第19章 魔神




 初夏

 鏡の森の北端-


「ハァハァ・・・」

 少年がまだ幼い弟と手を繋ぎ、起伏の激しい森の中を歩いて行く。

「人神様ー!」

「ホロ様ー!いらっしゃいませんかー!」

 時折声を上げるものの、その声もついに枯れてきてしまった。

「鏡の森のどこかにいるって、お父さんから聞いたんだけど・・・」

 兄が呟きながら辺りを見回した。

「兄ちゃん・・・足が痛い・・・。」

「少し休もっか。・・・ここに座って足を見せてごらん。」

「・・・うん。」

 兄が弟の足に触れる。

 すると掌が仄かに光り出した。

「どう?痛みひいた?」

「うん!治った!ありがと兄ちゃん!」

 兄が微笑み、灰色のマントを脱いだ。

 マントのフードに隠れていた尖った耳が見える。

 弟は腰の革袋を手に取って栓を外し、喉を鳴らしながら水を飲み始めた。

「水源が見つかるまでは少しづつ飲むんだよ。」

「うん!」

 兄も腰に吊るしていた革袋に手を伸ばす。

 その時、背後に不穏な気配を感じて振り向くと、4本腕の魔猿族の大猿が少年達

を静かに見つめながらニヤニヤしていた。

「こんなところにエルフのガキ共がいやがった。食っても美味いし熟練度もゴッソリ

奪える。最高にツイてるぜ・・・。」

 これ見よがしに蛮刀を担ぎ上げ、エルフ達に近づいて来る。

「に、兄ちゃん!」

 弟が震えながら兄の服の裾を掴むと、兄はそんな弟を守る様に気丈にも大猿の前

に立ち塞がった。

 しかし兄の体も震えている事に弟は気付いた。

「兄ちゃん、逃げよっ!」

「さあてと、・・・まずはお前等、その小汚え服を脱げ。」

 魔猿が蛮刀の切っ先を兄の少年の鼻先に突きつけた。

「偉大なる精霊の御風を・・・」

「ん?エルフの精霊法術か。」

 大猿は兄の胸倉を掴んで締め上げ、強制的に詠唱を止めた。

「この汗臭え服を脱げって言ってんだよ!!肉が不味くなる!!」

 大猿がもう片方の手で兄の上衣を引き裂いた。

「痛っっ!」

「兄ちゃん!!」

「何してんだこのクソ猿わ。」

 突然、割って入るように眼前に現れた少年が、兄のエルフを締め上げていた魔猿の

右腕を手刀で斬り落とした。

「イギャアッ!!」

 魔猿が絶叫と共に後ろに飛び退く。

 腕と共に落下して来る兄のエルフのベルト掴んで受け止め、そのまま地面に座ら

せた。

「ちょっと待ってろ。」

 エルフ語で話しかけると、大猿の方を振り返る。

「きっ、貴様ああああっ!!!」

 蛮刀を振りかぶり突進して来る大猿に向けて少年が掌を突き出した瞬間、その存在

が消え失せた。

「あ、貴方は・・・もしかして!」

「先にこれ。お前のマントだろ?・・・服ボロボロでちょっと面白くなってっから羽織

っとけ。」

「あっ・・・ありがとう。」

 兄は顔を赤くしながら手渡されたマントで身を包んだ。

「助けてくれて・・・ありがとう。」

「おうよ。」

 兄の後ろで恐る恐る自分を見上げる弟の頭を、ヒロが豪快に撫でた。

「間に合って良かった。」

「今の力、人神様の従者様ですよね?「黒髪の大英傑」でしょ?」

「な、なんだそのダッセー呼び名は。まあ・・・人神の従者だけど。」

「良かったあぁ・・・」

 兄は力が抜けた様に地面に座り込み、両手を付いた。

 そして改めて少年に目を向ける。

「お、お願いです!人神様に・・・解放者様に伝えて欲しいんだ!僕達の里を救って

下さいって!」

「ん?・・・・・・えっと、とりあえずここじゃなんだから、俺の家に来るか?まずは

ちゃんと話を聞かせてくれ。」

「家って近いの?」

「いや、遠いけど・・・」

 少年が指を鳴らす。

「着いた。中にどーぞ。」

 エルフの兄弟は、いつの間にか人間族の建物の前で座り込んでいる事に気が

付いた。


 暖かくお日様の匂いがする毛布に包まり、安心したのか弟のエルフは兄の横で

うたた寝を始めた。

 兄のエルフは自分の前に置かれた木製のカップを見つめている。

 薄いピンク色の湯に恐る恐る口を付けてみる。

 新鮮なミントの匂いが口内に溢れて弾け、その後で仄かな苦みと甘みが広がっ

た。

「な、なにこれ・・・おいしい!」

「熱いからちゃんとフーフーすんだぞ。ビオミントティーっていうんだ。干した

ビオの種を丁寧に砕いてから煎じて、最後にミントを刻んで入れて濾してある。」

「ビオミント・・・ティー・・・」

 兄は宝物を見るかのような目でカップを見つめた。

 ヒロが兄のエルフの前の席に座る。

「んじゃー話を聞こうか坊主。いったい何があったんだ?」

「僕は聖者の森に棲むイフ族のエルフ、エリル。弟はリオンと言います。因みに、

こう見えても貴方よりずっと年上・・・です。」

「え、マジっすか。」

「あ、でも敬語はやめて下さい、従者様。」

-待てよ、聖者の森の・・・イフ族?・・・どっかで聞いたような・・・

「あぁ!イフ族っていやー、アッサンとアイシャって知ってか?クリシュナの王都の

公園で会った事があるんだよ。俺がハトに襲われた時にな・・・。」

「え!?それ僕の父と母です!!」

 驚いたようにヒロを見つめるとエリルはそのまま下を向き、その目には涙が溢れ

だした。

「・・・・・・と・・・父さんと母・・・母さんは・・・死に・・・ました。」

 ヒロは黙ってエリルを見つめた。


 少し落ち着いたエリルが再び口を開いた。

「僕達の里は認識阻害の結界で何重にも守られていたんだけど・・・今から7日前の

夕刻に・・・いきなり魔族の集団に襲われたんです。」

「魔族?」

「真っ黒な長い毛の・・・亜人種の狼。・・・あれは絶対に魔族でした。」

「それなら黒狼族か。結界周辺の残り香でエルフの集落がある事に気付いたんだ

ろ。何頭くらいいたんだ?」

「分かんない。でも・・・いっぱい・・・いっぱい襲って来て・・・。」

「そっか。聖者の森ってどこにあんの?」

「えっと・・・貴方と出会った場所からずっと東の方。渓谷とか・・・大きな河を渡った

まだその先・・・です。」

「その聖者の森から徒歩で逃げて来たのか。」

「鏡の森のどこかにホロ様・・・解放者様が棲んでるから、本当に困った時は鏡の森で

名前を叫べって・・・前に父さんから聞いていたので・・・」

「・・・そっか。」

-近くに寄る事があれば鏡の森で名前を呼んでくれ!どこにいてもすぐに駆け付け

っから!今日のお返しに茶でもご馳走するよ!

