第2話 目覚めた先は
……白い。
どこまでも、何もかも。
目を開けた瞬間、そう思った。
「……え?」
体が浮いているような、地に足がついているような……よく分からない感覚。
ぼんやりとした頭で状況を整理しようとして──
次の瞬間、全部思い出した。
「いっちゃん!! はるくん!! はじめくん!!」
叫ぶ声は、空間に吸い込まれていった。
返事はない。
あるのは静寂と、白だけ。
「あ、あ……ああ……な……ん……なん、で……なんで……なんでッ!」
視界がにじむ。
頬に涙が落ちていく。
夢?
悪い夢?
あんなの、現実であっていいわけない。
はじめくんの腕が落ちて、お腹刺されて、いっちゃんとはるくんが泣いて……。
あんな、あんな酷いこと、現実じゃ──
震える手で自分の服を掴む。
その服には穴が空いていて、そこから乾いた血が滲んでる。
皮膚にはもう傷こそないのに、確かに “刺された痕” を思い出させる痛みが残っていた。
「あ……あぁ……っ……!」
また涙があふれた。
悲しみだけじゃない。
胸の奥が、煮えたぎるみたいに熱かった。
なんであんな奴らに……
なんで私たちの幸せが……
なんで守れなかったの、私……!
あふれ出す感情が、自分でも制御できないほど暴れている。
その時。
──ドクン。
胸が、脈打った。
「……え……?」
心臓じゃない。
もっと、深いところ。
シャツをめくると、そこに──
「ちょ、ちょっと……なに、これ……」
皮膚に浮かぶ、淡い痕。
アザみたいで、でも模様のようで。
じんわりと、熱を帯びている。
熱い。
脈打つたびに、全身に響く。
怖いのに、どこか懐かしいような……そんな不思議な感覚。
『ようやく起きたかい、
「ひっ!?」
すぐ後ろから声。
飛び跳ねるように振り返ると──
「………………」
言葉が、出なかった。
目の前に――巨大な、竜。
紅い鱗に覆われた、圧倒的な存在。
翼は破れ、鱗はところどころ欠けている。
血は流れていないのに、ひどく“傷ついている”のが分かった。
「……りゅ、う……?」
『ああ。そう呼ばれることもあるね』
竜は、どこか疲れたように首を傾げて笑った……気がした。
『そんなに怯えることはないよ。もう、噛みつく力も残っていない』
「ひ、ひぃぃぃっ……!!」
『落ち着きな。と言ってもあんたが混乱するのも無理はないね。あんな事があったんだ』
「あんな、事……? そ、そうだ! 私は、私の子供たちは……!」
『そのことについて詳しく教えてやる……と言いたいところだけど、時間がない。必要なことだけ説明するよ』
「せ、説明なんてどうでもいい! それよりも、子供たちは!? なにか知ってるんでしょっ! 教えてよ! 私の子供は――」
『静かに』
「……っ!」
一喝。
雷みたいな声で、思わず黙る。
『あんたの気持ちも、分かる。……痛いほどにね。だけど、今は黙りな。これもあんたと、あんたの子供たちのためなんだよ』
竜はゆっくりと私を見下ろし、淡々と語り始めた。
『ここは世界と世界の狭間。本来、あんたみたいな生きた人間が来る場所じゃない』
「……じゃあ、私……」
『死にかけた。正確には──死ぬ前に、引きずり込んだ』
「……っ」
言葉が、胸に突き刺さる。
『安心しな。身体は戻してある。もっとも……完全とは言い難いがね』
「……どうして……?」
竜は、少しだけ視線を逸らした。
『……偶然だよ』
嘘だ、と直感で分かった。
けれど、それ以上は語らない。
『それで……あんたもすぐ、戻らなきゃならない』
「戻る、って……?」
『言っただろ? 引きずり込んだって。今からあんたは世界を渡るんだ。そこにあんたの子供たちもいる。それと、あんたの――』
「──っ!?」
一歩、踏み出す。
「知ってるの!? 私の子供たちがどこにいるか、無事なのか……!」
『……生きてはいるよ』
話を遮った私に、竜は一瞬だけ躊躇したように言った。
『それだけは、保証する』
その言葉に、膝から力が抜けそうになる。
『まぁ安心しな。まだ“取られただけ”だ。まだ、ね』
「……取られ……まだ……?」
『時間がないと言っただろう? いいから今はお聞き』
竜は、こちらをまっすぐ見た。
『この先、あんたは理不尽に巻き込まれる。抗えない力に、何度も踏みにじられる』
「……」
『それでも、取り戻したいかい?』
問いかけ。
逃げ場のない視線。
取り戻したいか?
