第7話 悪趣味なヒーローごっこかよ

 地下は、崩れかけたコンクリートの迷路だった。


 多層駐車場とショッピングモールが、フラクチャーに呑まれて一体化した空間。

 天井が抜けて上のフロアが顔を出し、斜めに傾いた柱が、灰色のジャングルジムみたいに何本も突き刺さっている。

 床だったものはねじれ、壁だったものは裂け、重力の向きすら怪しい。


 その歪んだ空間を、白い残光が駆け抜ける。


 『ファルコン』。


 DPA認定トップヒーロー。そのスピードスーツが放つ青白いラインが、地下の闇に線を刻むたび、外獣エネミーがひとつ、またひとつと弾け飛ぶ。


 スピード系Lv3。

 スローなしで、中級から準上級クラスまで押し切れる、時代の象徴。


 だが、彼は一人で走っているわけじゃない。


「ファルコンさん、右上からもう一体!」


 叫ぶ声と同時に、床の影がむくりと起き上がる。

 黒い線だ。アスファルトの影から伸びたそれが、跳びかかってきた外獣の足を絡め取り、宙で固定する。


 剥き出しの骨と装甲が混ざったような脚を持つ外獣が、空中で固まり、もがいた。


「ナイスだ、如月」


 ファルコンは足を止めない。

 青い軌跡が外獣の胴をなぞり、次の瞬間にはコアごと両断していた。


 如月迅きさらぎじん


 スピードLv2+アザー『バインド』使いのダブル能力者。

 ファルコンの後輩枠として育成されている、若手ヒーロー候補。


「よし、一旦ここまで。前方、残り三十メートルでコア汚染域だ」


 背後から、もう一人が駆けてくる。ゴツいアーマーをまとったシールド系の男――護堂ごどう。レベルは1だが、壁役としての経験は長い。


「上層の通常部隊は、ここで足止め中だってよ。深層突入は、俺たちだけだ」


「分かってる。――オラクル1、状況」


 ファルコンが短く問いかけると、耳元のヘッドセットから落ち着いた女の声が返ってきた。


『こちらオラクル1。コア汚染濃度、予測値の一・二倍。あなたたちの位置から十メートル先で急激に上昇。

 如月の生体反応、前回の任務より全体負荷値が一〇パーセント高い。オーバーヒートに注意』


 ファルコンは舌打ちしそうになるのを飲み込んだ。


「如月。息、上がってるぞ」


 隣で走る青年に目をやる。スーツのバイザー越しでも、ヘルメットの内側で白い息が荒く揺れているのが分かる。


「だ、大丈夫っす。こないだよりはマシですよ」


 如月は笑ってみせた。

 笑えている。まだ余裕はある。


 その笑顔の下で、彼の影だけが、じわじわと濃く伸びているのを、今のファルコンはまだ気に留めない。


   ◆


 一段下のフロアへのスロープを駆け降りると、視界が開けた。


 そこは、かつて車が何十台も並んでいたであろう広いスペースだった。

 しかし今は、鉄骨がねじれて天井から垂れ下がり、床の一部はぽっかりと抜けて、さらに下の層と繋がっている。


 その穴の縁、そしてその周辺に、外獣が群れていた。


 蜘蛛に似たもの。

 獣の骨格に装甲を貼り付けたような四脚。

 どれも、やたらと速そうな脚と、硬そうな外殻を備えている。


 その中心――穴のさらに奥から、濃い黒霧のようなコア汚染が噴き出している。


『コア汚染源を確認。あの穴の下に本体がいる。

 通常部隊はこれ以上前進できない。ファルコン部隊は、汚染源の切り離しを優先』


 オラクル1の声に、ファルコンは短く答える。


「了解。護堂は左、俺は右から潰す。如月は――」


「バインドでまとめて止めます」


 如月の声には、迷いがなかった。


 影がうねる。

 足元の闇が広がり、外獣の足首や脚の付け根に絡みついていく。


 一瞬で、五体分。


 黒い線が床から伸び、天井に打ち込まれた鉄骨にまで伝って、外獣の動きを一括で拘束する。


「よくやってる。如月、テンポ、合わせてこい」


「はいっ、ファルコンさんについていきます!」


 ファルコンは、青い残光を引きながら走り込んだ。

 バインドで動きを奪われた外獣の群れに、速度と刃で穴を開けていく。


 ――その瞬間だった。


 如月が「意図していない」角度から、黒い線が走る。


「え」


 本人が驚いた声を漏らすより早く、床の影から伸びた細いバインドが、横から飛び出してきた外獣の脚を引っかけ、壁に叩きつけた。


 如月は一瞬、きょとんとする。


(今、俺……こんな軌道、出したか?)


