ちちんぷいぷい。



 あの日、カホがになった日から二年後。


 必死の勉強の甲斐あって、カホと私は無事、同じ大学に合格した。


 合格が決まった時、同じ高校から難関大学への合格者が二人も出たという事で、高校では少しだけお祭り騒ぎになった。

 特に、カホに合格は難しいと言った担任の先生は、泣きながらカホの合格を喜んでいた。


 さて、カホは今、大学で新しくできた友達とショッピングに出かけている。

 そんなカホを私は、数百メートルから見守っている。


 藁ほうきに腰掛けながら。


 あの告白の日、カホは私の言葉を信じたのか、それとも比喩であると捉えたのか。

 どちらにせよ、カホはあの日以来、私に一度も魔法の事を聞いてこなかった。


 私は、本当に魔女だったというのに。


「……我が主? いつまでこんな監視を続けるつもりですか?」


 私の腰掛ける藁ほうきには、もう一人————いや、もう一匹乗っていた。


 カホにとっては先輩の、黒猫の眷属のアオだ。


 見た目は普通の黒猫だが、魔法で言葉を話すことができる。

 猫の仕草のまま、アオは私に不満たらたらの嫌そうな声で話しかけてきた。


「監視? これは見守りよ。カホに悪い虫が付いたりしないよう、守ってあげているの。知っているでしょう?」


「知っていますとも、ええ。あなたが幼少期に私を眷属にしてから十数年、ずっと続けてきたことですから。ええ、このは」


「み・ま・も・り。……まあいいわ。それで、いつまで、とはどういう意味かしら?」


 眠そうに箒の上で器用に寝転んでいたアオは、スクっと顔を上げて、こちらを見た。


「言葉の通りでございます。カホ様は、もう立派な大人でございます。ええ、まだ学生ではありますが少なくとも、もう我が主が付きっ切りで見守る必要のある、か弱い存在ではありません」