そんなの決まってる。
「……当たり前です」
震える声でも、はっきり言えた。
『……そうか』
竜は、白い虚空を見上げた。
そこに――
細い亀裂が走る。
『……あぁ、もう保たないね』
忌々しげに、しかしどこか諦めたように。
竜は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
『なら、選択肢は一つだ』
白い空間が、軋む。
『わたしはもう、世界に干渉できない。国を失い、名前も、とうに忘れ去られた』
自嘲気味な声音。
『だからね……わたしを"継ぐ者"が要る』
「……つ、ぐ……?」
『意味は分からなくていい』
竜は、静かに言った。
『聞いていなさい』
そして。
紅い瞳が、まっすぐに私を射抜く。
『その身が折れようとも』
『その心が砕けようとも』
『世界を恨み、すべてを呪おうとも』
『それでもなお、立ち続ける意志があるなら』
『この力は、わたしは、お前を拒まない』
『奪われたものを、取り戻すために』
『守れなかったものを、再び抱くために』
『お前が望むなら──』
『我が名を、今ここに』
「……なに、言って……」
分からない。
意味なんて、ひとつも。
でも。
胸の痕が、熱く脈打つ。
『選ぶのは、あんただ』
『わたしは……ただ、託すだけさ』
その声は、どこか──縋るようだった。
──ピシ。
空間に、亀裂が走る。
『……時間だね』
「ま、待ってよ……! さっきから、何言って……!」
『わたしの“意志”を継げ』
「……は?」
『守る力だ。抗う力だ。世界に呑まれないための――ただ一つの方法さ』
「意味が……わからない……!」
『分からなくていい。今はまだ』
竜の声は、どこか苦笑混じりだった。
『それに、分からないまま選ぶのが、人間ってもんだろう?』
亀裂が広がる。
時間が、ない。
『後悔するかもしれない。重すぎるかもしれない。それでも――』
竜は、静かに告げた。
『言うんだ、――“継ぐ”、と』
「……っ……」
意味なんて、分からない。
でも。
「……そう言えば、子供たちを、また抱きしめられるの?」
「子供たちが、泣かないで済むの?」
『……あんた次第さ』
子供たちを取り戻せるなら。
立ち向かえるなら。
「……私は……っ!」
「……継ぐ……!」
小さく、けれど確かに。
その瞬間。
──ガシャァン!!!
白が、砕けた。
「きゃ──っ!?」
重力が戻る。
私は黒い奈落へと落ちていく。
『……ありがとう』
竜の声が、遠ざかる。
『押し付けて悪かった。……龍ともあろうものが、ね』
竜がほんの一瞬だけ、申し訳なさそうに笑う。
『行きな、鈴木華』
世界が、落ちる。
『あんたは、まだ終わっちゃいない』
竜の言葉の半分以上も理解できないまま、困惑している私の意識は消えていく。
と、竜はさらに言いかける。
『あぁそうだ、さっき言いそびれたけどね』
「え?」
『あんたの夫はまだ──』
そこまで聞こえたが、
──奈落は容赦なく私を飲み込んだ。
☆
崩れゆく白の狭間。
「……ふぅん」
ひび割れた空間の向こうで、女神が微笑んだ。
「まさか、あなたが人に縋るなんてね」
その足元で、紅い光が微かに灯る。
『……あんたか。ヒトの最後にわざわざそんなこと言いに来たのかい? 相変わらずいい根性してるね』
龍の魂が、かすかに嗤う。
「……違うわよ。友達の終わりくらい送りに来たっていいでしょ」
『……ふん』
「それにしても……あんな普通の人間に継がせるなんて。何考えてるのよ」
『しょうがないだろ。思わず手を伸ばしちまったんだから』
絶望の中で、必死に手を伸ばすあの娘を見て……龍は自分を重ねていた。
かつて、同じように、大切なものを守れなかった自分を。
「下手したら世界を敵に回すかもしれないのよ? そんな覚悟もない人間を騙すようなことして。龍の名が泣くわね」
『何言ってんだい。元はといえばあんたたちのせいだろうが。それに、あの子は覚悟なんてとうにできてるよ』
「はぁ?」
『子どものためなら、何でもするのが母親ってもんじゃないか』
「……呆れた。あの子、可哀想に。まあ、私の方でも気にかけといてあげるわ」
『……すまないね』
「いいわよ。あなたには返せないほどの恩があるもの」
そうして、ゆっくりと、白の狭間は完全に崩壊した。
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