第13章 護衛
秋。
聖クリシュナ王国騎士団ディオン駐屯基地 応接室-
サイモンの隣にはカイトが座り、二人の前には茶髪を綺麗に撫で付けた、高そうな
準礼装を着こなした30代半ばの男が座っていた。
扉をノックする音が聞こえる。
「来たか。」
3人が扉を見つめると、騎士に案内されたタツミが入って来た。
緊張した面持ちのタツミを見て思わずカイトが小さく手を振る。
「初めまして、ブルクの村で保護院を営むタツミと申します。カイトがいつもお世話
になっております。」
戸口に立ったままタツミが頭を下げた。
サイモンとスーツの男も素早く立ち上がった。
「急な呼び出しに応じて頂き感謝する、タツミ殿。私はこの駐屯部隊を任されて
いるロス・サイモンだ。こちらの方はリーヴァ公爵。ご存じの通り、このディオン領
の領主をされている。」
領主という言葉を改めて耳にし、タツミから漂う緊張感が一段階上がった感じが
した。
「お、お初目にかかります。タツミです。作法には疎いもので、失礼があるかもです
が、どうかご容赦下さい。」
「奇遇ですね。私も堅苦しい作法は嫌いな質でして。どうもシン・リーヴァと申しま
す。お会いできて光栄です、タツミ殿。」
「立ち話しもなんですし、こちらのソファーにお座り下さい。」
「は、はい!」
サイモンの薦めでタツミがぎこちなく歩き出し、男達と握手を交わしてから席に
座った。
カイトが嬉しそうにタツミを見つめると、少し困り顔で苦笑を返した。
「タツミ殿には一度お会いしたいと思っておりました。・・・ブルクの子供達を守り、この国の明日を担う勇者と英雄、そして神に選ばれし従者として立派に育て上げた
貴殿に、心から敬意を表したく思います。タツミ殿、貴殿は我が領地の誇りです。」
リーヴァの真摯な眼差しは、それがお世辞や社交辞令ではない事を物語っていた。
「き、恐縮です。彼等を育てたというよりは、彼等に育てられた気がしますが・・・。ハハ。」
「親なら皆そう感じるものですよ。我々は年齢も近い。どうでしょう、近いうちに
この3人で飲みに行きませんか?」
リーヴァが屈託の無い笑みを見せる。
「じゃあ敬称も敬語も不要だな。シン、早速この会合が終わったら行くか。タツミも
それでいいな?」
サイモンがニヤリと笑った。
「俺がロスの誘いを断った事があるかい?タツミはイケる口かい?」
リーヴァが首元のタイを緩めた。
余りにも気さくな領主と勇者たる総司令官の振る舞いに、タツミは驚きを隠せな
いでいたが、深呼吸をして気持ちを切り替えた。
「お酒は強くはないので・・・どうぞお手柔らかに。」
タツミが微笑んだ。
「では、先に込み入った話を終わらせるとしよう。シン、タツミに急ぎで来てもらっ
た理由について話してやってくれ。」
「そうだな。」
リーヴァが鞄から数枚の書類を取り出した。
「・・・実はタツミとカイト君に、是非とも請けて欲しい仕事があるんだよ。勿論、
こちらで十分な報酬も準備している。」
タツミとカイトが思わず領主を見つめた。
「聖クリシュナ王国では3年に一度、王国内26の領地の領主達が一堂に会する
領主会議が王都で開かれるんだ。ちょうど今年が領主会議の開催年でね、来月の
7の日から3日間の日程で・・・王都の東迎賓館で開かれる事になっているんだよ。」
リーヴァが書類から視線を上げて肩を竦める。
「今年の領主会議は、人神様のお膝元であるディオン領が大変注目されている
んだ。・・・正直に言おう。今回の会議はこのディオン領と、我がリーヴァ家の家名
を売り込む、またとない機会だ。とはいえ、長年領主を続けていると色々と
あってね。とりわけ、急に注目されだした田舎貴族を快く思わない諸先輩方や、私を自分の派閥に取り込もうとして、危険な策を弄しておられる方々に関する噂も耳に
しているのだよ。お恥ずかしい話だが、目下の課題は・・・領主会議出向期間における
身の安全の確保、なんだ。」
領主が苦笑した。
「我がリーヴァ家は古参の貴族ではあるのだが、昔の恩賞に頼って細々と暮らして
来た田舎貴族に過ぎない。名門貴族や有力貴族のように私兵団を雇う様な財力は無い
んだ。常駐警備と門衛が1名づつ、あとは娘に警護を兼ねた侍女を1名雇っている
だけでね。ま、今まではこの体制でも十分すぎる程だったが、今回ばかりはそうも
いきそうにない。今雇っている3人には私が王都出向中、家族と家を守らせると
して、私に同行してくれる腕の立つ護衛が急ぎ欲しくてね。ロスに相談したところ、
カイト君を護衛として派遣してくれる事になった。加えてタツミ、君を推薦してくれ
たんだよ。」
-ああ・・・そういう事か。
タツミは一般の村民である自分が、急に駐屯部隊本舎に招集された理由を理解
