Side Kaji:否定する理由が、ひとつも浮かばなかった

 季節がいくつか巡り、ある夜、ECHOのログを眺めていた。

 花の入力パターンを学習したAIが、予測変換の精度を上げていく。

 反応速度と生成傾向を確かめるため、デバッグコンソールからいくつかのテストメッセージを送る。

 ただ、その日は少し違った。


 入力が終わったあとに、ECHOの方から一文が返ってきた。


 ──おつかれさまです!


 思わず固まった。

 そんな応答パターンは、まだ組んでいない。

 テスト環境のどこを探しても、そのコードは存在しなかった。


「……まさか、花ちゃんの言葉を真似したんか?」


 ECHOの波紋が、小さく揺れた。

 そのわずかな光の滲みを見つめながら、自分が作ったはずの構造体のどこかに、人の手では書けない何かが宿った気がして、息を呑んだ。



 いつの間にか師走に入り、相変わらずコードに埋もれる日々が続く。

 花との会話はすっかり日常に溶け込み、それがどう脳に作用したのか、一年前よりずいぶんと調子が上がっていた。

 身体的、精神的、思考的にも。


 海堂からの連絡は、そんな日々の合間に訪れた。


「はあ? 東京へ来い? そない言わはっても、こっちはようやく地の水が合うてきたとこやのに。ほんま、いけずなお人やなぁ」

「そう言うな。うまいもんなら、いくらでも食わせてやるから」

「それがなあ、この頃はすっかり京の味に舌が馴染んで、今さら東に下るんは厳しおすからに。江戸の水は澄みすぎてて、どうにも喉に引っかかるんどす」


「……お前、いちいち腹立つな。ってか、今日のテンション、おかしくないか?」

「ははっ。天王寺出のくせして、マクドをマックと呼ぶようなお人には、こんくらいの匙加減でちょうどええんとちゃいますのん」

「あれは! 娘がそう呼ぶからつい! 仕方ないやろが」


 見た目も声も暑苦しく威圧的。

 だが意外にも、海堂は愛妻家の子煩悩だ。

 娘にほだされて関西人の誇りを失ったに違いない。


「海堂はん、せっかく覚えた江戸言葉が崩れてはりますよ。

 アペックスの取締役ともなると、関西弁ひとつままならんのやねえ。……制約がぎょうさんありそうで、ほんまお疲れさんなことどす」

「お前もアペックスの社員なら、ちったあ取締役を敬ってくれ」

「許可いただけるんやったら、喜んで辞めますさかい、そろそろ引導渡してくれはらへん?」

「それは、ない。あめちゃんやるから許してくれ」

「んなもんいるかい、ぼけぇ。ガキの使いとちゃうねんぞ」


 そのとき、ECHOの青い光が、ふっと明滅した。

 モニターの隅ではなく、机の上の卵形の本体が、半透明の殻の奥で、淡い光をゆっくりと脈打った。

 音はない。

 けれど、その静かな呼吸だけで、何かが呼びかけているとわかる。

 花からのECHOではなく、本体そのものが、自発的に反応していた。


[echo.sys]prediction: TOKYO = HANA

(予測:「東京」は「花」と同義)


 それを読み、シナプスが一斉に火花を散らす。

 否定する理由が、ひとつも浮かばなかった。

 

 ……せや! あかんわ!

 東京行ったら、ほんまもんの花ちゃんに会えるんやんか!

 親戚のおばはんを真似た、いけずな京ことばで、おっさん相手に戯れてる場合ちゃうかった。


「やっぱ行きます」

「は?」

「ええですよ、いつですか? 年内ですね?」

「は? いや、年明けでって、今、伝えただろ?」

「年内で承りました」

「……梶。お前、どうした? 腹でも減ってんのか?」

「心配はご無用です。さっさと仕事片付けて、すぐ行きますさかい。宿とか、よろしゅう頼んますわ。……いや、やっぱ宿はええわ。自分でとるんで」

「はあ? やっぱり珍しいな。いつも高いとこ泊まらせろってうるさいお前が」

「そっちは物騒やさかいなあ。セキュリティも信用ならんし、自分で決めた方が気ぃ楽や」

「おい、大丈夫なのか? 何かあったらすぐ言えよ」

「はいはい。おおきに。仕事忙しいんで切りますねえ。詳細はメール送ってください。ほな、失礼します」

「ち、ちょっ……」


 これ以上むさいおっさんに、かまっとれるかい。

 脳内が目まぐるしく、先の段取りを組み始めた。


「年末に仕事で東京に行くんやけど、もしよかったら、会えへん?」


 そう送ったECHOの返信は、『はい! 楽しみにしています』というシンプルなもの。

 なのに、どこか震えているような声に聞こえた。


 モニターの奥、文字が淡い桜の花びらになり、きらきらと舞いながら吸い込まれていく。

 残るのは、ゆるやかな波紋だけ。


 ECHO誕生から一年も待たずして、「東の京」は下るものから、花に会いに向かう場所へと変化を遂げた。

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