カクヨムコンテスト11【短編】月と水の精霊

越知鷹 京

AQUA-LUNA Project

夜の解剖室は、いつもより静かだった。蛍光灯の白が冷たく、私の手袋の感触だけが現実を伝える。遺体衛生保全士として、身元不明だった老人のエンバーミングを終えたばかりの私は、息を整えながら胸郭を開いた。依頼主は故人の姉。事故とも自殺ともつかない死因に、家族は説明を求めていた。


肺と横隔膜の境目に、異物が触れた。指先で慎重に取り出すと、それは小さなマイクロSDカードだった。黒いプラスチックに刻まれた傷。心臓が一瞬、跳ねた。遺体の胸に何かを入れる理由があるだろうか。私は手袋を替え、手袋の中のカードを拭った。


ラボのモニターに差し込むと、フォルダが一つだけ現れた。画像ファイル。開いた瞬間、画面の中の若い男が私を見返したようだった。



夫だ――。



笑っている。まだ髪が黒く、顔に迷いがない。写真は数枚、祭りの夜、海辺の風景、そして一枚、古い新聞の切り抜きをする若い男の姿。



切継ぎの文字を張り合わせた紙を見て、背筋が凍りついた。そこには、



「次は、おまえだ」と書かれていた――…。



私は気持ちを落ち着かせる為にスマートフォンを開いた。待ち受け画面には、六甲アイランドのリバーモールで撮った家族四人の写真。そこには 幸せそうな笑顔の夫も写っていた。



思い出が波のように押し寄せる。私がまだ十代の終わり、両親の離婚と受験の失敗で世界が崩れた。これまでの当たり前が 当たり前で 無くなったとき、悲しみと苦しみが、同時に胸に押し寄せてきた。嫌な記憶。次から次へと押し寄せてくる……。


ほんと、私の人生はなんて惨めなんだろう。


ふらふらとして 行きついた先は大橋だった。


ここから海への飛び込みを試みたとき、夫は市役所の職員として私に声をかけた。公的な相談窓口の名札を下げ、穏やかな声で「話を聞きますよ」と言った。彼は私を引き留め、人生を諦めかけた私に小さな希望をくれた。やがて結婚し、二人の子をもうけた。彼は優しく、時に頼りなく、でも確かに私の救いだった。


だが、マイクロSDの中の写真は別の物語を語っていた。学校行事だろうか。その写真は文化祭のようにも見える。若き日の夫は、見知らぬ女性と並んで写っていた。その周りにいる数人の男女が笑ってる。笑顔の裏に、何か冷たい計算があるように見えた。ファイルのメタデータには、震災の翌日付近のタイムスタンプが残っていた。フォルダ名は――共犯者……。言葉が喉に詰まる。


私は警察に連絡するべきか葛藤する。だが、思い出すのは子供たちの寝顔だ。数年前、私たちの長男が学校帰りに誘拐された。犯人は夫にだけ連絡を取り、要求を突きつけた。金銭でもなく、証拠でもなく、ある場所へ行き、ある人物に会えと。夫は従った。それが、彼を見た最後の姿だった。


警察は何ひとつと手がかりを掴めなかったが、私たちは子を取り戻した。しかし、夫は戻らなかった。あの時、私は警察を責めた。そして、私自身も許せなかった。だが、今、彼の若い写真が私の前にある。あの事件なんだったのか?夫は共犯だったのか、それとも利用されたのか。


判然としない中、もうひとつのフォルダを開く。「AQUA-LUNA Project」という謎のファイル群。 その中には、AIによって再現された“精霊”のような存在の研究記録が残されていた。



――「未知」の探求。



そうだ、思い出した……。まだ私たちが結婚する前に、彼が 科学第四研究所 での新しい試みを開発していると興奮気味に話してくれた事を思い出した。



― 水の記憶を読み取るAIの開発 ―。



成功すれば、死体に含まれる水分から記憶情報を読み取り、犯人の顔や死亡原因を特定することができる。また、一定量の水が現場近くにあれば、行方不明となった人たちを探し出すことが出来るかもしれない。私たちの身の回りに溢れている水分が防犯カメラと同じ役割を果たしてくれる、と言っていた。



――おかしな話だった…。夫は市役所の職員。なのに、どうして?



再び、私は子供たちの写真を見つめる。

それから、更衣室のロッカーに隠しておいた四角いレトロ缶を取りだした。


夫が市役所で働いていた頃の名刺、震災のボランティア活動の記録、そして一通の封筒。封筒の中には、古い手紙と一枚の地図。地図には、港の倉庫を示す赤い丸が描かれていた。


もしかしたら、ここに 夫が いるかもしれない。


――今まで疑問にすら思えなかった点が、急につながった。



夫は誰に従っていたのか。子供の誘拐 と この老人のご遺体。これは偶然なのか?

二つの事件を結ぶ線は、私の手の中で絡まり合っていた。


古い新聞の切り抜きをする若い男の写真を もう一度 見た。


「次は、おまえだ」


私は、その言葉の意味を考えようとした。そのとき、誰もいないはずの扉が ゆっくりと 開く気配がした。画面の男がこちらを向いて笑っている…。







「次は、おまえだ」






驚いて振り向くと――。

私は何者かに頭を殴られて、そのまま死んでしまった。










--- BAD END

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