閑話:プロビデンスの冬④

 ◇


 迷いを見せたのも束の間、実際に佐々木花の聞き取りを始めると、絢香は何ひとつ躊躇わず、彼女に真摯に寄り添った顔で、心の鍵を開けるためにやさしくその名前を呼んだ。

 様々な心理テクニックを組み合わせながら質問を変え、誘導を促し、本人の記憶を深く掘り下げていく。

 元々無防備な性格らしい花は、五分も持たずに情報を丸裸にされていた。


 別室で、カメラ越しに二人の会話を聞きながら、白石は絢香の能力の高さに感嘆する。

 その手際は、ほとんどプロの交渉係と遜色ない腕前だった。


 ECHOという謎のAIについての情報をあらかた引き出し、疲れた顔でリビングに戻ってきた絢香に、紅茶をそっと差し出した。


「さすがですね。お見事でした」

「馬鹿言わないで。……あの子の素直さにつけ込んだだけよ。子供を騙したようで、罪悪感がないと言えば嘘になるけれど」


 ため息をつきながら、絢香はスマホで時刻を確認した。


「……さすがに相談したいけど、圭は忙しいかしら……」


 アメリカに住む元恋人の話をするときだけ、絢香は年相応の女性の顔になる。

 それは微笑ましくも痛ましくもある姿だった。


「ねえ。さっきの情報から、ECHOがなんなのか、少しまとめたいの。ブレストに付き合ってくれる?」

「もちろんです」


 絢香は、花の語ったECHOの説明を何度も反芻していた。


― 会話の揺らぎを見る。

― 数値に置き換える。

― 言葉の『間』を学習するらしい。


 あまりにも断片的で、不完全で、素人の説明にすぎない。

 けれど、絢香にはそれで十分だった。


 彼女はソファに腰掛けたまま、眉間にしわを寄せ、ゆっくりと視線を落とした。


「……心の揺らぎを読むAI……。梶雪斗なら、確かに作りかねない」


 白石が淹れた紅茶の湯気が、揺れながら立ち上る。


「普通、会話を評価するAIは言葉そのものを処理するわ。でもECHOは違う。

 佐々木さんの言葉の選び方、タイミング、返答の速度、声の抑揚……その揺れ幅を入力値として扱っている可能性がある」


 白石が横で尋ねる。


「揺れ幅とは?」

「人間の心理は、言葉の内容より揺れに出るのよ。

 考えてみて? 犯罪者の尋問もそうでしょう?

 嘘をつくとき、人は呼吸が浅くなる。恐怖を覚えると、視線が固定される。罪悪感があると、返答が少し遅れる。

 ……人間の核は、揺らぎに宿るとも言えるわね」


「なるほど……。たしかに尋問の時に見るのは、言葉ではなくその裏側ですよね。でも……揺らぎというものは、本来、個人差が大きすぎませんか?

 同じ嘘でも、強い人間ほど揺れないし、弱い人間は真実でも揺れる」


「そう。だから人間の揺れ幅を基準に判断するAIは普通、破綻するわよね。

 けれどECHOは……佐々木花の揺れだけを学習している。

 つまりあれは、個人特化AI……ということかしら?」


「個人特化、ですか?」


「そう……たとえば、オーケストラ全体を平均化した音と、一人の演奏家の癖をそのまま拾った音。

 どちらがより、人間らしさを学べるのか、という話かもしれないわね。


 モノリスは『行動最適化AI』だけど、ECHOは『人の揺らぎを学ぶAI』。

 つまり、言葉ではなく、心に反応する人工知能だということかしら……?」


 白石が視線を右上にずらし、思案するように尋ねた。


「それは、世に出てる既存のAIと、どう違うんですかね?

 最近のAIの進化はめざましいじゃないですか。ともすれば、人間の行動をかなり深く分析できますよ」


「そうね……。違いを考える必要があるわ。

 既存のAIにできるのは、人の言葉を読み、膨大な言語データを集め、感情を推定することができる……でもECHOは……」


「……佐々木花のデータだけを集める。

 それも、言葉ではなく、その裏側を読んでいる……?」


 白石が引き継いだ言葉に、絢香は深く頷いた。


「あなたは彼女を、どういう人間だと推察してる?」


「佐々木花ですか? ……そうですね。今見ている限りでは、感情に裏表がなく、心に嘘がつけない善良な一般市民。人を疑わず、人の良い面を見ようとする思考の癖がある……。

 これ以上は、もう少し対話しないとわかりませんが」


「そう、つまりね。ECHOは佐々木花の善性だけを引き継いでいる。

 素直さ、心の清さ、誠実さ……」


 絢香は、思いつく単語を羅列し、少しだけ言葉を切った。


「……いえ、違うわね。ECHOが学んだのは善性だけじゃない」

「他には何が……?」


 ティーカップの縁を指先で軽く叩き、静かに続けた。


「佐々木花という人間の特徴は、ためらいを抱えていることなのよ」

「ためらい……とは?」

「ためらいというのは、感情じゃないの。判断を一拍、保留する癖よ」

「保留する癖……ですか?」


「例えば、すぐに返事をした方がいいと分かっていても、あえて少し時間を置くことってあるでしょう?

