砂漠の反乱
わんし
砂漠の反乱
舞台は中東の内陸深くに位置する独裁国家「バスラード」であった。
広大な砂漠の真ん中にあるこの国は、数十年にもわたる強権的な支配下にあり、国民の自由は奪われ、国際社会からは孤立していた。
その独裁政権は国際制裁を無視し、秘密裏に新型兵器の開発を推し進めていた。
開発の中心地は、砂漠の中心に築かれた巨大な地下施設。
外部から完全に遮断され、幾重もの防御壁とセンサーに守られたその秘密兵器工場は、まさに要塞国家そのものだった。
彼らが開発していたのは、単なる兵器ではない。
化学兵器と、高精度な無人攻撃ドローンを組み合わせた、都市ひとつを無人で壊滅させられる新型の大量破壊兵器であった。
国際社会はこの事態を重く見ていたが、独裁政権への直接的な介入は、全面戦争への発展を招きかねず、誰も動けずにいた。
その影で、この危険な火種を消すために雇われたのが、多国籍の熟練兵で構成された傭兵部隊アルゴスである。
彼らは、世界のどこにも記録されない作戦を遂行するために存在する、亡霊のような存在だった。
彼らの任務はただ一つ。
「秘密兵器工場を破壊し、戦争の火種を消す」こと。
しかし、この極秘作戦には、最初から一つの不確定要素が混ざっていた。
それは、工場内部にはすでに味方のスパイが潜入しているということ。
工場内部からの情報提供と、爆破支援がなければ、この要塞を攻略することは不可能であった。
だが、そのスパイの正体はアルゴスのリーダーにも、他のメンバーにも知らされていない。
この作戦は、内部の人間を信じるという、極めて危険な賭けから始まっていた。
不信と、立ち昇る砂塵にまみれた作戦の火蓋が、今、切って落とされようとしていた。
傭兵部隊アルゴスの指揮を執るのは、リーダーであるレオン・ハーグリーブス。
彼はかつて、軍の特殊部隊のエリートだったが、ある作戦の失敗で全てを失い、今は傭兵として生きる道を選んだ。
彼のその冷静沈着な判断力は、常に死と隣り合わせの戦場で、幾度となく仲間たちの命を救ってきた。
しかし、彼の瞳の奥には、消えることのない因縁の炎が宿っている。
作戦開始直前、レオンは作戦本部からの最悪の情報を受け取った。
『レオン。』
『予定時刻より早く、本日、砂漠全域で黒い回転砂嵐(通称:ブラック・サイクロン)が発生予定だ。』
『現地の予測では、過去最大級の規模になる可能性がある。』
レオンは無線機を握りしめたまま、沈黙した。
黒い回転砂嵐。
それは砂漠の恐怖の象徴だ。
視界はゼロになり、電子機器は強烈な静電気で誤作動を起こし、舞い上がる砂は刃物のように皮膚を切り裂く。
それは敵だけでなく、彼ら自身も死に至らしめる、動く天然の要塞であった。
しかし、作戦は延期できない。
工場では明朝、新型化学兵器「VX-R」の最終試験が予定されていた。
その兵器が完成し、配備されれば、この作戦は無意味になるどころか、世界の脅威へと変わってしまう。
『全隊に告ぐ。』
『作戦続行。我々は砂嵐と競争する。』
『死に物狂いで前進しろ!』
部隊は、砂嵐の到来を予感させる重い空気に包まれながら、決死の移動を開始した。
彼らの乗る特殊車両は、砂塵と熱に耐えるように設計されていたが、迫りくる自然の猛威の前では、まるで無力な船のようだ。
砂漠を十キロメートルほど進んだところで、彼らは不運にも独裁政権軍の巡回隊に発見された。
『敵車両!三台!!戦闘用意!!!』
レオンの号令と共に、砂漠の静寂を破って銃撃戦が発生した。
灼熱の砂は、銃声をも吸い込むように響き、空間は一瞬にして硝煙と砂塵にまみれる。
