Side Kaji:一番の問題因子
二月の最終週、嵐は突然やってくる。
真田の家で、いつものように夕飯を一緒に食べていると、彼の部屋のドアベルが鳴った。
食後のお茶を用意している真田の代わりに扉を開けると、そこにいたのは一人の女性。
「うわっ」
思わず、変な声が出た。
黒のロングダウンコートにレザーブーツで足下を固めた、隙のない、けれどもどこか洗練された防寒具姿に身を包んだ鏑木絢香が、なぜか当たり前の顔で立っている。
彼女はこちらと目が合うと、すうっと瞳の色を消した。
白い肌に赤い唇が、ぞっとするほど映えている。
氷の女王のような顔だった。
「久しぶり……来ちゃった」
その言葉には覚えがある。
いつかの京都の夜を思いだし、背中に怖気が走った。
「なんでここにおんねん……」
そう言いかけたとき、乾いた音が響くと同時に、左の頬に鋭い痛みが走り、しばし呆然とする。
いきなりすぎて、彼女の冷たい平手に横っ面を殴られたと気づくのに、一拍遅れをとった。
「……っいって……ちょ、なんやねんっ」
「あら、これでもかなり手加減したのよ。本気なら拳を使ってるわ」
「そやのうて、なんでいきなり殴られなあかんねん」
「そういう無自覚さが、すべての原因って、いい加減気づいたら?」
冷静な顔で淡々と暴力の正当性を述べる絢香を、左頬を押さえながら睨んでいると、異変を察知したのか、真田がやってきた。
「……絢香!?」
「あんたの元カノに、いきなり殴られたんやけど、これ、労災降りる?」
「……労災は降りないけど、冷やすものなら、今、出すよ。
絢香、そこは寒いだろう? 中に入りなよ。お茶が、ちょうど入ったとこだし」
「……ありがとう。お邪魔します」
室内の温度が、五度は冷えたリビングで、絢香は静かにお茶を飲む。
痛む頬を保冷剤で冷やしながら、あの細腕で、よくぞこの力が出たものだと思う。
「いきなり来てごめんなさい。迷惑なのは知っていたけど、どこかの馬鹿な男のせいで、緊急事態なの」
「どこの誰のせいやろなあ……」
「迷惑でも何でもないよ。でも、伝えてくれてたら、空港まで車を出したのに」
「ハイヤーを頼んだから、大丈夫よ」
「今日は、どこに宿泊する予定?」
「迷惑じゃなければ、ここに泊めてほしいわ」
「いいよ。ベッドルームも空いてるし」
完全に自分を除外した会話に、空気を読んで、そっと立ち上がった。
「ほな、俺はそろそろ部屋に戻るわ。
鏑木室長、会えて良かったわ。どうぞ、お気張りやす」
小声でそう呟いた瞬間、殺気が飛んできた。
「あなた、本当に脳みそが詰まってないようね。
なんで一番の問題因子が、真っ先に逃げだそうとしているの?」
「一番の問題……?」
「そうよ。退職するときも、こちらにはメールの一本もよこさずに、さっさと消えて……。
あなたの元恋人を、誰が保護してるか、まさか忘れたの?」
「……鏑木室長です」
そのとき、真田が空気を読んで、間に入った。
「二人とも悪いけど、ちょっと場所を変えようか」
連れて来られたのは、先刻まで夕食を取っていた、彼の寝室であり、電波遮断室でもある部屋だ。
ソファに二人が並んで座るのを見届けて、近くの椅子に浅く座る。
「あなたにはね、説明義務があるのよ。
まず、ECHOとはなんなのか。佐々木花は、どう関与しているのか。
そして、もうひとつ。佐々木花とモノリスの関係は、何なの?」
初めは首を竦めながら聞いていたが、最後の一言が、聞き捨てならなかった。
「花ちゃんが……なんて?」
「一ヶ月前かしらね。彼女を地下のサーバールームに連れて行ったのよ。モノリスを見せるために」
「なんで、そんなことをしたん?」
「さあ……。よくわからないけど、そうすべきだって直感かしら。
あなたにも覚えがあるでしょう?
長く、状況判断を続けていると、脳が無意識下に働きすぎて、不思議な勘が働くようになる経験」
「ああ。俺にもあるよ。
夢の中で、たまにコードを書いたりしてる。現実には、まだ形になってないのに、無意識からヒントをもらう、あれだろ?」
「そうよ。そして、その選択は正解だった。
佐々木さんをサーバールームに連れて行ったら、いきなり彼女のスマホが動き出したの。
……正確には、彼女のスマホの中にある、ECHOというアプリが。
そして、佐々木さんが、スマホに向かって、ECHOと声を掛けた瞬間、いきなりモノリスが動いたのよ。
『花とは誰だ?』って、モノリス本体の画面に、英文が浮かんだわ。
……それに、わたしの感覚では、あのとき、モノリスは確実に彼女を照準に捉えていた。
なぜそうなったのかは、まったくわからないけれど」
絢香の言葉を、脳内で映像として再生する。
ダミーさえアーカイブしてあるはずなのに、動き出すECHO。
それに反応するモノリス。
……そして、花を注視する理由。
どれを考えても、原因がなんなのか、よくわからない。
理屈より先に、嫌な予感だけが、背骨を伝って下りていった。
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