第28話 わかっていたけど、つらすぎる。

 ここ北鷲高校では、五月中旬のテスト明けから文化祭までの二週間、五・六限目が文化祭準備にあてられる。

 そして私たち一年A組が準備を始めてから、もう一週間が過ぎていた。


「しゅ……すしゅ……きぃ……カット!!」

「かのんちゃん監督、セルフカット六回目だよ〜」

「ちょっと肩に力入りすぎだね、かのん」


 教室の隅では、私のための特別練習が続いている。

 急遽主人公に抜擢されたせいで、私の計画はボロボロだ。


 一週間の練習で、クラスのみんなの演技はだいぶ様になってきた。

 もちろん目の前にいるこころちゃん、そして男子制服に身を包んだ華奈さんも。


 私だけが置いていかれている。


 特にラストの告白シーン。

 愛里の想いに桃香が応える、この演劇最大の見せ場。


「じゃあ、もう一回ね。……『桃香ちゃん、あたし……ずっとずぅっと好きだったんだよ』」

「はうっ」

「『ねぇ、桃香ちゃん……』」

「わわ、私もしゅく……しゅけ……すしゅき……だつたなのあ――――」


 こころちゃんの潤んだ瞳、赤く染まる頬、必死に訴える声。


 ……ダメだ。力が抜けて、床にぺたんと座り込んでしまう。


「うう……華奈さぁん」

「お、おーよしよし。アタシが慰めてあげるからね」


 華奈さんがニコニコと笑いながら私を抱きしめてくる。


 違う、オギャりたかったんじゃない。

 そもそも華奈さんが勝手に私を――!!


「うーん、あたしもまだまだだけど……かのんちゃん、こういうの得意じゃなかったっけ?」


 こころちゃんの純粋な声が、胸に刺さる。

 きっと、のときのことだ。


 ……違うよ、こころちゃん。

 私は、あのときもずっと――本気だったんだよ。


 演技なんかじゃない。

 『好き』なんて簡単に言えなくなるくらい、本気で。


 だから、できないんだ。


「……すみません、私ちょっとお手洗いに」

「うん、わかった。あたしもちょっと休憩」


 私は逃げるように教室を出た。




△▼△▼△




 その日は結局最後までうまくできず、帰宅してベッドに倒れ込んだ。

 制服のまま、枕を抱きしめて。


 覚悟はしたはずだったのに。

 胸の奥がきしむ。


 どうにか演劇が成功して、告白もうまくいって、

 それで私は――本当に恋を終わらせられるの?


「……いやだなぁ」


 目の奥が熱い。泣いたら楽になるのかもしれない。

 でも、それをしたら、もう戻れない気がした。


「……ううん、ダメだってば、私」


 自分に言い聞かせるように起き上がる。


「練習、しなきゃ」


 そのとき、スマホが震えた。



【かのんちゃん、まだ時間はいっぱいあるし、明日も一緒に頑張ろ!! あたしに出来ることあったら何でも言ってね!!】



 ずるいよ、こころちゃん。


 どれだけ本気になっても、私の『好き』が届くことはないのに。

 どうして私はこんなにも――



「―――もおおおおおおっ!!」



 私は叫びながら枕を放り投げた。

 ぼすっと壁に当たって落ちる音。


 何もかも、思い通りにならない。


「……なんで、言えないの」


 その瞬間、胸がじんと痛んだ。


 私は、こころちゃんが好き。

 深く、強く、本気で。


 でも、それを伝えることができない。

 セリフに混ぜても、苦しくて声が出ない。


「演技なんかじゃないのに」


 呟きながら、拳を握りしめる。

 この『百合プロデュース』は、恋を終わらせるためだけど。


 本当は――終わらせたくなんか、なかったんだ。


「そっか。だから……」


 気づいた瞬間、胸のもやがすっと晴れた。


『好き』を飲み込もうとしていたから、苦しかったんだ。


「こんなの、自分で自分を追い込んでるだけだ」


 だったら――



「私は、なんだ」



 逃げるんじゃなくて、演じきる。

 たとえそれが、叶わない恋でも。


「…………どうせ、終わるなら」




△▼△▼△




 翌日。


 再び、教室の隅。

『告白シーン』の練習が始まろうとしていた。


「じゃあ、いくよ、かのんちゃん」

「……ばっちこい」


 こころちゃんが台詞を口にする。


「『桃香ちゃん、あたし……ずっとずぅっと好きだったんだよ』」


 私はもう逃げない。


「……私も、好き。だよ」


 一瞬、息を呑む気配。

 こころちゃんの目がわずかに見開かれる。


 私はそれに、笑ってみせた。



「――――うん、ずっと。好きだったんだ」



 声が震えてもいい。

 如月 かのんとしては言えなくても、桃香としてなら言える。


 こころちゃんは戸惑いながらも、ふっと微笑んだ。


「ありがと、かのんちゃん……って、あたしが間違えちゃった」

「かのんすごいじゃん!! 迫真の演技!!」


 ああ、やっと言えた。


「かのんちゃん、できるって信じてたよ」

「……うん、ありがとうこころちゃん」


 こころちゃんが私の手をそっと握る。

 私はその手を、ぎゅっと握り返す。


 開いた窓から、春の風が吹き込んだ。

 揺れるカーテンの向こう、文化祭はすぐそこまで来ている。

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