 だが、結果として敵の一体が無力化されたことも事実だった。


『如月のバインド軌道、ログ上で自律補完が増えてる。あとでチェックね』


「……了解。とりあえず今は、前を」


 オラクル1は、それ以上は言わなかった。

 戦場で「あとで」に回される違和感は、たいてい後味の悪い形で返ってくる。


 このときも、そうだった。


   ◆


 外獣の数は減ってきた。


 だが、コア汚染源に近づくほど、外獣の動きは激しくなる。脚の一本一本が、スピード能力者めいた軌道を描き始めていた。


「ファルコン、前方に大型コア反応。上級クラスの可能性あり」


『オラクル1』の声に、ファルコンは短く息を吐いた。


「一気に抜く。護堂、前に出ろ。

 如月、手前を一瞬で固めろ。バインド、最大出力だ」


「了解!」


 如月の影が、爆発的に広がる。


 床、壁、天井。

 ねじれたコンクリの隙間、鉄骨の影、抜けた天井から差し込む薄い光――そのすべてが、黒い線の起点になった。


 影から伸びたバインドが、外獣の脚や胴体を巻き込み、一斉に引き倒す。


「──っ」


 ファルコンが踏み出そうとしたその瞬間。


 黒い線が、敵だけでなく、味方の足元にも絡みついた。


「おい、如月――」


 護堂が叫ぶより速く、その足首が床に縫い付けられる。


 次の瞬間、コア汚染源の穴から、光の柱が噴き上がった。


 外獣の一体が、口腔から吐き出したビーム。

 本来なら、ファルコンが横から斬り落とすはずの軌道。


 だが今、護堂は動けない。


「ぐっ──!」


 ファルコンが飛び込んで護堂を射線の外へ弾き飛ばす。


 白い光がかすりし、スーツの表面が焼け焦げる。

 衝撃が全身を叩いた。ファルコンはシールド能力を持たない。


 護堂は、縛られた体勢のまま壁に叩きつけられ、鈍い音を立てて崩れ落ちる。


「護堂!」


 ファルコンが振り返ると、護堂の右腕は不自然な角度に折れていた。ヘルメット越しの呼吸は荒く、意識も怪しい。


「す、すみません……俺、今、制御が――」


 如月の声が震える。

 足元の影は、まだわずかに蠢いていた。


『味方負傷を確認。原因は如月隊員のアザー・バインド暴走。マークします』


 オラクル1の報告が、冷静に突き刺さる。


「……誤操作だ」


 ファルコンは、そう言いかけて飲み込んだ。


 さっきのバインドの軌道。

 敵をファルコンの射線から引き離し、味方の進路を塞ぐような動き。


(……外獣を、庇っている?)


 ファルコンは首を振り、目の前の現実に集中しようとした。


「如月、バインド縮小。護堂は後で回収する。今は──」


 言い切る前に、如月の声が途切れた。


「──っ、あ、あれ……?」


 彼の手元から伸びた影が、意志を持った獣のようにうねる。


 外獣の群れと、汚染源の穴、その奥にうごめく黒いコア。

 バインドが、そのすべてを包み込むように絡みつき、守るように、抱え込むように、形を変えていく。


 如月の首筋から、黒い斑紋が肌を這い上がる。

 ヘルメットの下、眼球の縁まで黒く染まり始めていた。


「如月!」


 ファルコンが呼びかけると、返ってきた声は、ノイズ混じりだった。


「ファルコン、さん……コアが……ま、……守らないと……」


 彼の足元の影が、ファルコンの一歩を拒むように膨れ上がる。


 その瞬間、オラクル1の声が、微妙に濁った。


『……ファルコン。カメラ映像、送信中。

 如月の生体波形、外獣群のコア波形と同期。人型化リスク、レベルCからAに上昇』


 それに続いて、別のウィンドウが彼女のモニタ上にポップアップする。


《判定:Human-type Enemy》

《推奨対処:Immediate Elimination》


 統合管制からの自動判定だ。


 オペレーションルームの空気が、一瞬だけ凍った。


 神崎 司がモニタ越しに眉をひそめる。

 隣で、別のオペが息を飲む気配が伝わってくる。


『オラクル1、指示をくれ』


 ヘッドセットの向こうで、ファルコンの声が低くなる。


『これは――救えるラインか?』


 オラクル1は、画面を見つめた。


 如月の生体波形。

 外獣コアの反応。

 二つが、まるで心電図をコピーしたみたいに重なっている。


 その上に浮かぶ、「即時排除」の文字。


 数秒。


 その沈黙の重さを、前線とオペ室、両方が共有していた。


『……ごめん、ファルコン』


 ようやく絞り出した一言は、オペレーターとしてではなく、一人の人間としてのものだった。


 続けて、彼女は職務として読み上げる。


『統合管制より通達。対象:如月迅。

 現在の生体反応と戦闘ログから、人型エネミーと判定。

 暴走の継続を確認した場合、即時排除が認可されました』


 認可。命令ではない。

 だが、そのニュアンスは、ファルコンにも分かっている。


(だがそれは俺の後継候補に、処刑役をやらせないためのルールだったはずだ)


