Side Kaji:合法ならええやろ?

 人間には誰でも、それぞれ行動原理がある。

 なぜその選択をするのかという思考の癖のようなものだ。


 鏑木絢香の場合、その根は、間違いなく育ちにある。


 父方は、代々警察庁の幹部を輩出してきた警察官僚の一族。

 母方は、日本有数の名門財閥のひとつ、四谷商事の創業家に連なる財閥筋。

 銀のさじをくわえて生まれたという言葉が、これほど似合う家柄もない。


 経済と治安、ふたつの巨大な構造のど真ん中で育った彼女がどんな価値観を持って生きてきたのか、想像することはできない。

 だが、新卒で彼女が選んだ道は、警察になるのでも、四谷商事でもなく、アペックスだった。


 彼女の祖父は元警察庁長官。

 その長官の代に起きたのがアペックス事件だった。


 アペックス創業者・後藤田黎一の冤罪に、いまは亡き彼女の祖父が、どこまで関わっていたのかはもちろん不明だ。

 だが、少なくとも全く関わっていないとは考えにくい。


 理由は二つ。

 ひとつは、警察庁長官クラスが知らずに通る案件じゃない。

 もうひとつ、事件の裏には、経団連の思惑が複雑に絡んでいた。

 そして四谷商事は、その経団連の中枢を占める存在だった。


 つまり、警察と財閥──鏑木が生まれ持った家系は、そのどちらもが、アペックス事件の冤罪に、間接的にせよ触れている可能性がかなり高い。


 現在の彼女の性格を思えば、そして彼女があえてこの会社にいる事実を思えば、鏑木絢香がこの事件に無関心でいられたはずがない。

 むしろ彼女は、自分の血筋が生んだ歪みを、誰よりも強く意識している人間だと考える方が自然じゃないだろうか。


 その目でアペックスグループを見たとき、彼女が会社に残る理由も理解できる。


 もし彼女の目的が個人の進退だけなら──真田が渡米したとき、一緒に行くという選択肢もあったはずだ。

 技術と正義を尊ぶタイプの彼女なら尚更。


 けれど鏑木絢香は、アペックスに残った。


 なぜか。


 彼女はおそらく、自分の家が背負った歪みを、自分の手で正す。

 そんな行動原理を根底に抱えているのではないか。

 そう考えると、すべてが腑に落ちる。


 そして、そういう彼女にであれば、安心して花を任せることができる。

 感情に流されずに判断が下せる冷静さ。

 一市民を護るという感覚を、家族を通して目の当たりにしながら、自然と培われた正義感。

 何より──GSCが、どうあっても手を出せない国家権力に護られた家系。


 加えて、鏑木絢香なら、いつか必ず、花とECHO、引いてはモノリスとの繋がりに気がつくはずだ。

 むしろ、多少のヒントを与えてでも、気づかせるべきかもしれない。

 それを知ったら最後、彼女は全力で花を護るべきだと判断するだろう。


 そこまで考えて、端末から目を離し、長いため息を吐いた。

 臆病な人間には、臆病だからこそ見える戦い方がある。

 あらゆる場面を想定し、打てる手をすべて打つことでしか得られない安心感もある。

 それでも、胸の奥からひたひたと湧いてくる不安を、無視することができない。


 この感覚の源泉をたどれば、そこにあるのは──透明パケット。


 夏の京都で、はじめて観測した不気味なそれは、何をするでもなく、ただじっとこちらの挙動を見つめる気配だけを残してくる。


 ……あかん。あれが完全に思考のノイズになる。

 自分の演算を狂わせるものがあるとしたら、絶対にこいつや。


 自分自身でうまく説明ができない、透明な悪意にさらされている感覚。

 これを自分と同じように理解できるのは、世界でただ一人、真田圭だけかもしれない。


 いますぐ彼に泣きついて、馬鹿だなと笑って欲しい。

 考えすぎだよと、あの声で言って欲しい。

 なぜか、ここに来て、心細くてたまらなくなる。

 ここで、こうしているいま、この瞬間にも花を失いそうで──……。


 だが一週間後、ゴールドマンと対面した結果、その不安が現実のものになるとは、このときは考えてもいなかった。



 海堂の車を降り、もたつきそうになりながら二人で暮らすマンションへ入った。エレベーターが居住階に辿り着く時間さえ惜しく、思わずそのドアを叩く。


 だが、焦って靴を履いたまま飛び込んだ部屋の中に人の気配は全くなく、花が帰宅した様子もない。

 スマホが振動し、海堂から「佐々木さんを見つけた。鏑木室長が保護している」と聞いたときには、足から力が抜け、その場にへたり込んだ。


「だが、問題は深刻だ。彼女は不審な男から尾行されていた」

「はあ!? なんのためにや」

「いまから聞き出すが、鏑木室長の勘では、たいした情報は持っていなそうだ。下で待ってるから、降りてこい。さっきのお前の行動についても、聞きたいことが山ほどある」


 いつになく厳しい声でそう言われ、「くっそっ」と壁を拳で殴りつける。


 エリック・ゴールドマン。

 さっきまで対面していたあの男が、憎くて憎くてたまらない。

 己がこれほどまでに人を憎むことができるのかと、そんな感情が自分の中にあることさえ気がついていなかった。


 花に手を出すことだけは、一ミリも許容できない。

 たとえ生きながら地獄に灼かれるのだとしても、まったく構わなかった。

 差し違えてでも、あの男を潰す。


 そう決めた瞬間から、脳がめまぐるしく演算を始めた。

