骨董解剖師は定理で語る ─千堂枢の呪物蒐集録─

千田伊織

Case.1 時間の棺(前編)

 不規則な雨音の響く薄暗い店内。分厚い雲から透け、ガラス戸からぼんやりと差し込む日の光が、店内の唯一の明かりだった。古いガラス戸に雨粒が当たり、細かな振動で木枠がたまに軋む。


 白いブラウスに紺のジャンパースカートをまとった少女は、肩口で切り揃えられた髪を耳に掛けると、ガラス戸の側に置かれた重厚なガラスケースを両手で抱えあげた。ガラスケースの中には大きな蕾が一つついた植木鉢が入っている。

 少女が着るのはどこかの制服のようだが、少女は中学生にしては背が低かった。その小柄な体躯でガラスケースを店の奥へ運ぶ。


 店の奥、カウンターでは彼岸花の咲き誇る黒い着物に白い絹の手袋をはめた女性がうつらうつらと雨音を揺籃歌こもりうたにしていた。

 少女は女性が舟を漕ぐ背中側の棚に、精一杯背伸びをしてガラスケースを慎重に置く。


 しかしそのわずかな物音で、女性は帳のような長い黒髪の隙間から目を覚ましてしまった。


「……ハコ、客か?」

「いえ。申し訳ありません、千堂さま。昨晩、月の下に出していたを片付けていました」

「そうか、昨日は満月だったな」


 記号か役割のように匣と呼ばれた少女の言葉に簡素に答えて、千堂せんどうは再び夢の中へ戻った。


 千堂骨董店。

 そこは一見営業中の店のようにも見えなければ、現代の神器を駆使して精力的に宣伝することもない、もはや骨董専用の物置。客の訪れは皆無だった。


 しかし千堂骨董店店主である、千堂せんどうかなめにとって店の赤字だ黒字だというのはどうでもいいことだった。彼女が骨董店をやっているのは、変わった骨董品を集めるという趣味の面目のため。彼女は奇妙な依頼を待ち望んで、建前として骨董店を開いていた。


 雨の中、坂道で反動をつけてエンジンを吹かす音が近づいてくる。濡れた地面を滑るタイヤの音が店の前でぴたりと止まると、ガラス戸がいくつか叩かれた。少女──匣は駆け足で店先に出る。


 立て付けの悪いガラス戸が開かれ、雨粒が地面に叩きつけられる音が一層鮮明になった。


「はい」

「お手紙です」

「いつもご苦労様です」


 赤いバイクの若い郵便屋は一通の白い便箋を匣に手渡すと、景色を霞ませるほどの雨の中、再び走って消えてゆく。


 便箋に書かれた宛名は千堂骨董店店主、千堂枢。差出人の欄には至って一般的な氏名が書かれていた。名前からして二十代から三十代の女性と言ったところか。


 匣は少しだけ雨に濡れた便箋の糊を慎重にはがすと、中に収められた一枚の紙を取り出して開いた。文字は達筆というほどでもないが整っている。匣は時候の挨拶から始まるそれに一通り目を通し、気だるげに瞼を押し上げる千堂へ中の手紙だけを差し出した。


 千堂は白い絹の手袋に包まれた指を手紙へ伸ばすと、紙面に並べられた文章へ目を滑らせた。


「あまり遠くはないな」


 やがて千堂は真っ赤に彩られた唇を割り開いてつぶやく。


「今から向かわれますか?」

「雨で濡れる手間を惜しむか、期待で眠れぬ夜を過ごすか……」

「では今から行きましょう」


 匣は待ちかねた千堂の喧しさを知っている。


 匣は壁に掛けられていた鍵に手を伸ばすと、千堂へ渡した。現代の香りが一切しない、鍵穴に差し込んで捻る原始的な鍵。小さな水平器をキーホルダにした鍵は、空飛ぶレンガと呼ばれた車を動かすためのもので、千堂はその無骨な車体を愛している。


 店裏には彼女の愛車が一台だけ止まっていた。光の当たり具合で黒にも青にも見るそれは、今は跳ねた雨粒を弾きながら、雨雲に覆われた曇り空を映している。


 千堂が運転席に乗り込んだのを見て、匣はその助手席に小さな体を収めた。

 千堂の指に摘まれていた鍵が穴にぴったりと差し込まれる。そして、かちり、という何かがはまったような音を聞き届けた直後、唸るようなエンジン音が車内を震わせた。匣は直接体に響きわたる振動に、広い助手席にうずもれるようにして背もたれに体を預けながら、シートベルトを両手で握り締める。


 車に乗り慣れていない匣は、いつもその音に少しだけ驚いてしまう。


「行くぞ」


 しかし千堂はそんな助手席を脇見することなく、ハンドルに手を掛けてサイドブレーキを無造作に押し込んだ。ゴトリ、と車の床下で金属の外れる音がして、鉄の塊は坂道をゆっくりと下りはじめた。








「目的の市内に入りました」


 匣は手の中の紙地図に目線を落として、目の前に広がる道と照らし合わせた。

「到着する前に手紙の内容を再確認しておく」

「はい」


 千堂は雨に遮られる視界に目を細めながらハンドルを回す。匣はジャンパースカートのポケットをまさぐり、取り出した依頼人からの手紙を目の前に掲げた。


「拝啓、長雨の候、千堂骨董店様に置かれましては、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます──」


