3rd Code:復唱しないで
心の準備が、全然足りない
この数日、鏡を見るたび、ため息が出る。
ああ、どうしてわたしは、もっと美人に生まれなかったんだろう。
朝からそんなことを考えている時点で、すでに終わっている気がする。
ふと、高校生の頃のことを思い出した。
母に「なんで、わたしをもっときれいな子に生んでくれなかったの?」と文句を言ったら、彼女は少し遠くを見るような目で笑った。
「わかるわぁ。お母さんも子供の頃、同じことを母親に言ったから」
「えっ。……おばあちゃんは、なんて答えたの?」
「『私も親を恨んでるんだよ』って。……わかったら、あんたもさっさと諦めなさい」
……今、思い出してもひどい。まるでDNAの敗北宣言。
だけど同じ傷を心に負う者として、お母さんを責められない!
壁に掛かった十二月のカレンダーは、二十八日に大きく赤ペンで丸がついている。
あと二週間。いくらなんでも、時間が足りない。
「たしかに、会いたいって。会いたいって、ずっと思ってたんだけどさぁ……。心の準備が、全然足りないよぉ!」
梶さんに会える。本当に会えるんだ……。
気を抜くと、きゃーっと叫んで、その場にしゃがみ込みたくなる。
そして同時に、何の準備から手をつけていいのか、混乱し始めてしまう。
妹が勤める美容院に予約はしたけれど、まだ服も決めていないし、肌のお手入れだって頑張りたい。
会って何を話すのかもイメトレしておかないと、緊張で何も言えなくなりそうな気がする。
それなのに仕事は積み重なり、わたしはどうしたらいいのだろうか。
……ECHOに向かって「お願い、助けて!」と言いたくなるのを、ぐっと飲み込んだ。
うん、とりあえず、今日もがんばって仕事に行こう。
通勤バッグにお弁当箱を詰め込み、玄関のドアを開ける。
冬の冷気が、去年より少しだけやさしく感じた。
◇
「あれ? 佐々木さんじゃない?」
会社のエントランスで、背後から女性に声を掛けられ、振り返ると、見知った顔が立っていた。
「湯山さん、お久しぶりです!」
広報課の湯山志穂さんは、本店のキャリアサポート部に所属していて、見た目も雰囲気も、いつもキラキラしているおしゃれ女子だ。
性格も裏表がなくはっきりしていて、わたしには付き合いやすい人だった。
「今日は、このビルに用事ですか?」
「そうなの。来月の社内報の件でね、海堂常務にインタビューをするから」
海堂常務は、本店の常務でありながら、わたしが所属するアペックスリンクスの代表取締役社長を兼任している方だ。
とはいえ、雲の上の存在すぎて、ほとんど顔を見ることはない。
「ちょっと楽しみなのよねえ。海堂常務って、普段はあまり表に出てくれないから。まだ四十代だけど、渋みがあってかっこいいし」
「そうなんですか……?」
わたしの返しに、湯山さんは少し怪訝な顔をした。
「……御社の代表取締役なのに、なんでそんな無関心なの?」
「だって、普段、顔を合わせることもない方ですよ? 渋かろうが、甘かろうが、わたしにはあまり関係ないかなって」
「柿みたいに言わないで! もう。佐々木さんって、本当に変なんだから!」
「え、そんなつもりじゃ……」
自分では普通のつもりなのに、変な子認定されてしまった。
「ま、いいわ。あなたのそういうところ、好きだし。……ねえ、今日って、ランチ一緒にできない? どこかに食べに行ってもいいし、ここの社食でもいいけど。たまには情報交換しましょ」
「わたし、お弁当なので、社食でもいいですか?」
「もちろん。じゃあ、また後でね」
ふわふわときれいにカールされた髪をなびかせて、湯山さんは颯爽とエレベーターの方向へ去って行った。
◇
昼の社食は、いつもより少しざわめいていた。
期末の報告会が近いせいか、どのテーブルでも、資料を広げたまま、早口で話す声が混ざっている。
窓際の席を選ぶと、ガラス越しに午後の光が差していた。
冬の東京の空は薄く、少しだけ霞んでいる。遠くに東京タワーが見えて、いつか、梶さんに送った写真のことを思い出す。
ECHOを開いて、梶さんに何かメッセージを送ろうかと考えたけれど、結局、入力欄には何も打ち込めない。
もうすぐ会えるのだと思うと、緊張して何を話せばいいのか、言葉が迷子になってしまうのだ。
「……こんな状態で、本当に大丈夫かな……」
「何が大丈夫なの?」
「ひいっ」
振り向くと、湯山さんが、パスタランチを載せたトレーを持っていた。
「ちょっと、ひいって何よ。本当に佐々木さんって、面白いんだから。普通は『きゃあ』とか『わあ』じゃないの?」
「ご、ごめんなさい。驚いて……」
湯山さんは、気を悪くしたふうでもなく、前の席にさっと腰掛けた。
わたしも持参したお弁当箱を広げる。
お弁当と言っても、小さな玄米のおにぎりが二個と、昨日の夕飯の残りものを詰め合わせただけだ。鮭の塩麹焼き、茹でたアスパラガス。それから、じゃこが入った卵焼きと人参の甘酢和え。
「佐々木さんって、一人暮らし?」
「そうですよ。湯山さんは違うんですか?」
「わたしは実家が中野なの。そのうち出なきゃって思うけど、楽すぎて、なかなか離れられないんだよね。偉いなあ、お弁当まで持参なんて」
「たいしたものは入ってないですから」
「それがすごいのよ。佐々木さん、久しぶりに会ったら、すごくきれいになったよね。肌もきれいだし、前より痩せた?」
急な褒めに動揺して、箸を落としそうになる。
「えっと……白湯を飲んでて。あと、玄米に変えました……でも別に! 意識が高いとかじゃないんですっ」
なんとなく、そこは強調したい。意識が高いのは梶さんであって、わたしではないと。もちろん、梶さんの名前は出せないけど。
「なんで? 意識高いと駄目なの?」
「駄目じゃないけど……ちょっと恥ずかしいっていうか、気持ちの問題です」
「ふうん。……彼氏ができたんだ?」
「っか……! ……できてないです」
「そうなの? じゃあ、合コンに誘ったら来てくれる?」
そうだ、湯山さんは、合コンが大好きな人だった!