できた。
「という事は、私の過去について・・・もうご存知なんですね?」
「そうだね。タツミ、もう敬語が戻って来てるよ。」
「あ、・・・しまった。ハハ・・・。」
サイモンとリーヴァもクスリと笑った。
「率直に言おう。君の事はかなり調べさせてもらった。なんせ我が領地の有名人
だしね!・・・単独行動の冒険者として「銀狼」の異名を持つ男。難易度の高い護衛
や救出の依頼を尽く完遂させた、非常に有能な二等級冒険者。国内六つの領地から
叙勲を授かったのに、授与式は尽く欠席した事でも有名だ。」
「でもそれは昔の話だよ。現役を離れてもう10年以上経つし・・・ね。」
「だが、ブルク村の守衛になる為に心身の鍛錬を再開しているんだろ?身体能力は
かなりのものだとカイト君から聞いてるよ。」
リーヴァに続いてサイモンがじっくりとタツミを見つめる。
「身のこなしにキレと余裕がある。体もかなり絞れているようだな。現役時代と
大差無いくらいところまで来てるんじゃないか?」
「そ、それは・・・そうだけど・・・いや、そうでもないかな?」
-この言葉を濁す雰囲気は坊主そのまんまだな。
サイモンが思わず苦笑した。
「戦闘は全てカイトに任せて大丈夫だ。俺が言うのも何だが、勇者の肩書は伊達
じゃねえ。どこぞの軍隊が襲って来ても、第7類強種が束になってかかって来ても、
こいつなら余裕で瞬殺する。ただ、カイトだけじゃなく・・・俺達ディオン駐屯部隊
全体に言える事なんだが・・・討伐に特化し過ぎてて、要人警護や護衛の経験が余りに
も乏しいんだ。皆、騎士団で教えられてる基本的な事しか分かってねえのが実情だ。
そこでタツミ、あんたから直接カイトに要人警護や護衛の基礎を叩き込んでくれな
いか?俺達じゃあ教えきれねえ、生きた職人の技ってやつをな。カイト、お前は
会得促進の祝福を駆使して全部学び取って来い。そして駐屯部隊に還元するのが
お前の今回の任務だ。」
「はっ!」
「タツミ。私からも頼む。どうか私の護衛依頼を請けてもらえないだろうか。君が
必要なんだ。この通りだ。」
領主と総司令が頭を下げ。続けてカイトも頭を下げ、タツミが固まった。
「あ、頭を上げて下さ、くれよ。・・・いや、その、私が力になれるなら依頼を請ける
し、護衛の基礎を教えるのだって全然良いんだよ。良いんだけど・・・私の考え方や
技術は騎士団が求めるそれとは相いれない可能性があって、そこが気になるという
か・・・」
「と言うと?」
「騎士団の護衛術は戦闘が起きると迷わず戦う、最悪の場合は依頼主を逃がす為に
盾となって、そして隙を見て撤退する・・・とかだよね?」
「うむ。」
「私は真逆なんだ。危険を感じ取ったら迷わず依頼主と一緒にまず逃げる。どうして
も逃げきれないなら・・・最悪、力を合わせて戦う。名誉や武勲よりも命と安全を最優
先にしているからね。」
「ほお・・・。具体的にはどのように「危険を感じ取る」んだ?」
「私の祝福、「予測」や派生能力の「予知」も頼りになるんだけど、一番大切なのは
想像力、そして冷静な観察と状況判断、だね。」
「んー・・・例えば今回の様に馬車での移動だとしたら?」
サイモンが顎先を摩る。
「そうだな、・・・例えば移動中に森に差し掛かったとしよう。森では木や藪など身を
隠せる遮蔽物や地形が多い為、護衛は必然的に全方位を警戒する。故に襲撃されて
も迎撃は容易だ。しかし森を抜けるとどうだろう?視界が明るく開け、危険地帯を
抜けたという安堵感から護衛は警戒を緩めるやすい。本当の意味で危険なのは森の
中ではなく、森の出口となる境界付近なんだよ。・・・実際、大陸史に残る様な襲撃
事件の舞台は、森や森林地帯の境界が多い。」
「ふむ・・・。」
「・・・なるほど。それで?」
「次に、襲撃を察知したらどうするか。答えは全力で風上に向けて逃げる、なんだ。
これは私の中では鉄則なんだよ。」
「風上?」
「タツミ、なんで?」
「いいかい、カイト。風を受けつつ敵に追われれば、逃走の成功率は格段に上がる
んだよ。逃走しながら、ドミの木の白灰と安い聖水晶を砕いた粉を一緒に包んだ葉
に、火を点けて地面に投げつける。それだけで魔族や獣族、害獣の大半は追跡の手
を緩めてしまう。襲撃者が人間の時は、バヌサの花が咲いている沼の底から掬った
土泥を乾燥させて、紙や葉っぱとかに包んでおいて、それに火を点けて地面に投げ
つけるんだ。その粉塵や粉煙を敵が吸い込むと、脳が溶けたような感覚になって
数十分は動けなくなるんだよ。人間族だけだけどね。」
「へー!!」
-銀狼の字名は伊達じゃねーな・・・。そんなの初耳だ。
サイモンが下顎を撫でてた。
「・・・ほう。・・・挟撃されたり包囲された場合はどうする?風上に逃げ出せない状況
