第3話 その想いは尊すぎる。

 私は本物の百合に出会った。

 そしてそれは目の前で散っていった。


「ひっぐ、ひじりぃ……なんでぇ……」


 噴水のそばにへたり込んで泣きじゃくる犬塚さん。

 失恋のショックで、文字通り立ち直れないでいるようだ。


 さて、私もどうしよう。

 私は身を隠している植木から未だ抜け出せないでいる。


 もし気付かれてしまったら最後、百合に踏み込むという禁忌中の禁忌の一発アウト。

 私のような観測者は外野にいなければいけない。それが掟。


 だからすぐにでもこの場を後にしなければいけないのに。

 

 ……あんな状態の犬塚さんを、放っておけない。


 そんな罪悪感のようなものに私が葛藤していると、呟く声が聞こえてきた。


「ふつうじゃ……ないのかな。あたし、変なのかな……?」

 

 犬塚さんは涙をすすりながら、うわ言のように繰り返している。

 彼女の抱く想いが、彼女を苦しめていた。


 ――この現実において、確かに百合は『普通』ではないかもしれない。


 でも、だからといって人が人に抱く美しい感情が、想いが、その形が少し違うだけで無下にされてしまうなんて間違っている。


 私にはその間違いが許せない。

 百合が咲けないこの世界が許せない。


 私は今すぐにでも犬塚さんに言いたい。

 あなたが聖さんに抱いた気持ちはまったく――

 


っ!!」



「へっ……?」


 ぽかんとしている犬塚さんと目が合った。

 彼女は私のことを不思議そうに見つめている。


「あれ?」


 どうして目が合うの?


 ほんの少しの間をおいて、私は自分が植木の陰を飛び出してしまっていることに気付いた。




△▼△▼△




「えと、バニラクリームフラペチーノのトールに、チャイシロップ追加で。如月さんはどうする?」

「あえっ、えっとコーヒーのM、じゃなくて……トール?でおねがいします」


 私は戸惑いながら注文を終えて飲み物を受け取って、犬塚さんに手招きされるまま席につく。


 あの後冷静になった犬塚さんに連れられて、私は駅構内の某カフェに来ていた。


「あの、本当にいいんですか? 奢ってもらっちゃって」

「いいのいいの。それ、口止め料だから」


 犬塚さんは飲み物の写真を撮りながら答える。

 少しして気が済んだのかスマホを置くと、私をじっと見つめた。


「見てたんでしょ? あたしの……コクハク」


 そう言った犬塚さんの表情は暗く曇っていた。

 先ほど化粧を直しに行っていたが、目の端がまだ少し赤く腫れている。


「ご、ごめんなさい」

「なんで謝るの。別に何もないよ」


 私が反射的に謝ると、犬塚さんは軽く笑ってみせた。


 会話が止まって、気まずい空気が流れる。

 犬塚さんとはそもそもあまり話したことがないし、陽キャオーラが強すぎて真っ直ぐ目を見れない。

 

 犬塚さんが飲み物を飲んでいるので、私もそうしようと自分のコーヒーに目をやる。


 私、コーヒー飲めないんだった。

 そうして私が仕方なく机とにらめっこしていると、犬塚さんがとん、と飲み物の容器を置いた。


「あとさ、一つ聞きたいんだけど」

「は、はい」


 犬塚さんは真剣な表情で言う。



「如月さんも、女の子が好きなの?」



「え゛っ」


 まあでもそう考えるのが妥当か。

 でもそれは誤解だ。私は百合を眺めたいだけで、当事者になりたいわけではない。


「いや私は、そうじゃなくてですね」

「じゃあなんで、『変じゃない』って言ってくれたの?」


 いやはや、どうしてと言われても……私の魂が百合の形をしていただけとしか。


 正直に言うしかない。

 百合女子だとバレるというのは少し躊躇うが、犬塚さんの縋るような、どこか寂しそうな視線に私は耐えられなかった。


「そのぉ……私、『百合』――女の子同士の恋愛を見るのが好きで。漫画とか小説ばかりですけどね?」


 少し見栄を張った。本当はナマモノ妄想しまくっている。

 

「ふーん。百合女子ってやつ? あたしもそーゆー小説とかたまに読むよ。マルめてとか」

「あ、いいですよね。王道です」


 あまりにも自然に返されたので、つい私も素が出てしまった。


 それにしても意外。犬塚さんはそっちの方面も理解がある人のようだ。

 知れば知るほど、犬塚さんのギャルとか『ビッチ』のイメージがどんどん崩れていく。


 怖い人だと思っていたが、案外そんなことは無いのかもしれない。

 

「如月さん、なんかいっぱい知ってそうだね。おすすめとかある?」


 犬塚さんがそう言った瞬間、頭の後ろの方で、かちっ。と音がしたような気がした。


「そうですね、まずは王道のや――」




△▼△▼△




 すごく、気持ちいい。自分の『好き』を曝け出すのは。


 すっかりスイッチが入ってしまった私は、犬塚さんの反応が徐々に薄くなっていくのにも構わず語り続けていた。


「――それでですね、そもそも女の子は女の子同士で恋愛すべきだと思うんですよ!!」

「あはは……すごい如月さん。急にめっちゃ喋るね」

「あぐっ」


 グサッ!!と言葉が胸に刺さる音とともに、私の暴走は止まった。

 さすが陽キャ。オタクの殺し方が良く分かっている。

 

「あ、ご、ごめんなさい……」

「ううん、すごいよ。めちゃくちゃ『好き』なのがわかったもん。如月さんの話聞いたら、聖ももしかしたら……なんて」


 犬塚さんは、遠くを見つめながら呟く。


 聖さんのこと、本当の本当に好きだったんだろうな。

 その想いはどんな物語を紡いできたのか、私はそれがどうしても気になってしまう。


 それが『百合』だから――いや、それだけじゃない。

 なんだろう。この感情は。


「あの、犬塚さん」


 私は勇気を振り絞って犬塚さんに話しかけてみることにした。


「迷惑じゃなかったらでいいんですけど……聖さんとのこと、教えてくれませんか。もう口止め料は貰ってますし、誰にも言いません」


 私がそう言うと、犬塚さんは空になった飲み物の容器をからからと弄びながら微笑んだ。


「やっぱり、気になる? 確かに如月さんからしたら、まさに『百合』だもんね……うん、いいよ」


 その後、犬塚さんは新しい飲み物を買うと言って席を立った。

 私は氷が溶けて薄くなったコーヒーをちびちび飲みながら犬塚さんを待つ。


「うう、やっぱりにがい。私も次は甘いの飲みたいなぁ」


 ぼやいていると、突然犬塚さんのスマホが震え始める。

 私はどうすればいいかわからず、とりあえず画面を覗き込んでみた。 


「あっ」


 それはどうやら、聖さんからの着信だった。

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