──突然のお手紙、失礼いたします。

 本日は、先日死去いたしました祖母の遺品の中に、私どもの手では処分に困るものがあり、藁にも縋る想いで筆を執りました。依頼したい品は、冷蔵庫です。それは祖母が生前住まいとしていた屋敷の洋室に置かれていました。


 祖母はその冷蔵庫に異常なまでに執着しており、持病で寝たきりになっても、洋室にある冷蔵庫を大切に扱うようにと口酸っぱく言い続け、さらには死ぬ間際まで『自分が死んだ暁には、どうかあの冷蔵庫に入れてほしい』と繰り返しておりました。


 無論、そのような遺言を実行できるはずもなく、祖母は火葬され、残された冷蔵庫は私たちの手で処分することになりました。その最中に私たちは信じがたいものを目にしたのです。


 中には切り分けられた生の桃が皿に乗せられた状態で入っていました。その果実はまるで数分前に用意されたようなみずみずしさで、変色一つなかったのです。

先に述べておきますが、私たちはその日までその冷蔵庫に触れることはおろか、洋室にさえ立ち入ったことはありませんでした。


 そして最も恐ろしいのは、冷蔵庫の中身を片付け終え、外へ運び出そうとしたときのことです。その冷蔵庫のプラグはコンセントに繋がれていなかったのです。電気も通っていなかったのに、中は冷たいままでした。


 どうかあの冷蔵庫を引き取っていただけないでしょうか。代金は言い値でお支払いいたします。どこの廃品回収業者に頼んでも、気味悪がって引き受けてくださらないのです。


「──ご連絡、心よりお待ち申し上げます。敬具」


 匣は淀みなく読み上げ終えると、手紙を折りたたみ、再びポケットの中へとしまった。


 千堂は「ふうん」と、聞いているのかいないのか曖昧な反応を残して、車を減速させた。ところどころ景色に田畑が見え始め、道が細くなってきたのだ。青々と茂っている草はささやかな雨に打たれてしなっている。


「もうすぐ見えるはずです」

「あれか?」


 千堂は右手に見える平屋の屋敷を指さす。敷地の大きさからして、そこが目的地だろう。匣は頷いた。


「おそらく」


 しばらく車を走らせ、屋敷の前に車を止める。千堂は後部座席へ身を乗り出すと、真っ黒な傘を二本取り出した。


 車から降りると、大粒の雨が傘に降り注いだ。辺りに人気はなく、世界が雨一色に侵されてしまったよう。


 匣は高い位置にあるインターホンに手を伸ばして押した。どこかのコンビニエンスストアで聞いたチャイムが雨音に紛れて聞こえてくる。メロディが終わったと同時に、千堂が一歩前に出て名乗った。


「千堂骨董店の千堂枢です。件の冷蔵庫を引き取りに来ました」


 そう告げて間もなく、かちりと玄関の鍵が外れた音が聞こえた。引き戸を軋ませて顔を覗かせたのはボブショートの女性だ。二十代後半、と言ったところ。


 千堂は軽く会釈すると、依頼主らしい彼女もまたぎこちなく頭を下げた。女性の顔は先ほどからあからさまに強張っている。


「手紙に書いた通り祖母が先日亡くなりまして、ここには遺品整理のためにしばらく滞在しています。その最中にあの冷蔵庫を片付けることになって……」

「ええ、そのようでしたね。生前のお祖母さまの様子をお聞かせいただいても?」


 女性は苦しそうな息継ぎの隙間に声を絞り出すように話す。しかし千堂は屋敷を見回しながら、単刀直入に尋ねた。


 屋敷の中はとても広かった。居間と思われるところからは幼児向けの番組の音声が漏れていて、一緒に視聴しながらあやしていると思われる初老の女性の声も聞こえてくる。

 彼女の子と、母親か。


 女性は千堂の言葉をゆっくり飲み込むように、しばしの沈黙を置いてから、ぽつりと零す。


「生前祖母は足が悪くて、晩年はほとんど寝たきりでした。病院嫌いもあったので詳しいことは分からないのですが、認知症のような症状もあったように思います」

「そんな彼女がうわ言のように『死後は冷蔵庫に入れてくれ』と言っていた」


 女性は震えた調子で頷いた。


「中身については? 本当に誰かが発見直前に入れたものではないと」

「あ……ありえません。洋室の鍵は一つだけで、鍵は常にかけられた状態でした。祖母が生きていたころは彼女が肌身離さず持っていたし、その後は遺品整理で洋室に立ち入るまで私が管理していました」


「桃に関してはどうされたんですか?」

「コンセントに繋がってないと気づく前だったので、少しおかしいと感じただけでそのまま処分しました」

「もったいないな……」


 聞き捨てならない呟きに、女性は眉をひそめて千堂を振り返った。千堂は涼し気な顔をして首を横に振る。


「失礼しました」


 女性はとある一室の前でおもむろに足を止める。


 その部屋の扉は和室によくある障子やふすまなどではなく、洋室に使われる開き戸であった。木枠に擦りガラスがはめ込まれたようなデザインで、屋敷の建てられた時代を加味すればかなり洒落ている。


「冷蔵庫はこの部屋にあります」


 女性は部屋にすら入りたくないのか、扉の前から退いて手を差し出した。


「では失礼して」


 千堂は扉のノブに手を掛けると、ゆっくりと押し開いた。中は扉の構造から分析した通り洋室。


 その中央に赤いレトロな冷蔵庫が鎮座していた。

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2025年12月21日 12:03
2025年12月21日 19:03

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