最終話『共鳴』①
秋の京都。
鴨川沿いを流れる風は冷たく、先斗町の細い路地に赤い提灯がいくつも灯っていた。
一見さんお断りの座敷に、海堂が独り、足を踏み入れる。
プロジェクトの凍結、真田の不在、混乱する梶を無理やり京都のサポートセンターへねじ込み、密かにモノリスの開発を課してきた。
あの日から、すでに三年以上経過している。
いくつか実績を積み、常務取締役への昇進も果たした。決して何もかもが停滞したわけではない。
だが、モノリスに関して言えば、梶の技術に頼り切りになっている現状が申し訳なくも、歯がゆくもあった。
傍受されないよう梶が設定した上で、メールや電話では度々会話してきたが、自分が京都に足を運ぶのは初めてだ。
知人に紹介を受け、信頼できる店を選定するだけでも一苦労。
外資系ファンドの腕の長さに、本当にここは日本かと言いたくなる。
「お座敷に呼び出すやなんて、さすが、海堂はんは男前やねえ」
仲居に案内され、梶が顔を出した。
襖を開けると、香ばしい炭の匂いがふっと漂う。
「お座敷遊びは男の夢やて、親戚のおじさんもよう言うてはりましたわ」
「あほか。芸妓は呼ばんぞ。俺とお前だけや」
「そおなんどすねえ。まあ、ええけどね。ハニトラが怖くて女性にはよう近づけませんし」
「……何かあったか?」
「せやなあ。確信はないんやけど、最近、サポートセンターに怪しい人間が一人いてますわ。但馬サイドの監視という雰囲気でもないし、あれはさっさと首にしはった方がええやろ。あとでデータ送ります。
他は、システムへの侵入が月に数回やな。
女性に声をかけられるんは、よおあることやけど、俺がモテるんは今に始まったことやないし」
普通ならツッコミを入れたくなる場面だが、梶は基本的に嘘をつかない。
事実を隠すことはあったとしても。
それがわかるから、海堂はそのまま疑問を口にする。
「……それが罠だっていう確信は?」
「ありませんよ。女性には一切、関わらないようにしてるんで。そもそも、そんな気ぃが起きへんし」
「そうか……」
海堂は、改めて久しぶりに会う男の顔を眺めた。
昨年末に東京に呼び出したときは慌ただしく、食事をする時間すら取れなかったが、仄暗い灯りの下で見る梶は、以前と顔つきが全く違っている。
ああ、こいつは大人になったんだな、と思う。
初めて出会った頃はまだ少年らしい青臭さがあったのに、今はすっかりそれが抜けた。
それなのに、まもなく三十歳を迎えるとは思えない、不思議な危うさを孕んでいて、照れもせずにモテるという言葉を吐くだけの説得力があった。
いつからこうなったのか。誰がこんな影を植え付けたのか。
原因が自分にも大いにあるとわかっていながら、つい聞きたくなる。
存在そのものに凄みが増していて、本当にこれがあの「少年」だったのかと俄かには信じられないくらいだ。
そこまで考え、ああ、そうか。と、海堂は納得した。
「梶……お前、しばらく見ない間に、なんか真田に似てきたな」
「そおどすか? どこらへんがやろ」
「雰囲気と、話し方。……呼吸の間合いっていうのか?