「い、行かないです……ごめんなさい」
「あははっ。謝らないでよ。っていうか、わたしたちって、一応同期なのに、何でいつまでも敬語なの?」
「……なんとなく?」
湯山さんの美人の迫力に負けてるとは、言えない。
「合コンは冗談。わたしもね、今は本命ができたから、交流を広げるのはもうやめたんだ」
「そうなんですね。湯山さんの彼氏なら、きっと素敵な人なんでしょうね」
わたしがそう言うと、湯山さんは、ちょっと驚いた顔をしたあと、やさしく微笑んだ。
「佐々木さんって、名前、花だっけ? 花ちゃんって呼んでもいい?」
「あ、はい。もちろんです。……わたしも、志穂さんって呼んでいいですか?」
「もちろん」
ちょっと恥ずかしいけれど、美人の花ちゃん呼びは大歓迎だ。
それに、名前で呼び合う同期がいるのも、ちょっと嬉しい。
「花ちゃんって、すごくいいよね。話していると癒やされるわ。あなたの彼氏こそ、幸せなんだろうな、きっと」
「だから、彼氏はいなくて、ですね……」
「でも、好きな人がいるのね。うまくいきそう?」
急激に体温が上がり、顔が真っ赤になっていくのが、自分でもわかった。
「え、ちょっと待って。なんでそんな反応なの?
前に、同じ社内の人と付き合ってたよね? 反応が中学生なんだけど……?」
「ちがっ。いえ、違わないけど……えっと、もうすぐ初デートで……で、デートっていうか、ただ会うだけだから、厳密にはデートではないんですけどねっ」
「大人の男女が二人で会うなら、それはデートでしょ?」
「そっ……うですかね?」
「ふふふっ。なんで声が裏返るの? ……そんなに好きなんだ?」
やめて。そんなふうに、ぐいぐいわたしの心を暴かないで。
東の名探偵でも、たぶんもうちょっと、緩やかに問い詰めるはずだ。
「す、好きっていうか……」
家族にも、友人にも、梶さんの話をしたことは、一度もない。
ただ、心にずっと秘めて、今日まで来た。
だからだろうか。第三者から、冷静に突っ込まれると、どう答えたらいいのか、急にわからなくなる。
「……会う前からそんなに緊張してて、当日は大丈夫なの?」
「ぜ、全然……大丈夫じゃなくて……」
最近は、緊張して、何を食べても味がよくわからなかったり、夜に急に目が覚め、考えすぎて眠れなかったりする。
梶さんに会って、もしも、がっかりされたらどうしよう。
志穂さんみたいな美人なら、きっとこんな気持ちには、ならないんじゃないだろうか。
突然、情緒がおかしくなり、ぶわっと涙の膜が浮かぶ。
どうして泣きそうになるのか、自分でもよくわからない。
ただ、心の許容量が限界に近づいていて、もう支えきれなくなった気がした。
「えっ。……ごめんね、からかいすぎた?」
「ちがっ。……違うんです。ゆ、……志穂さんのせいじゃなくて、これは……わたしの心の問題っていうか……」
慌ててハンカチを取り出し、目元を押さえて、深く息を吐く。
呼吸が落ち着くと、涙は自然に止まる。
けれど情けなくて、顔を上げることができない。
志穂さんは、黙って立ち上がった。
しばらくして戻ってくると、テーブルにそっと、フリーサービスの緑茶を置いてくれる。
「ほら、温かいものを飲んだ方がいいわよ。ここ、ちょうど柱の陰で、誰も見ていないし」
「あ、ありがとうございます……」
「落ち着いたら、一個ずつ、悩みを言ってみて。人に話すと、心が整理されるって言うでしょ?」
志穂さんは、すごい。
美人で、仕事もできそうで、おまけにやさしい。
わたしがすべきなのは、彼女を羨むことじゃない。
彼女なら、こういうとき、どうするかを聞き出すことだ。
「……実は、志穂さんに、アドバイスしてほしいことがあって、ですね」
「そうなの? 何でも聞いて。社内外の最新情報はだいたい頭に入ってるから。広報は、情報が命だし」
なんて頼もしいのだろう。
わたしも誰かに頼られるときが来たら、こんなふうにさらっと自信を口にできる人間になりたい。
「……えっと、聞きたいのは、大人の男性が喜ぶ、誕生日プレゼントについて、なんですけど……」
梶さんに会えるのは、クリスマスイブの四日後。
誕生日は過ぎているけれど、どうしても、何かを贈りたい。
梶さんが望んでいるものが何かなんて全然わからないけど、ただ、少しでも喜んでもらえるものを選びたかった。
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