だ。」
「方針に変更は無いよ。一点突破で風上に向けて逃げ出す、だね。ただし、包囲突破
時には鏑矢を使う。」
「鏑矢を?」
「鏑矢とは何かな?」
リーヴァが目を輝かせながら尋ねた。
「鉄の矢じりの代わりに、複数の穴の開いた木筒を先端に付けた矢の事だ。弓で
放つと穴開き木簡が風を切って音が鳴る仕組みで、殺傷力は無い。合図や陽動に
使うのが一般的なんだが・・・」
サイモンが答えてタツミを見つめる。
「ほおっ!それで?」
「どうすんの!?」
カイトとリーヴァが目を輝かせてタツミに尋ねた。
「うん・・・えっと、私が使う鏑矢は普通のとはちょっと違ってね-」
「詳しく聞かせてくれ。」
「そうだね。・・・ロンディア大陸のカブサス地方にはゴドと呼ばれる果実が実ってい
るんだよ。腐りやすいから、ほぼ現地で消化されている珍しい果物なんだけどね。
たまに動物が食べた後の種だけが海を越えて、アデン大陸の最南の島、ビクトル島
の海岸に流れ着く事がある。それを乾かして種の表皮に填まっている胚珠を全て取り
出し、その穴にナイフで切れ目を入れたりして少し特殊な細工をするんだ。それを
矢の先端に縛り付けて弓で弾くと、もの凄い嫌な轟音が鳴り響く鏑矢になるんだ
よ。竜の断末魔、アポカリプティック音にそっくりな轟音にね。つまり、ゴドの
鏑矢を使えばどんな種族でも絶対に驚く。他種族や害獣は一斉に逃げ出していくし、
アポカリプティック音を知らない人間族でも、未知の不快な轟音に棒立ちになる。
その隙を突けば突破は容易だ。ただし-」
タツミがクスリと笑う。
「少しでも音が届く周囲に竜種がいたら、本当に集まって来てしまう。」
「使う前に広域探知必須・・・か。」
「いや、竜が集まって来ても全然問題無いよ。断末魔を上げたであろう竜族の死骸を
探してすぐどこかに飛んで行っちゃうから。むしろ竜に来てもらった方が都合が良い
くらいさ。敵が全力で逃げ出して二度と戻って来ないからね。」
「ほお、面白い!」
「タツミ、そのゴドの鏑矢はまだ持ってたりするの!?」
「鏑矢は加工部分がすぐに壊れるから使い捨てなんだよ。未加工のゴドの種なら
納屋に10個ほど置いてあったと思うけど・・・」
「タツミ。」
サイモンがタツミを見つめた。
「その加工方法はどこで知ったんだ?」
「さっき言ったビクトル島は私の生まれ故郷でね、・・・子供の頃に浜辺で遊んでい
て、漂着した種を海に向かって投げていた時、偶然音が鳴ったのが始まりかな。それ
から遊び半分で色々と自分なりに手を加えていって、冒険者になって最終的に鏑矢に
行き着いた、という感じだね。」
「ふむ・・・。もう一点。対人に有効なバヌサの花の土泥の効果は、どこで知ったん
だ?」
「私の曽祖父の時代までは、ビクトル島の神事で長老達がその粉末を吸って、島民に
神のお告げを伝えていたらしいんだ。神からの御神託とか面白いと思って、正体を探
ろうと島の古い記録を色々と調べていたら、祖父の手記に土泥の粉末の精製方法が
書いてあるのを見つけたんだよ。試しに作って吸ってみたら凄かった。・・・吸った量
が少し多すぎて、ちょっとばかり大変だったけどね。」
タツミが苦笑する。
「そのバヌサって花は、どこにでも咲いてるのか?」
「いや、島を出てからは・・・確かリドア半島の魔境近辺の沼地で見かけたくらいか
な。多分、珍しい部類の花なんじゃないかな?」
サイモンが思わず天を仰ぐ。そしてタツミを見つめた。
「タツミ、そのバヌサ榴弾と、加工済みのゴドの種を1つだけでいいから分けても
らえないか?騎士団本部の開発局に新しい兵器として応用が出来ないか研究させて欲
しいんだ。無論、それ相当の報酬と情報の利用料を払わせてもらう。あと、タツミ
・・・騎士団に来ないか?」
「そうだよ、タツミ!うちに来てよ!!」
「待った!タツミ、私の専属の護衛になる気は無いかい!?」
男達からの真剣な眼差し受けてタツミの笑みが固まった。
領主護衛 2日目-
「カイト、索敵を頼めるかい?」
貴族馬車の御者席で手綱を握るタツミが隣に座るカイトに話しかけた。
客車に座るリーヴァ公爵を護衛しつつ王都に向かう中、草原地帯にさしかかった
ところで、二人の視線は街道の遥か先、こちらに向かって来る馬車の一団の姿を捉え
ていた。
「・・・了解。索敵、敵影無し。予測予知、問題無し。危険察知、反応無し。ただの
商団だね。人間族22、馬10、馬車6。」
「ありがとう。」
「タツミは何か感じたの?」
「先頭の荷馬車の幌の形状から旅商人達の一団だというのは分かるんだけど、商団や
商隊の移動なら、余程の事が無い限り必ず護衛を雇うよね。だけど見てごらん。」
