偽銘

きょうじゅ

前編

 大叔父が死んで、一本の刀が遺された。


 いや、遺されたものは一本の刀だけだったわけではないのだが、遺産整理らしい遺産整理が終わったそのあとで本人の住まいの片隅から目録にない日本刀が一本出てきて、それをどうするかが決まらない状況にあるから、つまり大叔父が死んで一本の刀が遺されているというわけなのだ。


 もっともいま大叔父と言っているけれど、彼、仁藤正七郎にとうせいしちろうは厳密にいえば僕から見て大叔父とされる存在(祖父母の弟)ではなかった。僕の曽祖父にあたる正一郎せいいちろう(名前からお分かりの通り嫡出の長男)の末弟である。古い日本語ではこの関係を曽祖叔父そうそしゅくふと言うらしいが、言ってもほぼ誰にも通じないので、言の葉にのぼらせるときは『大叔父上』で通していた。その大叔父上には妻も子もいなかった。仮に隠し子やらなにやらがいたとしても、遺言状でも本人が言及しなかった以上はもはや永遠の謎であろう。いや、そんなことはいい。問題は、刀である。見つかったのだ。遺産の大半が彼の遺言通りに慈善団体やら公共施設やらに寄付されたそのあとになって、遺言状にも財産目録にも載っていなかった、日本刀が、一振り。


「日本刀、はいいんだがな」


 と言うのは拝崎はいざきの伯父さん。僕の父の姉の夫にあたる人物で、病院の院長をやっている。


「銘正宗まさむねはないだろう、銘正宗は。こんな錆だらけの刀が、そんな大それた国宝級の代物であるわけがない」


 錆だらけというのは本当である。蔵の中で発見されたとき、その刀はかろうじて鞘から抜くことはできたものの、錆に包まれて赤茶色だった。こういうのを日本刀の世界で赤鰯と通称する。だが、検めてみたら刀身にかろうじて素人でも読める状態の銘があり、『正宗』と刻されていた。正宗というのは、たぶん大概の方が御存知ではないかと思うのだが、日本刀の世界でもトップクラスの名声と知名度を誇る大銘物の中の大銘物である。刀で銘が正宗で、万が一本物であるのならば最低でも重要文化財だ。国宝指定もあり得る。もっとも、正宗だろうが天叢雲であろうが鉄剣である以上錆びるときは錆びるので、錆びているということをもって正宗であることの否定にはならない。


「処分してしまおう、こんなもの。この状態では文化財登録もできないだろうし」


 いまの日本の法律上、日本刀を所持して自宅に保管することは違法ではないが、いちおう届け出の義務のようなものはある。文化財として登録しておけば、特に問題もなく自宅に置くことができる。ただ、刀であるのは確かでもあんまりちゃちな安物とか、そうでなくても状態がひどいものは登録を受け付けてもらえないことがある。らしい。


「もしも、これが本当に正宗の刀で、正七郎おじうえがそれを知った上で、蔵に収めていたというのなら……」


 今度は僕の祖母が口を開いた。ちなみにおじうえと言っているが、祖母の方が正七郎より年上である。


「儂らに分かるように、遺言状にその旨の一つも記したことでありましょう。まあ、だからこの刀が国宝だなんて話は万に一つも出ちゃあきんすまい。……ですけれどもね」


 祖母は続ける。


「そうはいっても、銘正宗の刀です。ぎゃくに、偽ものであることが分かっていて持っていた、というのなら、銘を消してしまうことも、そんなものは処分してしまうこともできたはず」

「しかし、刀自……」


 拝崎の伯父さんが言葉を遮ろうとしたが、祖母は話を続けた。なお、刀自というのは年長の女性に対する敬称であって祖母の名ではないし日本刀とも関係ない。


「なれば、調べましょうぞ。正七郎おじうえが何のつもりでこれをわれわれに遺したか。それを知るためにも。……よいですか、義一郎ぎいちろう

「はい、おばあさま」


 義一郎とは僕のことである。仁藤家の現在の惣領にあたる。まあ、僕は下に六人も弟はいないし、祖母も健在だし、時代が時代だし、家のことを全部当主として仕切るみたいなことをやっているわけでもないのだが。そういうわけだから、赤鰯の刀は研ぎに出されることになった。

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