第8話 旗本の三男坊

「春信はん、今日はお武家のお弟子さんが来やはるんで家にいといてほしいんやけど」


 もうこの頃は春信に対する三郎の口調もくだけたものになっている。気遣いではなく親しみのこもった接し方が嬉しい。春信は兄がいたらこんな風かとも思うようになっていた。


「先生はお侍のお弟子もいらっしゃるんですか」

「いつもはこちらからうかごうて指南させていただくんやけどねえ。工房の空気を味わいたいて言わはって、家にやはるそうや」


 外出を引き留められたことよりも大そうな弟子がいることに驚いた。なにやら面白そうな人らしい。


「ぜひお会いしてみたいです」

「そらよかった、大久保様もお喜びなさるやろ」


 春信はよかったと頷く三郎を不思議そうに見た。自分のことを知っているような言い方だが、そんな人など京にはいないはずなのだから。


 そうこうするうちに、御免、と玄関先で声が聞こえた。


「お待ち申し上げておりました。大久保様」


 工房に通された大久保が座ると、祐信すけのぶを始め一同は揃って手をつく。


「本日はご足労いただきましてありがとうございます」

「うむ、たまには師匠のご機嫌も伺わねばならぬゆえな」

「またそないなご冗談を。この老体に楽をさせてくれはるおつもりでしょう」


 自らを老体と言った祐信に対し、いやいや、と大久保は大きな声で笑う。


「まだまだ元気ではないか。挨拶はこれまでといたそう。師匠、よろしく頼む」

「ほな、お稽古始めさしてもらいましょか」


 祐信と大久保のやり取りを聞きながら、春信は横にいる三郎に小声で問いかけた。


「あの方はどういうお方なのですか」

「お旗本の三男で大久保おおくぼ忠舒ただのぶ様いうお方や。よくお忍びや言うて来やはる方やけど今回はご当主様とご一緒らしいで」


 祐信の絵が好きで京に来た時は教えを乞うのだという。春信と同じだと三郎が口の端を上げた。


「また会おうってこういうことだったのかい……三郎さん、大久保様は島原であたしを助けてくれたんです」

「私も大久保様から浮世絵師が修業に来てへんかて聞かれて驚いたわ」


 三郎がこれこれこういう風体の者かと聞くと、その者だと頷いたという。


「島原でふらふらなるまで描いとったんやて? 大久保様がわろておいでやった」


 それを言われるとあの時抱き止めてくれた大きな手を思い出す。なぜか胸が高鳴り、衆道の趣味でもないのにと恥ずかしさで顔が赤くなった。照れ隠しに大久保の描いている絵に目をやる。


「上手い、ですね」

「お武家様やし、最初は狩野派の絵師から習わはったのやろね。基礎がしっかりしとるよって線が美しい」


 大久保は見た目や立ち居振る舞いの豪快さに比べて繊細な絵を描く。しかもかなりの腕だ。

 武家の手慰みというよりも、もう少し踏み込んだ熱心さで筆を動かしている。本当に絵を描くことが好きなのだろうなと春信は自分まで嬉しくなってきた。仕事に向かう気持ちが高揚する。


「あたしももっと描かなきゃならないな。絵描きがお武家様に絵で負けたなんて修業させていただいてる意味がなくなっちまう」


 呟いた春信もそうだが、工房の皆もいつもより熱心に筆を動かしていた。


「大久保様のおかげやねえ。今日は皆、一段と熱入っとるようや」

「せやねえ、三郎はん。私らいっつものんびりやらしてもろとるさかい」


 いつもは手を抜いてるなどと言っているわけではない。そんなつもりではないと慌てる三郎に、わかっているとさざ波のように皆の笑いが広がる。

 大久保はひと通り教えを乞い描き終わると満足げに筆を置いた。


 その後は師弟で近況を語り合っている。春信も紹介され、座に連なっていた。

 大久保の屈託のない話しぶりとゆったりとした姿はいかにも大身の旗本といった風情だ。三男坊といえども貫禄がある。春信はふと、島原よりも前にどこかで会ったことがあるような気がした。どこだったかと首を捻るが、その姿は朧に溶けてしまい掴めそうで掴めない。


「師匠の絵本も売れ行きがいいようだな。先日の新刊も手に入れるに難儀したぞ」


 大久保の言葉に春信はなにか引っかかりを覚えた。四条から小路を回ってと大久保が言ったところで春信は、あっ、と大声を上げる。


「あの時のお侍か!」

「春信はん? どないしはったんや」


 急に腰を浮かせた春信を皆が不思議そうに見上げた。

 道理で後ろ姿に見覚えがあったはずだ。しばらく呆然としていた春信は、ようやっと息を吐いて座り込んだ。


「大久保様だったのか」

「春信はん?」

「ははは……繋がっちまいました」


 新刊を攫っていったのは大久保だった。それから清水寺でゆうに出会い、祐信に弟子入りした。そして島原で助けられ、今またここで兄弟弟子であることがわかった。


「なんてこった、こんな偶然があるもんなのかい」

「偶然もこれだけ重なれば、もはや必然と言ってよい。儂らは会うべくして会ったのだな」


 呟きに返された大久保の言葉に春信は顔を向ける。


「春信、これが縁というものだろう。今度はお主の浮世絵を江戸で見たいものだ」

「ありがとうございます。精進してきっと大久保様にもご満足いただける絵師になります」

「うむ、儂にとっては可愛い弟弟子でもあるからのう。ふみを書いておく。江戸へ戻ったらそれを持って必ず会いに来るように」

「京でこんなに嬉しいご縁があるとは思ってもいませんでした」


 大久保にしてみれば家族の中で一番下の自分に弟ができたように感じたのかもしれない。図らずも親しい言葉をかけてもらった春信も、どうも自分は兄に恵まれたようだと嬉しくなる。武家と庶民との差はあれど絵描きの間でのそれは些末なことに感じられた。

 互いに頷いた兄弟弟子は必ずと江戸での再会を誓いあった。

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