一つだけ」


 私がマキから目を離せなくなったことが、マキがいないと生きられなくなったことが、どれも魔法の仕業ではないのなら。


 私は、ゆっくりとマキの両手を取って、そっとやわらかく両手でつつみ込んだ。


「例えあなたが魔女であっても、そうでなかったとしても。あなたは私の大好きな人で、いつまでも私の親友で、幼馴染ですっ」


 私にできる精一杯の笑顔で、マキにそう告白した。


 マキは私の告白に、口を綻ばせたと思えば、眉をしかめたりして、よくわからない表情をしていた。

 こんなマキも珍しいけど、かわいらしくていいと思う。


「ええっと……カホは、私の事が大好きなのね?」


「うん」


 私のマキに対する想いは、単に好きという言葉で表すには小さすぎると感じた。

 だから、大好きと言った。


「そう……なら、いいわよね?」


「えっ?」


 すると突然、マキは手を包んでいた私の両手をそっと離した。


 そして、マキは私の両頬にそっと手を添えた。


 そして、そして。


 ゆっくりと私に、私の顔に近づいてくる、マキの顔。


「んっ……」


 そのまま、私の唇に温かくてやわらかい感触が触れた。


 私は、マキにキスをされた。


 それも、少し顔を傾けてする、深いキスだった。


 突然のキスに少し困惑したけど、目を閉じて必死そうにキスをするマキを見たら、なんだかマキが愛おしく感じて。

 私もそっと目を閉じて、マキを受け入れた。


 受け入れて、それからずっと私たちの唇は離れなかった。


 お互いの息が、体温がまざり合い、一つになっていくような感じがした。

 胸が痛くなるほど、どくどくと鼓動をならした。


 一生続くと思った長くて幸福なキスは、お互いに息が続かなくなって漸く終わった。

 先に唇を離したのは私。咳き込みそうになって思わず顔を逸らした。


 キスが終わっても、マキの顔は鼻が触れ合うほどの近さにあった。


「……ふふ、ばかね、カホは……」


「……ん? なんで?」


 マキは頬を赤らめて息を切らせながらも、いつものように私をからかう時と同じように、クスクスと笑いながら目を細めて私を見た。


「今のキスは、魔女の契約のキスよ。あなたは今後一生、私の眷属として使えなければならなくなったの。それなのに、無防備に私を受け入れちゃって……本当にばかね……」


 契約のキス。それが本当なのか嘘なのか、それは分からないけど。


 私に分かるのは、今目の前のマキがとても複雑そうな顔をしている事だ。


 私をからかうような嘲笑を続けていても、その目にはうっすらと涙を浮かべているし、さっきの言葉を言っている時は、少し声が震えていた。


 契約が本当か嘘か。そんなことよりも大事なことはある。


 それは目の前のマキが、微かに怯えている事だ。


 おそらく、うれし涙とかではない。

 自惚れじゃなければ、マキは私に無理やりキスをして、それを私に受け入れられるかどうかを恐れているんだと思う。


 それなら、私からできることは一つだ。




「いいよ」




「…………え?」


「それでも、いいよ。私は、マキとならずっと一緒にいたいと……そう、思うから」


 そう言いながら、私はマキの唇にそっとキスをした。

 少し触れるだけの、軽いキス。


 さっきのマキとの契約のキスで、はっきりと自覚した。


 私のマキへの想いは、幼馴染とか親友とか、好きとか大好きとか、そういう言葉で括れるものじゃないってことに。


 友愛とか親愛とかじゃない。


 私は、いつの間にかマキの事を本当に愛していたんだ。


「たぶん、魔法とかそういうのじゃなくて。本当はずっと前から、マキの事が大好きだったんだ。……だから、大丈夫」


 もう一度、私はマキに触れるだけのキスをして、胸に飛び込むように抱き着いた。


「大丈夫だよ、マキ」


 この期に及んで不安を感じているマキをなだめるように、安心させる言葉を掛ける。

 別に泣き叫んでいるわけではないけど、ぽんぽんと背中もやわらかく叩いてあげる。


「カホ……」


 マキは、ギュッと私を抱きしめ返した。なんだか私の背中が折れそうなくらいの強い締め方だけど、そうなってもいいかなって思ってしまう。

 それくらい、今の私はマキに夢中になっているのかもしれない。


「ありがとう、カホ。これからもずっと、あなたのこと見守ってあげるからね……」


 今まで聞いたことのない、甘くてやさしい声で、私に話しかけるマキ。


「ううん。守られるだけじゃなくて、私もマキの事、支えてあげたい。……いい?」


 私たちは、これからもずっと一緒なら。

 ただ守られるだけの存在なんて、ただのペットみたいな扱いじゃなくて、私も私にできる事をマキにしてあげたい。


 だって、私はマキの眷属なんだもの。


「……ふふ、そうね。でも、暫くは私が支えることになるんじゃないかしら?」


「え?どういうこと?」




「だってあなた、今のままじゃ私と同じ志望大に受からないでしょう?」




「…………あっ」


 そうだった。そもそも私はその事で悩んでいたんだ。


 同じ大学に行くことが難しいから、別々の道を歩まなきゃいけない事に葛藤を感じていたんだ。


「うぅ、そうだった……どうしよう……」


「まあ、カホの最近の成績なら……今から必死に勉強すれば、何とか、ギリギリ……」


「必死に勉強して何とかギリギリなの⁉」


「大丈夫よ。私が付きっ切りで勉強を教えてあげるから!」


「それは……嬉しいけどぉ!」


「私と……ずっと一緒にいるんでしょう? だから頑張りましょうね、私の眷属さん?」


「うぅ~……頑張る!」


 私たちから伸びる影は、いつの間にか伸び切って薄く消えかけていた。


 空も、気が付けば夕焼けは更に傾いて紫掛かっていた。


「さっ、カホ、そろそろ帰りましょう? 明日から放課後は勉強漬けの毎日よ?」


「うん! マキ、私がんばるねっ!」


「その意気よ、私の眷属さん♪」


 本当に受かるかどうか、未来はどうなるかなんて、私には分からない。


 それでも、マキが隣にいてくれるなら、もう何も怖くはない。そう思えた。

 私の事をいつも見守ってくれる、この素敵な魔法使いさんがいてくれるのなら。


 私は、マキの腕を抱きながら、一緒に薄暗い帰り道を歩いていった。

 マキの体は、とても暖かかった。


 私たちを突き刺そうとする寒い空気は、もう感じなかった。



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