第5話 この決意は固すぎる。
やってしまった。本当にやってしまった。
「わぁぁぁっ!!」
私は自室のベッドでごろんごろん転がって荒ぶる。
――『私が、聖さんを百合にします!!』
自分から『百合』に干渉しまくった挙句、とんでもないことを口走ってしまった。
私は観測者としての禁忌を犯してしまったのだ。
でも、決して適当に言ったわけじゃない。それは確か。
「ど、どうしよう……」
激しい葛藤の中で、私は犬塚さんとの別れ際を思い出していた。
△▼△▼△
「ちょ、ちょっと如月さん? 何言ってんの!? てかほんと声おっきいし!!」
犬塚さんは大慌てで私の手を掴んで、カフェの外まで引っ張っていく。
駅のコインロッカーの前に着くと、犬塚さんは手を放した。
周りを見渡すと、もう夜遅くだからか人の姿もまばらになっている。
「ねぇ如月さん」
「は、はい」
「さっきのどういうこと?」
犬塚さんは私をじとーっと見つめた。
「その、犬塚さんに……諦めてほしくなくて」
「それってなんで?」
私の
なんてことを言える空気ではなかった。
相応しい言葉が私の中に見つからない。
結局、私は。
あのふたりの百合が見たいだけなのか。
犬塚さんの想いが報われてほしいのか。
本当に、それだけなのか。
胸の中で、溶けかけの飴みたいな感情たちが絡まり合っていた。
私の本心が私にもわからない。
「それは……つい、というか……わからない、です」
私が弱々しく言うと、犬塚さんはわしゃわしゃ髪をかき乱しながらしゃがみ込む。
「あたしが一番わかんないんだってば……もう」
その時、駅のアナウンスが電車の到着を告げた。
犬塚さんがはっとして立ち上がる。
「あたしもう行かなきゃだからさ、明日また話そ。その時までに、ちゃんと答え考えとくんだよ?」
「……はい、わかりました」
そう言って犬塚さんは駆け出していく。
私が緊張を脱して胸を撫で下ろしていると、少し先で犬塚さんが立ち止まるのが見えた。
「もし、さ」
話し出すと同時に、犬塚さんは私に突き刺すような視線を向ける。
「かる~い気持ちであたしたちのことに首突っ込もうとしてるなら、ぜったい許さないから」
その言葉の圧に、思わず息をのむ。鼓動が早まっていくのがわかった。
その後、犬塚さんはいつものトーンで『また明日』と言いながら改札の方へ走って行った。
私はそのときやっと、事の重大さに気付いた。
△▼△▼△
その夜は結局一睡もできなくて、私は目の下に大きなクマをつけたまま学校に行くことになった。
気付けば昼休み。教室の空気と、喧騒。
いつものようにその端っこに座っている私。
そして、いつものようにクラスの中心で響く声。
「あははははっ!! おっかし~!! なんでカラオケで食べ残しの罰金くらってんの!?」
「お前がいつまで経っても来ないからだっつーの!! メッセに返信もしないでどこで何してたんだ?」
「それは教えないよ~だ。まぁまぁ、今日は行くからさ、許してっ!!」
つい昨日あんなことがあったのに、犬塚さんはいつも通り男子の輪の中で笑っていた。
その表情は、どこか無理をしているようだったけど。
それでも昨日の別れ際とは真逆で、そのギャップが私を苦しめる。
落ち着け、私。カプ(ナマモノ)を数えて落ち着くんだ。
みこ×ゆな、くす×はな、さな×まな……いや今はまな×さなだ。
まだ、犬塚さんへのちゃんとした答えは思いつかない。
今日はカラオケに行くらしいし、話をするとしたらこの昼休みしかない。
犬塚さんが男子のところから抜け出してくる前に、見つけないと。
「てかさ、B組に鍋持ってきてるヤバい奴がいるらしいから見に行かね? 俺めっちゃ気になるわ。こころも来いよな」
「え、何それ意味わかんない」
えっ鍋? 何それ私も気になる。
「あたしも行――あ、ごめん。ちょっと用事あるから先行ってて」
「またかよ、まぁいいけどさ」
「ありがと、今度はすぐ行くってば」
いやいやそんなことよりも。
犬塚さんが私の方へ歩いてきた。
ついにこの時が来てしまったというわけだ。
「やほー如月さん。ここの席だったんだ。端っこで羨ましいな」
「こ、こんにちは犬塚さん」
犬塚さんは張り付けたような笑顔のままそう言う。
私がその違和感に身震いしたのも束の間、表情はすぐに昨日と同じものに変わった。
「それじゃあ、時間もないし早めに結論を出してほしいんだけど」
犬塚さんは周囲に聞こえないように配慮しながら、淡々と話す。
「まず、如月さんは聖を『百合』――というか『女の子が好きな女の子』にして、あたしと付き合ってくれるようにしたいってことでいいんだよね?」
「……そうです」
私が答えると、犬塚さんは私をじっと見つめながら言った。
「それってさ、自分のため? それとも、あたしのため?」
犬塚さんの声は、少しだけ棘を含んでいた。
怒っているのか、それとも試されているのか。
私は必死に犬塚さんの表情を探る。でも、わからない。
けれど、その瞳が真っ直ぐに私を射抜くから――私は、自分の中のごちゃついた思いを、そのまま言葉にする。
目は逸らさない。
「どっちも、です」
そう言い切ってはじめて、自分の本心が分かった気がした。
犬塚さんは一瞬驚いたような顔をしたあと、腕を組んでうつむく。
「そっか」
そう小さく呟くと、うーんと唸ってゆっくり顔を上げた。
その表情は、いくらか柔らかくなっていた。
「……まいったなぁ。せっかく諦められそうだったのに。そんな風に言われちゃったら……さ?」
そう言うと、大きくため息をついてまた私をじっと見つめる。
そろそろ、顔に穴が空きそうだった。
「如月さん、言ったからね」
「えっ?」
その瞬間、犬塚さんが私の方に顔を近づける。
ふわふわの茶髪が鼻をくすぐって、爽やかな匂いが香った。
「責任取って、とことん付き合ってもらうからね? かのんちゃん」
犬塚さんは私の耳元でそう囁くと、すぐに廊下へ駆け出して行ってしまった。
「あっな……な、名前っ」
私はまだ余韻の残った耳を軽く触った。
熱を持っていて、きっと真っ赤になってしまっている。
なんで、名前を呼んでくれたんだろう。
せっかく整理のついた気持ちが、淡い熱で輪郭をゆがめていく。
その熱は、しばらく消えなかった。
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