後編

 正七郎という人は作家だった。少なくともそう称していた。小説を書いた。本を出したこともある。遠い昔のことで、まったく売れはしなかったし、文人として世に名を知れることもなかったのだが、ともかくその事実があるので本人は『自分は作家だ』と嘯いていた。死ぬまで。


「正七郎おじうえは」


 と祖母などは言う。


「よく言えば風流人で、まあその実をいえば徒食の士でありました」


 祖母は生まれつき上品な人なので実を言わせてもこのような言い回しを用いるが、平たくいえば宿六、もっと悪くいえば穀潰しである。うちがこういう家柄だから生涯に渡って無為徒食で芸術家気取りをしていることもできたが、そうでなかったら叩き出されていただろう。さて、それはさておき、刀の研ぎである。古刀の研ぎというのはそのへんの包丁をちょいと研ぐのとはわけが違うので、時間がかかる。普通の研ぎでも数日は見ないといけないし、今回のように状態が悪い場合だとそもそも引き受けてくれる研ぎ師が多くはおらず、いたとしても大変に時間がかかる。


「引き受けてもよいですが」


 やっと見つけた研ぎ師の先生はこう言った。


「まず、作業期間の見積もりの“けん”のために三日を頂戴します」


 いやも応もないので、現物を預けて三日待ち、話を聞きに行ったところ。


「現時点で分かる限りのことを言えば……まず、腐食の度合いから言って、研ぎ直すことはできます。ただし、直しに三ヶ月。料金は百万円を頂きたく」


 ふむ。


「そして、これはまず正宗ではありません。正宗の太刀で銘入りのものは現存例が一例もない、というような話もありますが……それ以前の問題として、刀身の特徴からして正宗とは異なります。ただ、おそらく古刀ではあります。室町期か……或いは、もっと遡るかもしれません。それでも、研ぎに百万の銭を費やす価値のある刀であることを保証は致しかねますが」


 で、また親族会議になった。わが家から刀の研ぎに百万円が出せないということはないが、それと『この用途に百万円をぽんと費やしてよいか、誰の財布から出すのか』というのは別の問題である。


「捨ててしまおう。専門家も、正宗ではないと言い切ったのだろう? 破棄処分すればこれ以上金がかかることもない。馬鹿馬鹿しい、あんな穀潰しの残したガラクタなぞに……」


 拝崎の伯父さんはそう言った。だが、祖母の意見はやはり違った。


「研ぎ代は、儂が出します。正七郎おじうえの真意を知ることが、もくてきです。何も遺品の中から名刀を掘り出して、それを売り捌いて一獲千金をしようというのではありんせん」


 で、祖母が私費で費用を負担することになり、また僕が研ぎ師の先生のところに通う。


「この銘ですが。正宗の二字。おそらく、入れられた時期がそれぞれ異なります。宗の字はかなり出来が怪しいのですが、正の字はそれよりずっと古くに、熟練の業師が入れたもののようです」


 まめに通った。少しずつ、進捗状況は明らかになる。細かく経緯を追って行っても際限がないので、結論を書く。その刀は、村正だった。


「この刃紋。千子刃と言って、表裏がぴったり揃う。これは村正の最大の特徴であると言ってよろしい。そして、銘ですが。正の字は鍛刀当時に刻まれたものです。当時は『村正』と刻されていた。『村』の字を消した痕跡があります。その上で、下に『宗』の字を足して、『正宗』の偽銘をつくったのでしょう。おそらくは江戸時代のことです。当時、村正は忌み刀として嫌われ……そのように処される例がままあったと言われておりますから」


 ということで、刀の銘と来歴は分かったので、その名で文化財としての登録を済ませた。刀を一本だけ慈善団体などに贈るわけにもいかないので、その刀はいちおう僕の所有ということになった。まあ、当主なので、家の宝である。


「大叔父上は、なんでこんなものを死蔵していたんでしょうね。きちんと研いで、床の間に置いていたというのならまだしも」」

「本人が何も語らんで死んでしまった以上は、何も分からんだろう。どうしようもあるまい」

「いや……儂には少しだけ分かる気がしますよ。村正の正。正宗の正。いずれも、正七郎ら七人兄弟の諱に用いられた正字です。おそらく、そこに何か思うところがあったのでしょう」


 本物の芸術家にはなれなかった自分。忌み刀として嫌われ、偽物の正宗に変えられてしまった村正の刀。僕は、大叔父が生前に、最期の頃に語っていたことを思い出す。


「一族の名を背負うというのは、重いものだ。君もいずれ分かるだろうよ、義一郎君」


 いまいっぺんその言葉について思索を巡らし。僕は村正の刀を鞘に納め、床の間に戻した。

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偽銘 きょうじゅ @Fake_Proffesor

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