第7話
○月●日
皆さんは仕事でストレスがある時、どうされてますか?以前の私は外見に似合わず割と我慢する方でした。言い合いになってもつまりませんし、特に上司においては話す前から或る程度返ってくる反応が分かっていますので。しかし今はその考えを少し修正しました。我慢ばかりしてても仕方がないなと思ったからです。もちろんそれで不毛な言い争いになることはあります。そんな時は自分でもゲンナリしますが、話したこと自体は悪くないと思っています。でもなかなか上手くいきませんね。
この記事を書いた翌日、「HK」と云う人物から書き込みが来た。
初めて書き込みします。「猫番人」さん(私のこと)の仰ること、よく分かります。私は帰国子女で、学生の頃はだいぶ苦労しました。逆に余計に自己表現を控えている時期もありました。社会人になった今でも気にしないわけではありませんが、外資系なので以前程は気を使わなくて済みます。精神衛生上良いですね。やはり自分が棲みやすい場所を選ぶと云うことも幸福の為には大事だと最近よく考えます。「猫番人」さんはどう思われますか?
面白いと私は思った。棲みやすい場所。なるほど、確かにそうだと思う。わざわざ自分が生きにくい場所で苦労する必要はない。そう云う対処の仕方もあるのか。
「HK」さんのご意見、大変興味深いと思いました。私は何でも根本的に問題解決しないと気が済まない傾向があるのですが、合わない場所/相手から距離を置くと云うことも確かに大事ですね。ちなみに「HK」さんは心理学の本とか読まれますか?
返事はすぐに来た。
読みますよ。やっぱり自分の事を知りたいですからね。もちろん周りの事も。気持ちが煮詰まりそうになる時こそ自分を客観的に保ちたいと思ってますから。「猫番人」さんはどうですか?
私も早速返す。
そうありたいとは思いますが、なかなか現実は上手くいきません。内心はらわたが煮えくりかえることもあります。だからこそ今心理学やストレス管理を学ぼうとしています。やっぱり少しでも人生を大事に過ごしたいですからね。
すると今度は別の人から書き込みが入る。名前は「蝙蝠男」。バットマン?
今の時代は幸福を普通に追い求めることが、ややもすると自分の安全を脅かすことすらあります。「猫番人」さんも自己主張する度に反感を持たれたりするでしょう?変な話ですが、議論することは「戦い」と勘違いしている人が世の中にはかなりの割合で存在するのです。こちらが気をつけていても相手がわざと仕掛けてくることさえあります。全く困ったものです。
幸福。私にはその言葉がとても怖ろしいものに思えることがあります。幸福と云うとその瞬間は皆が分かり合えたような錯覚を覚える。しかし実際人の幸福観はバラバラです。だからこそケンカになる。もの別れに終わる。私はいつもその実情を嘆いています。
私はその文面に見入る。なるほど気持ちは十分に分かる。
「蝙蝠男」さんもだいぶ苦労されているようですね。私はまず「自分は自分。他人は他人」と分けるところから始めようと思っています。そして「自分にできることからはじめよう」と考えています。それは認知行動療法から学んだことです。私の印象では心理学もかなり人類の幸福の為に頑張っていると思います。ただ残念なのは、あくまで医療的側面でのみ議論されていることですね。もっと幸福そのものを研究する学問があっていいと思いますが、今のところそれは望むべくもないのでしょうか。でも一方で幸福論での議論もあまり好きではありません。「何か違う」と生理的に受け付けないんです。言葉の定義にばかり時間を食いますからね。不毛です。
相手からの返信。
ははは。よく分かります。世間には「学問の為の学問」をする連中がいますからね。さて、私には「猫番人」さんが目指しておられる内容がいま一つ分からないのですが、これからどう云う活動をされるのですか?
活動?私はしばし頭をひねる。
大袈裟なことは考えていないのですが、やはり「どう生きたら人間は幸福でいられるのか?」を追及したいと思います。私にとって「幸福」は感性です。どんなに周りからちやほやされてもその人が幸福な生き方・感じ方をしていない限りやはり「幸福」ではないのでしょう。もちろんその逆も然りです。今まで人生論や幸福論、或いは心理学において多少はそのことについて議論されてきたのだと思いますが、結果は皆さんがご存知の通りです。お仕着せの道徳教育とねじ曲がった現実主義。これが人間が積み重ねてきた文明と云うものなのでしょうか?私は知恵と努力は全うに使われるべきだと思います。そう思われませんか?