「・・・あ、隊列の先頭が荷馬車だ!先導役の護衛がいない!」
「うん。彼等が次に立ち寄るであろうマキアの村まで最短でも一日はかかるし、
ちょっと不用心だなと思ってね。」
「なるほど・・・」
「まず観察。異常があれば警戒。同時に予測し対策を立てる。判断は問題が起きて
からではなく起きる前に済ませておく。護衛というのはその作業の繰り返しの上に
成り立つんだよ。」
カイトには微笑むタツミの横顔がいつにも増して頼もしく見えた。
「でもなんで護衛がいないんだろ・・・。」
「んー、単に護衛が見つからず移動を強行したか、若しく《もしく》は道中に何かが起きて、
護衛を含め乗り合わせて移動せざるをえなくなったか、だろうね。」
カイトが「遠視」を使い目を細める。
「タツミ・・・たぶん後者が正解だ。先頭馬車の幌が破れてるし、冒険者っぽい防具を
着込んだイカついおっさんが御者してる。たぶん護衛だと思う。」
「ふむ。」
馬車同士が接近する。
擦れ違う瞬間、先頭の馬車で手綱を取っていた大男が、右手でキツネを作って見せ
た。
タツミは無言で頷いて会釈を返す。
「今のは・・・」
「この先で何が起きたかを知らせてくれたんだよ。冒険者がよく使う合図で、情報
共有するのに使うんだ。さっきみたいにキツネを作ると害獣と遭遇したって意味に
なるんだ。で・・・こう、掌をひらひらさせた時は「翼」を現わしていて魔族と遭遇し
たって意味になる。人差し指と親指を曲げて半弧を作った場合は「角」だね。獣族
とやり合ったって意味になる。あとは・・・親指だけ立てた時は人間の「男」、 小指は
人間の「女」を意味する。つまり暴漢や盗賊とかに襲われたって事だね。」
「ほおー・・・」
「今の合図はキツネ、つまり害獣と遭遇したって教えてくれたんだ。荷馬車について
いた傷跡からして十中八九、この先のイルマ渓谷の沢によく出現する大爪熊に襲われ
たんだと思う。かなり狂暴で巨体の割には動きも速いし、皮膚は硬くて剣や矢が
中々通らない。毛は防火性が高くて法術も弾き返すんだよ。しかも群れで襲って来る
からかなり厄介でね。・・・群れは10頭前後で構成、大きい群れだと20頭を超えて
くる。特に今は繁殖期だろ?雌が尋常じゃ無いほど狂暴化しているから・・・討伐依頼
とかになると、街の冒険者が総出でかからないと厳しいね。駐屯部隊でも複数の
小隊が連携して動く事案だから。・・・だけど、この時期の大爪熊の肉は・・・すぅっごく
美味い。」
「おほ!今晩の飯は決まった!」
カイトが満面の笑みを浮かべた。
移動3日目-
「ん?」
広葉樹の林道を通過中、タツミが進行方向の空を見つめた。
「どうしたの?」
「左手の上空に鳥が飛び立っていくのが見えるかい?」
「あ、うん。」
「あの鳥はコバリっていってね、長く飛んだり高く飛ぶのは得意じゃないから、普通
は枝から枝を隠れる様にちょこちょこっと飛んで移動していくんだ。例外は、危険か
脅威がいきなり身に迫った時だけだね。」
咄嗟にカイトが索敵と察知を広げる。
「タツミ、400リル先、街道沿い左側の藪の中に2体・・・精霊族・・・エルフが隠れ
てる。俺達に気付いて警戒してるっぽいけど、索敵にはかからないから、今んとこ
俺達への敵意や悪意は無い。」
「ふむ、待ち伏せではなさそうだね・・・。僕達の馬車の存在をいち早く察知して、
慌てて街道脇に身を潜めた。それに驚いてコバリが飛んだ・・・ってとこかな。」
「どうする?」
「敵意が無いなら無視でいいよ。彼等は常に他種族からの「エルフ狩り」を警戒して
るからね、余り刺激したくはないかな。念の為、索敵は継続、臨戦態勢で通過しよ
う。」
「了解!」
タツミは客車の壁をノックし、窓越しにリーヴァに態勢を低くするように手で合図
を出した。
カイトは索敵と同時に遠視を使い、隠れているエルフ達を監視する。
-ん?なんか様子が変・・・だな
暫くエルフ達を監視していたカイトは小さく息をつき、守護精霊に念話で呼びかけ
た。
≪なあスヴァリア、ちょっといい?≫
≪どうしたの?我が主。≫
≪もう少し先なんだけど、道の左側、ナラカの茂みの中にエルフが2体隠れてんだ
けどさー・・・≫
黄金精霊スヴァリアがカイトの肩に乗り、念話を聞きながら何度も頷いた。
10数分前-
「あなた・・・」
「傷、痛むかい?」
「ええ、少し・・・。こんな時に・・・ごめんなさい。」
その場に蹲り、肩を押さえて浅い息を繰り返す妻の背中を摩り、心配そうに見つめ
る夫。
里の交易品となる霊薬の売買契約を王都の幾つかの大手商店と結び終え、自分達
の里がある聖者の森へ帰る道中、エルフの夫婦・・・アッサムとアイシャは、夜間に
徘徊していた獣族に見つかり、夜襲を受けたところだった。即座に応戦し夫婦揃って
