第26話
「理由を聞かせてもらえませんか?」
私は警察署で久々に鷺谷に会う。彼は妙にこざっぱりした格好をしている。
「器だよ」
「器?」
「こっちも色々調べてみた。本来失踪事件なんてそう深く関わるわけじゃない。一通り調べて調書を仕上げたら終わりだ。しかし今回の一連は再開発絡みだ。チンケな事件が数件続いただけなのに、俺の中では調べずにはいられない闇を感じる」
そこまで言って鷺谷は不意に黙る。「正直俺もどこまで喋っていいか分からん。そうか、当のオジョウサンのところにまで」
「そうです」
私は声を低くして応える。「それで例の方法の事は?」
「御推察通りの聞きかじりだ。こんな仕事をしていると妙な人間と知り合いになることも多い」
「その人はこの一連の出来事に関与してるんですね?」
「いや、そうじゃない。謂わば地元の霊能力者だ」
「?」
私たちは署内の喫茶スペースに移動する。
「蛇の道は蛇。警察のいるところにヤクザあり。曰くあるところに拝み屋ありだ」
鷺谷はここぞとばかりに煙草を吸い出す。「全く最近はオチオチ煙草も吸ってられねえ」
「それでその人は何と?」
「千年に一度、あるかないかの大異変だそうな。そう言われてもこっちは手の出しようがない」
鷺谷は携帯灰皿をポケットから取り出すと忌々しげに吸殻をねじ込ませる。「そいつが言うにはこれからあらゆる厄が押し寄せ来るそうだ。そのせいか、その為にか今の失踪騒ぎは起きていると」
「そのせいか、その為にか?」
「つまりこれは個々人に纏わるだけの問題じゃないらしい。或る意味地球規模の変動なんだそうだ」
「それじゃあ、誰にも止めることはできないと云うことですか?」
「早まるなよ。現に中にはひょっこり戻ってきたヤツもいるじゃないか。もっとも、その辺はオジョウサンが詳しいけどな」
「確かに」
「で、その拝み屋が言うには人間て云うのは元々は只の有機体であり、年取ればやがて例外なく皆死ぬ。しかしそのエネルギーみたいなものは次元を超えて存在するんだそうだ。ところがだ。そのエネルギーが今、次元を超えて乱れている。理由は分からんそうだ。それが千年に一度の大異変というわけだ」
「それで何故人間が失踪することになるんですか?」
「失踪自体は今も昔も方々で起きている。神隠しってな。ところが今回は時と場所が悪かった」
「時と場所?」
「つまりさっき言ったタイミング。それからこの宮前だ」
「宮前市がどうかしたんですか?」
「オジョウサンから聞いてないか?このマチの謂れを?」
「なんとなくは」
「そうか。例のうつせみ神社がその要だ。詳しいことはもう相良やその拝み屋にも分からんらしいが、この宮前は元々次元の境目に近いところにあるんだそうだ。だからかも知れんがここは地震も多い」
言われてみて私は思う。警察署の中で刑事とする話としては飛躍し過ぎている。自分は一体何の渦中にいるんだ?そして改めて妻のことを思う。
「私は先ず妻を見つけ出したいんです。鷺谷さんの仰る通りにやってみましたが、まだ妻は戻ってきません」
「何の効果もなかったのか?」
「いえ…でもただ」
私は咄嗟に口ごもる。あれは単に気のせいだったのかも知れない。
「ただどうした?」
「そうですね。所謂失踪と云うのとは違う気がします。そんな気持ちになりました」
「うん。やはりそうか」
鷺谷は小さく頷く。「拝み屋が言うには人のエネルギーと云うのは完全に消え去ることはない。例えば思い出とか些細な遺留品でもいい、その中にその人のエネルギーは残っていると言うんだ。まあ、分からないでもないよな」
「そうですね」
「しかしここからがヤツの言い分が振るってるところだ。そのエネルギーの糸口をこちら側の人間がしっかり辿っていけば、必ず本人の現存在に辿り着くことができる。場合によっては呼び戻すこともな」
「呼び戻すことも…」
私は自分のズレたマスクを戻す。
「だからそのエネルギーに心の耳を澄ますんだ。話を聞いた時、俺は事件現場への臨場を思い出した。確かに遺留品や関係者からの話に丁寧に向き合えば被害者の全体像が見え、事件の概要も理解できる。結果的に犯人に辿り着く可能性も高まる」
