第7話 島原で絵を描く

 しばらくすると春信にとって困ったことが起こるようになった。

 養生していたゆうが動けるようになってきた。それ自体はよかったことなのだが、なぜか三郎ではなく春信の後をついて回るようになったのだ。


「春信はん、お茶菓子のええのが入ったんよ。お茶の稽古したいんやけどつきうてくれへん」

「へえ、お嬢ちゃんはお茶習ってんのか。お稽古相手はあたしでいいのかい」

ゆう

「うん?」

「ちゃんとゆうって呼んで」

「あ、ああ。わかったよ。おゆうちゃん」


 春信も茶のひと通りくらいは習っている。自分の習い事が役に立つならと一度つき合ったのが仇になったというか、運の尽きだったというか。あれからゆうは常に春信の近くに現れるようになった。


「春信はん、聞いてくれはる」

「ちょいと待っとくれ、それは清水寺きよみずの続きかい」

「もう、ちゃちゃ入れんといて。お父はんが春信はんの迷惑なるからまとわりつくなて言うんよ。春信はん、わたしのこと迷惑?」


 これだけを話すためにまだ引きずる足で部屋を出たのだろうか。何のしがらみもない好きあった男女であれば、健気に思い抱きしめるところでもあろう。

 だがここは祐信すけのぶの家で、ゆうと三郎の結婚の話はなくなったわけではない。


「いや、迷惑じゃないさ。先生はおゆうちゃんに早く治ってほしいから静かに養生してほしいんじゃないかねえ。あたしも早く治ってほしいって思ってるよ」


 そう思ってくれているならいいとゆうは自室に戻っていったが、師匠の娘に迷惑などと言えるわけもない。

 いつもならこういう時にたしなめるのは三郎だ。肝心の時にどこに行っていると春信は理不尽な憤りを三郎に向けた。


 春信に向けられる周りの目が少しばかり冷ややかになったのも心が痛い。

 家の下働きの中には、ふたりのことをわかっているのかと春信に詰め寄ってきた者もいる。わかっているから苦労をしていると言ったが、冷たい目はあまりぬるくはならなかった。

 それでもゆうは春信の立場などおかまいなしだ。今日も今日とて出かける支度をしていたところに現れた。


「春信はん、今日はどこ行かはるん。場所知ってはる? わたし連れてったげてもええよ」

「驚いた、おゆうちゃんかい。三郎さんのおかげであたしも京の町はだいぶ覚えたよ」


 春信はやんわりと断った。

 祇園ぎおん御霊会ごりょうえが近いとなれば、ゆうでなくとも気持ちがそわそわと浮き立つ。それでまた外に出かけたい気持ちが強くなったらしい。


 自分も案内なら三郎に頼む。だからゆうも出かけたいなら三郎に頼めと言いたい。

 たったそれだけの何ということもないひと言のはずなのだが、なんとなく周りに気を使う。最近は祐信の目も少しばかり厳しくなった気がする。ちくちくと痛むことが多くなった胃の腑をなだめながら春信は言った。


「まだ外歩きはやめといたほうがいい。すっかりよくなったわけじゃないんだ。先生だって心配するだろう」

「春信はんのいけず」


 家にいて父親と顔を合わせるのが気まずいのもあるのだろう。祐信が心配のあまりなかなか外へ出そうとしないことも、ゆうが外に出たがる理由のひとつだと思われた。

 完治したとは聞いていないのだから、ここは父親の言うとおりにしてほしい。春信は困った顔のまま思いつきを言う。


「島原行くって言ってもついてくるかい」


 これにはさすがにゆうもむっとして頬をふくらませた。

 ゆうに手を振り、さて今日はどこへと歩き出した春信だったが、いつのまにか足は島原へ向いていた。自分の言った言葉に興味を惹かれたらしい。


 島原は下京に位置する。黒塀くろべいで囲まれた大門おおもんかたわらには花街かがいの慣わし通りに大きな柳の木があった。

 そこにあるだけの木に意味を見いだすのは人だけだろう。それでも出会いと別れを見続けた柳には思いを馳せずにいられない。


 それを写すうちに門の中が慌ただしさを増していく。

  通りや店を掃除する若者や仕出しに使う食材を運び込む者たち。そこで働く者も飲まず食わずでは働けない。飲食を提供する店も小さいながら活気がある。

 春信は店の構えも人々の姿も、心惹かれるまま手当たり次第に描いていった。


 三味線や琴の音も聞こえてくる。芸妓げいこにとっては芸の稽古も欠かせない。それは太夫たゆうも同じことで音曲をはじめ、和歌、俳諧に書画など、ひと通りを教養として身につけるのだという。


 灯点ひともごろになると客足が増えてくる。

 闇が濃くなるにつれて島原の灯りは妖しいまでに辺りを照らした。陰陽いんようを合わせ持つ遊廓のたたずまいは人を惹きつける。


 懐の財布を握りしめ緊張した顔の侍は京へ来たばかりなのかもしれない。ゆったりと歩くお大尽だいじんから、あれこれと品定めに忙しい町人たち。頬を染めて足早にやって来る若者は好きな遊女がいるのだろうか。灯りに群がる羽虫のように次から次へと集まってくる。


 そこまで描いて春信はずいぶん長い時間、絵を描いていたことに気がついた。慌てて立ち上がるとくらりと目の前が暗くなる。よろけて誰かに支えられた。


「ありがとうございます。少し目眩めまいがしまして。助かりました」

「うむ、大事なければよい」


 青い顔で振り向くと侍に支えられている。


「こ、これはお武家様、申し訳ありません」


 ひざに力が入らず、またふらりとよろめいた。

 しばらくこのままでいるようにと苦笑混じりの声に抱きかかえられる。


「重ね重ね、とんだご迷惑を。申し訳も、ございません」


 ようやく血の気が戻ってきた春信は改めて侍に向き直った。


「ありがとうございました。もう大丈夫のようです」


 目の前で鷹揚に頷く侍は、画帖を離さない春信に興味深げな視線を寄越す。場所のせいか、その目がどこか色めいている気がして春信の羞恥を誘った。


「お主は絵を描くのか」

「はい、江戸で浮世絵を少々……駆け出しですが摺っていただいたことがあります」

左様さようか、儂も少しばかり描くのだ。画帖がちょうを見せてほしいが、どうだろう」


 拙い絵ばかりだと恐る恐る差し出すと侍はほう、と声を上げた。


「これはよい。祐信風だな」

「江戸は役者絵流行りですが、あたしは祐信のような絵が好きでして。修業させていただいております」

「お主、祐信のところで修業しているのか。覚えておく。また会おう」


 そう言って侍は大門の中に去っていった。

 

「また会おう?」


 どういう意味だと考えながら侍の後ろ姿を見送り、どこかで見たような気がしてまた首をかしげる。だが考えたものの答えには行きあたらず、そそくさと帰り道を急いだ。

 帰ったところをゆうに見つかり、娘らしい小言をぶつけられたのは言うまでもない。

 それからも春信の一日は変わらない。工房で描き、外に出かけては描く毎日だった。

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