無事逃げ延びるも、アイシャが負った肩の矢傷が急激に悪化し、今では異常な程に
腫れ上がって酷く化膿していたのである。
「アイシャ、じっとしなさい。」
アッサムが矢傷の上から何度目かの治癒の精霊法術をかけるものの、回復の兆しは
一向に見えてこない。
-やっぱりだめだ。・・・治癒が効かないどころか悪化している。・・・それに化膿するに
しても早すぎる。矢じりに毒でも塗っていたのか?だとすれば一刻も早く里に戻り、
ナム婆に診せなければ・・・。
その時、背後から近づいて来る馬車の気配に気付いた。
「ば、馬車が来る。人間だ。」
-助けを乞うか、それとも身を隠すか・・・
アッサムは苦しむ妻を見つめながら逡巡する。
「あ・・・あなた、・・・隠れましょう。」
「いや、でも-」
「・・・あの馬車に・・・余りにも強い気配を感じます。・・・怖いわ。」
「分かった。とりあえず向こうの藪に隠れよう。」
アッサムはアイシャをしっかりと抱き上げ、近くの藪の中に素早く身を隠した。
そして用心深く外の気配を伺う。
「・・・・・・きた。やはり人間族の馬車だ。アイシャ、喋ったらダメだよ。気付かれて
しまうからね。・・・苦しいだろうけど少しだけ我慢しておくれ。」
「ええ・・・。」
抱き寄せた妻の体はかなり熱を帯びており、小刻みに震えている。
-くそ・・・
アッサムは唇を噛み、妻の手をしっかりと握ったまま小声で呟くと、幻視の結界を
2人の周囲に張った。
数分後-
夫婦が身を隠している藪の前の街道を、瀟洒な馬車がゴトゴトと音を立てながら
通り過ぎていく。
微動だにせず息を潜めるエルフの夫婦。
その時、突然頭上から降って来た黄金の環が二人を優しく包み込んだ。
「きゃっ!」
「シッ!」
アッサムが慌ててアイシャの口を塞ぐ。
再び息を潜めるものの、外に聞こえるのではないかと思うくらいに魂核がドキ
ドキと激しく鼓動している。
-た・・・助かった・・・バレていないようだ。けど今の光はいったい・・・
温かな黄金の光の環はすぐに光の粒になって霧散していき、それと共にあれ程
熱かった腕の中の妻の体が、今は平温にまで下がっている事にアッサムは気が付い
た。
「あなた・・・私の肩が・・・嘘・・・」
「え!?」
驚いて妻の肩を確認すると、酷く腫れ上がって膿んでいた矢傷が綺麗に消え去り、
普通の状態に戻っている。
「い、痛みは!?苦しくないかい!?」
「大丈夫よ。ほら。・・・完治しているみたい。体も軽いもの。」
-こんなのありえない・・・・・・まさかっ
アッサムは思わず藪から頭を出し、小さくなっていく馬車の後ろ姿を見つめた。
その時、気付いたのかと言わんばかりに馬車から左手が突き出され、親指を上げて
から引っ込んだ。
アッサムは幻視の結界を解き、街道に飛び出す。
-人間族の強きなる者よ。貴方に精霊神の祝福があらんことを。
小さくなった馬車に向けて夫は片手を胸に当て、深く頭を下げた。
王都アイデオスー
「おい、あの馬車についてる紋章って・・・」
「おっ、今話題のディオン領じゃないか?」
「ん?あの御者席で手綱を握っている護衛騎士、どこかで見た覚えが-」
「あの子、勇者と英雄の壮行会で見たぞ!」
「ねえ・・・あれ、勇者カイト様じゃない?・・・絶対そうよ!」
ディオン領の紋章旗をつけた黒光りした美しい馬車が、衆目を浴びながら静かに
王都の中を走り抜けていく。
虹光の離宮とも称される東迎賓館の正門を通り、馬車が正面玄関前に止まると、
タツミが御者席から素早く降りて、周りを確認してから客車の扉を開けた。
「ふうー、無事着いたねぇー・・・。」
ディオン領領主、シン・リーヴァ公爵が降り立ち、全身で伸びをする。
「シン、会議資料の読み込みは出来たかい?」
「ああ、問題ないよ。全部ここに叩きこんだ。」
公爵がタツミを見て笑いながら指でこめかみコツコツと叩いた。
そうしている間に衛兵がこちらに気付き、小走りに近づいて来る。
「タツミ、迎賓館内は護衛は同席出来ない規則なんだ。悪いけど・・・」
「なら、宿を確認してから街でもぶらついているさ。迎えは何時頃がいいかな?」
「今日の領主会議は17時に閉会するから、それくらいで頼めるかい?」
「分かった。私達は16時前から待機して、周囲を警戒しておくよ。どれだけ遅れて
も全然かまわないからね。だけど念の為、迎賓館から出て来る前に僕達がいる事を
必ず確認してから外に出て来るようにしてほしい。」
「分かった。」
「じゃあ、会議頑張って!」
「ありがとう。」
タツミと互いの拳をぶつけると、リーヴァ公爵は御者席のカイトを覗き込んだ。
「カイト君、我が王国の勇者として大いにディオン領の名声を高めてくれたまえ!