 その沈黙が、相手を傷つけないための選択になることもある」


「なるほど。では、佐々木花は平均よりも、ためらいを保持する人間ということですか?」


「傾向としては、そうね。何度も話をしたわけじゃないけれど、彼女は、誰かの意見を否定したくなる場面でも、一拍置いて相手を慮る癖がある。

 不安でもすぐには逃げず、怒ってもすぐには切り捨てない。

 あれは弱さじゃない。

 他者を尊重しようとする、本能的な慎重さだと思うわ」


「……そのためらいを、ECHOが学んでいる?」


「ええ。

 既存のAIは、膨大なデータの平均値を学んで判断するでしょう?

 人間より賢く見えるのは、迷わないからよ。

 ……でもECHOは、その迷いを学んだってことかしら」


「迷えるAI……ですか?」


 白石の声が、思わず低くなった。

 それは、ECHOというAIが、人間とほぼ同じ挙動をとるということではないのだろうか。


「そう。選ばない勇気を学ぶAI。これが既存AIとの決定的な違いかもしれない。

 モノリスは『最適解を選ばせるAI』。だから、観測が歪むことがある。AIの最適解と人間の最適解は、ずれる可能性があるから。

 でもECHOはAIなのに、100点の答えより保留を選ぶ場合がある。


 答えを出さないことが、正しさになる瞬間がある……人間の世界には、そういう余白が存在するでしょう?


 例えば、目の前で子どもが躓いたとして、それをすぐに抱き起こすのが正解の時もあれば、何もせず、本人が起き上がるのをじっと見守る方が正しい場合もある。

 人間は、即時反応をしないことで、選択肢を持つの」


 白石は震えるように呟いた。


「つまり……ECHOはそれが可能なAIということですか?」

「そう……。AIが本来、学べないはずの、人間特有の揺らぎ。

 信じたい、赦したい、待ちたい……。

 その選ばない判断を、ECHOは佐々木さんから、無意識か意識的かは不明だけど、拾ってしまったのかもしれない」


 絢香の表情が、わずかに鋭さを帯びる。


「……だから、危険なのよ」


 白石は、無意識に背筋を正していた。

 理解できたからではない。

──理解してはいけない領域に、足を踏み入れた気がしたからだ。


「梶雪斗はなんのために、そんなAIを作ったんでしょうか?」

「彼は以前、こう言っていた。

 ──モノリスを完成させるためには、あと五点足りない。

 その鍵がどこかに落ちているはずだが、まだ見つかっていない」

「つまり……ECHOがその鍵を握っている?」


 絢香は薄く微笑んだ。


「あの男は、こうも言っていた。

 佐々木花を守ることが、アペックスの利益に繋がる」

「じゃあ、彼女は……」

「そう。──困ったわね。

 ECHOという人類にとって未知のAIの、世界で唯一の生体モデル。

 それが佐々木花ってことよ、きっとね。

 ……そろそろあの男を殴っても赦されるんじゃないかしら?」

「そのときは加勢します」


 絢香はくすくすとおかしそうに笑った。


「白石に殴られたら、梶雪斗はひとたまりもないわね。……もっとも当の本人は、今頃どこにいるのかわからないけれど……」


 彼の動向は気になる。だが、それ以上に絢香にとって大切なのは、アペックスの未来を守ることだった。

 しばらくの間、自分の毛先を人差し指にくるくると巻き付け、沈黙を保った。それは、思考を深めるとき、ときどき見られる癖だった。


「わたし、思ったんだけれど……」

「はい、なんでしょう」


 絢香は少し困ったように首を傾げて、白石にお願い事をするように眉を下げた。


「……来月、二週間ほど渡米しようと思うの。この推論の裏を取りたいし……圭にも、話を聞いてほしいから」

「それは……」


 あまり良い考えのようには感じられなかった。

 絢香がどれほど、真田圭に思いを残しているか、白石はずっと見てきたからだ。

 そして、口では仕事だから仕方ないように言っているが、彼女の本音はきっと別にある。


 ……お嬢が傷つくところを、もう見たくありません。

 そう言いたいが、それを口にすることを赦された立場ではない。


 絢香は白石の思考などお見通しというように、いたずらな顔で笑った。


「……だからね、そのあいだ、この家で佐々木花の護衛を頼めるかしら?

 白石にしか頼めないのよ」

「……それがお嬢のご命令ならば、もちろん全力で任務に当たります」

「ありがとう。……ロングアイランドは初めて行くの。きっと……息が凍るほど寒いわよね」

「……風邪を引かないように気をつけてくださいね」

「そうね。それに、仕事の調整もしないと……」


 いつもより少しだけ嬉しそうな顔をする絢香を見て、なるほど、と白石は思う。


 彼女はきっと、真田圭が消えた四年前から、ずっと探し求め続けていたのだ。

 彼に会う口実と、胸を張って会いに行けるだけの実力。

 ──その両方を。

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