華やかな異世界〜二児の母が異世界で頑張る話〜

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第1話 私の幸せ

 お昼過ぎのリビングには、子どもたちの笑い声とテレビから流れる陽気な音楽が混ざっていた。


「はいはいまーん! はいはいまーん!」


「あぶぅ〜っ!」


 二歳の娘──一華いちかは、テレビに映る着ぐるみの犬に合わせてハイハイを始める。

 ベビーベッドの中では、生後三か月になったばかりの息子――華人はるとが声をあげて笑った。


「ただいま〜」


 玄関から聞こえる呑気な声。

 夫――鈴木 はじめが買い物袋を提げて帰ってきた。


「おかえり、はじめくん。いっちゃん、はるくん、パパ帰ってきたよ」


「ぱぱぁ〜!」

「あぶぶ〜」


 娘は嬉しそうに飛びつき、夫はデレデレの笑顔で抱き上げる。

 息子を抱いて迎えに行くと、夫は袋からお菓子を取り出した。


「じゃじゃーん。いっちゃんの好きなやつ、買ってきたぞ〜」

「おかしー!」


「パパったらまた買ってきて……もぉ、しょうがないなぁ」


 呆れつつも笑ってしまう。

 パパはいっちゃんに甘々でちゅね〜、とはるくんの頭を撫でると、はじめちゃんは照れながら鼻の下を伸ばした。


「ふふ」


 いつもの光景を眺めてると自然と笑みが溢れてしまう。


「ん? どうしたの? ニコニコしちゃって」

「んーん、なんでもないよ。ただ、幸せだなぁって」


 

 こういう時間が、私は好きだ。



 年の離れた夫だけど、育児は二人で協力してやっている。

 育休もちゃんと取ってくれて、夜泣きだって分担してオムツ替えも料理も進んでしてくれて。


 育児は確かに大変だけれど、二人の成長が嬉しくて。

 少しずつ家族の形ができていくのが、愛おしくて。

 将来を思うだけで胸が温かくなる。


 ──この幸せが続きますように。


 そう心の中で思った矢先。

 夫が、ふと浮かない顔をしていることに気づいた。


「……はじめくん、どうしたの?」


「いや……うん……その……」


 歯切れが悪い。

 こんなときの夫は、何か隠している。

 というか、顔に出ているしモロバレだ。


「さっき……変な人に絡まれてさ。買い物帰りに」


「えっ、大丈夫だったの?」


「大丈夫ってほどでも……いや、大丈夫なんだけど……ほんと気味悪いんだよ」


 そう言って、夫は心底気持ち悪そうな顔で言う。


「いきなり"子どもたちを渡してください"って言ってきてさ」


 「なにそれ……怖……」


「それで、"せいいん"がどうとか、"かみ"がどうとか……。顔が必死過ぎて、凄い怖くてさ」


「ねぇ、大丈夫だったの? 変なことされてない?」


「無視しても追いかけてきてさ。怖かったから刺激しないように適当に聞き流してたんだけど……。それで、なんか、子供にアザがないかって……」


「う、うん。最近そういう事件あったものね。でも、アザって言ったの? それって……」


 いっちゃんもはるくんも、アザが確かにある。

 そして、私自身も胸の少し上、心臓の辺りに薄いアザがあった。

 物心ついたころには消えて無くなっていたから、私も子どもたちが生まれるまで忘れてたけど。


「その辺で誰かが呼んでくれた警察が来てくれて、そいつらは逃げちゃったけど……。俺に子供がいるって知ってるのも意味分からないし、そもそも変な格好だったし……」


「なんか、怖いね……警察、相談行こっか」


「うん。二人に何かあったら──」


 その瞬間。


 ──ピンポーン。


 二人してビクッと身体が強張る。

 インターホンの音が、やけに大きく響いた。

 この時間に来客なんて珍しい。

 宅配の予定もない。


「……このタイミングでピンポンとか怖いな」

「ちょっと、やめてよ」


 乾いた笑いを浮かべてそんな事を言うけど、お互い顔が引き攣っている。


 夫がモニターを覗いた。

 次の瞬間、さらに血の気が引いていくのが分かった。


「……は? ……なんで、こいつ……」


 そこに映っていたのは──


「ど、どうしたの……?」


「こいつなんだよ……さっき絡んできたヤツ……!」


 背筋がぞくりと冷える。

 嫌な予感しかしなかった。


「け、警察呼ぼう──」


 スマホに手を伸ばした瞬間だった。


 ――ガチャ。


「「……は?」」


 音がした。

 玄関の方から。

 これって、自分たち以外、誰も持っていないはずの鍵が回る音……?


「はじめ、くん……? 今の音──」


 言い終える間もなく、玄関の扉が開く。

 続いて、ドスドスと無遠慮な足音とコツコツと乾いた足音。


 足音の主がリビングに入ってくる。

 土足のまま、人が二人。


「おい、本当にここで合ってんのか? って、おお、なんだ。いるじゃねぇか」


 前に立つのは銀色の鎧を着た、騎士のような男。

 光沢のある銀色のプレートアーマーなんて、現実で見る機会なんてまずない。


「神が間違いを犯すはずないでしょう! 私が話しますから、あなたは下がっていてください」


 もう一人は、杖を握ったフードをかぶった男。

 教会の神父の衣装に近いけど、どこか異様で、金糸の刺繍が禍々しく見えた。


 まるで、アニメやラノベの世界から飛び出してきたような──そんな格好。


 そんな男たちが、我が物顔で家の中へと侵入してくるなんて……現実離れしていて、悪い冗談にしか見えない。


 フードの男が丁寧に頭を下げる。


「先ほどはどうも。居留守はよくないですよ? ……突然の訪問、失礼します」


 その異様な雰囲気、突然の来訪者に子どもたちが泣き叫ぶ。

 私はとっさに子供たちを抱き寄せる。


「どうも、じゃねぇよ……! 誰だお前ら! 何勝手に入ってきてる! 警察呼ぶぞ!」


 夫が私たちを庇いながら叫ぶ。

 そして、ポケットからスマホを取り出した瞬間――


 ――ザシュっ。


 ぼとり。

 ごとん。


「……え……?」


 私の足元にスマホが落ちる。


「……は? え、……はじめ、くん……?」


 その少し前に、夫の腕が……落ちた。


「おぉ、すまんすまん。怪しい動きするから、ついつい」


「っ……ぁ、ぁぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛っっ!! う、腕がぁ、っっ!!??」


 いつ振り抜いたのか、騎士の男が持つ剣から血が滴っている。


 はじめくんは絶叫しながら膝をつき、落とされた腕と自分の残った腕を交互に見やる。


「なんだぁ? おい、男なら腕を落とされたぐらいでピーピー喚くんじゃねぇよ。うるせぇ、な!」


 ドゴっ! 


「っ、ぐはっ!? がっ……!」


「はじめくん!」


 騎士の蹴りで、夫が壁まで吹っ飛ぶ。

 床に血がべったりと広がる。

 切られた腕からは、血がどくどくと流れ続けている。


 フードの男が険しい声を出した。


「やめなさい! 勝手な行動は慎めと言ったでしょう……!」


「あぁ、すまんすまん。つい、いつものクセでな?」


 騎士が剣を鞘に仕舞いながら軽い口調で言う。


「だが……"神託"じゃ、どうせこいつら用済みなんだろ? だったら四の五の言わず、最初からこうでいいだろ」


「……あなたという人は……!」


 預言者と呼ばれたフードの男は額を押さえ、私へと視線を向けてきた。


「ハナ・スズキさん、それにハジメさん。お喜び下さい。あなたの二人のお子さん──イチカ様とハルト様は、我が神々の“器”に選ばれました。ですから……引き渡してもらいます」


「……は……?」


 引き……渡す……?

 なに……を……?


「あなた方が産み、育ててくださったことには感謝します。しかし、これからお二人には器としての教育が必要です。それはこちらの世界では不可能でしょう」


 器……?

 分からない。

 この人が何を言っているのか、何も。


「な……にを……言って……るの……?」


「あなた達も、器の予備として回収してもいいと、神々は仰ってます」


 理解が追いつかない。


「どうしますか? まぁ、聞くまでもないでしょうが」


 頭がぐしゃぐしゃになる。


 でも。


「神々の意思に逆らおうなどと、そんな愚行を──」


 でも、この人が。


「ふ……ざけ……」


「……え?」


 こいつらが、私の幸せを奪おうとしているのは分かる!


「ふざけんなって言ってんのよ! 私の、私たちの子どもなのよ! あんたたちなんかに、渡すわけないでしょっっ!!」


 私は叫び、子どもたちを強く抱き寄せた。


 だが騎士が、勝手に歩き出す。

 剣を振り上げ、私を見下ろす。


「めんどくせぇな。さっさと殺してガキどもを連れてくぞ」


「はぁ……しょうがないですね。ですが、印がなくなったとはいえ一度は神々に選ばれた器です。油断なきよう」


 「おいおい、誰に物言ってんだぁ? 魔力もねぇこっちの奴らに俺がやられるわけねぇだろうが」


 騎士がこちらへ手を伸ばす。


 ――やめて、来ないで!


 そう、口に出すより先に


「う、おぉぉぉ!!」


 はじめくんが叫び、私の視界を横切った。

 床を蹴った音がやけに鮮明で、私は息を呑む。


「はじめく――!?」


 夫はもう騎士に飛びかかっていた。


 まるで別人みたいな速さだった。

 普段は穏やかで、力では私より弱いんじゃないかと思うほどの人なのに。


 その彼が、全身で騎士の剣を押さえ込むようにしがみついている。


「離せッ!!」


 騎士が怒鳴り、横腹に肘を叩き込んだ。

 鈍い音が聞こえて、私の心臓が跳ねる。


「っ、ん゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛!!」


 それでも、はじめくんは剣を離さなかった。

 歯を食いしばり、片腕を失っているのに、必死に押しとどめている。


「おい……てめぇ、いい加減に……!」


 ガシャン!