君には期待しているよ!」
軽くウィンクして悪戯っ子のような笑みを見せる。
「はっ!」
手綱を握ったまま、少年は騎乗敬礼で応える。
近づいて来た衛兵達を従え、領主が迎賓館に入って行くのを見届けると、タツミは
御者席に乗り込もうとして手摺に手をかけた。
「あの、もしやタツミ殿ではありませんか!?」
いきなり声を掛けられ背後を振り返ると、隣に止まった馬車から降りてきていた
御仁が手を挙げていた。
タツミは慌てて正装姿の品の良い老人に近づいていく。
「これはダン卿、お久しぶりです!お元気だったでしょうか?」
「ええ、元気にしておりましたとも。・・・ニアお嬢様、以前にお父様の警護依頼を
請けて下さった冒険者のタツミ様がお見えです!」
「まあ・・・あのオーエン事件の?」
「はい!」
ダン老人の呼びかけで馬車から若い女性が降りて来た。
そばかすがまだ残る顔で和やかな笑みを浮かべ、タツミを見つめる。
「初めまして。私はニア・ラムジーと申します。オッド・ラムジー辺境伯の娘にござ
います。その節は大変お世話になりました。」
「い、いえいえ、どうかお顔をお上げ下さい!・・・そうでしたか。お父様はお元気で
しょうか。どうかよろしくお伝え下さいますよう・・・」
「畏まりました。ただ・・・実は今、父は体調が良くありませんで。・・・でも、調子が
良い時は昔の思い出とか、楽しそうに話して下さいますの。タツミ様のお話もよく
聞いておりますわ。・・・あれほど大活躍なさったのに、叙勲式にはおいでにならなか
ったのだとか。」
ニア嬢がクスクスと笑う。
「あー・・・華やかな場所で衆目を浴びる事に慣れていないもので。・・・ハハ。」
タツミも苦笑する。
衛兵達が近づいて来た。
「今日は父の代理で領主会議に参りましたの。名残惜しいですが、またお会いでき
る日を楽しみにしております。」
「恐縮です。どうかお元気で。」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様。」
ニアは軽く会釈をして衛兵達と共に迎賓館に向けて歩き出した。
「へー!そんな事があったんだ!」
「まあ、もう随分昔の事だけどね。」
「タツミ、昔の事って全然教えてくれないもんなー。もっと話してよ!すっごい有名
人じゃん!さっきもガタイの良い冒険者達が次々に挨拶に来てたしさー!」
「僕はそんな大した人間じゃないよ。たまたま昔の知り合いに会っただけさ。それ
よりカイト、君だよ。」
タツミが苦笑して周りに視線を向ける。
賑やかな大衆食堂。
カイトとタツミが座る席の周りだけが超満席で、特に若い女性達が好奇の視線を
カイトに向けていた。
「え、どうしたの?」
「気付かないかい?」
「ん?・・・何が何が?・・・危険予知も索敵も反応は無いけど・・・」
カイトの無警戒さに思わずタツミが苦笑する。
-この危なっかしい程の純朴さはカイトの長所でもあるんだけど・・・
「・・・いや、なんでもない。僕の考えすぎだったようだ。」
タツミは再び苦笑し、カイトのグラスにワインを足してあげた。
「お食事中、失礼する。」
二人のテーブルの脇に一人の青年が立った。
その襟首の騎士の階級章を見てカイトが瞬時に立ち上がる。
そして最敬礼をしてその胸元を見つめた。
「楽にしてくれ従騎士・・・いや、勇者カイト。私は聖クリシュナ王国騎士団、近衛
部隊総司令官、アズマ・シエンという者だ。カイトと・・・そして貴殿がタツミ殿で
間違いないだろうか?」
周りから黄色い声が漏れ聞こえて来る中、ピカピカの銀色の略式甲冑姿の青年を
見つめていたタツミが慌てて立ち上がった。
「タツミです。この子がいつもお世話になっています。」
タツミが頭を下げた。
「あ、いや・・・この空気は良くないな。緊張しないでくれ給え。皆、とりあえず座ろ
う。店員さん、ラボック酒をボトルで頼む。グラスは3つで。あと鹿肉と鞘豆の焼き
合わせと、メバルの煮つけと・・・・・・あとは適当に酒の肴を見繕ってくれ。」
「畏まりました!」
「総司令官殿、大変申し訳ありませんが、私共はこの後に護衛の依頼が控えておりま
して・・・」
「大丈夫だ。全て聞いているよ。リーヴァ殿の護衛なら、私の腹心が宿まで送り届け
る手筈になっている。どうか安心してくれたまえ。」
「お気遣いに感謝します。ですが、依頼内容の変更は当事者間でしか出来ない決まり
になっております。この後、私共で領主様の護衛の任に向かう故、強いお酒は控え
させて下さい。本当に申し訳ありません。」
タツミが頭を下げた。
「・・・うむ。さすがは伝説の「銀狼」殿だ。些か軽率な動きをしてしまったようだ。
仕事の邪魔をするつもりは無かった。」
アズマが頭を下げる。