前のお前はそんなゆっくりした喋り方はしなかっただろう。
まあ、故郷に戻って、単にこっちの水に合うようになっただけかもしれんが……京都弁でなければ、あいつと話しているみたいだ」
梶は低い声で笑った。
「なるほど。そら確かに、俺は真田さんとよお、話しとるしなあ」
その言葉に、海堂が一瞬、呼吸を止めた。
「ああ、ちゃうちゃう。本人とやないですよ。頭の中におる真田さんと、ずっと会話しとんや。
イマジナリーフレンドっちゅうんかな。
壁に当たったときは特に。こういうとき、あの人ならどうするんやろ、とか。
ここに真田さんがいてはったら、どんな意見をくれるんやろ、とか。
不在がその存在を証明するいうんは、こういうことなんやろね。
あの人がおらんようになってからの方が、ずっと、真田さんを身近に感じるさかいに。
なんやろねえ……じいちゃんが死んだ時も、こうやったなあ」
あの夜の真田の真剣な言葉を思い出し、どう答えていいかわからない。
少しの沈黙の後に言えたのは、「……あいつは生きてるぞ」という言葉だけだった。だがそれも、梶は一蹴する。
「ははっ。もちろん知ってますわ。ノースカロライナのリサーチトライアングルやろ? アペックスが提携している企業研究所」
「…………なんで……知ってるんだ?」
「海堂さんこそ、なんで俺を相手に、情報を隠せると思うとんねや。
んなわけないやろに。ほんま、案外青いんよなあ」
「うっせえわ、ガキが」
ふたりはしばらく黙って盃を傾けた。
座敷の外から三味線の音がわずかに漏れ、秋風が障子を揺らす。
「……こっちにも情報が入ってる」
「そらそうでしょうね。……この間、自宅に鏑木さんが押しかけて来はったんは、海堂さんの差し金ですか?」
「なに? そんな話は知らんぞ? それに……彼女は但馬専務の紐付きだろう」
「そっちかあ。なるほどねえ。あの
「それより、佐々木花とはどうなっている? ……彼女は、大丈夫なんだろうな」
「気軽に花ちゃんを呼び捨てにせんといてや」
「……思ったより重症なんだな」
「そもそも俺に聞かんでも、あんさんはリンクスの社長さんやろ?
配下の人間の情報なんて、隅から隅まで覗ける立場やないですか。
腹立つなあ。俺の大事な彼女やのに」
「ああ、うん……。今のでだいたいわかった。もう言わなくていい」
だが、それは梶には看過できない言葉だった。
「いいや、なんもわかってへんわ。
あの子には一切、手を出さんといてくれ。
そんなことされたら、うっかりモノリスが狂うかもわからんよってに」
「おい! 冗談でもやめろ」
「そっちこそ、冗談でも彼女の名前をまな板に載せようとすんな。
これは脅しやない。俺とあんたの信頼の話や」
海堂は深く息を吐いた。
「……悪いが厄介なことになった。
但馬専務が近々、新しいプロジェクトを立ち上げる。名目は『次世代モノリス計画』。実態は再稼働だ。しかも、そのメンバーに──佐々木花の名がある」
梶の手が止まる。
「……なんやねん、それ」
「電話では話せなかった。だから今日、ここに来た。お前に相談するために。
梶、東京に戻ってこい。
お前の手でモノリスを守れ。彼女も、だ」
梶は盃を置いた。
目の奥に、光が一瞬だけ走り、それは海堂を怯ませるほどの力があった。
「……ほんま、どいつもこいつも、なんやねんな。……俺は叩けば音が鳴る玩具とちゃうんやけど……」
「……本当に済まない。俺の力不足だ」
梶は、はっと乾いた笑いをして、そのあと、こめかみを押さえ長いため息をつく。
「俺にはもう、ようわからんのや。
これは一体なんのための戦いで、誰のための戦いなんか。
……せやけど、一個だけ、どうしても譲れん大事なことがある」
「……聞こう」
海堂の言葉が、畳に沈むように低く響いた。
梶は盃を指で転がしながら、しばらく何も言わなかった。
外では風鈴が鳴り、灯りの影がゆらりと揺れる。
その静けさの中で、彼はようやく顔を上げた。
「心配せんでも、モノリスには最後まで付き合う。
せやから、佐々木花を、あんたらの権力争いや企業間闘争とかいう、ほんまどうでもええもんに巻き込まんといてくれ」
目の奥に宿るのは怒りでも悲しみでもなく──ただ、大事なものを守る者の覚悟だった。
「さっきも言うたけど、それだけが、俺の本心やさかいに」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます