堕ちたヘンゼル
百面卿
第1話 お菓子の家の魔女
憎い、憎い。この世の全てが憎い。
目に映るもの全てが憎くて仕方がない。あの日、あの夜。母と父に捨てられた日から。誘惑に負け、まんまと騙され、魔女に襲われたあの日から。
ボロボロの灰色のローブを身に纏い、ストレスにより髪が全て白く染まった青年、ヘンゼルの目には、この世の全てを呪うような憎しみの感情が宿っていた。
雨に打たれるその手には一本の剣が握られている。一見、ただの剣に見えるそれには、赤黒い血がこびりついていた。
「やめて! お願い!」
切り落とされた右腕の断面を抑えながら叫ぶ女──否、魔女。
魔女とは、人間には扱えない強大な力、魔法を扱う女のことを指す。二百年前よりどこからか現れ、残虐の限りを尽くす者たち。二百年前に現れた魔女はたったの数人だったが、年月を増すごとにその数は増え続け、今では無数の魔女たちが世界中に存在していた。
「もう悪いことはしないから、ね? ほら、私を見逃してくれたら何でも好きな願いを叶えてあげる。お金や力が欲しい? どっちも叶えてあげられるわ。それとも──私自身?」
自身の美貌を利用し、ヘンゼルを誘惑する魔女。魔女たちは皆、絶世の美貌を持っている。彼女たちに宿る魔力がその美貌を作り上げているという噂はあるが、実際のところは何もわかっていない。
ヘンゼルは魔女の言葉を無視し、一歩一歩近づいていく。ずるずると、魔女の血がこびりついた剣を引きずりながら、
魔女は徐々に近づいてくるヘンゼルに向け、左腕を向けた。
「死ね人間!」
その瞬間、ヘンゼルの頭で爆発が起きる。目には見えない力──魔法によるものだ。
「あっはは! 油断したわね魔女狩り。いい、魔女ってのはあんたらが勝てる存在なんかじゃないのよ!」
頭が煙に覆われ、動かないヘンゼルを睨みつける魔女。ヘンゼルの頭を吹き飛ばしたと思っているのだろう。高らかに笑う魔女の表情は、煙が晴れた時、絶望へと変わった。
「な、何で死んでないのよ!」
煙の中から、ヘンゼルの顔が現れる。その魔女の如き美貌の顔には傷ひとつついておらず、ただ埃で汚れがついたくらいだった。
「……お前を殺せば、金が手に入る」
ヘンゼルはゆっくりと、魔女に向けて告げた。
「金、力、名誉。お前に頼まずとも、殺せば全てが手に入る」
魔女の表情が恐怖に染まる。
「ありえない! 魔法を直に受けて、何ともないだなんて。一体どんなカラクリを──!?」
途中で言葉を止める魔女。その視線の先には、ヘンゼルが握っている剣があった。つい先程まで自身の血がこびり付いた剣には、雨の中でも轟々と燃え盛る炎が巻き付いている。
雨の中でも消えず、生き物のように動く炎。それは自然から生まれた炎ではない。人為的に、意図して生み出されたものだ。
「ま、魔法……? ありえない、それは私たち魔女にしか使えないはず。魔女でも、女でもない男が、何で──」
そう言いかけた時、魔女の頭が宙を舞った。その断面は醜く焼け焦げており、血が出ることはなかった。
地面へ落ち、転がる頭。ヘンゼルはその目に剣を突き刺し、これ以上転がらぬよう固定した。
「答えろ、”お菓子の家の魔女”はどこにいる」
頭が跳ねられてなお、魔女は生きていた。莫大な力をその身に内包する魔女たちは、首を跳ねられただけでは死なぬ命を持っているのだ。
魔女は恐怖に歪む表情で、懇願する。
「し、知らない! 嘘じゃないわ。鏡の魔女に赤ずきんの魔女、他にも名前のついている有名な魔女は全て知ってる! でも、お菓子の家の魔女だなんて、聞いたことがないわ!」
ヘンゼルはその青い目で魔女を睨みつける。だが魔女は依然として知らない様子だった。
「お願い、助けて。あなたのことは誰にも言わない。お菓子の家の魔女も、私が見つけて見せる。だから、命だけは──」
ヘンゼルは魔女の頭を真っ二つに切り裂いた。憎しみの籠る目で、残酷に。そして、残る魔女の胴体へと歩み寄り、胸を切り裂いた。
剥き出しになる心臓。その心臓は未だ動いており、止まってはいない。
「また、何も得られなかった」
寂しそうに呟き、剥き出しになった心臓を握る。そしてそれを、口の中に入れて噛み締めた。
口の中いっぱいに広がる血の味。そして、魔力の味。ヘンゼルはかつて、魔女に言われた言葉を思い出した。
『よくお聞き、坊や。魔女の心臓には魔法の元となる魔力が込められているのさ。それを喰らえば、男であるお前にも魔力が宿る。ヒッヒッヒ、妹を殺した私に復讐したければ、大勢の魔女の心臓を喰らうんだね。あんたがまた、私の家まで来るのを待ってるよ』
魔女は老いない。その生命力のおかげか、ずっと若い女の姿のままでいる。なのにその魔女は、老いた老婆だった。
魔女ではなかった、というのはあり得ない。魔力を感じられなかった当時の自分にもわかるほど、その老婆には絶大な魔力が宿っていた。
ヘンゼルはごくりと心臓を飲み込み、自分の身に力が宿るのを実感する。
「……お菓子の家の魔女。お前だけは、絶対に」
ヘンゼルはそう呟いた後、魔女の死体を引きずって街へと向かった。
堕ちたヘンゼル 百面卿 @gandolle
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