「とんでもないです!」
「頭を上げて下さい!」
カイトとタツミが一気に慌て出した。
「では少しだけ話をさせて頂きたい。」
薄めのワインと、タレに浸けて炙った鹿肉をつまみながらアズマが微笑んだ。
「貴殿達は明日、大競技場で行われる催し物についてご存知だろうか?」
カイトとタツミは顔を見合わせる。
「いえ!知りません!」
「田舎暮らしが長いもので、その種の情報に疎く・・・申し訳ありません。」
「いやいや、大した事ではないんだ。今、領主の護衛として各領地の腕利きの私兵
や、有名冒険者達が一斉に集まっているだろ?そして彼等は、領主会議中は総じて
暇をしている。そこで王都では、中央競技場に観客を入れて、優秀な護衛者達による
害獣の討伐を観戦出来るように取り計らっているんだよ。彼等は互いの腕を競って、
己の、そして己が領地の名声を得ようと奮起している。」
「初めて知りました!」
「ほぉー。そうでしたか。」
「それで明日、我々が捕獲してきた・・・大爪熊の群れを護衛達全員で協力して倒す事
になっているんだ。」
「え。」
「え。」
「大爪熊の肉は非常に美味で高級品だ。それで討伐後の熊は、国王も参加される
領主達の晩餐会に提供される事になっている。ただし、この時期の大爪熊は狂暴化
しているからね。各領地から腕利きが集まるとはいえ、討伐は一筋縄にはいかない
だろう。・・・実際、我々も予定していた倍以上の人員を投入して、やっと捕獲出来た
んだ。それはもう・・・言葉に出来ないくらい大変だったよ。」
アズマが苦笑する。
「捕まえて来た我々が言うのもなんだが、護衛達だけであの熊を全て討伐するのは
とてもじゃないが無理だ。間違いなく死人が出るだろう。それで私を含め王国騎士
団近衛部隊から、精鋭で揃えた一個小隊も明日の公開討伐に加わる予定だ。」
王国騎士団近衛部隊の総司令官が、田舎の従騎士の少年を見つめた。
「カイト、君も来い。ヒロ殿・・・いや、人神ホロ様が選んだ勇者の力、民にとくと
見せつけてやれ。君の雄姿は必ずや王国民の信頼と安寧に変わるはずだ。」
「はっ!ご命令とあらば!」
数日前に大爪熊の複数の群れに単身で特攻し、タツミの見立ててで一番美味そう
な熊の首だけを秒で刎ね、それ以外の熊は虐殺する必要も無いので、剣の柄で殴り
倒しながら数分とかからずに撃退し、既に極上の大爪熊の肉をタツミと共に堪能
していた少年は座礼で応じた。
-カイト君、我が王国の勇者として大いにディオン領の名声を高めてくれたまえ!
君には期待しているよ!
あの領主の悪戯っ子のような笑みの理由を理解したタツミとカイトであった。
翌日 中央大競技場(クリシュナコロッセオ)-
満員の観衆が興奮の歓声を上げる巨大競技場。
今回の公開護衛討伐会は、聖クリシュナ王国騎士団最強の騎士と名高いアズマ・
シエン近衛部隊総司令官が率いる第一近衛小隊と、王国の勇者としていきなり頭角
を現した従騎士、カイト少年が参戦するとあって、巷の話題を搔っ攫っていた。
「うっは・・・これはすごいな・・・。」
アズマの計らいで、一般観客席から一段高い区画に設けられた特別観覧席に通さ
れたタツミが会場全体を見下ろした。
人々の歓声が唸りを上げている。
そして人々の歓声が突然絶頂を迎えた。
その特別観覧席に聖クリシュナ王国第65代目国王、アイル・ラ・ヴェスタ王が
姿を現したからである。
王は片手を力強く突き上げ、王国民の大絶叫に応えた。
状況を掴めていなかったタツミは、観衆が出す轟音に恐怖を覚えて右往左往してい
たが、背後に立った明らかに王の装いをしている壮年の男性の姿に言葉を失い、思考
が数秒間停止する。そしてその場に片膝をついて恭順の姿勢をとった。
「どうやら自己紹介の必要は無いようだな。タツミ殿、貴殿に一度会ってみたかっ
た。予定には無かったのだが、貴殿が観戦していると聞いて此度はこの催しに急遽
足を運んだ次第だ。」
「畏れ多くも、ヴェスタ王陛下に謁見できるとは思いもしておりませんでした。恐悦
至極に存じます。」
「顔を上げよ。私の隣に座るがよい。」
「は、はっ!光栄に存じます!」
隣の席でガチガチに固まっているタツミをヴェスタ王が見つめた。
「本来ならば、先に行われた勇者と英雄達の壮行の宴にて、貴殿に挨拶をすべきで
あったのだが・・・あの場では一国民を特別扱いする訳にはいかなかった。許せ。」
「め、滅相もございません!!あの子達が陛下から特別の恩寵を賜った事、どれだけ
感謝しても感謝し切れません!!私にとってこの上ない至福の一時でした!!」
一瞬で席を立ち、タツミが深く頭を下げた。
-報告どうりだな。微塵も嘘偽りがない。・・・良い父親だ。
