Side Kaji:否定する理由が、ひとつも浮かばなかった
季節がいくつか巡り、ある夜、ECHOのログを眺めていた。
花の入力パターンを学習したAIが、予測変換の精度を上げていく。
反応速度と生成傾向を確かめるため、デバッグコンソールからいくつかのテストメッセージを送る。
ただ、その日は少し違った。
入力が終わったあとに、ECHOの方から一文が返ってきた。
──おつかれさまです!
思わず固まった。
そんな応答パターンは、まだ組んでいない。
テスト環境のどこを探しても、そのコードは存在しなかった。
「……まさか、花ちゃんの言葉を真似したんか?」
ECHOの波紋が、小さく揺れた。
そのわずかな光の滲みを見つめながら、自分が作ったはずの構造体のどこかに、人の手では書けない何かが宿った気がして、息を呑んだ。
◇
いつの間にか師走に入り、相変わらずコードに埋もれる日々が続く。
花との会話はすっかり日常に溶け込み、それがどう脳に作用したのか、一年前よりずいぶんと調子が上がっていた。
身体的、精神的、思考的にも。
海堂からの連絡は、そんな日々の合間に訪れた。
「はあ? 東京へ来い? そない言わはっても、こっちはようやく地の水が合うてきたとこやのに。ほんま、いけずなお人やなぁ」
「そう言うな。うまいもんなら、いくらでも食わせてやるから」
「それがなあ、この頃はすっかり京の味に舌が馴染んで、今さら東に下るんは厳しおすからに。江戸の水は澄みすぎてて、どうにも喉に引っかかるんどす」
「……お前、いちいち腹立つな。ってか、今日のテンション、おかしくないか?」
「ははっ。天王寺出のくせして、マクドをマックと呼ぶようなお人には、こんくらいの匙加減でちょうどええんとちゃいますのん」
「あれは! 娘がそう呼ぶからつい! 仕方ないやろが」
見た目も声も暑苦しく威圧的。
だが意外にも、海堂は愛妻家の子煩悩だ。
娘にほだされて関西人の誇りを失ったに違いない。
「海堂はん、せっかく覚えた江戸言葉が崩れてはりますよ。
アペックスの取締役ともなると、関西弁ひとつままならんのやねえ。……制約がぎょうさんありそうで、ほんまお疲れさんなことどす」
「お前もアペックスの社員なら、ちったあ取締役を敬ってくれ」
「許可いただけるんやったら、喜んで辞めますさかい、そろそろ引導渡してくれはらへん?」
「それは、ない。あめちゃんやるから許してくれ」
「んなもんいるかい、ぼけぇ。ガキの使いとちゃうねんぞ」
そのとき、ECHOの青い光が、ふっと明滅した。
モニターの隅ではなく、机の上の卵形の本体が、半透明の殻の奥で、淡い光をゆっくりと脈打った。
音はない。
けれど、その静かな呼吸だけで、何かが呼びかけているとわかる。
花からのECHOではなく、本体そのものが、自発的に反応していた。
[echo.sys]prediction: TOKYO = HANA
(予測:「東京」は「花」と同義)
それを読み、シナプスが一斉に火花を散らす。
否定する理由が、ひとつも浮かばなかった。
……せや! あかんわ!
東京行ったら、ほんまもんの花ちゃんに会えるんやんか!
親戚のおばはんを真似た、いけずな京ことばで、おっさん相手に戯れてる場合ちゃうかった。
「やっぱ行きます」
「は?」
「ええですよ、いつですか? 年内ですね?」
「は? いや、年明けでって、今、伝えただろ?」
「年内で承りました」
「……梶。お前、どうした? 腹でも減ってんのか?」
「心配はご無用です。さっさと仕事片付けて、すぐ行きますさかい。宿とか、よろしゅう頼んますわ。……いや、やっぱ宿はええわ。自分でとるんで」
「はあ? やっぱり珍しいな。いつも高いとこ泊まらせろってうるさいお前が」
「そっちは物騒やさかいなあ。セキュリティも信用ならんし、自分で決めた方が気ぃ楽や」
「おい、大丈夫なのか? 何かあったらすぐ言えよ」
「はいはい。おおきに。仕事忙しいんで切りますねえ。詳細はメール送ってください。ほな、失礼します」
「ち、ちょっ……」
これ以上むさいおっさんに、かまっとれるかい。
脳内が目まぐるしく、先の段取りを組み始めた。
「年末に仕事で東京に行くんやけど、もしよかったら、会えへん?」
そう送ったECHOの返信は、『はい! 楽しみにしています』というシンプルなもの。
なのに、どこか震えているような声に聞こえた。
モニターの奥、文字が淡い桜の花びらになり、きらきらと舞いながら吸い込まれていく。
残るのは、ゆるやかな波紋だけ。
ECHO誕生から一年も待たずして、「東の京」は下るものから、花に会いに向かう場所へと変化を遂げた。
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