第五話『歪んだハレルヤ』①

 それから数か月。

 梶は大学と関内のマンションを行き来しながら、海堂と真田の下でデータ設計を手伝っていた。部屋の片隅に置かれた一枚のホワイトボードには、海堂の手跡で、大きく MONOLITH の文字が書かれていた。


 アペックスが開発しようとしている中枢 AI「モノリス」は、「社員の疲弊度を減らし、より働きやすい企業をつくるための構造物」として設計されている。


 創業者・後藤田黎一が掲げた理念──

「がんばっている人が報われる会社をつくりたい」

 その言葉を、息子である総一が、どうやったら 21 世紀に実現できるか考え抜いた結果が、AI 開発の始まりだった。


 モノリスは二つのスコアを基盤にしている。


 一つは Balance Score(バランススコア)。

 調和を意味し、人の貢献や努力の過程を見える化し、「続ける勇気」を支えるための仕組み。

 二つ目は Liberty Score(リバティスコア)。

 自由を意味し、成果を最大化するために設計され、組織の効率性を引き上げる。


 人事評価 AI として始まったプロジェクト・モノリスだが、開発の過程で、人を評価するためではなく、倒れそうな誰かの背中の下に、そっとレールを敷くための AI に変化していった。


 真田は最初に言っていた。

 個人がスマホで気軽に利用する AI を自動車に例えるのなら、モノリスは大型鉄道のようなものだと。


 梶は、その比喩に妙な説得力を感じていた。人を乗せ、運び、支え、時には迷わせる。一度レールが敷かれれば、多くの人間がその上を走るしかなくなる。構造に誤りがあれば、軌道ごと未来を狂わせてしまう。だからこそ──誤魔化しのない確かな構造が必要だった。


 議論の夜は、いつも突然に始まる。


「昨日のデータ見ましたか? 個人の疲労値と発言頻度が反比例してる」

「なるほど。じゃあ、AI がそれを事前に検知できれば、過労を減らせるかもな」

「簡単に言うなや。検知しても、止める指針がない」


 彼らのやり取りは、研究というより喧嘩に近かった。だが、そこは誰にも嘘がなかった。それぞれの理屈で、ひとつの理想を描こうとしていた。


 テーブルの上には、艶を消した黒の立方体が鎮座している。それが、モノリスの初期モデルだった。表面には淡い青いラインが走り、指先で触れると光が脈を打つ。接続されたノート PC には、無数のコードが流れている。


 梶がコードの海に指先を沈めるたび、世界の方が勝手に後ろへ流れていった。この頃は、それが夢を追っているという自覚さえなかった。自分の本気の構想を、彼らはいつも疑わずに受け止めてくれる。誰に憚ることなく夢中になってモノリスと向き合う日々に、揺るぎない多幸感を感じた。


 月日が流れ、梶は大学院を修了し、アペックスホールディングスに入社した。関内のマンションは海堂が売却し、開発拠点は大手町にある本社の研究室へ移された。以降、梶の生活の中心はそこになった。最初から表に出ることを任された真田とは違い、海堂の方針で、社内のシークレット扱いになった。開発の秘匿性と安全性を鑑み、社員名簿に名前すらない。社内の誰も、自分が何者であるかということを知らない。入社から一年経っても、どこか、知らない家に間借りしているような気分になるのは、そのためだった。


 テストケースの本格運用が始まったのは、そのころだった。人の心を扱うものを作っているという実感は、まだない。


 最初のテストは、社員三名を対象に行われた。


 ◇


 CASE 1:営業部・山田エリカ(26)

 悩み:上司との認知のズレで、承認待ちが常に遅れる。


 モノリスは彼女のメール送信ログを数千件解析し、「深夜に送ったメールほど返信が遅くなる」という逆効果パターンを検出。「朝の 9 時台に送った方が、上司の反応率が 37%高い」という最適タイミングを提示した。上司からの承認待ちの時間が短縮され、提案資料の質とスピードが安定する。その結果、三週間後には提案の回転率が上がり、商談成功率は 12%改善していた。


 ◇


 CASE 2:管理部・佐伯達郎(41)

 悩み:離職が続き、部署の空気が重く、チームの判断力が下がっていた。


 モノリスは、会議発言ログ、社内チャットのタイムスタンプ、部下の業務進捗データを横断解析し、「火曜 15〜17 時にチーム全体の発言が極端に減る」=沈黙の谷を特定した。