 別れの言葉に、こちらを振り返って手を振るエルフ夫婦の姿が思い出される。

 ヒロが小さく息を吐き、目を伏せた。

「東の方角に徒歩で7日、ね。・・・河・・・・・・ああ、見つけた。」

「え?」

 エリルがヒロを見つめると、その双眸は美しい光を湛え、遥か遠くを見通している

かのようだった。

「神眼と神視ってやつだ。・・・森の奥の谷間にある集落。周囲に大規模結界の痕跡。

・・・赤い大きな葉を付けた二股の大樹が集落の中央に見える。」

「そこです!!」

「・・・そっか。」

 神眼を解いた少年がエリルの視線を感じて思わず目線を外した。

 その時、人神の従者の瞳に哀しみの色が滲んでいる事にエリルは気付いた。

「イフの里は!?見えたんですよね!?」

「里の状態は・・・正直、あまり話したくない。」

「教えて下さい!僕なら大丈夫!状況を知りたいです!!」

 ヒロはエリルを見つめる。

「だったら・・・率直に言うぞ。生存しているエルフはいない。ほとんど食われてて、

弔う遺体もあまり残っていない。・・・目ぼしい物は全て強奪されてて、集落は全焼

だ。・・・赤い大樹も半分以上焼け落ちて枯死しかけてる。」

 少年のエルフは溜まらず嗚咽を漏らして泣き出した。


 暫くして、泣き腫らした目を拭い、落ち着きを取り戻したエリルが冷めたカップを

両手に取った。

 ミントの優しい香りが鼻先を擽る。

「落ち着いたか?」

「うん・・・もう・・・泣きません。弟が・・・リオンが心配するから。」

 兄の手が隣で毛布に包まれ眠る弟の手をそっと握った。

「そっか。」

-思ったよりつえーな。

「・・・兄ちゃん?・・・僕・・・寝ちゃってた。」

 リオンが目を覚まして起きだした。

「よし。んじゃー、とりあえず晩飯にするか!エリルもリオンも先に風呂入って

来い!」

「風呂?」

「風呂ってなに?」

「あ・・・えっとー湯浴みって分かるか?」

「分かんないです。」

「ゆあみって何?」

「こっちこい。教えるよ。着替えは俺のお古でいいよな?」

 ヒロが立ち上がり、院の奥に2人を連れて行く。

 風呂とトイレの使い方を教えて、2人が風呂に入っている間にヒロは夕食を作り

出した。

「苦手なもんがあるか聞いときゃ良かったな・・・。」

 お風呂からは兄弟がじゃれ合う笑い声が響いて来ていた。


「えらい長風呂だったな。心配したぞ。」

「長風呂?」

「風呂にずっと入ってるってこと。溺れてるんじゃねーかって心配したわ。」

「だって気持ちいいんだもん。ねーリオン!」

「すっごく気持ちよかった!お風呂大好き!」

「そっか。ならよかった。さー座ってくれ。晩飯にしようぜ!」

 手際よく2人の前に料理を並べていく。

「なにこれ・・・良い匂い!」

「お腹減ったぁ。」

「森豚とアイゼン茸のシチュー。それと半熟卵を潰してビダの樹蜜と香草を和えて

挟んだ麦パンだけど・・・食べられるか-」

 2人はヒロが言い終えるより先にシチューとパンに齧り付いた。

「んー!」

「んんー!!」

 と感嘆の唸り声を上げつつモリモリ食べていく。

 ヒロは苦笑してパンを頬張った。



 夜-

 リオンを先に寝かしつけてエリルとヒロは食堂の長椅子に座った。

「さてと、話の続きすっか。・・・今のとこ、聖者の森とその周辺に黒狼族は一匹も

いねえ。範囲をかなり広げても全然見つかんねーし。逃げ足がとんでもなく速い集団

だ。この様子だと・・・犯人を探し出すのはちょい厳しいかもしれん。」

 ヒロがエリルを見つめる。

「エリル。お前達には・・・2つの選択肢がある。」

「2つ?」

「1つ目は、里に帰って仲間を葬って集落を立て直す。ただし、立て直すにも仲間

はいない。それに黒狼族がまた襲って来ないとも限らない。」

「・・・うん。」

「2つ目は、埋葬と復讐は人神に任せて、他のエルフの集落に身を寄せる。」

「人神様があの魔族を倒してくれるんですか!?」

「ああ。必ず見つけ出して殺してやる。弔い合戦だ。」

 感情を押し殺した声で一人称で語る少年をエリルは黙って見つめた。

「・・・手伝わせて下さい。それに僕達、他のエルフの部族とか知らないんです。だか

ら、出来ればここで-」

「いや、手伝いは不要だ。復讐ってのはな・・・いわば「呪い」だ。毒にしかならね

え。そういうのは全部人神に投げとけばいい。今は自分と弟のこれからを一番に

考えて行動する時だ。・・・分かるだろ。」

 ヒロが優しい目でエリルを見つめた。

「それと、この村でエリル達が生きていくのは難しいと思う。ここの領主様がな、他種族の居住を認めてねえんだよ。それにこの村は人間族以外の種族を見た事が

ないような爺さんと婆さんばっかだからさ。・・・エリル、思い切って別の街に移住

するってのはどうだ?」

「別の街?」

「お前達が人間族と共存出来るってんなら、手頃な人間族の街を紹介出来る。」

「人間族と・・・共存・・・ですか。」

「うむ、共存だ。人間族だけじゃなくて魔族も獣族もいる大きな街だ。皆で助け

合って生きている。もちろんエルフとかドワーフとか亜人種の精霊族だっていっぱい

住んでんぞ。」

「え?そんな街があるの・・・?」

「あるよ。ただし規則がある。規則を破ったり悪い事をしたら追い出される。何を

したかによるが、最悪死刑になったりもする。これは街に住んでる全ての住人に

言える事だけどな。」

「それはエルフの里だって同じだよ。エルフ達が生活しているのなら・・・その街に

行きたい。」

「そっか。じゃあ、移住の手続きが終わるまでこの村で共存の練習だ。んー・・・

まず、言葉は喋れた方がいいなぁ・・・。念話でもいいけど、住人全員が念話が出来る

訳じゃねーからさ、一方通行の会話になりやすいんだよ。普通に会話が出来た方が

街に馴染みやすいと思う。」

「僕もリオンも他種族の言葉とか全然喋れないけど・・・あの、一生懸命勉強しま

す!」

「あ、その必要は無い。今回は特別だ、特別。」

「え?」

「アッサンとアイシャの息子達が立派に人間族の街で生きていける様に、俺がちゃ

んと仕込んでやる。その代わり、絶対内緒にすんだぞ?」

 エリルが驚いたようにヒロを見つめた。そして首を縦に振る。

 ヒロの指先がそっとエリルの額に触れた。


 -言語能力:最上級 を獲得


 エリルの脳内に言葉が走る。

「え!?」

 思わずエルフの少年は声をあげて目を丸くした。

「こ、これって・・・」

「祝福を注入したんだ。まず人間の言葉で喋ってみ?」

「人間の言葉・・・・・・え!分かる!!話せる・・・話せるよ!!」

「おー、発音も完璧じゃん。問題ねえな。で・・・エリルの持ってる祝福は・・・・・・精霊

法術、最上級か!うっは、すげーじゃん!派生能力も大したもんだ!」

 ヒロが赤く光る目でエリルを見つめ、そして弟に視線を向ける。

「弟もかよ!うっへえ、マジかぁ・・・。いやー、俺もさ、年末に仲間の熟練度上げ

の手伝いで、悪霊化した元精霊を大量に処理したとこなんだわ。精霊法術を山ほど

抽出したところでさ。」

「え!?抽出って・・・まさか」

「ちなみにエリルとリオンって何歳なの?その歳で最上級ってすごくね?」

「分かんないけど・・・僕は700歳、弟は500歳くらい。僕達イフ族はすごく長寿

だから・・・。」

「とりあえず、エリルさん。その祝福なら街で医者にだってなれるし、冒険者にだっ

てなれる。ってか、騎士団の傭兵部隊とか宮廷の専属法術師にだって余裕でなれると

思う。最上級の法術師とかめったにいねーからな!」

「宮廷!?人間族の!?」

「そそ!」

「で、でも僕・・・性格が戦闘に向いてないと思う。・・・里の長にいつも言われてた

から。」

「戦闘に向いてたら逆に困るんだが。宮廷内で揉め事起こされたらたまったもん

じゃねーし。それに宮廷法術師ってのは戦争要員じゃないから安心しろ。国の偉い

さん達を教えたり、助けたり、治したり、ってのが主な仕事だ。なんなら雇えって

俺から王様に言っとこーか?」

「ヒロさん、もしかして貴方は・・・従者じゃなくて、人神様-」

「シー。」

 ヒロが唇を人差し指で押さえる仕草を見せた。

「内緒、な。」

 苦笑するヒロを見つめながら、エリルの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。





 夏- ディオン駐屯地 第四修練場


 キンッ!!ガキンッ!!

 武器と防具が激しくぶつかる音が響き渡る。

「カエラさん、反応が遅くなってるよ!右!右!左!-からの右っ!!」

「クッ!!」

 刃を潰した長剣を使ったヒロによる連撃、その最後の一撃がカエラの脇腹を捉え

た。

 堪らずカエラが膝をつく。

「んー、やっぱ戦闘開始90分を境に反応速度が鈍ってくるねー。特に目線が左に

流れちゃって、右上方からの袈裟斬りに目がついていけてない。音と直感で避ける

のもいいけど、陽動や牽制を挟むと対応が出来なくなってる。・・・・・・とりあえず、

俺と半日は打ち合える体力と集中力が欲しいかな。でもまあ、最初に比べたら

かなり上達してるし、成長も早いよー。頑張ってこ!」

「う、・・・うむ。」

「よし、全快させるよー!」

 痛みも吐き気も消え去り、体中から力が漲り溢れて来る。

「少年、最後にもう一本、頼む!!」

「了解!いっくよー!」

 ヒロがスッと腰を落として剣を構え、神速でカエラの喉元に向けて鋭い突きを

放つ。

 寸前のところでカエラが剣先を躱し、そのままヒロの側頭部に向けて渾身の後ろ

回し蹴りを放った。

 ヒロは難なく剣の柄でカエラの蹴り足を受け止め、そのまま押し込んでカエラの

重心を崩しにかかる。

「せぃやっ!!!」

 カエラは崩れた重心を利用して体を反転させ、変則蹴りでヒロの脇腹を狙った。

-いける!

 カエラがそう思った瞬間、足は宙を蹴っていた。

 ヒロが瞬時に後方に下がっていたからだ。

 熾烈な攻防戦が繰り広げられていく。

-そろそろ90分。体力も気力もまだ十分に思えるが・・・一度ここで全快させる。

動きを少しも鈍らせない!

 カエラは派生能力の「全癒」と「覇気」を無詠唱で発動させた。

-お・・・良い判断!

 ヒロがカエラの猛烈な前蹴り、それに続く飛び膝蹴りをいなしながら様子を見守

る。

 しかしそれ以上の連撃はなかった。

 ヒロが牽制で上段突きを放ってみると、予想以上にカエラの反応が鈍い。

-あれ?全快したはずなのに反応が遅いな。視線も流れてる。・・・予想以上に消耗

してんのかな?

 ヒロが一歩踏み込む。

-来た!ヒロの右の袈裟斬り!・・・ここもわざと反応を遅らせて・・・・・・もう一発を

誘う。

 カエラの駆け引き通り、ヒロは短い間隔で二度目の袈裟斬りを打ってきた。

-これに・・・合わせるっ!

 ヒロの袈裟斬りに合わせてカエラの躰は前方に深く沈み込み、そのままヒロの

胸元に目掛けて浴びせ蹴りを放った。

-あったれえええ!!!