 隊から人型エネミーが現れたら、なるべくヒーローに処分はさせない。

 そのために、スロー部隊や通常部隊が間に入る。


 ――少なくとも、建前上は。


 今、その建前は、地下のコア汚染に飲まれていた。


「……了解した」


 ファルコンは、ロングブレードを構え直した。


 如月の前に、一歩、踏み出す。


「ファルコン、さん……?」


 如月が、コアを庇うように背を丸める。

 黒いバインドが、彼とコアの間に壁を作る。


 ファルコンは、その壁ごと斬る覚悟を固めかけた。


 そのとき。


 視界の端を、黒い残光が横切った。


   ◆


 黒い影は、音より速く割り込んだ。


 ファルコンの振り下ろそうとした刃と、如月の身体、そのすべての間を、黒い外骨格の人影が通り抜ける。


 シャドウブリンガー。


 アンノウンクラス人型外獣。

 外獣もヒーローも狩る『影喰い』。


 バイザー越しには、それは「如月の胸を貫いた一撃」にしか見えなかった。


 黒いブレードが閃き、如月の胸部を線で貫く。

 血と、黒い光と、コア汚染の霧が一斉に噴き上がった。


「っ、シャドウブリンガー!」


 ファルコンが名を叫ぶ。


 だが、その刃が本当に通ったラインは、如月そのものではなかった。


 彼の背後、コア汚染源から伸びていた黒い根の束。

 外獣のコア群と如月のバインドを繋いでいた、管の集合体。


 ブレードがそこを裂いた瞬間、コア群が悲鳴のようなノイズを上げて砕ける。


 黒い光が、ブレードに吸い込まれるように消えていく。


『……外獣反応、急激に消失。

 如月の生体反応、人間側だけが残ってる……』


 オラクル1の声が、震えた。


 如月の身体は反動で前に倒れ込み、そのままぐったりと動かなくなる。

 胸部のスーツには切り裂かれた痕があり、血も滲んでいるが、致命傷というほど深くはない。


 シャドウブリンガーは、倒れた如月を一瞥した。


 その仮面めいた外骨格から、感情は読み取れない。

 だが、その立ち位置と身体の向きは、「これ以上は斬らない」と告げていた。


 次の瞬間には、彼はコア汚染源の穴へ跳び込んでいる。


 そこから這い上がろうとしていた外獣の群れを、黒い残光で一掃しながら。


「待て! シャドウブリンガー!」


 ファルコンが追おうとする。

 だが、黒い影はすでに深層へと消え、残ったのは、粉々になったコアの欠片だけだった。


   ◆


 DPA本部、ダンジョン対策室オペレーションルーム。


 スクリーンには、地下フロアの映像が複数角度から映し出されていた。


 倒れた如月。

 薄れ始めている黒い斑紋。

 そのそばで、ファルコンが護堂を引きずり寄せている。


『統合管制より更新。対象・如月迅、人型エネミーになり損ね、処分完了と記録。

 残存肉体は――』


「待て」


 シャドウブリンガーの出現を聞いて入室した神崎司が、声を挟んだ。


 モニタ越しの男は、一見地味で、感情の振れ幅も小さく見える。

 だが今、その声には、はっきりとした棘が混じっていた。


「その言い方はおかしい」


 神崎は別のオペに指示を飛ばす。


「シャドウブリンガーの一撃の映像を巻き戻せ」


 大型スクリーンに、さっきのシーンが再生される。


 如月の前に立つファルコン。

 背後に絡みつく黒い根の束。


 そこに、シャドウブリンガーの黒い残光が割り込む。


 一見すると如月の胸を貫いたように見えた刃が、フレームを分解して追っていくと、微妙に手前――いや、奥だ。


 刃の線は、如月の胸から背中まで生えたエネミー・コアの核だけを正確になぞり、その付け根を断ち切っていた。


「……如月を斬ったわけじゃない」


 神崎が低く呟く。


「今、ここに横たわっている如月は、外獣の付属物を削ぎ落とされた状態だ。

 完全な人型エネミーとは言えない。今の段階なら、治せるかもしれない」


『治療可能性は医学的に未確認だ』


 統合管制の担当者が、不満げな声を返す。


『DPAガイドライン上、人型エネミーとして一度認定された個体は――』