 あの男の弱点をいくつも候補に挙げ、そのどれを突くのが正しいルートなのか。

 扉を開け、震える足で歩き出す。

 二人で暮らした部屋のドアが、背後で静かに閉まる音を聞いた。



 アペックス本店に戻ると、以前も使った盗聴防止の会議室へ連れて行かれた。

 ECHOについて、そして佐々木花について、現時点でわかっていることをすべて話し終えると、震える拳で海堂が机を叩いた。


 彼が怒りに震える顔を、長い付き合いだがはじめて見た。

 それなのに、心がまるで動かない自分が不思議だった。


「……梶。お前、俺がなんで怒っているか、わかるか?」

「なんでやろ。ECHOを黙って作ったことやろか。それとも、ECHOが俺の予測以上に心を読むAIに育ったことやろか。もしくは、花ちゃんがECHOの生体モデルになってることやろか。すまんねんけど……いま、頭がそっちに回らへんねん」


 海堂がいま、怒っているのは、わかる。

 だが、その感情に向き合う余裕がまるでなく、どれほど失礼な行為だとわかっていても、態度を改めることができない。

 怒りで頭が冷えすぎて、この世の花以外のすべてが、絵空事のように感じるのだ。


「違う。俺が怒っているのは、お前がすべての報告を入れていないこと、そのものに対してだ。

 俺は……お前を守りたい。だが、お前を守るためには、いざというときに、そのすべてを知っている必要がある。それはわかるか……?」


 言われている言葉はわかる。

 ちゃんと耳に届いている。

 それなのに、脳がひとつの結論に辿り着き、いまはその痛みを引き受けるだけで、心が限界だった。


 海堂が立ち上がり、「どうした!?」と肩を掴んだ。


──ああ、ここが終わりなのか。

 これが、現実なのか。


「どうした、梶。なんで泣いてるんだ!?

 ……きつく叱りすぎたか? いや、そこまできつくは言ってないぞ!?」


 ……あの子をもう、手放さなあかんのか。


 海堂の声が遠くで聞こえる。

 だけど、ひとつも答えることができない。


 ……なあ、じいさん。教えてくれや

 じいさんも、真田さんも、俺が大事やと思う人間はそんなにたくさんいてへんのに、なんでいつもいきなり、俺の前からいなくなるんやろ。


 花ちゃんは、この世でたった一人、はじめて求めた女の子やのに、

 なんでこんな結末を選ばなあかんねん。


 ああ、もう。そろそろこんな世界、ぶっ壊してもええかなあ。

 面倒臭いんや。なんもかも。

 会社も、組織も、国も、どうでもええ。


 どっかの国のファイヤーウォールぶっこわして、

 核戦争を起こしたところで、なんも問題なんかないやろ。

 そんな危ないもん錦の御旗みたいにして、後生大事に抱えとった、そいつらの自業自得やんか。


 なんで壊したらあかんねん。

 なんで俺の大事なもんばっかり、奪われ続けなあかんのや。


 じいさん、答えてくれよ。

 なあ?

 いつも勝手に頭の中でわけわからんことばっか言わんと、

 もっと大事なものを教えてくれといたらよかったんや。


 そしたらこんな、苦しまんで済んだのに。


 ……ああ、あかん。

 こんなしょうもない人間やと知られたら、花に嫌われるかもしれん。



 花が自分を見つめる瞳が好きだった。

 彼女は、いつも世界を美しいものとして見ている。

 その中に自分が入ると、特別いいものに生まれ変わったような気がした。


 実の母親にさえ化け物を見るように見られ、捨てられた。

 そのことに特別な感傷を抱いたことは一度もない。

 世の中には、どうあっても理解し合えない親子が存在していて、それがたまたま自分と彼女なのだろうと、そう結論付けたからだ。


 特別は、いつも自分の手のひらの中にあった。

 世界のすべてに数式が見えて、その美しさに酔いしれる。

 自分がそこから追い出されなければ、あとは、誰にどう思われても気にもならない。


 けれどそれを、花は軽々と飛び越えて、こちらにやってきた。


「忘れてくださひっ」と慌てたり、「これがわたしの蝶だった!」と喜んだり、忙しなく動く感情を眺めるだけで、一生分の幸せを得られた。


 いつの間にか、彼女はこの世界そのものになっていた。


 身体を強く揺すぶられ、急に現実に引き戻される。


「おい、どうした!?」


 海堂が慌てた顔で、目の前にいる。

 ようやく意識が身体に戻ってきたように、ぼんやりとそれを眺めた。


「……やらなあかんことがある」

「それは……なんだ?」


「ゴールドマンの息の根を止めたい」


 海堂がぎょっとしたように目を見開いた。


「あ、ああ……わかるよ。佐々木さんに手を出されて、怒る気持ちはわかる。……だが、彼女は無事だし、お前はさっき言っていたじゃないか。

 人道に悖る行為はしないと」


 その言葉を、冷えた頭で聞いた。


「せやな」

「ああ、だろう?」

「……せやさかい、合法でやり合おうと思うねん」

「……は?」


 まっとうな言葉を言ったつもりなのに、なぜか、海堂の顔が青くなる。


「なあ、合法ならええやろ? なにしたって、別に」


 それは、間違いなくひとつの決意。


「俺は、合法的にあの男を潰しに行く」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る