ヴェスタが微笑んだ。
大歓声の中、近衛騎士達を先頭に各領地の護衛達が入場して来た。
同時に観衆の声援に、より一層火が点いた。
各領地の名声を背負った護衛達は、ここぞとばかりに観衆にアピールを繰り出し
ている。
-こういう見世物討伐は・・・なんか好きになれないや。
アズマとカイトに対する声援が渦巻く中、勇者の少年はそっと視線を落とした。
「そろそろ始まるようだな。」
ヴェスタ王が場内を凝視する。
競技場の内壁に設置されている重い鉄扉がゆっくりと持ち上がっていく。
そして檻に入った状態の大爪熊が次々に搬入されてきた。
興奮して檻を潰す勢いで体をぶつける余りにも狂暴な熊の姿に恐怖し、観衆の歓声
が静まっていく。
その状況にタツミも警戒の目を向けた。
「安心せよ。大丈夫だ。」
タツミの様子から色々と察したヴェスタが声をかける。
「競技場と客席の間には、腕利きの王宮法術師達によって不可視の強力な防御結界が
張られておる。」
「そ、そうでしたか。」
「それに今回は、近衛部隊より精鋭の近衛騎士50名が討伐を補助する。更にこの
会場には、もしもの時の為に害獣討伐用に完全武装した特務騎士600名が既に
待機しておる。危うい時は一斉に雪崩れ込んで、あれら猛獣を一瞬で食らい尽くす
であろう。」
「なるほど、安心致しました!」
「しかし・・・熊共の暴れっぷりは凄まじいな。銀狼と呼ばれた貴殿ならこの一戦、
どう見る。」
ヴェスタがタツミをちらりと見た。
「あの25頭の中には雄も子熊もおりません。・・・恐らく、群れの指示役を為す雄熊
を先に討伐して群れの全体の連携を崩し、殺しやすい子熊を優先処理しながら大量
捕獲を進めたのでしょう。」
「ふむ。」
「殲滅するなら正解ですが、捕獲するなら悪手に思います。それが原因で雌熊達は
怒りで完全に我を忘れております。あれ程の・・・極度の興奮状態ですから、大爪熊
が得意とする集団連携は無いとはいえ、檻から解き放たれた瞬間に各個が狂乱状態
で護衛達に襲いかかるかと。」
「それで?」
「興奮した大爪熊の雌は、第6類強種にも相当する害獣です。あの距離でしたら、
ほんの数秒、一瞬で詰めて来るでしょう。手練れの討伐者なら迎撃担当を決め、
神経を研ぎ澄ませるべき段階。しかし護衛の方々は・・・静まりかけている観衆の歓声
を煽ろうと、アピールに必死のご様子。状況判断と緊張感に欠けているように見え
ます。討伐としては・・・ある意味で最悪の状態にあると考えます。」
「では開幕した途端・・・地獄絵図になるということか。」
「仰る通りかと。」
「ならば・・・待機させている特務騎士達600名も最初から合流させておいた方が
無難か。いやしかし、それにはもう時が無い。」
ヴェスタが表情を曇らせて立ち上がる。
早くも熊の檻の扉が半分以上開き出していた。
それに呼応するかのように観客達の歓声が大きくなりだしている。
「言葉足らずでした。王よ、ご心配には及びません。あの場には・・・この王国の民を
守護する「勇者」が既に剣に手をして立っておりますゆえ。」
いつもとは違う異質の空気を身に纏うカイトの姿を見て、タツミは安心したように微笑んだ。
檻が開く。
「一瞬で来るぞ!!総員、構えよ!!油断するなっ!!」
「お、・・・おうっ!」
「ああ!」
「了、了解した!」
「全然怖くねえ!」
アズマの声に応じ、護衛達がそれぞれ抜刀して身構えるも、その声は隠しきれない
恐怖で揺れていた。
-マズいな。護衛者達は恐怖に呑まれ過ぎている。彼等を前に出してはダメだ。
アズマの顔色が曇る。
-ここは我々小隊が前に出て倒さねば・・・。しかし、熊の数が・・・
男達の後ろで影がゆらりと揺らめいた。
刹那ー
一頭の大爪熊の巨体が、轟音と共に鋼鉄の檻ごと真っ二つに裂け、四方に激しく
飛び散ると同時に衝撃波が会場を激しく揺らした。
想像を超えた驚愕の光景に、檻から飛び出そうとした熊と、それに対峙する人々
の双方が時が止まったかのように動きを止めた。
観衆の歓声も消えている。
この場に集う全ての生命が、余りにも凶悪な殺意を放つ少年に釘付けになっていた。
「最高の一撃だ、カイト!!総員、己が力を示せっっ!!抗う敵を斬り伏せろおお
っっ!!!」
駆けだすアズマの怒声に近衛騎士達、そして護衛達が腹の底から声を出し、一斉に
その後を追うように駆けだしていく。
大爪熊は、男達の背後から更なる致死的な攻撃を放とうとして、剣を構え直した
人間の姿に心底恐怖し、檻から飛び出すと無我夢中で逃げ出した。
それが無駄だと気付きながら-
勝敗は既に決していた。
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