レオンは冷静に敵の弱点を突き、次々と敵車両を破壊していく。
なんとか巡回隊を突破した彼らは、砂嵐の予兆である、異様な熱と沈黙の中で、車両を再スタートさせる。
その最中、古参の隊員の一人が、レオンに聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「リーダー、内部に潜ってるスパイってよ……本当に信用できるのか?」
その言葉は、誰の心にも突き刺さった。
彼らは顔も知らない、声も聞いたことのない人物のために、今、命を懸けて砂漠を突き進んでいるのだ。
もしそのスパイが二重スパイであれば、彼らは生きたまま要塞の罠にかけられることになる。
レオンは振り向かなかった。
彼の脳裏には、任務のことしかなかった。
「信用しろ。でなければ、この作戦は成り立たない」
誰も答えられなかった。
不信の種は、すでに蒔かれていた。
その頃、秘密兵器工場の地下深くでは、作戦の鍵を握る人物が、極限の緊張状態の中にいた。
潜入している味方のスパイ――その正体は、この独裁政権の研究者である女性科学者、アミラ・サディーク博士であった。
彼女は、政権の意向に従い、長年、軍事研究に携わってきた。
しかし、彼女が最後に開発を任された新型化学兵器「VX-R」は、彼女の良心を激しく突き刺した。
それは、吸い込めば数秒で神経を麻痺させ、都市ひとつを無人で壊滅させることを目的とした、気化型神経毒とドローン運用システムを組み合わせた、非人道的な兵器だった。
「私は、もうこれ以上、殺戮の道具を作ることはできない……」
アミラは、自らが創り出してしまった悪魔の兵器を、自らの手で破壊することを決意し、反乱側へ密かに寝返っていた。
彼女は今、工場のメインサーバー室に潜入し、傭兵部隊アルゴスが爆破に必要なデータ、つまり工場のセキュリティシステムを一時的に解除するコードと、爆破地点の正確な設計図を送信しようとしていた。
彼女の指先が、送信ボタンに触れる寸前――
「動くな、アミラ博士!」
背後から響いたのは、彼女の上官である、政府軍の大佐の声だった。
大佐は、アミラの数日間の不審な行動を嗅ぎつけ、彼女をスパイ容疑でマークしていたのだ。
「何のことでしょう?大佐」
アミラは努めて冷静を装うが、大佐は冷笑を浮かべ、手に持つ銃をアミラに向けた。
「貴様の瞳の色が違う。裏切り者の色だ。」
「機密情報を外部に漏らそうとしたな。」
拘束されそうになったアミラは、とっさの機転でサーバー室の緊急シャットダウンボタンを叩き、その隙に飛び出す。
警報が鳴り響く。
要塞内部は一瞬にして、彼女を捕らえるための狩場へと変わった。
ギリギリの状況で、彼女はなんとか通信室の補助回線に飛び込み、砂漠を突き進むレオンたちへと通信を繋いだ。
『レオン、聞こえますか!』
『アミラよ!』
『作戦変更が必要!』
『爆薬だけでは工場は破壊できない!』
レオンの顔が曇る。通信は砂嵐のノイズで途切れがちだ。
『どういう意味だ、アミラ!』
『核心部、つまりVX-Rの生成に使われている高熱炉心……あれは外部からの爆破では耐えきれるわ。』
『爆破を成功させるには、コアを冷却中に、逆に、内部から加熱暴走させる必要があるわ!』
レオンは息を呑んだ。
冷却中の炉心を内部から加熱暴走させる。
それは、炉心に直接触れ、制御棒を破壊するほどの作業を意味する。
もし成功すれば、核爆発に似た大爆発を引き起こし、工場を完全に消滅させられる。
しかし、その作業は、脱出不能な死を意味していた。
それは、“内部の誰か”、つまりアミラ自身が死を覚悟する任務だった。
『アミラ!正気か!』
『そんなことは――』
『間に合わないのよ!』
『明朝、最終試験が行われる前に、やらなきゃ!』
彼女の決意に満ちた声が、砂嵐のノイズを突き破ってレオンの耳に届いた。
レオンは歯を食いしばる。
彼の胸には、仲間の命と、世界の平和、そして今、死を覚悟した一人の女性の命が重くのしかかっていた。
工場外部では、ついに「黒い回転砂嵐」が襲来した。
空は赤黒く染まり、太陽の光は完全に遮断される。
時速二百キロメートルを超える風が、砂を刃物のように巻き上げ、傭兵部隊の皮膚と装備を容赦なく切り裂いていく。
視界は一メートル以下にまで落ち込み、特殊車両の電子機器は静電気の嵐で誤作動を起こし、頼みの綱であるGPSや無線通信は途切れがちになっていた。
「くそ!こんな砂嵐は初めてだ!」
レオンは防塵マスクの下で叫んだ。
彼らは砂嵐を隠れ蓑にして敵陣の防御壁を突破するつもりだったが、この砂嵐自体が彼らの最大の敵となった。
進むごとに隊員が一人、また一人と倒れていく。
「ジョン!砂嵐で視界ゼロだ!どこだ!」
「レオン!こっちだ!くそ、化学兵器が漏れてるぞ!急げ!」
工場施設の内部から、微量の化学兵器のガスが砂嵐に乗って漏れ出している。
全員が急いで高性能のガスマスクを装着したが、呼吸そのものが困難を極める。
この最悪の条件の中、アルゴスのメンバーは、極限の生存戦を強いられていた。
その時、奇妙なことが起こった。
ドン!
隊員の一人であるデリックが、突然、砂の壁の向こうから放たれた狙撃弾に倒れたのだ。
「狙撃兵?!こんな視界でどうやって!」
レオンは驚愕した。
独裁政権軍の狙撃兵は、この砂嵐の「砂の壁」を逆手に取り、音響センサーと体温センサーのみを頼りに奇襲を仕掛けてきたのだ。
最悪の条件の中、レオンは部隊の指揮を続けるため、自ら先頭に立った。
「俺に続け!砂嵐に慣れろ!
「音を頼りに動け!」
彼は砂嵐の中で、かすかに聞こえる仲間の足音と、敵の排気音に神経を集中させる。
その合間に、アミラからの通信が、断続的なノイズと共に聞こえてきた。
『レオン……急いで……コア温度が臨界に近い……』
彼女の声は弱々しく、しかし、その奥には強い意志が感じられた。
レオンは必死に砂嵐の中で叫び返した。
「必ず迎えに行く!アミラ、死なせはしない!」
彼は彼女の名前を口にしたことで、自分がこの任務に個人的な感情を抱いていることを自覚する。
しかし、その時、レオンはもう一つの、恐ろしい疑念を抱いていた。
(デリックを撃ったのは、本当に敵の狙撃兵だったのか……?)
(砂嵐が始まった瞬間から、隊員の一人、メイソンの動きが、どうもおかしい……)
部隊の中に、政府軍の裏切り者が紛れている疑いが強まり、極限の砂嵐の中で、隊員同士の緊張は最高潮に高まった。
外の敵だけでなく、内部の敵にも警戒しなければならない、地獄のような生存戦が続いていた。
砂嵐を突き破り、爆破班が施設の外壁を破る。
レオンは、残った数名の隊員を率い、工場内への最終突入を開始した。
「目標、コア制御室!アミラの指示に従い、内部から炉心を暴走させる!」
しかし、そこに待っていたのは、独裁政権軍の精鋭部隊と、内部の換気システムを利用したガス爆弾の罠だった。
工場内部は、灼熱の砂漠とは異なる、窒息しそうなほどの緊張感と硝煙に満ちていた。
激しい銃撃戦と、ガスにまみれた混乱の中、レオンは背後で起こった異変に気づいた。
バァン!
