第8話
前回のお話、大変興味深かったです。
「HK」さん。
私は海外にいた期間が長かったので、どうしても宗教的な意味合いで幸福を考えてしまいます。幸福になること、それは神との契約なんですね。もちろん私は日本人でそう云う考え方を今でも持ってはいませんが、外国人の気持ちはなんとなく理解できます。ですから方法論的な観点から幸福を考えるのはとても新鮮に感じます。
私(猫番人)。有難うございます。正直私も見切り発車の状態なので、今後どう云う風に考えが深まっていくかは全く分かりません。ですが、私たちは経験を通して「こうすれば上手くいく」「こうすれば気持ちが晴れる」などの知恵があるはずで、それを集約することで一つの大きな「幸福」心理学になると思うんです。そしてそれを社会に向けて発信していく。その必要性を私は切に感じている次第です。
私は書きながら自分のこれまでを振り返っている。考えてみれば私は今まで幸福を考えながら生きてきただろうか?もちろん「幸福になりたいか?」と人から問われたら「当たり前だろう」と答えたと思う。しかし普段は「幸福」などは仏壇か神棚に収まっているようなものと感じていた気がする。つまり形而上学的なもの、と云うことか。続けて書き込む。
私も「HK」さんと同じです。これまでずっと「幸福」は大事なことだけど、普段から追い求めるものではないし、取り留めがないからこそ存在価値があるんだと云う風に考えていたような気がします。
少し間があってコメントが入る。「HK」さん。
私が気になっているのは、何故「猫番人」さんが今「幸福」について真剣に考えられるようになったか、です。正直私の周りでは幸福について話題にする人はいません。世の中ではコンプライアンスとか守秘義務とか、いろんな事が話題になりますが、その大本である幸福についてと云うことは忘れられているようです。問いかけても「ああ、幸福ねえ」と曖昧な笑みを返されるだけです(海外ではその点は違います。ほとんどの人がしっかりと自分の幸福論を語ります。それはもう饒舌で、下手に話題にしない方が良いくらいです)。ですから「猫番人」さんが今の視点を獲得されたことが私にとってはとても不思議と云いますか、希少なことに感じられるのですが。
言われてみるとそうかも知れない。あまり気にしていなかった。
それについては追々お答えしたいと思います。ところで「HK」さんは幸福についての謂わば「ポータブルスキル」をお持ちですか?私は今そちらの方に興味があります。
「HK」からの返信。
幸福のスキル、ですね。例えば気が滅入っている時は「小さいことから始めよう」と心掛けます。すると実際はそれなりの仕事ができたりして「気分の問題だったのかな?」と反省したりもします。他には紙に書くことですね。頭の中がモヤモヤする時はひとまず紙に書いてアウトプットする。すると整理もつきますし、気分もスッキリします。
私は思わず反応する。
ああ、良いですねえ。そう、それです。私が求めていることは。私たちは経験的に「幸福」について既に多くの知恵を持ち合わせていると思うんです。ただそれを持ち寄って検討しようとはしてこなかった。それは大いなる損失だと思います。私は世界が分断されようとしている今こそ、人類共通の知恵を生み出さなければならないと思います。まあ、ちょっと大袈裟な言い方かも知れませんが。
返信。「蝙蝠男」だ。
大袈裟でも良いですよ。やってみましょう。「幸福」と云う人類共通のテーマを日常の生き方から考える。いろんな方面からの知恵を借りることで、いろんな方面からの反発も起こり得るでしょうが、それもこの活動が注目されている証拠です。やってみる価値は十分にあると思いますよ。早速私も一つ。
単純なことですが「自分で決める」と云うことです。私たちは普段自由気ままに生きているようで、実はいろんなものに知らず知らず規制を受けています。それでも最終的に「自分で決めた」と云う実感が得られればそれはそれでいい。大事なのはまず「自分で決めていいんだ」と思うことです。少なくとも自分の言動に関しては。だからそれに伴って「責任」も出てくる。「自分で決める」。実際私たちはいろんな制約の中で最終的に「自分で決めて」いる。それなのにその実感を持ち得ないでいる。それは大変不幸なことだと私は思います。
コメント。「HK」。
正直不思議な感覚ですね。「自分で決める」。それは私にとっては当たり前すぎる事ですから。でも改めて考えてみると私たちは人生の折々で「どうしたらいいの?」と立ち止まってしまうことがあります。そんな時には「自分で決めていい。自分で決める」と考えることはとても有用だと思います。やはり一番つらいのは「自分で自分がコントロールできない」ことでしょうから。
なるほど。自己統制感ってやつか。私は考える。
でも私には少し疑問があります。確かに「自分で決める」と云うことは大事なことだと思いますが、実際には自分で決めていることはほんの僅かな範囲だと思います。それでも、いや、だからこそ「自分で決める」と云うことが大事、と云う事なのでしょうか?
「蝙蝠男」。ですね。先程も申し上げた通り、自分の言動については少なくとも自分で決めることができる。その積み重ねが「自分の人生」を作る、「自分らしく生きる」と云うことなのではないでしょうか?
