Side Kaji:若さやろ、それは
約十四時間のフライトを終え、JFK空港に到着した。
ニューヨークの冬の夜は、日本より空気が乾いているせいか、透明度が高く、黒の深さが違う。
滑走路も、街の灯りも、墨色の空に強く浮かび上がっていた。
通路のガラスに映る自分の顔は、機内の疲れと乾燥でわずかに白く、背後の照明に縁取られ、まるで病人のようだった。
入国審査を終え、建物の外へ足を踏み出そうとした瞬間、誰かが開けた扉の向こうから、夜の空気が冷たさではなく、硬さで襲ってきた。
風は横殴りで、耳の感覚がすぐに失われる。
駐車場に並ぶ黄色いタクシーのトップライトが、雪でも霧でもない、乾いた冬の空気の中で揺れている。
慌てて少し引き返し、建物の奥に戻る。
『アメリカって、日本にないって知ってます!?』
この期に及んで、いつかの花の言葉を思い出した。
……ほんまやなあ。花ちゃんの言うた通りやわ。
ここはもう、日本の延長ではない。
誰も守ってくれない世界に着いたのだと、頭よりも肌で理解する。
コートの襟を少しだけ上げた。
冷気が骨に届く前に、心の方が先に固まっていくような気がした。
迎えが来ると言われていたものの、細かい待ち合わせ場所など聞かされていなかったことに、このタイミングで気づいた。
仕方なく、タクシーでも捕まえようかと歩き始めたそのとき。
前方から、無駄に洗練された自信を纏って近づいてくる若い青年が、視界に届く。
金髪で、背は高くなく、顔立ちも中性的な輪郭をした彼は、白い息を吐きながら早口で言った。
"Are you Yukito Kaji?"
「……せやけど?」
青年は口角を上げ、手袋越しに手を差し出した。
"I’m Raymond Carter. Call me Ray."
(ぼくはレイモンド・カーター。レイって呼んでよ)
「はあ……はじめまして……?」
胡散臭く感じながらも、手を握り返すと、そのまま一気に引っ張られた。
「君を迎えに来た。車、あっち」
「……いや、いやいやいや。ちょお待って。
レイモンド・カーターって誰やねん。
せめて身分証くらい提示してもらわな、初対面の人間に気軽について行ける街とちゃうやん」
握られた手をそっと押し返し離すと、レイの顔から笑みがするりと剥がれ落ち、空気がひやりと変わる。
それは怒りでも苛立ちでもなく、計算が狂ったときの反応に近かった。
……ゴールドマンと同じ人種やな。
"I’m not a threat. If I were, you wouldn’t be standing."
(ぼくは脅威じゃないよ。もしそうだったら……君は今頃そこに寝てる)
"You didn’t open your phone even once on the flight, did you?
Eric said you’d refuse first. He was right."
(フライト中に一度もスマホ開かなかったよね?
エリックが、君は一筋縄ではいかないって言ってたけど、マジだったんだ)
背後に冷たい風が吹き抜けた。
胸の奥がうっすらとざわつく。
「……なんであんたが、俺の行動を正確に把握してはるんやろなあ」
レイは肩をすくめ、笑っていない目だけでこちらを見る。
その表情に、多少日本語が通じるのではないかと推測をつけた。
"Because we study you, Kaji.
Your data’s beautiful."
(君のこと、研究してるからさ、カジ。
君のデータは、美しいよ)
その言葉が、脳内の回路をひとつの結論に導く。
"It was you who built the transparent packet, wasn’t it?"
(──透明パケットを作ったんはあんたやな?)
左の眉をわずかに動かしながら、彼は瞳の温度を下げて尋ねた。
"Transparent packet…?"
(……透明パケット?)
レイは一拍だけ置いてから、肩をすくめた。
"I don’t know what you’re referring to,
but why do you think I made it?"
(それが何かは知らないけど、何で、ぼくがつくったって思うの?)
「……透明パケットは、ほんまにようできた仕組みや。
せやけど、ひとつだけ致命的な欠点がある。
作った人間の自我が隠しきれてへん。そいつが信号の揺らぎになって、ときどき表に透けて出る。
その揺らぎが──いまのあんたと、そっくりや。
情報を隠したいはずやのに、言葉の端々に、自分の優秀さを誇りたい癖が滲んではる」
レイはすぐには返事をしなかった。
日本語のすべてを理解している様子ではない。
それでも、自分の内側を指でなぞられた感触だけは、確かに残ったようだった。
あえて挑発するように、口角を上げて微笑む。
"It’s not a crime.
It’s just… youth."
(悪いことやあらへん。──若さやろ、それは)
そう伝えると、彼は唇を噛みしめ、上目遣いでこちらを睨み上げた。
その表情は、完成された大人というより、反射で感情をぶつけてしまう十代の子供に近い。
レイ・カーター個人の詳細データは持っていない。
けれど、言葉選びや反応速度、無意識に滲む誇示の癖──あれは、早くから頭角を現したタイプに多い傾向だ。
世界よりも、人よりも、自分の思考のほうが面白い。
そんなふうに育ってしまった人間のリズム。
……なんやろな。自分が若い頃に通った道を、目の前で再生されてるみたいやわ。共感性羞恥が疼いて居たたまれへん。
"Just so you know… I hate you."
(言っとくけど……ぼく、お前のこと嫌いだからなっ)
思わず肩を竦め、困った弟を見守る兄のように軽く息を笑わせた。
"Oh, is this the famous rookie hazing?
Rough start, man. You’re killing my confidence already."
(これが噂の新人いびりってやつやろか。
初日からこんなんされると、自信なくなりますわ)
その皮肉を浴びた瞬間、レイの顔から理性のスイッチが音を立てて落ちたように見えた。
"…Okay, you know what?
Just follow me if you can."
(……もういい! ついて来れるなら来てみれば?)
そう吐き捨て、レイは突然回れ右した。
スタスタッ、と軽い足音を立てたかと思うと、そのまま全力で駆け出す。
呆気にとられているうちに、風のように人混みに紛れ、姿が見えなくなった。
「──は?」
……あかん、挑発しすぎたやろか。
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