 次の瞬間、ヒロが握る剣の柄の底がカエラの胸部を強打していた。

「カッハ・・・!!」

 地面に叩きつけられ、衝撃で視界が反転して蹲ってしまう。

 空気を求めて必死に息を吸おうとするが、強烈な痛みでなかなか息が入って

来ない。

「クウッ・・・」

 ヒロの温かな神力を感じると、スッと体全身が楽になっていった。

「カハッ・・・ハァハァ・・・」

 カエラはそのまま寝転がった。

「最後の攻撃の誘い込みと反撃は良かった!気付くのが遅れてあんま手加減が出来

なかったよ!」

「そうか・・・。私は死ぬかと・・・思った。」

-でも今の一戦で・・・熟練度が3000近く上がってる・・・な・・・。

 カエラはそのまま息を整えた。

「今の戦い、最後の1分間は70点!今までで最高得点っす!」

「そ、そうか!」

 カエラが腹筋で跳ね起きた。

 その顔は満足感と達成感に溢れている。

「汗を流して来る。時間があるなら指令室で待っていてくれ。今晩の飯は私が

奢ろう。」

「ほーい。んじゃ待ってんね。何にしよっかなー・・・」

 ヒロが剣を肩に抱えて修練場から出て行った。

「よし。最後の一戦は手応えあり・・・だ。」

 カエラが両拳を握り締めて会心の笑みを浮かべた。


「カッハアア・・・うめえええ!おっちゃん、替え玉ちょーだい!」

 ヒロが丼を露店主に差し出す。

「あいよー。ちょい待ってなー。」

 カエラとヒロの姿は駐屯地正門前に出ていた麺屋の屋台にあった。

「ほい、麺あがったよー。坊主、こいつはオマケだ。」

 店主が衣を付けて油で揚げた蕗の薹をヒロの麺の上に置いてくれた。

「え!ありがとっ!!」

 ヒロが嬉しそうに蕗の薹を頬張った。熱さのあまりハフハフと口で息をしている。

「親父、私も替え玉を貰おう。あと煮豚も頼む。」

「へい!総司令官さん、いつも御贔屓にして下さってありがとうございます!」

 店主が愛嬌のある笑みを見せる。

「週末は最高に旨い麺を食べさせてくれる親父の露店が出るからな。週末出勤の

し甲斐があるというものだ。」

 カエラも笑った。

 駐屯地正門から出て来た騎士達が屋台に近づいて来た。

「親父ー!硬麺大盛り、ネギ多めで!」

「俺も硬麺大盛り、脂増し増しで温泉卵つけて!」

「あいよー!」

「あっ!総司令!」

「カエラ総司令!お疲れ様です!!」

 カエラに気付いた騎士達がガチガチの敬礼を見せる。

「かまわん。楽にしろ。せっかくの週末麺だ。美味しく戴くといい。」

「ハッ!」

「ではお言葉に甘えて!」

 騎士達がカエラに並んで腰をかけた。

「あ、今日はヒロ君と特錬の日でしたか!」

「うむ。一日付き合ってもらったからな。せめて晩飯くらいは奢らないと申し訳が

立たん。」

「あざいーす!」

 ヒロが旨そうに麺をすする。

「そういえば総司令、明日は久しぶりに魔族討伐の予定が入ってましたよね?」

「事案1299でしたっけ?」

「ああ、王都から急遽指示が出てな。敵の逃げ足が異常に速くて、最寄りの駐屯

部隊では対応しきれないようなんだ。まあ、速度勝負なら私向きの事案だな。」

「無双ですね!」

「総司令、ご武運を!」

-ふーん、そうなんだ・・・。

 ヒロがカエラを見つめた。

-装備も武器も問題無い。・・・体も最高に仕上がってる。ま、問題無いっしょ。

「で、敵は?」

「黒狼族。20頭程の群れらしい。脚力強化以外は目立った種族特性が無いし、

戦闘力もたかが知れてる。だが舐めてかかるつもりは無いぞ。最初から全力で

仕留めにかかる。」

-黒狼族・・・しかも異常に逃げ足が速い、か。

 ヒロの脳裏にエルフの兄弟の顔が過った。

「それ、場所はどこ?」

「ん?ギゼルの草原地帯だな。報告ではハゼの森から半径3㎞圏内で被害が集中している、との事だったが。」

-聖者の森とは全く方向が違う。別の黒狼族の群れか?・・・それにしては特徴が丸被りしてるし・・・。

「どうかしたのか?」

 ヒロの空気を読んだカエラが尋ねた

「2ヵ月くらい前に、俺がエルフの兄弟を王都に連れて行ったの覚えてる?」

「ああ、ヒロが保護したとかいう腕利きの法術師の兄弟だな。」

「うん。実はあの子達が住んでた集落も黒狼族の群れに襲われて壊滅してんだよ

ねー。」

「ほう。場所は?」

「聖者の森。鏡の森から北東のセンティア領の渓谷奥深く。話を聞いてすぐに神眼

で現地を見たんだけど、もう逃げられた後だった。・・・たださ、なんか・・・ちょっと

おかしかったんだよ。」

「おかしいとは?」

「逃走予想範囲を全て隈なく索敵したんだけど、黒狼族は一匹も見つからなかった。

どう考えても逃げ足が早過ぎるんだよねー。・・・ギゼルに現れた黒狼族と特徴が同じ

だなって思ってさ。」

「ふむ。確かに似ているな・・・。農作業中に襲われた、畑が荒らされた、子供が攫わ

れた、と近隣集落から通報がある度に急行しているらしいのだが、ギゼルの駐屯部隊

は一度も敵を視認出来ていないとの事だ。索敵や探知、検知にもかかった試しがな

いらしい。巡回も増やしているようなんだがな・・・。」

「黒狼族って脚力は強いけど、巨体で持久力は無い方だし・・・どちらかというと長距

離の移動は鈍足な部類っしょ。やっぱおかしいよね。」

「確かに。・・・考えられるとすれば、空間転移、もしくは集団召喚あたりか。」

「うん。召喚なら必ず召還位置に「空間の歪」が何日か残るんだけど、聖者の森には

どこにもそれが無かった。あるとすれば空間移動か空間転移だね。でも、空間系の

能力ってかなり珍しいんだよ。古代黒魔術か精霊法術を祝福として前世から引き継い

だ個体が、時空操作系の術を極めつつ、最上級まで昇華させると低確率で入手出来

る派生能力なんだ。俺も古竜とか三鬼族の王達とか・・・数える程しか保有個体を確認

出来てない。」

「古代黒魔術と精霊法術で最上級・・・。」

「しかも空間を捻じ曲げる術って、消費する魔力や霊力が異常に多くてさ、数十頭

を一斉に空間転移させるのは古竜王級でも難しいと思う。」

「・・・ほお。」

「あの、」

 2人の話に聞き入っていた騎士の一人がおずおずと声を上げる。

「先月、王都の本部に出向した時に聞いたんですが、隣のビアンカ公国でも最近、

黒狼族による被害が出たらしいです。関係があるかは分かりませんが。」

「ビアンカのどこだ?」

「確か我が国との国境付近の集落だったような気がします。フォレスだったかな?

被害は軽微だったと記憶しております。」

「・・・そうか。」

「カエラさん、なんかあるかもだし、心身強化の祝福でもかけとこっか?」

「ん?それって確か古代黒魔術、じゃなくて古代神聖術の・・・」

「神楽。御神楽と里神楽って2種類あるんだけど、どっちもチョー効くよ。」

「それだ!神楽!すっかり忘れていたよ!昔、経連の人間から噂で聞いた事があった

んだ!あの時は私も半信半疑で聞いていたんだが・・・その効果、是非とも経験して

みたい!頼めるか少年!」

 カエラの目が輝く。

「お任せぃ。今は権能に昇華してるから効果がマジで半端ないからねー。でも、試し

に今から修練場に戻ってもう一戦、ってのは無しで。」

 ヒロが苦笑して指を鳴らすと、幾つもの光の環がカエラの頭上から次々に降りて

来ては煌めき、躰を包み込んで消えていった。

 露店の店主もいきなり始まった光のショーに気付き、騎士達と一緒に唖然としな

がらカエラとヒロを見つめた。

「な、・・・なんだこれはっ!?凄過ぎだろ・・・人神の加護を3つ4つ貰った感じがす

る!!」

「そうだね、効果はそれでだいたい合ってるかな。効果継続時間は10日間。顕現

した守護精霊や召喚した眷属にも自動的に同一効果が乗るからね。・・・ま、明日は

20頭でも20億頭でも変わんないよ。瞬殺だから。」

 ヒロが笑う。

「確かに・・・これなら何が来ても無限に瞬殺出来るな。」

 カエラが何度か拳を握り締める。

 騎士達の表情が凍り付いた。

「さ、さすが人類最強の二人組・・・。」

「ヒロ君が味方で良かったよ。本当に。」

 騎士達の言葉を聞いて店主の視線がヒロに釘付けになる。

「ああ、そういえば紹介はまだだったか。親父、この子はブルク村のヒロ。人神ホロ

様の従者殿だ。」

「でえええええええええぃ!!??」

 店主の絶叫が夏の夜に響き渡った。


「さてと・・・親父、ご馳走様。お愛想頼む。全員の支払いを纏めてくれ。」

「え!そんなダメですよ、総司令!」

「悪いです!!明日は出陣、俺達がここは払います!!」

「何を言ってるんだ。そういうのは部下にしてやれ。今日は私の奢りだ。」

「いやいや!俺達の為に戦いに出る勇者様から金なんかとれねえ。お代は結構。

俺の料理で力をつけて敵をぶっ飛ばしてくれたらそれでいいんで。」

「いや、親父、」

「いやいやいや!それは-」

「待って下さい!」

「あざいーす!」

 屋台が再び賑やかになった。




 -翌日 ギゼル草原


≪ありがとうペガサス。一度帰還しておいてもらえるかな。仕事が終わればまた召喚

させてもらうよ。≫

 召喚眷属の神獣ペガサスが短く嘶き、カエラの首元に鼻先を甘えるように擦り付けて消えていった。

≪ヴォ―ド、おいで。≫

 待ってました、と言わんばかりに守護精霊、闇の大精霊ヴォ―ドが飛び出して来て

カエラの頭上を飛び回る。

≪半日ほど私の存在感と気配を完全に消して欲しいんだ。不可視の結界も頼む。敵

が現れたらいきなり戦闘が始まるかも知れないから、その時はすぐに隠れる事。

いいかい?≫

≪分かった!≫

 ヴォ―ドがカエラの肩にピタリと止まると、闇隠れと深透過の効果をカエラに付与し不可視の結界を張った。

≪ありがとう。完璧だ。≫

 ヴォ―ドが嬉しそうにカエラの周りを一周する。

≪ベルフ、今回は君の出番は無いと思うが、念のため準備だけはしておいてくれ。≫

≪御意。≫

 カエラは目を瞑りゆっくりと息を吐く。

 そして索敵を開始した。


-・・・動いた。ハゼの集落から南南東に800・・・黒狼が26頭。間違いない、こい

つ等だ。

≪出るぞ、ヴォ―ド。隠れていてくれ。≫

 精霊がスッと闇に消えて行った。

≪眷属と精霊の皆は私の指示があるまで出て来ないで欲しい。もしかすると今回の

敵は少々難があるかもしれん。≫

 一斉念話でそう呟くと、カエラは派生能力の「縮地」を使い一瞬で黒狼族の集団

のど真ん中に移動した。

 その瞬間、25個の血の華が草原に咲き誇る。

 そして地面には、物言わぬ黒狼達の無残な死骸が転がっていた。

-1匹逃した。・・・どこだ。どこにいる。

 気配を察知しカエラが振り返ると、魔族の血煙が風に流されていくその先に最後

の1頭を見つけた。

「やっと会えたな・・・アマンダ・カエラ。」

 黒狼の眼がギラリと光る。

-なんだこいつは?なぜ私の名を・・・しかも人の言葉を話せるとは。知能は相当高い

とみえる。