「HK」。欲求と云う面から云えば、人間はこれまで個よりも集団の意識が強かった。「自分らしく生きたい」と云う欲求はあまりなかったのではないでしょうか?
「蝙蝠男」。確かに。心理学的な説明でいけば、マズローの欲求5段階説ですね。私はあまりあの説を信用していませんが、人間の感覚や欲求は育つものです。それを支えるのはやはり環境でしょう。ですから「自分らしく生きたい」と云う思いは実は大昔にも存在していたと考えられます。社会的にはマイナーかも知れませんが。
私=「猫番人」。面白いですね。ひとまずキープさせて頂きます。感想を言わせていただくなら、やはり「幸福のスキル」は心理学と少なからず関連があるようですね。「HK」さんの言われたことは認知行動療法を連想させますし、「蝙蝠男」さんの分も然り。私は改めて何故心理学においてこれまで「幸福」について語られなかったのか不思議なくらいです。
「蝙蝠男」。語られてますよ。ご存知ありませんか?ポジティブ心理学。
え、ポジティブ心理学?
初耳だった。
ポジティブ心理学。それまでの治療を主たる目的とした心理療法学とは一線を画し、心身の健康と健全な人格形成を目指すための心理学。アメリカで始まり、この十年で世界的にも広がりつつある学問。その起因はやはり従来の心理学への反省。つまり「治療」だけではなく、人間の目的である「幸福」を視野の中心に据えた、新たな心理学を模索する動きだと云う。
「世界は動いてるな。何だか一人で息巻いてた自分が恥ずかしいよ」
私は妻に言う。
「そう?私はあなたみたいに疑問を感じていて、やはり新しい思想が必要と考えている人がたくさんいると云うことだと思うわよ。これはきっと大事なことなのよ」
「うん、それはそうだ」
思想ときたか…。私は苦笑する。「これから本を読んでみようと思うけど、ネットで調べた感じではあまりピンとこないんだよな」
「そうなの?」
「何だろうな。云ってしまえば結論は簡単な道徳とおんなじだ。人間関係を大事にしろ。前向きになれ、とかさ」
「ふうん」
「まあ、それはそれで大事なメッセージなんだけど」
「あなたとしてはもっと方法論として考えたいわけね」
妻は言う。
「そう、そうなんだ」
私は大きな声で応える。「今の人間はお仕着せの道徳では動かない」
「じゃ、何?」
「そうだな…、やっぱり試しやすさがポイントだ。効果も比較的早くに確かめられて」
「テレビの通販みたい」
「そう云うことだ」
今日はこれからまた出張に出る。転勤話が無しになってから今度はやたらと出張が多くなっている。その分会社が潤っていれば良いのだが内情はそうでもない。むしろ仕事の減少とそれに伴うスタッフ調整が悩みの種だ。最近ニュースではアジア某国で新型インフルエンザが発生したことが話題となっている。映像で見る限りはまだ局所的な流行に留まっているらしいが、なにしろ全体人口でみればすごい数になるのは間違いない。そのせいかどうかは判然としないが、国内での観光需要が極端に減り始めている。そうなると私たちのイベント事業にも当然の如く影響が出る。困ったものだ。
高速を一人でぶっ飛ばして大手百貨店の担当者と会う。支社の人間も同行する。表面的には何の異常もないが、それぞれにくたびれているのが見て取れる。人を楽しませる度に自分たちの笑顔は減っていく。そう云う冗談が冗談にならないほど、一方で私たちは疲弊している。だが私に限ってはそうした中でも一つの踏ん張り棒が今はある。より良く生きること(ポジティブ心理学では「ウェルビーイング」と呼ぶらしい)。毎日クタクタになりながら私はその事を考える。そして毎日世界のニュースに触れる。相変わらず中東は揺れている。ヨーロッパも伝統と新しい文化が軋みを生んでいる。我が国と関係が深い彼の国はトップに商売人を置いて以降政治の表裏がこれまでにも増して解離しつつある。
どうしてだろう。私はそれらの情勢を横目に見ながら浮かない気持ちになる。
エンディング。私はその事を考える。もしかしたら人間は、人類はすでにもうそこへ近づきつつあるのかも知れない(それはおそらくこれまでのような争いと云う形ではなく、もっと静謐なものとなるだろう)。兆候。向うべくして人類は終焉へと近づきつつある。そこでは混ざり合わないものもやがては時の静寂の中で折り重なって沈澱していく。その中で私たちが残せるものとは何か?それは決して朽ち果てたミイラと廃墟だけではあるまい。
私もいずれ死ぬ。これもまた間違いないことだ。では今後どう生きる?何を為す?私は果てしない車の運転を続けながら考える。モノだけではなく、後世に伝えられるものを私は遺すことができるだろうか…。
ともかくも、やはり私は「幸福」について語ろう。そうだ、まさに名も知らぬ誰かに向かって「幸福」を語り続けること自体が私にとって他でもない「幸福」なのだ。「幸福」の実態は皆が考えているようなふんわりしたものではない。むしろ修養を要するものだ。そして生きるために身につけるべきもの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます