届いた瞬間に意味を終える

 梶さんと知り会って、はじめて気がついたことがある。

 大人の片思いって、すごく難しい。

 学生の頃みたいに、廊下ですれ違う偶然も、昼休みに顔を合わせる時間も、どこにもないし、連絡がしたいと思ったら相応の口実がいる。

 仕事とか、用事とか、偶然を装った理由とか。

 だから、毎日なにか話しかける理由を探していた。

 天気のことでも、仕事のことでも、なんでもいい。ほんの少しでも、彼と繋がっていたかった。


 だけど現実は、残酷なくらい静かだ。

 「少し話したいだけ」なのに、その少しの理由が難しい。

 ──そんなわたしのところに、突然届いたのが、このECHOだった。


 意味のわからない機能がいくつもついていて、どう使うのが正解かもわからない。それでも、梶さんが誕生日プレゼントにくれたというだけで、それはわたしにとって、十分すぎるほど特別だった。


 ECHOを起動すると、淡い青の画面が静かにひらく。

 波紋がひとつ、ゆっくりと広がっていく。

 何度見ても不思議な気持ちになるし、梶さんの見ている世界は、わたしが見ているよりずっと美しいものなんじゃないかと思わされた。

 ……たった数行のメッセージと波紋だけで、世界が少しだけやわらかくなるのだから。


 インストールした翌朝、梶さんからECHOが届いた。

 彼は会社で、AIとのコミュニケーション機能をもつアプリをいくつか試作していて、ECHOはそのプロトタイプらしい。


 あくまで試験的なものだけど、わたしが彼にメッセージを送ることで、「人の心のゆらぎ」や「呼吸の取り方」をAIが学んでいくのだという。

 そして、ECHOは「個人を識別しない形で、反応パターンだけを学習する仕組み」らしい。


 正直、その言葉の意味はまったく理解できなかった。

 「そうなんだ! すごいですね!」以外になんて言えばいいのか。

 けれど、会話の最後に添えられていた一文が、わたしの心を撃ち抜いた。


 ― せやから、モニター代わりに使ってくれへん?

  花ちゃんの言葉のリズム、落ち着いてて、ええ感じやと思って。


 画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。

 仕事の一環だと頭ではわかっているのに、わたし個人に向けられたやさしさのように聞こえる。


 わたしの言葉のリズム。

 そんなことを誰かに言われたのは、生まれて初めてだった。

 そして気づけば、理由もわからないまま、そのアプリの画面を、何度も開いてしまうようになっていた。


 「……あれ? よくわからないけど、これってわたし、脳の報酬系とかいうやつ、マスターしてるんじゃないの……!?」


 想定外の幸運に、静かな波が胸に押し寄せて、しばらく何も考えられなかった。



 それからわたしは、ちょっと厚かましいくらいには、梶さんに頻繁にECHOを送るようになった。

 梶さんからも、日常の風景写真がたまに届いたり、「今日はあかん。疲れた」という短いメッセージが来たりする。


 時の経過とともに、画面越しの彼の言葉が、すこしずつ近くに感じられるようになった。


 ECHOは相手が既読になると文字が消える仕組みで、梶さんにとってその「実装」は特別な意味を持つようだった。


― 実装ってどういう意味ですか? エンジニア用語?

― 簡単にいうたら、仕掛けかなあ。

 今の時代って、なんでも記録に残るやろ?

 SNSに流出したら最後、なんぼでも切り取られて広がり続ける。

 企業も、何でもかんでもデータをとって後生大事に抱え込む。


 せやから、逆に、永久には残らへん仕組みを作りたかった。

 その方が、人はずっと自由になんでも喋れるようになるやないかな。

 それに言葉って本来、相手に届いた瞬間に意味を終えるもんやと思うしね。


 届いた瞬間に意味を終える。

 ……それがどういう意味か、少し悩んで文字を打つ。


― 梶さんは、言葉を大切にされているんですね。

― せやね。言葉は、単に相手と意思疎通をするだけやなく、多面的な役割を持ったもんやと思う。

 でも、言葉がいつまでも残る世界やと、本音はどうしても隠されていくやろ。

 一瞬で消えるなら、もっと気軽にいろんなことを言えると思わへん?


 なぜか、その言葉はわたしの心の奥深くに届く。

 ……この人は、もしかしたら、誰かの言葉で傷ついたことがあるんだろうか?

 もしくは言葉で、大切な誰かを傷つけたことがあるのかもしれない。


 メッセージアプリを作るのに、「言葉を残さない」仕組みにしたいという逆説的な発想の中に、初めてわたしは、梶さんという人の輪郭を、ほんの少しだけ掴んだ気がした。

 柔らかい京都弁に隠された、その素顔を。


 それは少し悲しい気づきで、できたらただの勘違いであってほしいと、心の片隅に、そっとしまい込んだ。


 そうしてわたしたちは、日々、たくさんの言葉を重ねては、やさしい波紋を作った。

 季節はいつの間にか春から夏へ、そして秋へと移り変わっていた。

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