 カエラは尋常ではない空気を感じ取り、臨戦態勢でスッと腰を落とした。

「貴様を単体で釣り上げる為に色々と策を講じさせてもらった。人神がついて来る

と何かと厄介なんでな。・・・少数で駐屯部隊を翻弄していれば、いずれお前が単体で

乗り込んで来るだろうと踏んでいた。」

「なぜ私を?」

「忘れもせん。薺の月の九の日、その夕刻に俺の愛弟子は・・・貴様によって無残にも

殺された。これはその報復だ。だが-」

 黒狼がカエラに憎悪の視線を向ける。

「それだけではくなった。俺が長年育て上げて来た有能な眷属達が、俺の仲間が、

俺の友が、たった今、お前の奇襲の範囲攻撃で殺された。・・・貴様は大罪を犯し

過ぎたのだ、アマンダ・カエラ。」

 その声は怒りに震えていた。

 瞬間移動を使った黒狼がカエラの眼前に現れると、カエラの喉元を狙って蛮刀が

唸りを上げる。

 予想だにしなかった攻撃の素早さに驚きつつ、カエラはギリギリのところで刃を

蹴り返す。

 そのまま体を反転させ、尚も襲って来る蛮刀の鋭い刃を裏拳で叩き割った。

 黒狼が瞬間移動で一気に距離を取る。

「私が殺したというのなら、それは人に害を及ぼした害敵だったからだ。そしてお前

も例外ではない。弟子や仲間達と共にあの世で後悔するがいい。」

「ほざけ、下等種族が。身の程を弁えるがいい。」

 空気を切り裂く様な威圧感がカエラの心を締め付ける。

-な、なんだこいつは。・・・明らかに異常個体・・・だな。

「だがしかし・・・俺の攻撃を躱して魔剣を叩き折るとはな。想像以上だ。これなら

弟子達が倒れたのも頷けよう。」

 黒狼は折れた剣を投げ捨てた。

「貴様を敵として認めてやる。・・・今から全力で貴様を殺す。もはや手加減はせん。」

 黒狼が気合の呼気を吐くと同時に劫火の黒炎を全身に纏った。

 尋常ならざる圧がカエラを襲う。

「我が名は魔神デモニア。皆の仇を取らせてもらうぞ。」

「魔神っ!?魔神だとっ!?・・・・・・ハハッ!!」

 カエラの双眸が興奮に満ちて行く。

 目の前に立つデモニアは一瞬で漆黒の神装を身に纏い、先が三又に別れた槍を

手にしていた。

「イビル。」

 魔神が小声で呟いた瞬間、カエラは全身に強烈な痺れを感じた。

「ハァッッッ!!」

 カエラは「覇者の息吹」により精神力と全耐性を活性化させ、異常な痺れを瞬時

に掻き消した。

「子供騙しの呪詛など私には効かんぞ、デモニア。」

「魔神と聞いて臆するどころか戦意が増し・・・かつ我が神呪をも弾くか。本当に面白

い女だ-」

 カエラは魔神が言い終わる前に縮地で背後に飛び、致死的な力を籠めた横蹴りを

放つ。

 しかし、蹴り足が魔神に届く寸前でカエラは飛び退いた。

 防御や回避行動に移らない魔神の挙動に違和感を感じたからだ。

-誘っているのか?

「勘が良いな。」

 デモニアが嗤う。

「もはや防御する必要は無い。」

「え?」

 カエラは己の全身が焼け付く程に熱を帯び、躰の節々が悲鳴を上げている事に気が

付いた。

 視線を落とすと、全身がくまなく内出血を起こしており、急速に腫れ上がってい

く。

-全身打撲の症状に・・・複数個所の骨折・・・いったい何が・・・起き・・・て

 カエラは激痛の余りその場に蹲ってしまう。

 同時に顔面も腫れ上がり、急速に視界が狭まっていった。

「グゥッ・・・」

「本気を出すと言っただろ。」

 頭がやけに重く、熱く感じ、眩暈と吐き気に襲われる。

 大量の鮮血がダラダラと頬を伝い、地面に痕を残していった。

「グハッ!!」

 カエラは堪らず大量に吐血する。

「・・・どれだけ頑丈なんだ貴様は。」

 デモニアは息を整えつつ神槍を構えた。

「ありえん硬さと回復力だ。・・・しかし-」

 右肩にいきなり焼けるような痛みを覚え、カエラの顔が苦痛で歪んだ。

「グハッ・・・!!」

 左手で押さえると、右腕が肘の先から千切れている事に気付いた。

-どういうこと・・・だ

「何が起きているのか分からんといった顔だな。冥途の土産に教えといてやろう。時の権能、それがこの俺の力だ。貴様の時間を止めて攻撃をしているに過ぎぬ。種を

明かせば簡単な話だろ?」

 デモニアは残酷な笑みを浮かべた。

「俺からは決して逃げられんぞ。諦めるんだな。・・・我が愛弟子は、右腕と右脚を

失っていた。次は貴様の右脚をもらう。その次は貴様の命-」 

 刹那ー

 凄まじい轟音と共にデモニアが後方に吹き飛んでいた。

-なんだ・・・と!?