「何を言い出すかと思えば、そんなこと?」


「我が主。カホ様は貴女様の眷属であり、また婚約者であることは分かっています。ただ、流石に干渉が過ぎるのではないでしょうか?」


 アオが心配しているのは、魔女が人前でいる事とか、魔法を使っている事ではない。

 ただ、私がカホに付きまといすぎている事を忠告しようと思っただけなのだろう。


 余計なお世話、と切り捨てるのは簡単だけれど、アオはアオなりに私の事を心配していってくれているのは分かっているから、どうにも返しづらい。


「……私だって、カホに悪いとは思っているわよ……あら?」


 アオを軽くあしらいながらも地上のカホに目を向けると。


 カホの近くから、自転車に乗った大人が、カホ達のいる方向へ凄い勢いで迫って来ていた。

 おそらく、ブレーキが壊れているのだろう。

 このまま進めば、カホ達の大けがは免れない。


 カホは、昔からこうした事故や不幸に見舞われることが多かった。


「やれやれ。ちちんぷいぷい、っと」


 私は指をくるくると回しながら、暴走する自転車に魔法をかけた。


 すると、自転車は急に曲がり、乗っていた大人と一緒にゴミステーションのゴミ袋の山に突っ込んで行った。


「これでヨシっと」


「……我が主。無詠唱で魔法をかけられることをいい事に、テキトーな呪文を口に出すのはやめたほうがいいと前から言っている筈ですが?」


「誰も聞いてないって。それに、聞かれたとしても唯の独り言にしか思われないわよ」


「私は魔法が暴発する危険性を言っているつもりだったのですが……まったく……」


 そう言って、アオはブツブツと言いながらお小言を言うのを止めてしまった。

 呆れられてしまったかな。


「……カホを助けるために魔法を使う事については、文句を言わないのね?」


「それについてはもう、今更過ぎますから」


「まあ、そうね」


 私は、物心がつくころにはもう魔法使いだった。


 本当は人が近くにいる時に魔法を使ってはいけないと、師匠には再三注意されていた。

 けれど、カホの為に魔法を使う事に、私は躊躇いがなかった。


 師匠も、他の人に悟られないよう証拠を残さない事を絶対条件として、カホの為に魔法を使う事を黙認してくれた。


 私にとっての魔法とは、武器や真理の探究の為の道具などではない。


 魔法もこの私も、全てはカホに捧げるためにある。


「……そう言えば、我が主。そろそろ、魔女集会の時期ではありませんか?」


「覚えているわ」


 魔女集会。


 世界中に散らばる魔女たちが、魔法で作り出した箱庭に集結し、歓談をする集会だ。

 人前に出ることが少ない魔女たちにとって、数少ない交流の場ということで、人恋しい魔女たちの憩いの場として人気がある。


「眷属にしたカホ様はどうされるのですか? 魔女集会に連れていかれるので?」


「そうね、連れていくつもりよ」


 魔女集会では、度々自分の眷属自慢が勃発することがある。


 眷属といっても、魔女集会には善性の魔女しか集まらないよう会場に細工がしてあるため、大抵は夫やら子供、恋人を紹介する場のようになっている。


「まあ、別にカホを見世物にするつもりは無いわ。今回はちょっと相談があって、その説明のために連れて行くの」


「相談、ですか?」


 魔女にも色々な人がいる。


 その中には、女性同士のペアを作っている魔女もいると聞いたことがある。


「【花の魔女】という魔女が、その……恋の相談に乗ってくれるという噂を聞いてね。カホの事を相談しようかと……」


「……惚気……」


「何か言ったかしら?」


「いえ、何も」


 あの日から、私たちの仲は進展したようで特に変わっていない。


 キスはおろか、それ以上の行為すら何もしていない。


 充分幸せだけれど、なんだかマンネリというか、私が飽きられないかと不安になる事がある。


 そんな時に、【花の魔女】の噂を聞いたのだった。


 【花の魔女】の話を聞けば、私たちの関係も少しは進むかもしれない。

 だから、藁にも縋る思いで【花の魔女】に相談をしようかと思ったのだ。


「まあ、よいのではないでしょうか? 我が主がヘタレなせいで、カホ様もいつまでもお預けをくらって可哀そ……いえ、何もありません」


「誰がヘタレよ誰が」


「最年少で魔法使いから魔女へとなった天才と呼ばれるお方が、あそこまで分かりやすく誘ってくれている恋人を前にして尻すぼみする様を見れば、ヘタレと称する以外ないかと……おっと、これは独り言でございます」


「どうやら今生に未練が無いようね」


「おお怖い怖い。私はまだ死にたくありませんので、今日はこれで失礼いたします」


 そういってアオは箒から飛び降り、どこかへ走り去っていった。


 走っていく方向を目で追っていると……あの方向は、カホたちがいる方向だ。


「全く、主に逆らうどころか揶揄からかうだなんて、とんだ不良眷属ね……ん?」


 カホ達は、自分たちを通り過ぎるアオを見つけると、はしゃぎながら追いかけまわした。

 ビックリしながら立ち止まったアオに追いつくと、撫でまわしたりして可愛がり始めた。

 まあ見た目は普通の黒猫だから、可愛がられるのも無理はない。


 だけど、何だかイライラしてきた。


 特に、アオを見てはしゃいでいるカホの表情は、私にも殆ど見せた事のない表情だ。


 今まであの子の傍にいたのは私なのに。


 あの子に笑顔をもたらすのは私の役目なのに。


「使い魔の分際で、主の役割を奪うなんて生意気よ!」


 冷静に考えれば、アオが私に発破をかける為に行動してくれたと気付くことができたのかもしれない。


 でもこの時の私は、カホの事しか頭になかった。


 私は空中から、比較的人気のないビルの裏側に降り立った。


 そして、カホ達のいる場所まで走り出した。


「……カホ、カホ。私のカホ。これからもずっと、一緒だから」


 走りながら、周りには聞こえない小さな声で、そう呟いた。


 直ぐに、カホ達の姿は見えた。


「カホ!」


 私は、有無も言わさず、カホの腕をつかんだ。


「えっ、マキ⁉ そんなに慌ててどうしたの⁉」


 急に走ったせいで、私は息も切らし、汗もダラダラと流していた。

 そのせいで心配をかけてしまったみたいだけど、今はもうそんなことはどうでもいい。


「カホ」


「……マキ?」


 困惑しているカホの目を、じっと見つめた後。


「……んぅ」


「————ッ!」


「わぁ」


「えぇ⁉」


 私は、カホにキスをした。


 顔を傾けて行なう、深めのキス。


 すぐ横にいた友達も驚かせてしまったようだけど、関係ない。


「ま、ま、まっ、マキ⁉ こんなところでいきなり、なんで……」


「あなた達、マキのお友達よね?」


 カホはモジモジしながら徐々に小さくなっていく声で抗議していたけど、一旦無視する。


「えっ、ウチら?」


「は、はい、友達ですけど……」


 二人いた女の子の友達は、目をぱちぱちとしながら、こくこくと頷いた。


「悪いけど、今からこの子の時間は私がもらうから」


 カホの腕をからめとり、腕を組みながらそう二人に宣言した。


「えっ、あ、ハイ、どうぞ」


「ウチも馬に蹴られたくはないんで……」


 二人とも、どうぞどうぞと言いながら、カホを差し出すジェスチャーをした。


「ちょっ、二人とも……」


「カホ」


「えっ、うん、何?」


「デートに行くわよ」


「う、うん……わかった……」


 カホは観念したのか、私の方に頭をあずけ、切なそうに目を細めた。


 そんな私たちの様子を、下から眺めている黒猫……アオがいた。


「……………………にゃお」


 アオは何か言いたげに目を細めてじっとこちらを見つめた後、一言鳴いてくるりと背を向け、すたすたと歩き去っていった。


「じゃ、失礼するわね」


「う、うん……」


「お幸せに……」


 呆然と私たちに手を振る二人を背に、私たちはその場を後にした。


 私はカホと手を組みながら、何も言わず歩いていく。


 カホも、ただ腕をきゅっと抱き返すだけで、何も言わなかった。

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