私は思いつくままそこまで書く。
良いですね。あなたは面白い。
面白い?
「HK」です。「蝙蝠男」さんにも質問です。あなたは「幸福」についてどう云うお考えですか?
お。
「HK」さん、はじめまして。そうですね。私は実は「幸福」についてあまり考えたことがありません。いえ、考えても仕方がないと思っています。「幸福」は追い求めるものではないと思うからです。では何か?「猫番人」さんは定義付けがお嫌いなようですからあくまで私の考えです。「幸福」は人間欲求の総合的実現ないしは受容だと思います。いかがでしょう?
なるほど。「蝙蝠男」はどうやらそれなりの学識もあるらしい。
お二人共有難うございます。まさに私が先ずやりたいことはこうやってざっくばらんに人間の生き方、「幸福」について話をすることです。この機会をもっと発展させていければと思います。
私はその日の書き込みを終了する。悪くない。収穫はあった。やはり世の中には少なからず私と似たテーマでものを考えている人物がいる。それが分かっただけでも何だかとても安心する。
「蝙蝠男」が言っていた「幸福」は追い求めるものではないと云う意見には同意する。確かに「幸福」とは良く生きることだと私は思う。それは思い求めるものではなく、学び実践することだ。そして人間の欲求に基づくと云うことにも誤りはないだろう。
「何か反応あった?」
妻が声を掛けてくる。時間はもう夜12時を過ぎている。
「ああ、思ったよりまともな反応だよ」
「へえ」
彼女もパソコンを覗き込んでくる。「なるほどね。頭良さそう、この人たち」
「頭の良さは関係ないよ。生きることに真面目かどうかだ」
私は応えてから考える。「でも、やっぱりこう云うことを考えてる人間って、それなりにインテリが多いのかな?」
「そうなんじゃないの。普通の人は時々考えたりはするけど、単純にお金儲けだったり、自分なりのステータスを追い求めるんじゃない。それが幸福だと信じて」
妻は応える。
確かに。人はいちいち立ち止まってはいられない。幸福は実践だ。だが同時に検証も必要だ。科学とはまさにその積み重ねなのだ。
「でもさ、欲求と幸福って、あんまり結びつけては考えないよな。幸福の方がより高みにあるような気がして」
「私は蝙蝠男さんの言ってることは分かるな。確かに幸福と欲求は切っても切り離せないものだと思うよ」
「そうかな」
私は応える。「そうなると人間は欲求を満たさないと幸福になれないと云うことになる。極端な話、敗者は幸福になれないと云うことだ」
「あ~、そっか」
妻も考え始める。「でもさ、だから蝙蝠男さんは総合的実現ないしは受容って言ったんじゃないの」
「どう云うこと?」
「欲求は単独で実現されてもまだ幸福には程遠いのよ。その場は確かに嬉しいかも知れない。でも人間はすぐに慣れちゃうからね」
「まあ、そうだな」
「それに受容ってのがミソだよね」
「?」
「つまり上手くいくこと、いかないことってどうしてもあるよね。その時にどう対処するか、受け入れて次に進むか」
「ああ、それは大事だ」
私も同意する。
「そう考えると、人間は常に進み続けることで幸福になれる。ただ生きるだけじゃない。夢や希望を持ち続けること」
妻は言う。
「何だか道徳の授業みたいだな」
私は笑いながら応える。
「でも本当にそう思わない?」
「うん、確かに」
私は頷く。「哀しいかな人間はそう作られてる、ってことかな」
妻との会話はそのいちいちが私の腑に落ちる。そうか、人間はやはり夢や希望を持って歩き続けなければならない。上手くいかないことがあっても、そこから何かを学んで次の一歩を踏むことで幸福にもまた一歩近づくことができる。いや、そう云う風に心身がプログラミングされているのだ。逆に云えば、幸福などはじめから考えようとしない人間は、そのプログラムを雑に運用していることになる。そして後になって嘆くことになる。勿論そこからやり直せば良いが、時すでに残り僅かと云うこともある。
ドラマチックな人生など要らない(元々人生は予測不可能なのだ)。それよりも人間が毎日をごく普通に幸福に生きることができればよいと思う。そうだ。なにより人生は短い。くどくどと他人の悪口を言っている暇はないのだ。誰だって「いつかはやってみたい」と云う事があるだろう。私たちは人生に求められている。学びと経験の触手を伸ばすことを。その為には何より好奇心と勇気が必要だ。
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