 剣が床に弾かれた。


「……っ!」


「華……っ!!」


「……はじめくん!?」


「っ……逃げろっっ……!!」


 ほんの一瞬だけ、息ができるほどの希望が胸に灯る。


 けれど──


「この、クソがァ!!」


 騎士が彼の体を掴み、あっさりと持ち上げた。

 鎧の腕の動きひとつで、夫の体が玩具みたいに宙を舞う。


「やっ……!」


 ドゴッ。


 背中から床に叩きつけられる音。

 口から血を吹き出す。


「っ……あっ……!」


 はじめくん! 起きて!

 返事をして!


 その思いは、声にならず。


「はぁ、はぁ……このクソ雑魚がっ!」


 騎士が落ちた剣を拾う。

 シャラン、と鳴った冷たい金属音が、まるで“宣告”みたいに響く。


「大人しく死んどけっ!」


 一歩、踏み込んだ騎士。

 剣を持った腕を振り上げる。

 私の喉が勝手に悲鳴を漏らす。


「やめ――」


 ――ズブッ。



 はじめくんの腹に、簡単に突き立てられた剣。

 身体から血がじわりと床に広がっていく。


 赤い。

 血って、こんなに赤いなんて、知らなかった。


「……はじめ、くん……?」


 震える指で触れようとしても、手が空中で止まる。

 触れたら壊れてしまう気がして。

 触れても、もう戻らない気がして。


 ダメだ。


 涙が溢れてくる。

 世界が滲む。


 ダメだ。

 ダメだ。

 ダメだ。

 ダメだ。


 胸の奥が、冷たい。

 何かが壊れていくような、感覚が無くなっていく。


「パ、パパぁぁぁぁ!!」


「う、あああ、ああああ!」


 子どもたちの泣き声。

 世界がきしむみたいに歪んで聞こえる。


 騎士がちらりと振り返った。


「チッ。うるせぇガキどもだな」


 その手が伸びる。

 私に、いっちゃんとはるくんに。


 やだ


 くるな



 やめろ


 やめろっ


 やめろっ!



 声にならない叫びが自分の中で爆ぜるのに、喉からは音が出てこない。

 足が震えて動かない。

 なのに心臓だけが早鐘みたいに鳴り続けている。

 胸の奥が、冷たく、冷たく。


「……っ……」


 この人たちが、私の家族を殺す。

 はじめくんを……。

 次は私で。

 その次は、いっちゃんとはるくんを。


「……いっ……や……」


 いやだ


 いやだ。


 そんなの、絶対に。


「あ……ぁ……あぁ、あ、ぁぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛っ!」


 喉が裂けるほど叫んだ。

 自分でも信じられない声が出た。


「なんだよ、うるせぇな。てめ──」


 そのとき。

 胸の奥の冷たさが突然、弾けた。


 “凍る”みたいな冷たさじゃない。

 もっと重くて、もっと深くて。

 体の中心を握りつぶされ、溶けていくみたいな、そんな感覚。


(やだ……奪わないで……)


 言葉にならない思考が、


(はじめくん……返して……! 子どもに触らないで……!)


 ぐちゃぐちゃのまま渦を巻く。



 (私の幸せ……これ以上……奪わないで──!!)


 ドクンッ!!


 胸のアザが、脈打った。


 本当に、脈を打ったみたいに。


 全身の熱が急激に冷えたみたいに広がり、指先までしびれる。

 視界の端で、空気が歪んだ気がした。


 騎士が眉をひそめる。


「……なんだ、今の魔力反応は」


 フードの男が私を見つめ、興味深そうに目を細めた。


「なるほど……さすがは元"器"。力を失っているとはいえ、“神に選ばれた”存在は特別ということですか」


 意味がわからない。

 でも、全身の冷たさだけはどんどん強くなっていく。


 息が荒くなる。

 手も、足も、震えているのに──倒れない。


 倒れてなんかいられない。


 子どもが奪われる。

 家族が終わる。

 幸せが壊される。


 そんなの、そんなの、そんなの──




「嫌だッ……!!」



 ――ドシュッ。




 冷たい衝撃が胸を貫いた。


「……っ……え」


 息が漏れただけだった。

 喉が動いたのに、声が出なかった。


 視線を下げると、自分の胸から氷の刃が突き出ているのが見えた。


(なん……で……?)


「なんだ、結局殺すのかよ」


 騎士の男が吐き捨てるように言う。


「無視してもいいのですがね。しかし、ここで暴れられては困ります」


 がくり、と身体が傾き、床に崩れ落ちる。


 意識が落ちる直前、耳元で声がした。


「子どもは……もらっていきます。大切に育てますので、安心して逝きなさい」


 















 いっちゃんとはるくんの泣き声が、遠ざかっていく。




「……っ……ま……」



 いっ、ちゃ……ん……


 は……る、くん……



 そして──意識が深い闇へと落ちていく中。



 私を、私たちを。



 淡い光が、包み込んだ。



 はじ……め……くん……













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