「人型エネミーは討伐対象だ」


 神崎はそれを途中で遮った。


「だが、如月 迅はどうだ。

 今、外獣コアは消失し、人間側の生体反応だけが残っている。

 これは『人型エネミー』ではなく、『人間+異常生体反応』だ。

 前者は討伐対象。後者は、医療隔離対象だろう」


 短い沈黙。


 その間にも、スクリーンの隅で如月の心拍グラフが、かすかに上下を繰り返している。


「……ガイドライン上、解釈の余地はある」


 統合管制の声が、少しだけトーンを落とした。


『ダンジョン対策室、現場指揮官の判断として記録するか?』


「ああ。現場指揮官として記録する。

 如月 迅は、患者として隔離搬送する」


 神崎はそう言い切った。


 オラクル1が、ほっとしたように息をつく。


『ファルコン。統合管制は処分完了扱いにしたが、

 ダンジョン対策室としては如月の生存を優先する。搬送、お願いできる?』


 回線の向こうで、少しだけ沈黙があった。


「……了解。ヒーローは、救助も仕事だからな」


 ファルコンの声には、自嘲が混じっていた。


   ◆


 数時間後。


 DPA本部、隔離医療区画。


 厚いガラスで区切られた個室の中、ベッドに一人の青年が横たわっている。


 如月 迅。


 拘束具で両腕と胸を軽く固定され、点滴とモニタにつながれている彼の肌には、まだ薄く黒い斑紋が残っていた。

 だが、それはさっきまでの侵食ではなく、消えかけの痣のように見える。


 ガラスの向こうに、数人の影が並んでいた。


 神崎 司。

 オラクル1――ファルコン隊のオペだが、今は統合ログを確認している。

 そして、スロー部隊一班のメンバー。


 新堂 蓮。

 甲斐玲央ウォール

 佐伯光太ダッシュ


 少し離れた位置には、ファルコンの姿もある。

 スピードスーツの上半身を脱ぎ、シャツ姿で壁にもたれながら、ベッドの中の元後輩を見つめていた。


「……結局、俺は何もできなかったな」


 ファルコンが、ぽつりと言う。


 神崎は、その横顔にちらりと目をやった。


「搬送してくれただろう。充分だ」


「そうか?

 最初から、あいつをあそこまで追い込まなきゃ良かった、って話でもある」


 ファルコンは笑ったが、その笑いは乾いていた。


「もし、あいつ――シャドウブリンガーが怪物ならさ」


 彼は、ガラスの向こうの如月と、モニタに映された映像ログを交互に見ながら続ける。


「どうしてこんな中途半端な救い方をする?」


 神崎は答えなかった。


 ただ、オペレーターが巻き戻した映像に視線を固定する。


 スローモーションで映し出される、シャドウブリンガーの一撃。


 一撃目で、如月の背後のコア群だけを切り裂く。

 二撃目以降で、周囲の外獣を素早く処理し、如月にこれ以上ダメージが飛ばないように動いている――ようにも見える。


「どう見ても、普通の人型エネミーのムーブじゃねえな」


 甲斐が横で腕を組みながら言った。


 その顔はいつものように皮肉っぽいが、目は真剣だ。


「外獣は喰うくせに、悪趣味なヒーローごっこかよ」


「でもさ」


 光太が、ガラス越しに如月を見ながら口を挟む。


「結果だけ見たら、如月さん、生きてる。

 あいつがコアまとめて持ってってくれなきゃ、今ごろ完全に外獣側だったかもしれないんだろ?」


 蓮は、何も言えなかった。


 映像の中で、黒い外骨格の背中が、深層の闇に消えていく。


 外獣を喰う人型エネミー。

 人間を斬る決断を迫られた装甲ヒーロー。


(どっちが救うヒーローなんだよ)


 頭の中で、誰にも聞こえない声が漏れる。


 ガラス越しの如月のモニタが、規則正しく脈を刻む。


 そのリズムと、画面の片隅に静止画として映されたシャドウブリンガーの背中が、蓮の視界の中で重なった。


(もしあいつが救う側なら――俺は、どうするべきなんだろうな)


 その問いは、まだ誰にも投げられないまま、蓮の胸の中で、静かに速度を上げていく。

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