 さらに、佐伯本人のログを何千件も照合し、返信が著しく遅くなる時間帯、会議で集中力が欠如するパターン、決済判断の後ろ倒しなど、「週次疲労パターン」を検出。


 「火曜 15〜17 時の会議を水曜午前に移すと、判断負荷が下がり、発言量が 28%回復する可能性があります」と、モノリスは提案した。すると、会議の時間を変えただけで、部署のコミュニケーションが明らかに軽くなる。一ヶ月後、彼のチームの離脱リスクスコアは −4.3%改善した。


 ◇


 CASE 3:開発部・大塚芽衣(29)

 悩み:ミスを恐れ、レビュー依頼までに毎回何日もかかる。


 モノリスは彼女のコードコミット履歴とバックログを解析。同年代のエンジニア 150 名のデータと比較し、「リスク過大評価による行動停止パターン」を特定。彼女はエラーが発生すると、再挑戦が平均より 4.6 倍遅くなり、コメント欄や指摘を「自分への否定」と無意識に誤解する傾向があった。


 モノリスは、「小さな修正を 10 分以内に再提出する再挑戦ループを導入すると、成功率が平均より 17%高まるパターンがあります」と提示。


 大塚は試しに、一つのミスに対し 10 分以内の即再提出を三回繰り返したところ、翌週にはプロトタイプの提出ができ、レビュー評価はチーム平均を上回った。


 ◇


 CASE 3:開発部・大塚芽衣(29)

 悩み:ミスを恐れ、レビュー依頼までに毎回何日もかかる。


 モノリスは彼女のコードコミット履歴とバックログを解析。同年代のエンジニア 150 名のデータと比較し、「リスク過大評価による行動停止パターン」を特定。彼女はエラーが発生すると、再挑戦が平均より 4.6 倍遅くなり、コメント欄や指摘を「自分への否定」と無意識に誤解する傾向があった。


 モノリスは、「小さな修正を 10 分以内に再提出する再挑戦ループを導入すると、成功率が平均より 17%高まるパターンがあります」と提示。


 大塚は試しに、一つのミスに対し 10 分以内の即再提出を三回繰り返したところ、翌週にはプロトタイプの提出ができ、レビュー評価はチーム平均を上回った。


 ◇


 海堂が画面を見つめ、息をのんだ。指先がわずかに震えているのを、自分で抑え込む。


「……動いたな」


 画面の中で、モノリスの青白いパルスがひとつだけ脈打つ。ただの数値ログではない。判断の痕跡だった。


 未来予測は、本来なら神の領域だ。だが、梶が書いた未来予測モジュールは、その禁忌に触れた。人が何かを選ぶ前に、未来の揺れを予測してしまったのだ。


 モノリスは対象者がまだ迷い始める前の段階で、行動の揺れを確率的に予測し、次の判断を提示する。


 真田が腕を組み、苦笑とも溜息ともつかない息を漏らす。


「理屈の上では完璧ですね。でも……正しさだけで現場の感情までは扱えない。テストを重ね、慎重に判断しないと……」


 会議室の空気がわずかに張りつめる。CEO の後藤田総一が、映し出されたダッシュボードを黙って見つめていた。そこには、社員の声、行動ログ、心理ストレス指数、そして AI が提案した最適解が精密に並んでいる。


「……これは、世に出したら……市場の原理そのものを変えてしまわないか……? 未来予測をこの精度で外さないとなれば──企業はもう、人間の判断に戻れなくなるぞ」


 低い声でそう呟いた瞬間、室内の温度が一度下がった気がした。海堂ですら、返す言葉を失う。


 真田がゆっくりと視線を上げる。


「お望みなら市場用を作れますよ。ただし、制御を入れないと危ない。正しすぎる構造は、人を救う前に、人の選択する自由を奪います」


 その言葉に、誰も続けられなかった。

 

 梶は黙って画面を見つめていた。理由のわからない不安が、内側から徐々に広がっていく。


 ……これ、間違った手に渡したら、人より先に、心が死ぬかもしれへん。


 自分たちが創り出したものの正体を、このとき梶はようやく悟った。

 けれど不安を声にした瞬間、この部屋の空気を壊してまう気がして、その言葉をそっと噛みつぶす。


 画面の奥で、青白い光がもう一度だけ静かに脈打った。まるで、生まれたばかりの何かが呼吸を始めたかのように。


 ……しかし結果として、この三件の成功例は、観測の歪みの始まりだった。

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