きっと何かの現代ダンジョン
仕事帰り、指示された通りアプリでタクシーを呼んで、落ち着かない気持ちで乗り込んだ。電車で行ける場所にタクシーに乗ることさえ、わたしにはあまりにも非日常だ。
……これ、本当にここまでしないとダメなものなの?
急に過保護モードの梶くんが、だんだん違和感になってくる。
だけど、朝の梶くんは本気の顔だった。
……わたしがもっと甘え上手なら良かったな。
この状況を素直に喜んだり、受け入れたりできないのが心苦しい。
普通の彼女なら、もっと彼氏の昇進を喜ぶべきだよね……。
タクシーはゆっくりと右折し、夕暮れのビルの隙間へと入り込んでいく。
クリスマスのイルミネーションが窓ガラスに反射して、きらきらと細かく揺れていた。
◇
目的地に近づき、建物が遠目に見えた。
外観はガラスと金属の直線が交差したモダンなデザインで、高くそびえる建物の壁面は、青でも灰色でもない、都会の空気だけが持つ独特の色をしていた。
近づくほどに、その存在感が息を奪うほど大きくなる。
……正直、人が住む場所にはとても見えない。
「……これが、あの噂にしか聞いたことがないタワマン……」
タクシーを降り、覚悟を決めて、きらびやかな異空間に足を踏み入れた。
正面エントランスの自動ドアは、ホテルみたいに折れたガラス張りで、その先には白と淡い石灰色の、静かなロビーが広がっていた。
ここ……マンションの入口だよね? 迎賓館じゃなくて。
不審者に見られないようにコンシェルジュに軽く会釈をすると、丁寧にお辞儀を返されてしまった。
ドレスコードはなかったようだが、特に引き止められないことに、逆に落ち着かなくなる。
開いたエレベーターに乗ると、階層ボタンの下に黒いパネルがあり、
「カードをかざしてください」
という文字が、まるでRPGのチュートリアルみたいに光っている。
恐る恐るカードを翳す。
と、次の瞬間、パネルが青く点灯し、二十七階のボタンがふっと浮かぶように光る。
エレベーターに乗ることすら条件付きという人生初の体験に震えながら、ふと周囲を見回すと、天井も壁も鏡面仕上げで、どこを向いても怯えた顔の自分が映る。
「異世界だ……わたしはいま、異世界転生しておる……」
そうでないならここは、きっと何かの現代ダンジョン。
◇
居住階にたどり着き、エレベーターの扉が、静かに左右へ開いた。
空気がふっと変わり、高層階特有の、どこか乾いたような、ホテルの廊下みたいな香りがした。
部屋番号の前に立ち、緊張しながら梶くんから渡されたカードキーを翳す。
ピッと軽い電子音がして、ドアのロックが外れる感触が、指先に伝わる。
「……お、お邪魔していいでしょうか?」
誰に言うでもなく、小声で宣言してから、そっとドアを開けた。
「……玄関、広っ……」
待って。ここ、わたしの部屋……よりは狭いかもしれないけど、普通の玄関の広さじゃなくない?
大理石の床が白いからそう感じるのか、少なくとも六畳以上はありそうだ。
壁には淡いグレーのタイルが貼られ、照明は真っ白ではなく、落ち着いた間接光。
右手には、床から天井まで続くビルトインのシューズクローク。
いつか見たハリウッド映画で、こういう真っ白なシューズクロークを前に、おしゃれ系主人公が言っていた。
「夢の国みたい」だと。
……いやいやいや、恐怖の国だよ。
自宅にある靴を思い浮かべ、あれらをここに並べる勇気は、わたしにはないな、と思った。
そこでふと、足下を見る。
今日履いている編み上げのショートブーツは、この冬用に降ろしたものだからまだ真新しい。
それなのに、ここで靴を脱ぐのが急に恥ずかしくなる。
なんていうか、浮く。
この玄関にこの靴は、レベルの階層が違うのだ。
……志穂さんに相談して、もっとおしゃれな靴を買わないと、梶くんの部屋にただ遊びに行く勇気までなくしそう。
しかし、靴を脱がなければ部屋に上がることはできない。
広い土間の一番端にそっとブーツを並べ、それよりも明らかに高そうな、ふかふかのスリッパに履き替える。
絶対これ、数万円はするやつじゃん。
なんなの、わたしの靴より高いスリッパって……。
──拝啓、お母さん。
あなたの娘はいま、無課金装備でダンジョン高層階に挑むという人類の偉業を遂げています……!
誰か褒めて、わたしの勇気!
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