第6話 母の辛さと処遇

 兵士さんが勢いよく走り去ってから、体感で一時間ほど。


 食事を取りに行った彼は戻ってこず。

代わりの兵士も来ないし、話し相手もいないし、外の様子すら分からない。

 私はただただ、ぽつんとこの暗い部屋に取り残されて暇を持て余している。


 ――で、そんな私が今なにをしているかというと。


「いっ、痛っ……! ちょ、ほんと無理……っ!」


 うずくまって、ポロンと放り出した胸を押さえながら、必死に搾乳しているところだった。


 誰のって?

 もちろん私のだよ!


「まさかこの胸の痛みって……おっぱいが張ってるから、とかじゃないよね……?」


 いや、ある。

 普通に全然あるよ、これ。


 はるくんが生まれて三か月。

 ありがたいことに、おっぱいは順調に出るタイプで、はるくんはずっと完母――完全母乳――で育っている。


 本来ならニ〜三時間おきに授乳。

 そのたびに、嬉しいことにあの子はわりとしっかり飲んでくれる。

 ということは、私の身体もそのつもりで母乳をせっせと作るわけだ。


 ……で。


 「はるくんに最後に授乳したの……何時間前だっけ?」


 地球で夫と襲われて、そのあと白い空間で竜と会って、ここに召喚されて、兵士さんと話して……。


 って、考えるまでもなく授乳の時間なんて何時間もとうにぶっちぎりで過ぎてる。


 そりゃあ――こうなる。


「パンッパンじゃん……! てかカッチカチなんだけど……!」


 本当に、触れば分かる。

 指先でそっと触るだけで、皮膚が引っぱられるような痛みに息が漏れる。

 ワンサイズどころじゃなく、もう別の身体のパーツみたいに張っている。


 「授乳室……なんてあってもはるくんがいないから意味ないし、搾乳機なんて文明の利器は……ないよなぁ」


 誰にも相談できず……いや、いたとしても兵士さんには言いづらいなぁ。

 男の人には、言ってもねぇ……。


 そんな感じで胸の痛みは増す一方。

 このまま放っといても良くなるわけもなく。

 こんな異世界で乳腺炎なんかになったら……と思うと怖くてたまらない。


 なので、仕方ないから自分でこっそりと搾るしかないのだけど……。


「いったぁ〜〜っ! なんでこんな……!」


 思うように搾れない母乳に涙目になりながら、頭の中ではぐるぐると色んな不安が回る。


 いっちゃん、今どうしてるんだろう。

 イヤイヤ期に突入して、ちょっとしたことで泣いちゃうのに。


 ちょっと知らない人が近づいただけでもストレスなのに、違う世界なんて……絶対怖がってる。


 おむつ、ちゃんと替えてもらってるかな。

 この世界のおむつってどうなんだろ。

 いっちゃんは肌が敏感だから、こまめに替えないとすぐ赤くなっちゃうのに。

 保湿とかもちゃんとやらないとだし……。


 あ、ご飯は?

 朝はパンじゃないと食べないし、お米は味海苔を散りばめたおにぎりなら食べるんだけど……。

 海苔は大好きだけど塩分が気になるから1日2枚って決めてて……。


 そうだ、アレルギーとか怖いなぁ。

 変なもの食べさせてないよね?


「あぁ……ダメだ、一度考えちゃうと止まらない……」


 はるくんだって、こんなに張るほどの量を飲んでたんだ。

 いきなりミルクに切り替えて平気なの?

 友達のとこの子はそれでミルクアレルギー出たって言うし……。


 待って、その前にちゃんとしたミルクってあるのかな。

 それとも乳母さんとかいるの?

 まさか、ヤギの乳とかじゃないよね?


 ちゃんと飲んでるかな?

 泣き疲れてない?

 うんちが固まりがちな子だから、綿棒で刺激してあげないとなかなか出ないタイプなのに……。


 いやそもそも、この世界って衛生面どうなのよ……。

 哺乳瓶とか煮沸消毒してくれてる?

 ていうか哺乳瓶あるの?

 なかったらどうしてるの!?

 着るもの、触れるもの、全部雑菌だらけとかじゃないよね!?


 次から次へと濁流みたいに心配事が溢れてくる。


「……もぉ、ほんと勘弁してよぉ……」


 胸の痛みと、子供たちのことで胸に広がる不安が同じ重さでのしかかり、息が詰まりそうになる。

 視界が滲み、涙がこぼれる。


 そんなときだった。


「おい」


「ひゃっ!?」


 突然、扉の向こうから声がして、私は盛大に変な声を上げてしまった。

 慌てて胸元を押さえ、上着を整えながら振り返る。


 そこに立っていたのは、見知らぬ兵士だった。

 さっきの兵士さんのような柔らかい物腰は一切ない。

 槍みたいな鋭い眼光で、冷たく私を見下ろしてくる。


「な、なんでしょう?」


 兵士は鼻で笑った。


「さっさと出ろ。お前たち無能の処遇が決まった」


「しょ、処遇……?」


 嫌な汗が背を伝う。


 兵士は淡々と、恐ろしいほど無感情に告げた。


「――奴隷落ちだ」


 心臓が一瞬、止まった。


「は……?」


「聞こえなかったか? お前は奴隷になる。抵抗するならここで殺すが?」


 あまりにも雑で、あまりにも当然みたいに言われて、逆に脳が理解を拒んだ。


 奴隷?