銃声が響き、隊員の一人が背中から撃たれて倒れる。
レオンが振り返ると、そこに立っていたのは、隊員の一人、メイソンだった。
「お前……まさか政府軍の密偵か!?」
レオンの問いに、メイソンはガスマスクの下で冷酷な笑みを浮かべた。
「ふん。そうだ。」
「俺は、この国の未来を信じている。」
「国家の未来は強者が握るべきだ。」
「傭兵崩れの貴様らに、止められるものかよ!」
メイソンは独裁政権に雇われた二重スパイだった。
彼こそが、デリックを撃った真犯人であり、この作戦の最大の障害だったのだ。
レオンは怒りに燃えた。
彼の瞳の奥の因縁の炎が、激しく燃え上がる。
「仲間を裏切る奴に、未来はない!」
裏切り者との最後の銃撃戦が展開される。
レオンは冷静な判断力で、メイソンの動きを予測し、正確な一撃を放った。
メイソンは絶命し、その体に、国家の野望と裏切りの代償が刻まれた。
しかし、アルゴスは、この裏切りと戦闘で半数以下にまで減っていた。
そのころ、アミラは、政府守備兵に追い詰められながらも、ついに炉心があるコア制御室に到達していた。
制御室は、高熱の蒸気と、炉心から発せられる熱で満たされていた。
高熱の炉心を前に、彼女は、レオンからの最後の通信を思い出す。
『必ず迎えに行く。死なせはしない』
(ごめんなさい……レオン)
アミラは涙を浮かべながら、高熱の制御棒を握りしめ、必死の力で制御装置を破壊した。
コアは冷却を止められ、急激に加熱を始め、暴走のカウントダウンを開始する。
『これが……私にできる最後……』
彼女の使命は、ここで終わるはずだった。
爆発のカウントダウンが始まったコア制御室から、灼熱の閃光が漏れ出す。
工場全体が崩壊寸前の地鳴りを上げ始めた。
レオンは、残った隊員たちに脱出路の確保を命じ、瓦礫と煙の中で、アミラを捜す。
「アミラ!どこだ!」
崩れかけた壁の隙間から、彼はようやく彼女の姿を発見した。
彼女は、爆発の余波で落ちてきた巨大な瓦礫に足を挟まれ、動けない状態だった。
「レオン……」
アミラは弱々しい声で呟く。
「行きなさい……コアが爆発する!」
「私を置いて!」
レオンは、瓦礫に挟まれた彼女の姿を見て、激しく首を横に振った。
「黙れ。死ぬのは、俺たちの任務じゃない」
彼は、自らの身体に鞭打ち、瓦礫を必死で押し上げようとする。
重く熱い瓦礫は、彼の体力を極限まで奪っていく。
しかし、彼の瞳には、もう過去の因縁の影はなかった。
目の前にあるのは、助けるべき命、守るべき未来、そして共に戦った仲間への責任感だけだった。
最後の力を振り絞り、レオンは瓦礫を押し上げ、アミラを抱きかかえた。
背後で、工場全体が崩壊を始める。
巨大な閃光と、地響きのような砂煙が、暗赤色の空を裂いた。
砂嵐は奇跡的に止みかけており、夜明け前の薄明かりの中、レオンはアミラを抱き、瓦礫の中を走り抜ける。
巨大な爆発音と共に、秘密工場は跡形もなく消滅した。
独裁政権の新型兵器開発能力は完全に失われ、この国が近隣諸国へ仕掛けるはずだった戦争の火種は、急速に鎮静化に向かっていった。
砂煙の中、レオンはアミラの手を強く握りしめた。
「任務完了だ。これで戦争は防げた」
「ええ……あなたのおかげで」
彼らは多くの仲間を失い、レオンの胸には深い傷が残った。
しかし、この任務で得たものは、代償をはるかに超えるものだった。
彼は、自身の因縁を乗り越え、真の使命を果たした。
夜明けの光が、砂漠の地平線をわずかに照らし始める。
砂漠はまた、新しい戦いの火種を孕んでいるかもしれない。
だが、レオンとアミラは、もう孤独ではなかった。
彼らは、共に過酷な戦場を生き延びた、真の戦友となったのだ。
彼らの背後には、破壊された工場跡から立ち上る、静かな煙だけが残っていた。
砂漠の反乱 わんし @wansi
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