正直に言えば怖い
夕方過ぎ、梶くんが提案してくれた通り、居住区の下にある買い物エリアへ足を運んだ。
地下一階のスーパーは、野菜もワインもやたらと主張が強くて、ベーカリーから届くバターの甘い匂いまで、高そうに感じた。
「……スーパーにまで階層が……」
「階層? 何の話? 普通のスーパーやん」
「梶くんの普通は、たぶん一般とはずれてるんですよ」
「……俺からしたら、花ちゃんも一般とはずれてはるけど……」
「そんなことないですー」
なにしろ梶くんは、わたしよりも、ずっとこだわりが強い。
彼の京都のマンションにあった調味料は、どれもそこそこ良いお値段がするものばかりが揃えられていた。
とりあえず安くて美味しければ構わないわたしとは違う。
「……もしかして、今日作ってくれたご飯も、ここのスーパーで買ったの?」
「せやよ。昨日の帰りに、適当に食材見繕った。花ちゃん、昨日からECHO開いてへんやろ。帰る前にほしいもん聞いたけど、返事なかったし」
「ああっ。ごめんなさい。そういえば、スマホ全然見てなかった……」
ECHOを開くと、梶くんからのメッセージが届いていた。
それを微笑ましく読み、文字が雪のように溶けていくのを見ながら、ふと思い出す。
「……最近、ECHOって進化しました?」
「は? なんで? なんかあったん?」
「なんかってほどじゃないけど、わたしが文字を打つと、たまにピカピカするんですよ。光が一瞬、画面を流れて、喜んでるみたいな感じがするの」
「……そうなんやね。……バグかな?」
梶くんが、わたしではなく、どこか遠くのほうを見ながら答えた。
その視線の先にあるのは、きっとわたしには触れられない何かなんだと思う。
頭の中で、京都の部屋で見た、卵形にウサギみたいな耳がついた、不思議な物体を思い出す。
「……そういえば、ECHOはどこにいるんですか?」
「ああ、あれは俺の作業部屋にあるけど……」
「かわいいですよね、ECHO。……また……」
──見せてほしい。そう言おうとして、止めた。
その言葉を、彼は望んでいないような気がしたから。
……踏み込んで欲しくなさそうなところには、触れない。
怖いからじゃなくて、これは思いやりだ。きっと。
梶くんがスーパーで食材や調味料をあれこれ選び、わたしに財布を出させる隙もなく、スマホで決済を済ませてしまう。
店員さんが「お部屋にお届けしますね」と言って、梶くんのアプリのQRコードを読み取った。
スーパーを出て、直後、思わず呟く。
「……セレブって、スーパーの袋すら持たないんだ……」
「そやのうて、花ちゃんと手ぇ繋ぐために配送を頼んだだけなんやけど」
「……! そっか」
答えながら、ちょっと口元がニヤニヤしてしまう。
「ほな、次いこか」
「次ってなんでしたっけ?」
「生活雑貨、見たいんやろ?」
「見たい!」
エスカレーターで二階に上がり少し進むと、ふわっと木の香りが漂う雑貨店の入り口が目に入った。
雑貨店の前に立つと、柔らかい木目と白を基調にした棚が並び、ペアのルームウェアや北欧風の食器が美しく並んでいる。
……生活雑貨ってすごいよね。見てるだけで、自分の生活まで勝手におしゃれになった気がしてくるし。
「このパジャマ、花ちゃんに似合いそうやね」
もこもこした質感の女子に人気のルームウェアを梶くんが指さした。
「かわいい……けど、かわいすぎるよ。わたし、大人だし」
「なんで? 似合うの着るのに年齢関係ある?」
「……パジャマはいま着てるので間に合ってるから大丈夫です」
梶くんの散財モードを止めなくては、恐ろしいことになる。
任せて、梶くん。あなたの財布はわたしが守るよ!
そう。今日のわたしは、よくいる五人組の戦隊もののキャラ──コストセイバーピンク!