 私が?

 理由は?

 どうして?


 夫が刺されて、赤ちゃんが奪われて。

 わけも分からず召喚されて、無能って言われて……。


 何もしていないのに。


「痛っ……!」


 兵士が容赦なく腕をつかみ、乱暴に引っ張り上げる。


「あ、あの! 私の話を――」


「うるさい。騒ぐな。殺されたくないならな」


 ここに連れてこられた時みたく振り払おうと思ったけど……「殺す」という言葉が怖くて、足が竦んできなかった。


「外に出ろ。歩け!」


 そのまま、手枷をつけられて有無を言わせず外へと連れ出される。


やっぱり無理だったじゃん!

私の話なんて聞く耳持ってない!



 石畳の中庭。

 衛兵たちの視線が突き刺さる。


 外の空気は冷たいのに、身体の芯がぐらぐら震えて、息がちゃんとできない。


「乗れ。さっさとしろ」


 兵士が顎で示したのは──


 布で覆われた大きな馬車。

 いや“檻”と言ったほうが正しいものが停まっていた。


 中は鉄格子で囲まれ、逃げ場のない造りになっている。

 魔物の輸送用と言われても信じるレベル。


 ちょっと……嫌な予感しかしないんだけど……。


「……ねぇ、どこに連れていかれるの?」


 私が震える声で聞くと、兵士はあっけらかんと答えた。


「決まってるだろ。奴隷商だ」


「……ぇ……きゃっ!」


 ドン、と背中を押され、中へ転がり込む。


 中には既に四人が押し込められていた。


「ちょっと! こんなの人権侵害よ! 訴えるわ!」


「出せ! 私を誰だと思っている!」


「……これはこれで、テンプレ展開ってやつ?」


「……」


 派手な服の気の強そうな女性。

 偉そうに怒鳴るスーツの男。

 呆然としている大学生くらいの青年。

 足を抱えて俯いている眼鏡をかけた女子高生。


「黙れ! 役立たずども!」


 怒鳴り声とともに鉄格子の扉がガチャンと閉められる。


 皆、現実が追いついていない顔をしている。

 ……まぁ、私も同じだけど。



「お前らは“戦力外”と判断された。国にとっては負担でしかない」


 兵士は馬車の外からこちらを覗きながら、つまらなそうな顔で続ける。


「召喚の儀式には少なくない犠牲が出てるんだ。だからその分は──お前たちの“身体で”補填してもらう」


「補填……身体で……?」


 ごくり、と車内の誰かが喉を鳴らした。


「つまり、売られるってこと……!?」


「ふざけるなッ!! 勝手に呼んでおいて……!」


「追放、そして奴隷からの成り上がり……いけるか……?」


 派手女とスーツ男が怒鳴る。

 大学生のこの子は……現実逃避?


 兵士は鼻で笑った。


「使えない道具は、捨てるか売るかしかないだろう? 文句はこの国を作った"神話の英雄"に様に言え。お前らの先輩だぞ。“戦えない召喚者は奴隷に落とす”。そう決めたのはそいつだからな」


 その言葉が救いようのない現実を突きつけてきて、じわりと胸を締め付ける。


 馬車が軋みながら動き始める。

 鉄格子の向こうの景色がゆらゆらと揺れる。


 私は──ひどい揺れに耐えながら、ただ、外の光をぼんやりと見つめていた。


 胸の痛みも、子供たちの不安も、未来の恐怖も。

 一度に、全部まとめて押し寄せてくる。


 息が苦しい。


 怖さが無いわけじゃない。

 怖くて今にも泣きたいくらいだ。

 というかさっきちょっと泣いちゃったし。


 

 けど、それ以上に。


 胸の奥、アザのある場所がじんわり“熱い”。


 イライラが、怒りが、沸々と沸き上がってくるようで。


 その怒りが言ってる気がした。


 泣いてる暇なんかない。


 あの子たちを取り戻すんだ。


 こんなところで終われない。



「大丈夫……あの竜も言ってたじゃない。私には"力"が……」


 “アザの熱”が、内側からじわりと強くなる。


 ――負けるもんか。


 いっちゃんも。

 はるくんも。

 はじめくんも。


 たとえ、“奴隷”になろうと。

 どんな形でも。

 絶対に。



私は、ぎゅっと、手を握りしめた。




 そして、数時間後。


 馬車が止まった。


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