第4話 その想いは尊すぎる。②

「あわわ……ど、どうしたら」


 私は震え出したスマホをどうすることもできず、半ばパニックになっていた。

 着信音の軽快なメロディが私をさらに混乱させる。


「如月さんお待たせー……って、どしたの!?」


 そこへちょうど席に戻って来た犬塚さんが、目をぐるぐるさせている私に気付き声を上げる。

 私はしどろもどろになりながらも状況を説明した。


「でんわが……ひ、聖さんが」


 それを聞いた途端、犬塚さんの表情が険しくなる。

 すぐにスマホを手に伸ばして画面を睨みつけたかと思うと、すぐに着信音が止んだ。どうやら着信を切ったようだ。


「はぁ……」


 犬塚さんはため息をつくと、何事もなかったかのように席につく。

 その表情は暗かった。


「あの、良かったんですか? 切っちゃって」

「うん、いいの。いま聖の声聞いたらさ、諦められなくなっちゃいそうだから」


 え? 今諦めるって言った? 諦めちゃうの?


「聖はさ、昔からいつもすぐに謝ってくるんだ。たぶん今の電話もそう。いつだって聖が悪いことなんてないのに」


犬塚さんは戸惑う私に構わず話し始める。



「あたしは聖のそういうところが、すっごく嫌い」



 『嫌い』――と言った犬塚さんの顔は、その言葉に反して穏やかに見えた。


「嫌い……なんですか?」

「うん。謝ってばっかりの聖なんて、だいっきらい。でもね」


 『聖』と名前を呼ぶたびに、犬塚さんの顔がほころんでいく。



「あたしは、それ以外の聖の全部が――どうしようもないくらい、好き」



 犬塚さんはそう言って、笑った。


 満面の笑みだった。

 幸福がぱんぱんに詰まっていて、何かの拍子に弾けてしまいそうな。


 どうしてあんな笑い方をするんだろう。

 胸の奥がきゅっと締め付けられる感覚がした。


「あ、急に話しちゃってごめんね? びっくりしたでしょ」

「だ、大丈夫です。私もさっき同じようなことしちゃったので」


 そっか、と言って新しい飲み物に手を伸ばす犬塚さん。

 私もそれに倣ってコーヒーの残りを飲み始める。やっぱり苦い。


 再び私を沈黙が襲う。

 その時また電話がかかって来たが、犬塚さんはまたすぐに切ってしまった。


「……また、聖さんからですか?」

「ん? あーいや、クラスの男子。電話切った後もずっとメッセ送ってきてうるさくてさ」


 男子、と聞いて私はひとつ思い出した。


「そういえば、どうしていつも男子たちといるんですか? その――いや、ごめんなさい。変なこと聞きました」


 言っているうちに不安になって、私は口をつぐんだ。

 そんな私を見て犬塚さんは笑う。


「ううん、いいよ別に」


 先ほどとは違う軽快な語り口で、犬塚さんは話し始めた。


「あたし、聖とは幼馴染でさ。『好き』ってなってからは他の女子を避けて、あたしには聖だけってアピってたんだ」


 犬塚さんは思ったより重かった。

 でもそういうのも私は嫌いじゃない。片重い。


「そしたら、男子とばっか仲良くなっちゃった。その頃は『男子はあくまで友達』ってアピになると思ってたんだけど、普通に考えたら逆効果だったよね」

「そ、そうですね……本当に」


 思わず頷いてしまった。

 恋は盲目にもほどがある。


「でも友達は友達だし、それなりに大事だからさ。いい子ばっかりだし。まぁ……告ってきた人とは距離置いたんだけどね」


 友達か。万年ぼっちの私にはヨクワカラナイ。


「そう考えるとさ、分かるんだ。友達なんだろうね。ひじりにとってのあたしも」


 私が心の中で嘆いていると、犬塚さんが悲しげに言った。


「犬塚さん……」


 ――

 このすれ違いは『百合』に限らず恋愛では永遠のテーマ。

 そしていつも、恋情は友情に阻まれてばかりだ。


 犬塚さんが、そうだったように。


「でも聖は優しいからさ、あたしがコクハクしたからって距離を置いたりしない。これからもずっとでいてくれると思う」


 そう言って犬塚さんは力無く笑うと、頬杖をついてどこかを見つめる。


「なら、それでもいいんじゃないかな……って思ってるんだ」


 犬塚さんは、本当に諦めようとしてるみたいだった。

 

『本当にそれでいいんですか』


 なんて言う勇気も権利も私にはない。


 でも、私にはどうしても納得できなかった。

 あんなに尊い想いが報われずに燻り続けるなんて、残酷すぎる。

 

 それに私は見たい。

 犬塚さんと聖さんの、すれ違いや葛藤のない純粋な『百合』を。

 

 ……その先にある、犬塚さんの笑顔を。


「ほら、最近変わってきたけど……それでも世間の目? とかもあるしさ。友達としてずっと一緒にいてくれるなら、あたしは別に……」


 そう自分に言い聞かせるように話す犬塚さんの目の端は震えていた。

 必死に笑顔を作っているが、今にも崩れてしまいそう。


 きっと犬塚さん自身も、納得できていないんだ。

 だったらまだ諦めるには早いと思う。


 でも、どうしたらそれを伝えられる どうやってそう思ってもらう?

 

 傍観者の私に、何ができる?


「……あれ、もうけっこう暗くなっちゃってる。ごめんね? 聞かれてないこともぺらぺら話しちゃって。そろそろ解散しよっか」


 私が必死に考えを巡らせていると、ふいに犬塚さんが立ち上がって言った。


「あ、い……いえ。大丈夫です。あと、今日の話は誰にも言いません」

「うん、よろしい」


 このまま別れてしまったら、きっともう犬塚さんとは話せないと思う。

 だから、今しかないのに。


「じゃあね、如月さ――」

「待って、ください!!」


 席を離れて歩き出した犬塚さんを、つい呼び止めてしまった。


「ええっと、どうしたの? そんなおっきい声出して」


 犬塚さんは立ち止まって不思議そうに私を見つめている。

 

 早く何か言わなければいけない。

 難しく考えるな、空想するんだ。遥かなる『百合』を。


 その時、ふと犬塚さんの言葉が頭をよぎった。


 ――『如月さんの話聞いたら、聖ももしかしたら……なんて』


 私の中の何かに火が点いて、瞬く間に燃え盛る。

 見つけた。私にしかできないこと。



「私が、聖さんを『百合』にします!!」



「………はえっ?」

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