「これ着てる花ちゃん、抱っこして寝たら気持ちよさそうなんやけど……」
なのに、当の本人が自覚がないから困る。
やれやれだよ。
わたしの彼氏は間違いなくマネースプラッシュブルーだ。
「……そんな目をしても騙されませんよ。わたしじゃなくて、今日は梶くんのお部屋のものを買うんでしょ!」
「一緒に暮らすんやから、花ちゃんのものも買わんとあかんやん」
「そうだった!」
ふと棚の端に、飲み口にだけ細い金の輪が回った湯呑みが、なぜか目に留まった。
……こういうのでゆっくり食後にお茶を飲むの、いいな。
なんとなく、梶くんとの時間をやさしく癒やせそうな気がする。
なんて、だめだめ。
今日は要るものを買いに来ただけ!
そんなわたしの背後から、梶くんが声を掛けてきた。
「それ気になるん?」
「う、ううん……。今日のわたしはコストセイバーピンクだから」
「コス……? ごめん、いま、なんて言うた?」
「なんでもない! 気にしないで!」
心の声がうっかり出て、危うく変な子になるところだった。
「ようわからんけど、ここで待っといて」
梶くんは、湯飲みだけでなく、急須セットごと棚から取りだした。ついでにさっき見ていたルームウェアを色違いで二着選び、レジカウンターに向かってしまう。
……ああっ。ごめん、良い子のみんな!
家計の平和、守れなかったよ!
先ほどと同じく、配送をお店に頼んだらしく、梶くんは手ぶらで戻ってきた。
「……ありがとう。たくさん買わせてごめんなさい」
「なんで? 俺が花ちゃんにしたくてしてるだけやし、謝ることあらへんよ。
さて……次は花ちゃんの靴やな」
聞きたくないワードが、梶くんの口からすんなり出た。
それまではふざけた戦隊ものモードでいたわたしも、さすがにすんっとする。
思わず立ち止まり、通りの端に寄って彼を問いただす。
「いやいやいや、なんで靴!?」
「さっき言うてたやん。シューズクロークに靴を置けないって」
「言ったけど……あれは、あの、その……気持ちの問題っていうか……」
「ほな解決しよ。今から花ちゃんの靴、全部買い換えよ」
「ぜんぶ!?」
梶くんは当たり前みたいな顔をしているが、そこがわたしの限界だった。
「……梶くん、わたしの姉の話、したことあるよね?」
「ああ。花ちゃんには、年の離れた銀行員の真面目なお姉さんと、車のディーラーしてる元ヤンで陽気なお兄さんがいて、三つ下の妹さんは原宿で美容師してはるんよね」
「待って! よくそんな細かく覚えてるね!?」
「花ちゃんにかかわることは、一個も忘れられへんし」
……今日の梶くんはすごい。
溺愛と甘やかしと散財の三連単だ。
「あのね、わたしの姉がね、小学生のわたしによく言ってたの。
『いい? 花。人生には大事な格言がいくつかあるけど、これだけは忘れちゃダメだからね。
うまい話には裏がある。人を見たら泥棒と思え。そして……ただより高いものはない』って。
だから、わたしの中の姉が、いま、警告をしています。
こんなに甘やかされたら、ぜったい人生の落とし穴に落ちる!」
「……お姉さん、なんかつらいことでもあったんやろか?」
「知らない! それについては怖くて聞けなかった!」
そう言って笑いながらも、胸の奥では、姉の言葉がほんの少しだけ刺さる。
あまりに幸せすぎて、正直に言えば怖いのだ。
一緒に暮らそうと言ってくれたときも、少しでもわたしに何かを与えようとするいまも、梶くんの中に少しだけ、必死さが見える。
その必死さの原因がどこにあるのかわからなくて、だからこそ、余計に胸が落ち着かない。
「──……あれ? 花じゃない?」
「え……?」
すれ違った女性に急に声を掛けられて振り返ると、そこには志穂さんが立っていた。
隣には、ショッピングバッグをいくつか持った杉本さんもいる。
思いがけない出会いが嬉しくて、梶くんに断り、小走りで二人に駆け寄った。
「志穂さん! わあ、すごい偶然! 杉本さんも、せん……お久しぶりです」
うっかり、『先日はどうも』と声を掛けそうになり、飲み込んだ。
あのプロジェクトは他言無用なのだから、迂闊に口にしてはいけない。
杉本さんはそれに気がついたのか、「久しぶりだね」と少し笑った。
「ねえ、花。もしかしてあの方が……噂の梶さん?」
志穂さんが、驚いた顔をしながら小声で尋ねてきた。
「そうだよ! 紹介してもいい?」
「もちろん……って、あんなイケメン、合コンの一番人気どころじゃないじゃない……。はあ……、やっぱり花は違うわ」
「んん……? 合コンでは知り合ってないよ?」
「あ、いいの。こっちの話だから」
わたしは、少しだけ距離を置いてこちらを見守っていた梶くんを呼び寄せ、二人を紹介する。
「梶くん、わたしの友人の湯山志穂さんと、その恋人の杉本さんです」
志穂さんはすっと表情を外向きに変えて、にこやかに微笑んだ。
「はじめまして。湯山です。いつも花さんにはお世話になっています」
「志穂さんやろ? ようお名前は聞いてます。……花ちゃんに服を選んでくれはる人やんな?」
「そうですね。花さんは、気を抜くとすぐに無難に逃げようとするところがありますので、気になってつい……差し出口でしたか?」
「いやいや、センスええなあって思うてましたわ」
「お力になれたならよかったです」
「……あの、少しいいでしょうか?」
杉本さんが片手を小さく挙げて、間に入った。
「人違いであれば申し訳ないですが、もしかして……梶CTOご本人でいらっしゃいますか?」
「CTO!?」
志穂さんが驚いた顔でわたしを見るので、気まずさにそっと目をそらした。
「……そうやけど……ごめん。誰やっけ?」
「大変失礼しました。情報システム本部で社内SEをしております、杉本と申します。
先日、情シスのオンライン会議でご挨拶させていただきました」
「あー。そうなんや。あの日は忙しすぎて、全員の顔を覚えられんかったわ。ごめんなあ」
「いえ。ご挨拶できただけで光栄です。あの日は本物の梶CTOとお会いできて、情シス部が大盛り上がりでしたよ」
「ははっ。なんやそれ」
……よくわからないけれど、杉本さんはインサイトプロジェクト会議の後で、梶くんと顔合わせをしたらしい。
丁寧にお礼を述べながら、杉本さんは憧れの人に会えたという喜びをわずかに顔に残したまま、すっと後ろに下がる。
引き際を心得ている動きと、空気を読む力が、さすが志穂さんの恋人って感じがした。
すると、今度は志穂さんが一歩、前に出た。
「……あの、梶さん。わたしたちはこれから食事に行くんですけど、もしよかったら、ご一緒にいかがですか? 花はどう? お邪魔かしら?」
……志穂さんの目の圧がすごい。『逃げられると思うな』って顔に書いてある。当然断るなんて選択肢はなく、小声で答えた。
「……もちろん、行きたいです」
「花ちゃんがそう言うなら、ええよ」
「よかった。食の好みをお聞きしてもよろしいですか?」
「んー。俺は何でもええけど……」
「では、花の好みに合わせて選びますね」
志穂さんは、すっとスマホを取り出し、近場のお店をいくつか選定する。
それをわたしに見せながら、どれがいいか相談が始まった。
「お待たせしました。ここから近いので、歩いて移動しましょうか?」
スカイタワーを出た瞬間、ガラスの庇の向こうに、細い雨の筋が見えた。
夜景の明かりに溶けるような静かな雨で、地面には薄く光がにじんでいる。
「よかったら、これ使ってください。俺らは自分のがあるし」
「おおきに。気が利く人やね」
杉本さんが鞄から折りたたみ傘を差し出し、梶くんがさっと受け取って、わたしの頭の上に広げてくれる。
……よく考えたら、梶くんと相合い傘ってはじめてだ。
四人で歩く大手町の夜は、ビルの光が雨に滲んで少し色づいて見えた。
足元では、石畳の光が静かに揺れている。
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