「・・・てめえ。俺の弟子に何してくれてんだ?あぁっ?」

 人神たる少年が完全に感情が消え失せた視線をデモニアに向けていた。

「な、・・・なぜ人神が-」

「てめえの加護には付いてないが、俺の加護には宗主神の効果が付いてんだよ。

ちっとは他神の勉強しとけやクソ犬。」

 ヒロが地面に蹲るカエラを一瞥する。

 デモニアはその隙に瞬間移動でヒロから距離を取った。

「好都合だ!たった今、五柱神不干渉の理は破られた!・・・今の一撃、万倍にして

返してやる!」

「上等だよ、この野郎。」

 いきなり現れたヒロの拳を顔面に受けて、デモニアが豪快に地面に叩きつけられ

た。

 立ち上がる暇もなく立て続けに胸に踵を落とされ、魔神の神臓が悲鳴を上げる。

「ヴフゥッッ・・・な、なにっ・・・」

 デモニアは神槍を犠牲にして人神の踵を受け止め、瞬間移動でなんとか距離を

取った。

 少年がゆっくりと振り返る。

「てめえ、うちの弟子を嬲り殺しにしようとしたな?」

 再び一瞬で眼前に現れたヒロの膝蹴りがデモニアの下腹を豪快に抉った。

「カッハ・・・!!」

 鬣を掴まれ、何度目かの膝蹴りを顔面に食らった後、デモニアは瞬間移動を使っ

て、人神との距離を取る事に成功した。

-う、動きが・・・攻撃が早過ぎ・・・る

 人神が振り返り、感情が完全に消えた眼で自分を見つめていた。

-それに・・・

「ハアッ・・・ハアッ・・・な・・・ぜ・・・貴様の・・・時が止まら・・・」

 忽然と現れたヒロの肘打ちがデモニアの脳天を強打する。

「テメエは嬲り殺しだ。」

 そのままヒロは馬乗りになり、魔神の顔面に拳を落とし続ける。

 打撃の衝撃に合わせて魔神の体が跳ね上がり、血肉が飛び散る。ついには手足、

そして全身が痙攣しだした。

「ヒロ、そいつ死ぬぞ。もう抽出した方がいい。」

 背後に立っていたカエラが尚も振り上げられたヒロの拳を掴んで止めた。

「え、・・・あ、ああ。キレ過ぎて考えてなかった。あっぶね。」

 ヒロが立ち上がり、顔にかかった返り血を拭う。

「クソ犬が。」

 ヒロがデモニアの顔面を掴んで持ち上げる。

 メキメキッと音がした次の瞬間、地上から魔神の存在が完全に消失した。


「しかし・・・人神の加護と神楽の効果が被ると凄いな。致命的な攻撃も、ただの打撲

傷になるし、ヤバいのを食らっても十秒以内に完治、欠損部位まで高速再生治癒する

のだからな・・・。」

 カエラが己の右腕をまじまじと見つめながら摩った。

「すまなかった少年。・・・今回ばかりは本当に助かった。」

 カエラが頭を下げる。

「頭上げてよ、カエラさん。俺ももっと警戒しとくべきだった。何があっても神楽が

あれば余裕だろうって、勝手に油断してたのは俺も同じだから。カエラさんから念話

が来て、さすがに血の気が引いたよ。」

 ヒロが溜め息をついた。

「それはそうと、ヒロはあいつに時間を止められなかったのか?」

「何度も止めようとしてたみたいだねえ。けど、俺は普段から対策してっからさ。」

「対策?」

「一度発生させた祝福の効果って、本人が死のうが時が止まろうが、効果時間が終わ

るまで続くんだよ。だから俺、戦闘前には必ず自分の体に抽出をかけてるんだ。」

「え?」

「抽出の対象を指定するんだよ。例えば・・・「今後新たに自分に付与された全ての

効果を抽出」とかにするじゃん?そうすると抽出作業は待機状態になって、効果時間

中はずっと継続される。これで俺が戦闘中に対応しなかった、対応できなかった呪詛

系や浸食系、操作系、奪取系とか・・・異常状態攻撃を完封出来るって訳。」

「ほお!なるほど!!」

「まあ、でも今回は事前の抽出掛けをするまでもなかったけどね。俺の時が止まった

としても、あの程度の攻撃力じゃ、俺の防御力とか耐久力を絶対貫通出来ないし。

ってか、権能とはいえあの程度の時間停止攻撃なら、俺の精神力と抵抗力で十分弾け

ると思う。あれで魔神とかマジ笑えるんだが。」

「・・・な、なるほど。」

「カエラさん、腕は大丈夫?違和感とか無い?」

「ああ、全く問題無い。・・・ただ-」

 カエラが腰に手をあて、天を仰いだ。

「・・・・・・悔しいなぁ。」


 壮大な夕焼けが夏の空を焦がしていた。


 湯浴みを終わらせたヒロが、マーカ酒を注いだいつもの木製カップと本を手にして

食堂の長椅子に座った。

「ふぅ・・・疲れたな・・・。」

 独り言を呟くと、そのまま長椅子に横になった。

-魔神を抽出した直後から感じてるこの気怠さと胸のムカつき・・・・・・ヤバいの抽出

してぶっ倒れる時の、あの感覚と似てんだけど・・・

 ヒロは天井を見つめ、突き出した右手で空を掴む。

 そしてゆっくりと息を吐いた。

 そのまま自分に完治と完癒の祝福をかけてみる。

「お?ラクになった!・・・・・・へー、治せるもんなんだなぁ!だったらこれからは

ぶっ倒れる前に回復だ。・・・あー、なんか抽出状況見たくねーんだけど・・・。 これ、

絶対なんか変わってんだろ。」

 体を起こして長椅子の上で胡坐をかくと、しばらくボーッとする。

-なんだかんだで、気が付いたら五柱神のうち三神を吸っちゃってんだよなぁ、俺。

・・・神の数が減っていってるけど世界は大丈夫なんだろうか。知らんけど。

 ヒロはカップを手に取ってマーカ酒を呷り、勢いで抽出情報を確認した。







 与奪の権能・抽出管理始動


 与奪の権能・抽出により 

 魔神の頭部1 魔神の胴体1 魔神の肢4

 破壊された神装ラグルスの胸当て1 神槍トライデント 

 破れた冥王ハデスのマント1 破壊された冥王ハデスの首輪1 破壊された冥王

 ハデスの腕輪2 四聖獣の指輪1  

 創世鳥の革袋1 ケパの実6 トゥセンの干し肉5 イザの宝玉1 

 

 を獲得


 神位   :第三神を獲得 既得神位:第六神に統合

 神力   :絶大値を獲得 既得神力に統合

 祝福   :時の権能、空間の権能、及び派生能力231を獲得 既得各権能に

       分散統合

 効果   :祝福強化系1種、心身強化系6種、特殊補助系1種を獲得

 称号   :魔神、時空神、殺戮神、復讐神、覇壊の咆哮、空間操主、他211

       を獲得 既得称号:人神に統合

 加護   :魔神の加護 ベルゼブブの加護、四聖獣の加護 他66を獲得 

       既得加護:人神の加護に統合



 召還眷属 :炎の聖霊王イーフリート 風の聖霊王シルフ                   

 誓約奴隷 :精霊族10445 

 を獲得



 称号    「神々を屠りし者」「守護神」「憤怒の神」「神滅王」「神闘士」

       「神喰い」を獲得 与奪の権能により既得称号:人神に統合

 派生能力  「森羅万象」「虚々実々」獲得 与奪の権能により既得権能:

       全知全能に統合 



 神位「第六神」から「与奪神」へ神聖昇華

 与奪神への神位昇華に伴い、称号「人神」から称号「与奪神」へ神聖昇華

 与奪神への神位昇華に伴い、加護「人神」から加護「与奪神」に神聖昇華

 与奪神への神位昇華に伴い、「神力」から「神威」に神聖究極昇華



 いつもの流れ作業のように奴隷を解放してからグラスを口に運ぶと、芳醇な小麦の

香りが口内に広がる。

「あれ?神力が絶大値獲得?・・・あんだけタコ殴りにしたのにあいつの神力、全然

削れてねーじゃん。むー・・・。あ、違うわ!殺されると思って咄嗟に時の権能で自分

の神力量の変化を遅延させたのか!・・・でもそれって、ただの死亡確定遅延じゃん。

それどころか神力量の変化を遅延させちゃったら、祝福とか派生能力の発動もそれ

だけ遅延するだろ・・・消費して発動するんだからさ。しかもタコ殴りで気絶して遅延

の効果時間が切れたら即死確定とか・・・。あいつ、ただの雑魚じゃなかった。頭の

悪い雑魚だった。ひくわ。」

 人神が溜め息をついた。

「で、・・・・・・カエラさんが開幕で取り巻き連中をザックリ倒しちゃったから、獲れ

たのは眷属が2匹だけか。ま、よしとしよう。・・・あとは・・・お、新しい派生能力が

取れてんじゃん。森羅万象・・・全知全能の権能の拡張効果みたいなもんか。虚々実々

は戦闘系。・・・ふむふむ。いいね。」

 ヒロの視線が下に降りて行き、最後の4行が目に留まった。

「あー、あった。これか・・・異常な気怠さの原因は。人神卒業して与奪神に神位が

変わっとる・・・。なんだよ神聖昇華って。究極昇華した後にまだ昇華すんのかよ・・・。

ってか、熟練度と祝福以外も昇華ってするのか!」

 ヒロが脱力するも、全知全能の権能によって答えらしき情報が脳内を走る。

「神聖昇華・・・神々にのみ訪れる特殊昇華段階。・・・「種族を治める神」から「神々

を治める神」へ変化した証・・・これ即ち「覇神」となりて承認・・・」

 ヒロはもう一度抽出状況を確認してみた。

「ん?覇神なんて称号は取れてなかったけど・・・。」

 自分を鑑定して見る。






 名前      ヒロ

 神位      与奪神

 神威      無限


 権能      与奪 不老不死 全知全能

 称号      与奪神

 加護      与奪神



 召喚眷属    炎の聖霊王イーフリート 風の聖霊王シルフ

 誓約奴隷    精霊族10445


 状態      優良 安穏




「やっぱ、どこにも「覇神」なんて記載はないぞ・・・。「承認」って言葉がなんか

不気味だな。誰の承認だ?マルドゥクスか?あいつになんか目印でもつけられた

とか?・・・そういやマルドゥクスの野郎、カイト達が帰省して来た時にこっそり俺

を見てやがったし・・・。あの時に俺になんかしやがったのか!?」

 ヒロが腕組みをして考え込んだ。

「覇神・・・更なる位格、って事しか分かんねえ。うーむ。まあいいや。忘れよう。

えっとそれで・・・神位も称号も加護もそれぞれ神聖昇華したと。どの効果を見ても

・・・人神の時より何千倍も強化されてんじゃん!いや、さすがにこれはあかんて。

・・・はっ!神力も神聖究極昇華して「神威」ってのに変わっとるがな!!神力が

やけに濃くなった気がしてたのはこれのせいか!・・・濃くなっただけに祝福の効果

と使用効率も比例して爆上がりしてる!!しかも「無限」って・・・前は「絶大値」

の表記だったよな。ほんと俺、どこまで強くなるんだか。」

 しばらくボーッと鑑定結果を眺め、思い出したようにカップを口に運んだ。

-とりあえず奴隷を解放しとくか・・・


≪少年んんんんっっっ!!!!!≫

 カエラの絶叫の念話が脳内に響き渡り、思わず酒を吹き出した。

≪ど、どしたんすか、カエラさん。ゲホッ・・・ケホッ・・・≫

≪いや、色々あり過ぎて確認しきれてなかったんだがっ、私の熟練度が凄い事になっ

てる可能性があるんだっっ!!!≫

≪え?どういうこと?≫

≪派生能力が・・・もう把握しきれないくらいに激増していて、その中に「完全調律」というのが-≫

≪あーそれ、心身調律の上位版の派生能力っすね。俺も人神になった時に取れた

やつだ。≫

≪そうか!!今、それを試していて、調律を切って力を全て解放したら、なんかもう

凄いことになったんだが!!≫

≪魔神を一緒に倒したんだから、魔神の熟練度・・・神位の一部をカエラさんが獲得し

て当然っしょ。≫

≪倒したといっても、私は攻撃を弾いた程度で奴の魔力はほぼ、いや全くと言って

いい程に削っていないぞ??討伐したとて、そんなに熟練度は増えないはずだが!?

こんなに変わるものだろうか??≫

≪相手の魔剣を叩き割るのは「弾く」じゃなくて、もう立派な「反撃」だよ。魔神

も手が痺れてしばらく使い物にならなかったんじゃない?カエラさんが魔剣を叩き

折った瞬間、魔神の動きはどうだった?≫

≪警戒するようにしっかり後方に距離を取って逃げていたな。≫

≪あー、だったら反撃がかなり効いてんねー。痺れるどころか、指か手首の骨か筋が

逝って治癒の時間を稼いでたんじゃね?≫

≪そ、そうだろうか・・・≫

≪絶対そうだよー。カエラさんに稽古をつけてる俺が言うんだから間違いないって。

それに、そもそもだけど・・・神が持つ熟練度自体が膨大だから、ちょっと吸っただけ

でもドカーンって上がるはずだよ。しかもカエラさん、成長効率系は爆上げしてる

じゃん?今、カエラさんの熟練度見てみよっか?≫

≪頼めるか!!急で本当にすまない!!!≫

≪神眼ですぐ見えるから気にせんでもろて。・・・おぅ!?お、思ったよりも凄かっ

た!えーっと・・・・・・48桁になってる!6299極6532載2191正0452澗

3708溝4756穣9750劾8379京6420兆9829億8750万65

49だ!≫

≪え?・・・・・・ろっ、ろくせ・・・6200極ううううううっ!!???≫

≪ん、ほぼ6300極だね!≫

 ・・・

≪カエラさん?≫

 ・・・

「念話が途切れたんだが。・・・・・・あ、転がりながら喜んでる。・・・まあ、いっか。」

 ヒロが苦笑した。

≪少年んんんんんっっ!!!≫

≪ハヒッ!≫

≪君は以前、私に「神たる者は何十、何百桁と熟練度を積んでいる」と言った

な!?≫

≪あ、うん。はい。言いました。≫

≪決めたぞ!私は神を目指す!まだ、たかだか48桁のひよっこだが、私は決め

た!!絶対にあの魔神を超えてやる!!敗けたままで終わるものかっ!!やってやる

っ!!これからも毎週の稽古を頼むぞ少年!!では、また週末なっっ!!≫

「・・・・・・ふー。なんだこの嵐が過ぎ去った感。・・・でもー」

-神を目指す、か。

 暫しの間、窓の外の暗闇を見つめる。

 ヒロは小さく息をついて本を手に取り、しをりを挟んだ頁を開いて続きを読みだ

した。





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