鷺谷は少し興奮しながら話す。「意外に思うかも知れないが、事件を追っていると少なからず不可思議なことに出会うことがある。仕事柄そんな事は情報として採用するわけにはいかないが、実際にはごく日常的にあることなんだ」
「分かりました」
私は応える。「もう少し妻の帰りを待ってみたいと思います。仰るように妻の存在に耳を傾けながら」
鷺谷は最後までいまひとつ浮かない顔をしていた。私は警察署を後にし会社へと向かう。このところ街の様子が一変したと思う。自分の感性の問題かとも思うが、ビルや道路がやけに殺風景に思える。コロナの影響で人の行き来が減り、私たちはようやく本来の街の姿を目にしているに過ぎないのかも知れないが。
街(マチ)の姿…。私は元々この街(マチ)にとっては他所者だ。私自身特にこの街に思い入れがあったわけでもない。しかし今から考えると、これはあらかじめ用意してあった状況のようにも思える。なるべくして、起こるべくして起きた状況。そう、いつの間にか私は大きな流れの渦に放り込まれていたのだ。そして妻は…。
私は会社の事務所の中でいくつかの事務仕事を終えると、不意に思い立って妻の実家に電話する。彼女の実家は京都だ。今は母親が一人で暮らしている。私が義母に電話をかけるのは実に久し振りだ。お互いに人見知りなところもあって、用がなければほとんど話することもない。
「お久しぶりです」
私は長い呼び鈴の後で義母の幾分掠れた声を聞いてから話し出す。「お元気でしたか?」
「ああ、宣彦さん。あなたこそお元気でしたか?」
義母の話し方にはやはり京都弁のニュアンスが窺われる。そこはまるで別世界のようだ。
「ええ、何とか。そちらはコロナはどうですか?」
「もう大変大変。コロナもだけど、観光客がだーれもいなくなってしまって」
義母はそれでも明るく応える。私は内心逡巡する。さて、これからどう切り出すか。
「じゃあお仕事はしばらくお休みですか?保障とか出るんですか?」
「一応はね。でもこれが長く続けば流石に分からないわ」
義母は京都市内のホテルで長年働いている。
「実はお義母さん、今日は折り入ってお話が…」
「ああ、もうええわよ」
不意に義母は私の言葉をさえぎる。「映美がなんかまたしょうもない事したんでしょう。例えばふっとおらんようになったとか」
「え、どうして分かるんですか?」
私は正直驚愕する。
「前に言わんかった?あの子は昔から妙な子で、親の私にもよう分からんことを時たましだすんよ。それこそふっとおらんようになるなんてざらにあったわ」
「ああ、そう云えば言ってましたね」
私は確かにそんな話を以前聞いていたことを思い出す。でも、それと今回の事は違う気がする。「でもどうなんでしょうね」
「やっぱりおらんようになったの?喧嘩でもした?」
「いえ、それが別にそんなこともなくて」
「そう、思い当たるフシがあなたにはないわけね」
義母は言う。
「はい」
私は正直に告白する。「ただ、お義母さんにはお知らせしておかないと」
「お気遣い有難う」
義母の声は怖いくらいに穏やかだ。「でも死んだわけじゃないんでしょう。だったらそのうちひょっこりこっちにも顔を出すかも知れないから」
「だと良いんですが」
「心配せんでもええよ。物事はね、なるようにしかならんのやから。あなたもそう思うやろ?」
「はあ」
私は何だか腑に落ちないまま電話を切る。訳が分からない。これが普通の反応なのか?私はスマホを机の上に置き、背後のガラス窓から街(マチ)の風景を見下ろす。
しかし義母と話して少し気が落ち着いたのも事実だ。私は窓を開け、外の空気を吸い込む。そして気がつくと私の頬を寂寥の風が撫ぜる。この街には既にこうした思いに駆られる人々が数多くいるに違いない。
彼らは本当にまた帰ってくるのか?帰ってくるなら、いつ、どのようにして?
皆がその吹き抜ける風に問いかける。しかし風は素知らぬフリをして行き過ぎる。まるで自分が時間そのものであるかのように。私たちはその前には無力だ。置き去りにされた心だけを抱えて、人気のない通りを当て所もなく彷徨うだけだ。
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